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Step 2. 少しでも、変わりたいと思うならば


 ある日、シャノンは射撃訓練で一番いい成績を修めた。今まではこれ以上目をつけられないように少し手を抜いていたのだが、その日は朝から虫の居所が悪く、そんな気になれなかった。おかげで、何かとシャノンに当たってくる反りの合わない級友の成績を抜いてしまったのだ。案の定、訓練後に宿舎の陰へと引っ張られ、殴られそうになった。よくあることだった。初めのころはただやられっぱなしだったが、その頃にはいつも、数発は受け流し、シャノンだからと油断して隙だらけな相手の急所をついて逃げ出すということを繰り返してやり過ごしていた。たいがいそういう相手はシャノンという格下にしてやられたという事実から目を逸らし、あまり関わってこなくなる。当然、周りにそれを話すこともない。

 

 その日もいつものようになると思っていた。しかし、二発ほど受け流したところで、突然声がかかったのだ。


「そこで何をしている」


 今にもシャノンを殴ろうと拳を振り上げていた級友は、泡を食って動きを止めた。

 腹をかばっていた両腕をおろして、シャノンは声のした方を見た。


 そこには、いくつも胸章のついた軍服を着た、立派な体躯の軍人が立っていた。栗色の短く刈られた髪に、鋭く光る濃いグレーの瞳。意志の強そうな眉は、こちらの様子を正しく把握してはっきりとしかめられている。

 胸章を一つ一つ確認するまでもなく、彼のことはここでは誰もが知っていた。直接士官候補生たちを指導することはないが、式典などでは壇上に立つこともある。爵位を持ちながら前線に立ち、先の戦争で多大な功績を残した国軍中将、チャールズ・アシュトン伯爵。


「閣下、これは……!」

「言い訳は無用だ。……指導室へ」


 アシュトン伯爵は、連れていた副官に短く命じた。彼は心得たように級友を引きずって去っていく。


「こういうことは、よくあるようだな。シャノン・ハーシェル」


 ごまかして否定しようと考えていたシャノンは、名前まで告げられて考えを改めた。感情の読めない鋭い目線に縫い留められたように、身じろぎもできずシャノンは答えた。


「はい、閣下」


 正直なところ、不本意だった。何が悲しくて、自分がいじめられていることを軍の上層部に知られなくてはならないのか。しかもあれでは一方的にやられているようにしか見えなかっただろう。


(助けてもらわなくても、うまくやり過ごせた)


 このときまだ幼い精神を御しきれていなかったシャノンは、幼稚な反発心を抑えられなかった。どうやら顔にも出ていたらしく、アシュトン伯爵は愉快そうに口元を歪めた。


「君がこれまでどのように対処してきたかは、報告が上がっている。そう不満そうな顔をするな」


 それならば、今まで放任してきたことに、なぜ今更介入したのか。驚くシャノンを前にして、伯爵の目に不思議な光が宿る。このとき彼が心底楽しんでいたのだということは、後になって理解したことだった。


「君は、自分の容姿が嫌いかね」


 ここまで正面切って訪ねてくる相手はこれまでいなかった。シャノンはためらいながらも答える。


「……はい、閣下」


 伯爵は、今度こそはっきりと笑みを浮かべた。


「それではいかんな。その容姿は、君が思っているよりも強い武器に成り得る。……卒業したら、私の部下にならないか」


 この時に、軍人としてのシャノンの運命が決まった。

 シャノンは近衛所属である。だがもうひとつ、肩書を持っているのだ。王命を受けたアシュトン伯爵が、軍内部で動かす非公式の組織、諜報部の一員。アシュトン伯爵の部下になるとは、そういう意味だった。





 特例である、その命を確かに受け取ったシャノンは、ダンスの練習を始める前にアシュトン邸の一室を借りて身支度をした。

 鏡に全身を映して出来栄えを確認する。初めは手間取り時間がかかったものだが、今ではすっかり慣れた。思考を別のところに飛ばしていても、手は勝手に動く。


(ライラ嬢の身辺を、なんらかの理由で警戒する必要がある、と解釈していいだろうな)


 そうでなければ、特例が適用されるはずはない。そもそもアシュトン中将の一人娘だ。表面上私的なつきあいに見せかけた護衛任務といったところだろうか。

 組織の性質上、思惑を隠されたまま命令を受けることも少なくないが、シャノンは毎回自分なりにその任務の意味を考えるようにしていた。

 ひとまず納得したところで、身支度が終わる。シャノンは部屋を出た。


 部屋の前で待っていた執事が、シャノンを見て束の間瞠目する。けれど彼はすぐに表情を改めた。


「ご案内いたします」


 動揺を全く悟らせない声音で、執事はシャノンを促した。ひとつ頷いて、後について歩き出す。

 ライラが待っているという部屋へたどり着く。ノックの後開かれた扉の中へ、シャノンは一歩踏み出した。


 その部屋には、ダンスの練習をするのに十分なスペースがあり、ピアノも置いてあった。ガヴァネスらしき女性がピアノの傍に控えている。

 シャノンの姿をみとめたライラは、淑女のたしなみも忘れたかのようにぽかんと口を開けた。


「え、あの……シャノン様、ですか……?」

「なかなか似合っているでしょう?」


 答えた声は、普段のシャノンのものよりも幾分高く、細い。任務でこうした姿になるときには、もう無意識に出せるようになった女性的な声音だ。

 シャノンは、アシュトン邸のお仕着せだという黒いワンピースのスカートをつまんで、軽く礼を取ってみせた。

 長い髪のかつらを綺麗にシニヨンに結って、女性らしい化粧を施したシャノンは、このままアシュトン邸でメイドとして働いていても誰からも咎められないだろう。それくらい見事に、女性に変装していた。


「女性の方だったの? いえ、でも、そんなはずないわ」


 ライラはすっかり動転しているようだった。安心させるように、シャノンは笑みを浮かべる。


「今日のところは、性別は脇に置いておきましょう。最終的には、男が怖くなくなるのが目的だと思いますが、まずは……私に慣れていただかなくては」


 先ほどとは変えて、シャノンはあえて地声で話した。もともと低いとは言えない声だから、十分中性的に聞こえるだろう。

 困惑もあらわに手を握っては開いてを繰り返しているライラに、シャノンはソファを指し示した。


「いきなり練習ではなく、少し話しませんか」

「ごめんなさい、ずっと立たせたままでいてしまって」


 戸惑いながらもいくらか平静を取り戻したようで、ライラはシャノンとともにソファに腰かけた。ゆうに三人は座れるだろうそれの、両端に座る。


「改めて聞くのは失礼ですけれど……、男性、ですよね」

「まあ気になりますよね。そうですよ」

「その、格好は……私のせいで、父に無理やり、でしょうか」


 あまり顔を向けないように話していたシャノンだったが、思わず体ごとライラの方を見た。ライラは少し顔を青くして、膝の上で両手をぎゅっと握っている。

 申し訳なさそうにしているライラには悪いが、シャノンは想像して少しおかしくなってしまった。中将閣下がシャノンにお仕着せを押し付けてくる図は、ありえない光景だ。


「いえ、私の趣味です」

「えっ……」

「嘘です」

「えっ」


 今日初めて会ったというのに、ライラの驚き顔をもう何種類も見ている。シャノンは口元が緩むのを抑えられなかった。


(これじゃ、いつもからかってくる兄さんに文句は言えないな)


 シャノンには兄と姉がいる。瞳の色以外はシャノンとそっくりな顔をした優しい姉と、瞳の色以外はあまり似ていない冷静な兄だ。姉が嫁いで家を出てしまってから、妹弟をからかって楽しむのが大好きな兄の矛先は全てシャノンに向いている。

 シャノンは末っ子で、何人かいる従兄たちもみな年上だ。素直な反応を返す年下をついからかいたくなる気持ちが、少しわかったような気がする。


「すみません。趣味でも強制されてでもなく、自分の為にしていることです。だからライラ嬢が気にすることはなにも」

「……はい、ありがとうございます」


 ぎこちなくそう答えたライラの様子は、あまり納得しているようには見えない。気を遣っていると思われていそうだったが、シャノンは話を進めることにした。


「ライラ嬢は、侍女やガヴァネスを相手にダンスのレッスンをしていたと伺いました。ですから、慣れた相手と信じ込んで踊ってしまえば、それがとっかかりになるのではとお考えのようです」


 悪く言うつもりはないが、アシュトン中将の考えはかなり荒療治だ。けれど試す価値はある。


「それにのっとって、ライラ嬢。私のことは、侍女を呼ぶようにシャノンと呼び捨てにしてください。幸い女性にも多い名ですから違和感もないでしょう? それと、敬語もなしですよ」


 シャノンが言いつのると、ライラは微かに眉を寄せて首を横に振った。


「そんな、年上の殿方を呼び捨てになんて……」

「目の前の相手を自ら恐怖の対象に分類していては、いつまでも先に進めませんよ。この試みに、どれほどあなたの意志があるのかは知りませんが……少しでも、変わりたいと思うならば」


 自分でも驚くほどに、シャノンは熱心に語っていた。どうしてこれほど、協力を惜しみたくないという気持ちになっているのだろう。

 シャノンの言葉を静かに聞いていたライラが、一度目を伏せた。紫の瞳が陰になって、シャノンははたと気がついた。


(さっきの、あの目だ……)


 名乗って、礼を取って、それからあげられた顔。強張っているのに挑むような目つきだった。見かけはか弱いご令嬢そのものなのに、やはりアシュトン中将の娘であるということなのか。強い意志を感じる表情が、妙に印象に残っていたのだ。

 無意識に、かつての自分と重ねたのかもしれない。

 自分が協力することで、事態が好転する予感から、きっと自然と協力的になっているのだろう。


 納得したシャノンが、ライラにまた呼びかけようとしたときだった。

 ライラが伏せていた目を、しっかりとシャノンに向けた。顔立ちはあまり似ていないのに、不思議と父親に似た表情で、ライラは口を開く。


「では、シャノン。あなたも、かしこまるのはやめてくださる?」


 今度はシャノンが驚く番だった。


「あなたの言うことはもっともだわ。自分から、男の人だと意識し続けていては、せっかくここまでしてくれているのに悪いものね」


 話しながら、ライラはソファから立ち上がった。座っているシャノンを振り返り、続ける。


「そう簡単に、意識しないでいられるようにはならないでしょうけれど、形から入ることにする。でもあなたが私を上官の娘として扱うのでは、その効果も半減してしまうのではないかしら」


(思っていたよりも、たくさんしゃべるんだな)


 あっけにとられたシャノンの頭に浮かんだのは、そんなことだった。返事を待っているライラの顔は真剣だ。思考を引き戻して、シャノンは答えた。


「そう、ですね。ですが、今日はこのままで通します。今日は侍女のシャノンですから、主人に対してかしこまるのは当然でしょう」


 シャノンの素の口調は、士官学校で過ごした影響かかなり男っぽいものだ。今日の格好とは相性が悪い。女性の格好で慣れてもらうという狙いとも外れてしまう。

 ライラはほんの少し考え込んだ後、納得したように頷いた。


「わかりました。たしかに今日はその方が良さそうね」


 シャノンは控えめな笑みを作り、ライラの正面に立った。


「では、お嬢様。ダンスの練習を始めましょう」



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