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Step 16. ……俺で手を打てばいい


 後悔に押しつぶされそうになりながら、シャノンはライラの様子を伺った。いまだ浅い呼吸を繰り返すライラの両手は、膝の上で小刻みに震えている。見ていられなくて、シャノンはそっと手を伸ばした。けれど、視界に入った自分の手が軍の手袋に包まれていることに気がついて、むしり取るように外す。手袋は、近衛隊服でも濃紺の礼装でも共通の白手袋なのだ。

 ライラの両手は、かわいそうなくらい冷たかった。


「ライラ」


 シャノンはもう一度呼びかける。怯えを色濃くはらんだ紫の瞳が、シャノンをとらえた。だんだんと、呼吸が静まっていく。

 ライラは落ち着きを取り戻していくと、今度は悲しい目をしてシャノンを見た。


「……シャノン。私、まだ駄目みたい。また、あなたに迷惑をかけたわ」


 シャノンの手に包まれた自分の手を、ライラはそっと引き抜こうとした。シャノンは少しだけ力を込めて、とっさに止める。


「迷惑だなんて、思ってない。……トマスに、何か言われたか?」

「……あの事件のことを知っていると仄めかされたの。それを聞いたら、途端に震えが止まらなくなって……」

「そんなの、怖くて当然だ」


 シャノンがすぐに言い切ったので、ライラは瞠目した。そして、かすかに笑みを浮かべる。


「ありがとう、シャノン。……あの人、やはり私を脅すつもりだったのかしら」

「……そうだろうな、わざわざその話を持ち出すってことは」


 当時、ライラを誘拐した罪で処罰を受けたのは、アーキン派の一部のみ。アーキン家は直接の関りがなかったとして、何も咎めはなかったという。しかし、トマスのこの行動を見るに、証拠を隠蔽していただけで関わっていたと考えていいだろう。終戦から十年もたったというのに、アーキン派が再び動き出した理由はわからない。

 わからないからこそ、ライラが危険だ。その考えに至ったシャノンは、職務上有益な提案であるという以上に、抗いがたい衝動で次の言葉を口にした。先の見えない暗闇へ踏み出すような気持ちだった。


「……ライラ。もう、君が無理をする必要はないんじゃないか。君は、……俺で手を打てばいい」


 煌びやかな夜会の明かりが届く薄暗いテラスに、その声は静かに響いた。シャノンの少し高めの声がいつものようにライラの耳に届く。けれどその声は、いつものようにライラを安心させてくれるものではなかった。


 一拍置いて、ライラの目が見開かれる。どくどくと脈打つ心を鎮めたくなったライラは握られている手を離そうとするけれど、またしてもシャノンがそっと引き留めるように力を込めた。


「それ、は、……シャノンが、私と結婚してくれるということ?」


 ライラの細い声は、掠れて震えていた。

 いざはっきりと言葉にされると、シャノンは衝動のまま口にしたことを早くも後悔していた。こんな風に言っていいことではなかった。けれどもう止まれずに、続ける。


「現状、俺のことは怖くないだろ。嫡男でもないから婿入りにも何の問題もない。君の目的を達成するのに、不都合はないはずだ」


 早口でそこまで言ってしまってから、シャノンは話す間そらしていた目を上げた。

 目があったライラの表情に、シャノンは思わず握っていた手を離す。頭から冷水をかけられた気分だった。自分が間違えたことを、シャノンははっきりと理解した。

 ライラは今までに見たことがないほど悲しい顔をしていたのだ。


「シャノン。それは……同情?」


 立ち上がろうと努力しているライラの気持ちを踏みにじる言い方をしてしまったことに気がついて、シャノンは悔やんだ。


「ごめん、ライラ。違う……そういうつもりで言ったんじゃない。俺は……」


 そこまで言いかけて、シャノンは口をつぐんだ。

 自分が今、何を言おうとしているのか。見ないふりをし続けていた感情に向き合わねばならない時が来てしまった。

 つまるところ、シャノンは、ライラが自分以外の男と結婚する未来を受け入れることができないのだ。ライラから全幅の信頼を寄せられ、笑いかけられ、可愛らしい声で名を呼ばれる男は、自分以外許せないと思ってしまっている。


(何が友達だ。何が、結婚相手を探すのに協力しているに過ぎない、だ)


 自分の想いに気がついてしまって、シャノンは激しく動揺した。ライラに対する手ひどい裏切りではないのかと考えると、次の言葉は一向にでてこない。


「俺、は……」


 想いを告げることが、こんなにも怖いことだとは想像すらしていなかった。

 ライラはシャノンといることに安心してくれている。それは確かだろう。その事実は素直に嬉しいが同時にわずかな腹立たしさもあった。自分は、ライラに怖がられるような「男」ではない。そういう対象に見られていないということではないのか。

 シャノンが本当に欲しいものは、信頼でも友情でも親愛の情でもなかった。


 自分の言葉を待ってくれているライラの目に、自分がどう映っているのか。ライラは、自分のことをどう思ってくれているのか。今までわかっているつもりだったことがまるでわからなくなってしまって、シャノンの口はそれ以上動きそうにない。

 ライラの目に自分への悪感情が浮かぶことを恐れて、シャノンはとうとう俯いた。

 長い沈黙は、とうのライラによって破られる。


「私だって、気がついているのよ。お父様の目論見通りシャノンと結婚するのに、なんの不都合もないということ」


 囁かれるように告げられたライラの言葉に、シャノンは顔をあげる。目線を合わせても、少なくともライラは自分を嫌がってはいない。そのことにひどく安心する。


「シャノン。私に、考える時間をください」


 迷いをのせながらも決意を込めた瞳だった。シャノンはすぐに頷く。この潔い瞳に、希望を見出さずにはいられなかった。

 二人の間に流れる空気は、今までのように気安いものではなくなった。どう転んでも関係の変化は免れない。どこかぎこちないまま、二人は王宮を後にした。


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