Step 12. シャノンはこのこと、知っているのね
その日のセラフィーナは、どこか不安げな顔つきで近衛たちを出迎えた。
朝食のあとすぐに身支度をすませたのか、すでに外出用のデイドレスに着替えている。最上級の仕立てなのだろうが、落ち着いたブルーグレーのシンプルなそのドレスはセラフィーナの年ごろの王女が着るには地味な装いだ。
けれどそれも、今日の予定を考えればふさわしいものなのだろう。
今日は、姉である第二王女ミルドレッドについて孤児院の慰問に行くのだ。もうじき降嫁するミルドレッドは、今後公務を行わない。嫁いでしまう前に、姉姫の振る舞いを見てセラフィーナは学ばなくてはならないのだ。
やがて、出発の時間になった。言葉少なに、姉姫に続いて馬車に乗り込む主の背が、いつもよりひどく小さく見える。
シャノンたち近衛は、騎馬で馬車を囲むようにして護衛につく。
目的地の孤児院は、王都の南の地区にある。南の地区はとりわけ雑多な街並みだ。職を求めて王都にやって来た者たちが住む小さな貸家などが多く立ち並び、ほとんど路地と言っていいような細い道が入り組んでいる。馬車が通れるような大通りは片手で足りるほどの数しかない。
国が荒んでいた十年前の戦時中など、代々直系の女性王族が欠かすことのなかった慰問を取りやめていたというから、平時である今もこの近辺の治安はうかがい知れる。
一行は慎重に進み、やがて孤児院にたどり着いた。
近衛の手を借りて、ミルドレッドが馬車から降り立つ。その間に馬を預けて来たシャノンは、自らの主に手を差し出した。
小さな手でシャノンの手を握り、セラフィーナが馬車から降りる。ドレスの裾を優雅にさばいて、彼女は姉姫の後について歩き出す。その表情はにこやかで、出発前の緊張を感じさせなかった。
出迎えた院長に向けて、ミルドレッドはセラフィーナを紹介した。簡単なやり取りのみで、引継ぎは終わってしまう。ミルドレッドはいつも多くは語らず、慰問の品などを渡すのは侍従に任せて、滞在時間のほとんどを子供たちと接する時間にあてているようだった。
そう年の変わらない王女の登場に、孤児院の子供たちは戸惑っているようで、遠巻きにして近寄ってこない。ミルドレッドはわずかに苦笑した。彼女とて十代の少女と言っていい年齢ではあるが、デビューも当分先のセラフィーナと比べるとやはり大人である。
公務に同行するのが初めてのシャノンは、内心はらはらしながら成り行きを見守っていた。
しかしそれは杞憂だった。それほど時間がかからずに、セラフィーナは侍女も巻き込んで子供たちと遊び始めたのだ。ミルドレッドがするように、本を読んだりお話したりといったことを自分がしても格好がつかないと思ったのか、子供らしくはしゃぐことに決めたらしい。場の空気を読むことに長けているのだろう。
帰る時間になるころには、セラフィーナのドレスは侍女が真っ青になるまで汚れていた。
近衛たちは預けていた馬をそれぞれ連れて来て、主を待つ。ミルドレッドは院長と何かを話していて、セラフィーナは少女たちに囲まれていた。
いななく馬を撫でながら待っていると、ユーインがふと思い出したように話しかけてきた
「シャノン、近頃アークライト公爵について何か聞いていないかい?」
唐突な話題に、シャノンはユーインを仰ぎ見る。表情から察するに、深刻な話題というわけでもなさそうだ。
けれど、アークライト家といえば仕事だけでなくライラ経由でつながりがある。シャノンはすぐに先を促した。
「いや、何も……何かあるのか?」
ユーインは困ったように眉を寄せた。
「僕も聞きかじった程度なんだ。ただ……」
「シャノン! ユーイン! 見てちょうだい!」
セラフィーナが駆け寄ってきて、シャノンたち二人ははっと姿勢を正した。職務中であることを忘れていたわけではないが、気が緩んでいたことは否定できない。
セラフィーナの手には、可愛らしい花冠があった。
「もらってしまったわ! とっても可愛いでしょう」
頬を上気させてそう言うと、セラフィーナは花冠をかぶってみせる。少女たちの方を振り返り大きく手を振ると、ミルドレッドに呼ばれて馬車へと駆けていく。
忙しない主に、シャノンはユーインと顔を見合わせて笑った。
その日のライラは、朝からそわそわと落ち着かなかった。社交界デビューを果たしてすぐに仲良くなったチェルシー・アークライト公爵令嬢に、二人だけのお茶会をしましょうと誘われたのだ。
人付き合いに対して臆病になっていたライラは、デビュー前に同年代の令嬢と交流はしていても、深い付き合いを持つことはできないでいた。
チェルシーは、公爵令嬢でありながら、とても気さくで親しみやすい人柄だ。顔の造作がはっきりとした美人であるから第一印象は少し怖かったけれど、飾らない笑顔を見てそんな印象はすぐに消えてしまった。
ああでもないこうでもないと、侍女と二人で今日の装いを決める。だいぶ暖かくなってきた気候にも合う、ペールグリーンの涼やかなデイドレスを纏う。鏡に自分を映し、ライラは自然と微笑んでいた。
昼過ぎ、アシュトン家の馬車に乗ってアークライト公爵邸へ向かう。
チェルシーは、満面の笑みでライラを出迎えた。
「待っていたわ、ライラ!」
「今日はお招きありがとう、私、とっても楽しみにしていたの」
ライラの言葉に、チェルシーはますます笑みを深める。吊った目尻がすっかり下がったその表情は、見ているこちらも笑み崩れるほど嬉しそうだった。
「嬉しいことを言ってくれるのね」
二人のお茶会は賑やかに始まった。お菓子を食べる口も、おしゃべりする口もどちらも忙しい。
お互いのこと、社交界で流行っていること、ドレス、靴、お菓子……話題は尽きないが、ふとしたときに会話が途切れる。そんなとき、度々何かを言いかけるチェルシーの様子に気がついて、ライラは水を向けた。
「チェルシー、何か話したいことがあるの?」
チェルシーは目を丸くすると、わずかに眉を寄せて笑みを作った。ためらいつつも、チェルシーは口を開く。
「ライラ、耳に入れておきたいことがあるのだけれど」
迷うようなその様子に、ライラは思わず身構えた。目で続きを促すと、チェルシーは観念したように話し出す。
「あなたとシャノン様が婚約間近だという噂があるのよ。知っていた?」
「え……」
動揺して、ライラの手が震えた。
「そんな、私、このお話を聞いたとき、お父様に確かめたのよ。引き受けてくれる部下の方に、ご迷惑はかからないの、って……」
「アシュトン伯はなんておっしゃったの」
「問題ない、と……噂になってしまわないように、お父様が手を回すのだと思ったのに」
「シャノン様も同じことを言われていたんでしょうね」
ライラは、すっと血の気が引くのを感じた。
「……シャノンはこのこと、知っているのね」
「ごめんなさい、私が話したのよ」
眉を下げるチェルシーに、あなたは悪くないという意味を込めて首を横に振る。
「シャノンは、知っていて……何も言わずに協力してくれていたのね」
「シャノン様は、ライラにとって不都合がないのなら、自分は噂に関与しないと言っていたわ」
少しずつ落ち着いてくると、父の思惑が見えてくる。噂になっても……それが原因でシャノンが婿入りすることになっても、本人の意思がどうであれアシュトン家にとっては問題ないと、父はそう思っているのだ。ライラは両手を握りこんだ。大事な部下をだますような真似をしている父と、図らずしてそれに加担している自分。真摯に協力してくれているシャノンに対して、あまりにも不誠実だ。もうひとつ、自分が抱えている傷を、シャノンに話せていないのに。
やるせない思いを抑えようと呼吸を深くするライラに、チェルシーは気遣わしげな目を向ける。
「ねえ、ライラ……本当のところ、あなたはシャノン様のことをどう思っているの?」
「え?」
「私は噂を耳にする前から、あなたたちは恋仲なのだと思っていたのよ。アシュトン伯の命で協力しているというには、少し……親密すぎるような気がするのだけど」
今度こそ、ライラは真っ青になった。噂に拍車をかけたのは、ライラ自身の態度であったのだから。
「シャノンは、……大切な友人よ。とても、信頼している、のだと思う。……こんな形で迷惑をかけてしまっていい人ではないのに……」
目を伏せ、苦しげにそう語るライラに、チェルシーは慎重に問いかけた。
「そんな風に思うのは、シャノン様のことを好きだからではないの?」
ライラははっと顔を上げた。考え込むように眉を寄せ、やがてゆっくりと首を横に振る。
「……わからないわ。こんなに親しくなった男性は、シャノンが初めてだから……」
チェルシーに問われるまで、全く考えたことがないわけではなかった。けれどライラ自身、シャノンのことをどう思っているのか、自分でもよくわからないのだ。
シャノンは、練習で会うとき、当たり前だけれどいつも雨の匂いをまとっていた。でも、寂しいその匂いに似合わない、からりとした人柄であると思う。態度や言葉は少しぶっきらぼうなところがあるのに、どこか優しい。可憐な容姿をしていても、志は勇ましくまっすぐだ。本当に、ちぐはぐな人。
ライラは雨の日が嫌いだった。あの日を、あの恐怖を思い起こさせるからだ。大嫌いだった雨の日が、雨の匂いが、嫌いではなくなったのはいつからだろう。雨露に濡れて光をはじく葉のような明るい緑の瞳を見つめていると、いつのまにか過去の恐怖が遠いものになる。
間違いなく、シャノンとの出会いはライラを変えたのだ。それだけははっきりとわかっている。
「わからないけれど……このままでいいわけないわ。噂について、シャノンと話してみる」
ライラが決意を込めてそう言うと、チェルシーは目を細めて優しく微笑んだ。




