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Step 19. 何か企みをお持ちのようよ


 セラフィーナが行方不明になる、少し前のこと。

 ライラはこの日、チェルシーに誘われて王都外れの南東にあるバラ園に来ていた。


「急に誘ったのに、来てくださってありがとう。今日はお父様がずっと外出されているから、こんな日でもないとこの辺りまで出かけられないのよ」


 確かにこのバラ園は、王都の中心部にあるアークライト公爵家の邸宅からは少し距離がある。


「アークライト公爵は、厳しくていらっしゃるのね」


 チェルシーの話しぶりからしてもともと感じていたことだったが、アークライト公爵は厳しく娘を教育しているようだ。


「厳しいというよりも……私のことを信用していらっしゃらないの。急ごしらえの公爵令嬢がぼろを出さないか気をもんでらっしゃるのよ」


 チェルシーは苦笑した。そのあきらめたような表情に、ライラの胸が痛む。

 もうライラも、あの騒ぎを起こした夜会以来すっかり広まってしまったチェルシーの出自を耳にしていた。

 初夏の爽やかな日差しの中、日傘の影からライラを見つめるチェルシーの瞳は沈んでいる。美しいバラの咲き誇る庭園で、誰よりも赤いバラの似合う公爵令嬢は悲しげに微笑んだ。


「母は、今でこそ後妻に迎えられたけれど……ずっと父の愛人だったの。だから私は数年前……十五歳になるまで、公爵令嬢と呼ばれる立場ではなかった。父が母を囲っていた別邸で、貴族社会とは無縁に暮らしていたわ」


 淡々と語るチェルシーの声は、思いのほか穏やかだった。けれど、白いレースの日傘の柄を握る細い指はチェルシーの心情を表すように微かに震えている。


「身分の低い母を後妻に迎えると決めたのも、十数年ぶりにきちんと顔を見た婚外子が想定外に美しく育ったことに気がついたからなんですって。デビューを二年遅らせてまでマナーと教養を叩きこんで、社交界に送り出した」


 チェルシーは、そこで一度言葉を切った。深く息を吸って、続ける。


「ライラには、私の口からきちんと伝えたかったの」


 そう言って、チェルシーはライラをまっすぐ見つめた。


「……話してくれて、ありがとう。あなたがどんな生まれでも、私の気持ちは変わらないわ。おどおどしてばかりの私に気さくに話しかけてくれたあなただから、お友達になりたいと思ったのだもの」


 チェルシーの想いに応えたくて、ライラは懸命に言葉を紡いだ。

 チェルシーはくしゃりと顔を歪める。


「……最初に話しかけたのも、お父様の指示なの。ごめんなさい、私、あなたになんと言って詫びたらいいかわからないほど、ひどいことをしたのね」


 ライラの胸がざわめき、ちくりと痛みが走る。日傘の柄を握る指に力が入った。


「言い訳にしかならないけれど、私はすぐにあなたのことを好きになったの。本当よ。近づいたのは指示だった。でもそれから話した内容も、お茶に誘ったのも、全部私の意志。それだけは信じて……」


 チェルシーの悲痛な訴えに、ライラの胸はさきほどの比ではないほど痛んだ。そのことに、ライラは思い直す。きっかけが偽りでも、チェルシーとの友情は本物なのだ。


「もちろん、信じるわ。私たち、これからもっと仲良くなれるわね」

「……ライラ、あなたって心が広すぎるのではない?」


 涙に潤んだ瞳もそのままに、チェルシーが言う。ライラは首を横に振った。


「そうでもないと思うけれど」

「いいえ、そうよ。私が言えたことではないけれど、やっぱり心配だわ……」


 力強く否定して、チェルシーはライラへ身を寄せた。声を低めて告げる。


「お父様があなたに近づくように言った目的までは、私は知らされていないの」


 チェルシーは眉を寄せた。


「お義兄様が仰っていたわ。父は、前の奥様を亡くされてから歯止めがきかなくなってしまったようだと。欲を抑えられなくなったようだと。私がまだどこにも縁付けられずにいられるのも、よりよい利益を求めて父が選り好みしているおかげ。皮肉なことにね」


 自嘲気味な笑みを漏らしたチェルシーだったが、すぐに表情を改めた。真剣な瞳が、ただただライラを案じていることを伝えてくる。


「お父様は、何か企みをお持ちのようよ。だからライラ、気を付けて。曲がりなりにも娘の私と一緒にいれば、そうそう手荒なことはしないはず。私だけ無事だなんて状況、誰が犯人か言っているようなものですもの」


 そのままひそめた声で話しながら、二人はバラ園を一周した。ちょうどよい散歩になるくらいの広さだったが、日差しの強い昼間であり、長くいるには少々向かない。


「今日は暑いわね。そろそろ帰りましょうか」


 チェルシーの声にはわずかに疲れが滲んでいた。ライラも頷く。


「うちに寄っていかない? 冷たいものを飲んで一休みしてから帰るといいわ。お父様もいないし」

「ええ、ぜひ。ありがとう」


 笑いあった二人は、ここまでも一緒に乗ってきた公爵家の馬車に乗り込んだ。

 滑るように走り出した馬車に揺られる。貴族の邸宅が多い王都の東地区へと続く大通りへと順調に進んでいったが、不意に不自然な揺れとともに止まった。


「どうしたのかしら」


 いぶかしそうにつぶやいて、チェルシーは御者の方を伺った。

 馬車を止めたらしい男の声と、それに答える御者の声がした後、御者が顔を出した。細面の彼はすっかり汗をかいていて、申し訳なさそうに頭を下げる。


「お嬢様、申し訳ありません。どうやらこの先で事故があったそうで」

「まあ、事故?」


 ライラとチェルシーは顔を見合わせた。馬車の外が妙に静かに感じられ、不安を煽る。


「少し戻って、南地区を通る迂回路を行きます。少し時間がかかってしまいますが……」


 御者が言うと、チェルシーはためらわずに頷いた。


「構わないわ。頼むわね」

「はい」


 方向を変え、馬車は再び走り出した。どうしても二人の間の会話が少なくなる。


「ねえ、チェルシー」


 ライラは意を決して沈黙を破った。


「今日、話してくれたこと以外に、何か悩みはない?」


 ただの直感だったけれど、ライラはそう感じていた。もしそうなのだとしたら、力になりたい。


「何か、って?」


 チェルシーは困ったように聞き返す。


「たとえば、……恋、とか」


 ライラがそう言うと、チェルシーは束の間瞠目した。その瞳には確かな動揺が走ったが、すぐに呆れた表情を浮かべて覆い隠してしまう。


「それはライラの方ではなくて?」

「……そう聞こえた?」


 あくまで、チェルシーは話すつもりがないらしい。それを残念に思いながらも、彼女が本気でライラの話を聞きたがっていることがわかったので、あきらめてそう返す。

 チェルシーは優しい笑みを浮かべた。吊った眦が下がって、とたんに柔らかい印象になる。


「シャノン様と何かあったのでしょう」


 ライラは迷いながらも口にした。


「……無理に結婚相手を探すのはもうやめて、俺で手を打てばいいって……」

「まあまあそれって……!」


 チェルシーの顔に喜色が浮かぶ。両手で口元を隠すようにして、チェルシーは言った。


「プロポーズよね? お受けしたの?」

「……返事は待ってもらっているの。私はシャノンにふさわしくないと思ってしまって」


 ライラは話しながら目を伏せた。あのとき感じたのは、純粋な喜びと、同情からの申し出であれば悲しいという感情。そしてそんな風に考えた自分のあさましさへの嫌悪感だった。


「それに……私の気持ちもシャノンの気持ちも、わからなくて。そんな曖昧なまま、進めていいお話ではないもの。煮え切らないと思うわ、自分でも」


 うつむくライラを慰めようと、チェルシーが口を開いたときだった。

 がたんと嫌な音を立てて、再び馬車が大きく揺れて止まる。


「もう、またなの?」


 チェルシーが声をあげた。しかしすぐに聞こえて来た御者の押し殺したような悲鳴に、二人は凍り付く。

 乱暴に、馬車の扉が開けられた。

 顔を出したのは、軍服を着崩した背の高い男だった。口元に笑みをはいているが、目は鋭く二人を見据えている。


「突然すみません、アークライト公爵令嬢。我々は、アシュトン伯爵令嬢に少々用がありまして。ご協力願えませんかね?」


 柔らかい口調だったが、有無を言わせぬ威圧感がある。


「急に何、誰だか知らないけれど無礼よ」


 ぎゅっとライラの手を握りしめて、チェルシーが言い返した。


「あれ、おかしいなあ。アークライト家はこっち側だって聞いてたんですけど」

「おかしなことを言わないで」


 毅然と言い返すチェルシーに、男は大きくため息をついた。浮かべていた笑みを引っ込めると、冷酷な表情が際立つ。


「お嬢様。大人しく、アシュトン伯爵令嬢をこちらに渡してくださいよ。手荒な真似はしませんから……多分ね」


 チェルシーは、ひるんだように身を引いた。じっと目の前の男を見つめ、掠れた声で答える。


「…………わかったわ」


 チェルシーは、ライラにだけ聞こえるように震えながらも囁いた。


「必ず、助けを呼んでくるから。待っていて、ライラ」


 はっとして、ライラはチェルシーを見つめた。チェルシーの顔は色を失ってはっきりと怯えを映しているが、瞳には強い光がある。

 下手に抵抗して、チェルシーまで自由を奪われては終わりだ。そう判断したのだろう。

 ライラがそこまで思い至って頷く間もなく、男が無遠慮に腕を掴んだ。恐怖に体が固まる。引きずられるようにして、馬車を降ろされた。脚に力が入らずそのまま座り込みそうになるが、腕を上に強く引かれて立たされる。


「おっと……聞いていた通り、本当に軍人が怖いんだ?」


 ライラは顎を掴まれて、無理やり目線を合わせられた。意地の悪い笑みを浮かべた男の顔が、遠い記憶と重なる。

 息が上手く吸えなくなって、ライラはパニックに陥った。

 次第に視界が暗くなっていく。男が何かを言っている声も、少しずつ遠くなっていった。


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