Step 17. でもそれくらい、仲がいいってことだね
ライラに求婚まがいのことを言ってしまってから数日後に訪れた非番の日、シャノンは久しぶりに実家であるハーシェル家のタウンハウスの門をくぐった。
出迎えてくれた使用人たちはみなにこやかに主の末息子を歓迎し、心を砕いてあれこれともてなしてくれる。昼食後のデザートに山盛りのプディングが出てきたときは、甘党を自認するシャノンでもさすがに食べきれずに閉口した。
シャノンの姉のリゼットが嫁いで家を出て、立て続けにシャノンも軍に入った。宿舎で寝起きして家に寄りつかなくなり、家人たちはさみしい思いをしているのかもしれない。兄のルイスも貴族院の議員に社交に領地の仕事にと忙しくしていると聞くから、使用人たちは腕を振るう機会を待ち望んでいたのだろう。
今日シャノンが帰ってきたのは、上官の娘に婚約を申し込むようなことを言ったということを、両親やルイスに報告するためだった。けれどあいにく両親は揃って出かけていて、ルイスも昼過ぎまで留守にしているらしい。帰ることを前もって知らせるべきだった。
ひとまず兄が帰るまで時間をつぶそうと自室へ行く。従僕とともに服の整理をしていたら、執事がルイスの帰宅を知らせに来た。
「シャノン、帰っていたのか」
ルイスの部屋を訪ねると、彼はジャケットを脱いでタイを緩め、くつろいだ格好をしていた。怜悧な顔立ちに似合う厳しい性格をしているが窮屈な格好は大嫌いで、母や妹がいてもお構いなしに首元を緩めるので、たまに母に叱られていた記憶がある。いつも隙のない兄も、母には適わない意外な一面だ。
「お久しぶりです、兄さん」
「本当にな。婚約したなんて、私は一言も聞いていない。どういうことだ」
切れ長の目でじっと見据えられると、まるで睨まれているようだ。実際には睨まれていないが、ルイスは自身の顔が鋭く見えるということは理解しているはずなので、おそらくわざとだろう。嫌味のような言葉も、婚約が事実でないと知った上でのことだとわかる。その証拠に、ルイスの目の奥には面白がるような色があった。
ルイスがシャノンをからかうのはいつものことなので、気にせずに答える。
「婚約はしてない。直々にエスコート役を頼まれたと、話してあったでしょう」
「誰かに会うたびに真偽を問われる。やはり軍の英雄の娘ともなると注目の的だな」
ルイスは唇の端を微かに持ち上げた。完全に、シャノンの置かれた状況を面白がっている。
「そんな人物に娘御を任されるほど信頼されているなんて、名誉なことだ。お前が軍に入ると言い出したときはとうとうやけになったかと心配していたが、案外と世渡り上手だったのだな」
「……その、ご令嬢のことで、話があって今日は帰って来たんだ」
「なんだ、惚れたのか」
こともなげに言い放たれて、シャノンはかっと頬が熱を持ったのを感じた。
「図星か。わかりやすいな、お前は」
ルイスの目が、半月型に細められる。本格的に愉快そうな表情を隠そうともせず、ルイスは話を続けた。
「噂になるくらい親しくしているんだろう。きちんとアシュトン伯に話を通して求婚すれば、すぐにでも婚約が調うのではないか? 私が父上の代わりに一筆書いて、正式に書状を交わしてもいい」
珍しく饒舌に、ルイスは語る。心底から楽しそうな兄を前に、シャノンはかえって怖くなって話を止めにかかった。
「待って、兄さん、先走りすぎだ」
「その話ではないのか」
「……実は、その。閣下に話を通す前に、本人にそれらしいことを言ってしまって。俺が悪いんだけど、宙に浮いているというか……返事を待っている段階なんだ」
シャノンは、簡潔に状況を説明した。
聞きながら眉を顰めたルイスだったが、聞き終わるころにはまた愉快そうな表情に戻っている。
「なるほど、難儀だな。ただ、少なくとも信頼はされていると」
「多分……あんまり、男として意識されてはいないようだけど」
シャノンが弱音を吐くと、ルイスは目を瞬く。
「いつものことじゃないか」
しゃあしゃあと言い放ったルイスに、シャノンは拳を握ってみせた。
「いくら兄さんでも殴るぞ」
「悪かった、軍人が言うと恐ろしいな」
両手を挙げて、ルイスが肩をすくめる。
しかしすぐに、真面目な表情でシャノンを見すえた。
「だが、さっき聞いたような煮え切らない求婚では、それも致し方なかろう」
その通りなので、シャノンはぐっと黙り込む。
ルイスはそんな弟に一つ息をついて、言った。
「状況はわかった。正式に家同士の話になるようなら、そろそろ領地に帰る父上の代わりに私が署名するから言いなさい」
「ありがとう、兄さん」
実家に話は通せても、当のライラの返事次第だ。難しい顔で礼を言った弟に、ルイスはめったに見せない優しい表情で微笑んだ。
「悔いのないようにな、シャノン」
季節は、初夏と言っても差し支えない頃合いになった。あとひと月もしないうちにおこなわれる第二王女の結婚式に向けて、第三王女セラフィーナは式典用のドレスの最終調整をしていた。王家御用達のドレス職人がやってきて完成間近のドレスを誇らしげに見せると、セラフィーナは試着の為に近衛を部屋から追い出した。
第三王女の私室の前で、ユーインとシャノンは所在なく立ち尽くしていた。離宮の中で警戒しなければいけない事態などほとんど起こらないのもあって、決して褒められたことではないが二人はぽつぽつと会話を始めた。
「そういえばシャノン、閣下のお嬢様と婚約するって本当なのかい?」
のんびりとした口調で問いかけられ、シャノンは言葉に詰まった。
「……今のところ、そんな事実はありません」
「じゃあ噂か。でもそれくらい、仲がいいってことだね」
「どうかな……」
困ったように首を傾げるシャノンに、ユーインは不思議そうな顔をする。
「いいことじゃないか、今まで君、ご令嬢たちにどうにも男扱いされていないって、少し悩んでただろう?」
「悩んでたというか、同い年のご令嬢にまで姉さん……ノーコット辺境伯夫人の弟、という目でしか見られなかったら、やっぱり落ち込むよ」
姉のリゼットは穏やかで控えめな女性だが、意外にも交友関係は広い。結婚してからは辺境伯夫人として前よりもいっそう社交に励むようになり人脈作りに余念がなく、顔が広く知られているのだ。そんな姉に遅れて社交界入りしたシャノンは、よく似た顔のためか名乗らなくともリゼット・ノイマンの弟だと認識される。特にリゼットとの親交が深い同年代のご令嬢たちは、シャノンを前にするとどうしてもリゼットの顔が想起されるらしく、次男であることもあって恋愛対象として見られないらしいのだ。
そう考えると、確かにユーインの言う通り、ライラは貴重な存在なのだろう。シャノンをシャノンとして見ていることは確かだ。
「ライラ嬢はそうじゃないんだろう?」
「彼女は姉さんと会ったことがないから」
「交友関係はあまり広くなかったんだっけ、確か。……今はアークライト公爵令嬢と親しくしているとか」
後半、ユーインが声を低めたので、シャノンは彼の顔を見た。眉を下げて悩むような表情に疑問を抱く。
「それがどうかしましたか」
「……最近、アークライト家はアーキン派との距離が近いから、アシュトン伯はどう思ってらっしゃるんだろうと」
アーキン派と距離が近いと言っても、アークライト家が中立を貫いていることに変わりはないはずだ。むしろ王家寄りの穏健派に近い立場であるとも言えるので、令嬢同士が親しくすることに不都合はなさそうなものだが、ユーインは何か懸念があるようで渋い顔のままだ。
「アーキン派が一方的に距離を詰めようとしているだけでは?」
「それが……アークライト公爵から話を持ち掛けたんじゃないかという噂があるんだ」
ぞくりと、シャノンの肌が粟立った。声を低めて問いかける。
「誰から聞いたんです?」
この頃アークライト家について情報を集めていたはずのシャノンの耳に、その話は入ってきていない。チェルシーに関することを中心にしていたせいで、肝心なものを見落としていたのだろうか。
「士官学校の同期だよ。もしかしたら君の代はトマス・アーキンがいるせいで、話が回っていないのかもしれない」
大いに有りうる話だった。シャノンは自分の情報収集能力の低さに唇を噛む。
詳しく聞こうとしたシャノンだったが、王女の居室の扉が急に開けられ、慌てて居住まいを正した。
「殿下!」
扉を開けたのはセラフィーナ本人だった。止めようとしたのか侍女の慌てた声がする。
「もう入ってきていいわよ」
新しいドレスを試着しているというのに、セラフィーナは至極落ち着いていた。シャノンとユーインは思わず顔を見合わせる。思っていたほどの出来ではなかったのだろうか。
セラフィーナの新しいドレスは、薄桃色のふんわりとした可愛らしいものだった。透けるようなチュールを幾重にも重ねたスカート部分はまるで花びらのようで目を引くが、それ以外にはあまり凝った装飾がなく、全体的にセラフィーナの年齢の割には落ち着いたデザインだ。
姉姫のミルドレッドが主役であるので、自分のドレスは控えめでいいのだと話していた通りのものが仕上がって来たように見えるが、セラフィーナの表情は凪いでいる。
「殿下、とてもよくお似合いです」
シャノンがそう言うと、セラフィーナは顎をつんとそらして答える。
「当然ね」
近衛二人の賛辞を頷いて受け止め、セラフィーナは部屋の中央に設置された踏み台へと戻った。職人が裾の長さなどを確かめている間、じっと動かずに立っている。
しばらくして、セラフィーナは目線をついとシャノンへ向けた。
「シャノンは、お姉様たちの結婚式には参列するの?」
第二王女ミルドレッドの降嫁先は、王国有数の穀倉地帯を領土に持つプリスフォード侯爵家の嫡男、フィリップ・プリスフォードだ。実はシャノンの母方の従兄である。
「僭越ながら、私も末席に参じる予定です」
「そう。じゃあ、式後のパーティーには?」
「途中までですが、参加いたします」
シャノンの答えを聞いて、セラフィーナは口角を上げた。
「よかった。シャノン、パーティーで私のエスコートをしてちょうだい?」
「え?」
驚いて、シャノンは声を漏らす。
「今、傍系王族の公爵家にも、私と年の近い男子がいないのは知っているでしょう。私が公式の場に出るのはこれが初めてだから、お父様たちもエスコート役に悩んでいて。近衛でもいいって言うのよ」
そういうことなら、シャノンが適任なのは確かだ。もともと出席する予定だったのでちょうどいい。
「ユーインでもいいのだけど、少し背が高すぎるのよね」
そこまで話したところで、ドレスの最終調整が終わったらしい。セラフィーナは踏み台から軽やかに降り立って、シャノンたちの方へやってくる。シャノンはあることに気がついた。
「殿下、初めてお会いしたころよりも、背が伸びられましたね」
「気づくのが遅いわ」
少しだけむくれたように見上げてくる王女は、以前よりもシャノンとの目線が近くなっていた。かかとの高い靴を履いているというのもあるだろうが、確実に背が伸びている。
しかし伸びたといってもユーインとの身長差は相当だ。シャノンとなら、なんとかダンスをしても不格好にはならないくらいの差でちょうど良さそうだった。
「謹んで、エスコート仕ります」
「頼んだわね。このドレスと並んで合う格好、と言ってもシャノンはそういうのに疎そうだから、隊服でいいわ」
こういうとき、白を基調とした近衛隊服は便利だ。というよりも、おそらくこのような場面を想定して白になったのだろうと思う。
「そろそろ着替えるから、また出ていてくれるかしら」
ドレスを見せるのと、エスコートの話をするために一度部屋に入れたらしい。近衛二人は、命に従って再び部屋を出た。
「ユーイン。さっきの話、後で詳しく聞かせてください。できれば隊長にも話したい」
「わかった、退勤したら隊長の執務室へ行こう」




