Step 21. どうやって中に入るつもりなの?
シャノンが着替えの真っ最中だというのに、部屋の扉が音もなく開いた。
曲がりなりにも軍人であるシャノンに気配を気取らせない人物など、そう多くはない。シャツを脱ぎかけた不自然な格好で動きを止めたシャノンの姿をとらえて、扉を開けたお仕着せ姿のティナは顔色一つ変えずにくるりと背を向けた。
「ごめんなさい、誰もいないと思って。……ちゃんと目印を出しておいてくれないと困るのだけど」
「悪い」
諜報部員が使用するこの邸宅の一室は、使っていることを示す目印がある。窓枠に置いてある人形が、窓の外に向いていれば中に人がいて、窓の外に背を向けていれば誰もいないといった具合だ。
すっかり癖になっているそれを忘れるくらい、シャノンは焦っていた。
「それにしても、あなた本当に男だったのね」
「……今まで女性だと思ってたのか?」
「いいえ、どちらでもあり得ると思ってたわ。私の仕事に支障はないからどちらであっても良かったし」
つまり、たいして興味がなかったということだろう。
細身のズボンと薄手の肌着シャツの上から防弾チョッキを着込み、さらにその上にスカート部分を着脱できるドレスを着る。防弾チョッキのおかげか、さほど詰め物をせずとも女性らしい身体に見せることができた。なで肩のシャノンであっても肩回りや腕の肉付きは誤魔化しづらいため、袖はふんわりとしたパフスリーブだ。
このドレスは、早着替えが求められる舞台衣装を参考にしているらしく、見た目より動きやすく作られている。
「もういいよ」
見られて困る格好ではなくなったので、ティナに声をかける。なにより、ここから先は彼女の協力も必要だ。
ドレスを着たシャノンを見ても、ティナの表情は変わらない。代わりに、いつもよりも真剣な顔で疑問を口にした。
「どうやって中に入るつもりなの?」
「……これを使う」
シャノンは栗色の鬘を持ち上げた。意図を察して、ティナが眉を上げる。
「へえ」
シャノンが鬘の用意をしていると、ティナが戸棚を漁りだした。この部屋の戸棚には応急手当などに使える薬品類のほかに、変装用の薬品もいくつか置いてあるのだ。
「これも、使うでしょう」
ティナが親指ほどの大きさの小瓶を差し出した。紫色のラベルのそれを、シャノンはありがたく受け取る。
「ありがとう」
「効果時間は大体十五分間。その間、目が光に弱くなるから気を付けた方がいいわ」
「短いな」
顔をしかめたシャノンに、ティナは唇の端をわずかに上げた。
「それだけあれば十分でしょう。どうせ長くは騙せない。それに……顔を知っている人間が一人でもいたらすぐにばれるわ」
挑発的な表情のティナを苦い顔で見返して、シャノンは小さく息をつく。
「わかってる……それでもはったりをかますしかないな。ずっと身代わりを立ててたとか何とか言って押し通す」
腹をくくってそう言ったシャノンだったが、ティナは意外にも目を細めて笑みを作った。不思議に思って言外に目で促すと、珍しくも少しばかり得意げに、ティナが人差し指をぴんと立てる。
「ひとつ朗報よ。見張りに立っている奴に、別件で知り合ったのがいるわ。私に気があるみたいなの。使えると思わない?」
「……つくづく、ティナが味方でよかったよ」
なんとかそう返したシャノンに、ティナは笑みを深めたが、すぐに表情を改める。
「化粧で顔は似せなくていいの?」
シャノンは首を横に振る。
「……あまり時間をかけたくない。そろそろ2時間になるだろう」
「……そうね、しびれを切らして次の手に出てもおかしくないわ」
ライラが人質に取られたという知らせから、もうそんなにも時間が経っていた。あまりにこちら側に動きがないと、何か過激なことをしでかされるかもしれない。
瞳の色を変える薬を使うのは、乗り込む直前だ。それ以外の身支度を整えて、シャノンはティナに問いかけた。
「君は変装を変えないのか」
メイドのお仕着せを着て、地顔よりたれ目に見える化粧と、ダークブロンドの鬘。軍の宿舎の食堂に現れるときと比べてもそれほど手を加えているようには見えないが、まるで別人のように見える。
「このままでいいわ。あいつは私のこと、どこかのメイドの〝ティアナ〟だと思ってるから」
それなら、と頷いて、シャノンたちは部屋を出た。
アーキン派が隠れているのは、件の取引で浮上した南地区の邸宅だった。
かろうじてその邸宅が見える路地に身を潜めて、様子を伺う。
「やっぱり、ここが拠点の一つだったんだな」
シャノンのひそめた声に、ティナが頷いた。視線はじっと邸宅の方へ向けられている。
「時間は違うけど、あの賭場でのやり取りで示されてた日付は今日。武器の取り引きの日付だと思ってそっちばかり警戒してたけど、アシュトン派への脅迫を実行する日でもあったってわけね」
もともと今日は、諜報部の大半の人員とアシュトン伯爵の私兵が武器の闇取引への警戒を強めていた。そこへこの脅迫だ。
(あの、意味の取れなかった二つのAについて、もっと真剣に考えるべきだったんだ)
おそらくあのAのうち一つは、アシュトンのAだ。もう一つはきっと、アークライト。
周囲の人通りは極端に少ない。見通しのいい通りの向こう側、邸宅の門衛のようないでたちの男が、挙動不審に目線をせわしなく動かしているのがわかる。
「……あの見張りの男が、別件で知り合ったっていう?」
ティナはちらりとシャノンを見た。そして、皮肉げに口元を歪める。
「そうよ。まるで素人でしょう? 親の言いなりで軍人になって、くすぶっていたところに今度はアーキン派の下っ端になって。だれかに従っていたい人間なの」
「辛辣だな」
シャノンの評に、ティナは一瞬目を伏せた。
「……目を覚ますべきなのよ」
私みたいなのに利用されるから、と口の中で呟いて、ティナが立ち上がる。
「行きましょう」
シャノンは小さく頷いて、袖の隠しから取り出した小瓶の中身を数滴目に垂らした。わずかにしみるような痛みが走り、目をぎゅっとつぶる。
ゆっくりと閉じていた目を開けると、刺すような光が眩しい。正午を過ぎて数時間、まだまだ日の高い時間でこの薬は確かに使い勝手が悪い。
これから乗り込む敵地が、屋内で助かった。
確かめるようにティナを見ると、彼女は頷いた。
「ちゃんと変わってる。視界はどう」
「眩しいけど、問題ない」
二人は路地を出た。ティナが周りを気にしながらシャノンの腕を掴み、引きずるように歩き出す。シャノンは顔を伏せ、怯えているふりをしながらティナに続いた。
「ティアナ?! どうして君がこんなところに……!」
見張りに立っていた男は、ティナを見て目を丸くした。周囲を伺うようにしてから駆け寄ってくる。
ティナがか細い声で言った。
「脅されているの。お嬢様をここに連れて行けって言われて……あなた、いったい何に関わっているの……?」
声を震わせてそう訴えるティナに、男は怪訝そうに聞き返した。
「脅されている? いったい誰に」
「わからないわ! 顔を隠した男よ。怖い……」
取り乱したティナの肩に、男がそっと手を置く。諭すように、次の問いを重ねた。
「お嬢様って? どこのお嬢様だい?」
「アシュトン伯爵家のライラ様よ」
ひそめた声で告げられた名に、男は眉を寄せた。
「え? そんなはずは……」
男の疑問を塗り替えるように、ティナが男の腕にほっそりとした指をかける。すがるように見上げて言葉を続ける。
「ねえ、私、つかまったりしないわよね? 怖かったけど、ちゃんと言われたとおりにしたのよ」
男は腕に触れている指先とティナの顔とをせわしなく見て、上ずった声で言う。
「あ、ああ、大丈夫さ。でも、どうなってるんだ。アシュトン伯爵令嬢ならとっくに中に……」
当然のことだが、男は怪しんでいる。ここであまり時間を使うわけにはいかない。シャノンは震えた声を出した。
「あの子は、わたくしの身代わりなのです……本当に、こんなことになるなんて……」
さめざめと泣きだすふりをしたシャノンに、男はおおいに慌てたようだった。さきほどの目薬のおかげでちょうどよく目が潤んでいる。ちらりと目線を合わせると、男の戸惑いが増したのがわかる。
「栗色の髪に、珍しい紫水晶の瞳……聞いていた特徴と一緒だけど、でも」
「私、どうしたらいいの?」
幸い、ライラの顔を知らないようだった。シャノンも面識がないため、貴族の社交場に出入りする身分ではないのだろう。
混乱しているところに、さらにティナの問いを重ねられて、男は自分で判断することをあきらめたようだった。
「中にいる方のアシュトン伯爵令嬢に会わせれば、わかるよな……」
ためらいつつも、男は二人を邸宅の中に招き入れた。




