Step 11. ほぼ事実と変わらないくらいかと
シャノンは驚いて、開いた口が塞がらなかった。アシュトン伯爵に頼まれてエスコート役を引き受けたときから多少の噂は予想していたが、まさかさも決定事項のように語られているとは思ってもみなかったのだ。
「アシュトン伯も目をかけている部下で、仲をお認めになっていて……、ライラもかなり砕けた様子でお話していて」
チェルシーが根拠を指折り数え上げていく。
「おまけに、お互いとしか踊らない」
事実だ。何も間違ってはいない。
「これで婚約しないと言われたら、私は何を信じればいいのかわかりません」
シャノンは血の気が引く思いだった。確かに状況だけ見れば疑いようもなく恋人同士に見える。
(閣下が何か手を打っているものとばかり思っていた……)
任務としてエスコートを頼むくらいだから、ライラの結婚相手を探す妨げになるような噂や状況には、対策がなされていると思い込んでいたのだ。それもシャノンの仕事のうちだったのだろうか?
シャノンは一応、直接聞かれた場合には、付き添えない伯爵の代わりに護衛を兼ねてエスコートをしていると説明していた。
けれどそれも、深読みすれば伯爵の選んだ婚約者候補であるとも聞こえてしまう。
「……アークライト公爵令嬢」
「名前で構いませんわ」
「チェルシー嬢。その婚約がどうこうという噂は、どのくらい信憑性があると思われているでしょうか」
「ほぼ事実と変わらないくらいかと」
今度こそシャノンは頭を抱えた。
「ど、どうなさったの?」
「俺は、ライラが結婚相手を探すために協力しているに過ぎないんです……それがこんな、隊長になんと言えば……」
そこまで考えて、シャノンの思考はある答えにたどり着いた。
(待てよ、もしや閣下は初めからそのつもりで)
おそらくそうなのだろう。噂が立つことは避けられない。その上で、噂通りになっても構わないのだ。目をかけてもらっている自覚もあるし、なんとか働きで応えられている自負もある。次男だから何の問題もなく婿入りでき、家格も釣り合う。
まさしくシャノンは、アシュトン伯爵の大切な一人娘の婚約者候補として選ばれていたのだ。
(よく考えなくても、そうでない男を任務とはいえ娘に近づけさせないよな)
そしてこの状況には、ライラが不利になる要素がない。たとえシャノンと婚約しなかったとしても、貴族令嬢として名誉が傷つくことはないのだ。眼鏡にかなわなかったシャノンが切り捨てられたというだけのこととして、この件は片が付く。
それならば、特に問題はない。もともと異性にもてないシャノンは結婚願望も強くないので、多少評判に傷がつこうがどうでもいいのだ。
「このこと、ライラは知っているでしょうか」
「……知らないと思いますわ」
チェルシーいわく、すでに事実のように思われていて、直接ライラに確かめる令嬢もいないような状況だという。
(こんなの、ほとんど茶番だな。このままライラが恐怖を克服できなくても、俺と結婚してしまえばいいし、克服出来たらもっといい相手と引き合わせるんだろう)
アシュトン伯爵の計画はとても合理的だ。ライラの意志をないがしろにしているわけでもない。けれどライラ自身が今の自分を恥じていて、必死に克服しようと努力していることを思うと、あまり気分のいい話ではない。
「どうなさるおつもりですか?」
「俺からは言いません。気に病むでしょうけど……彼女にとって不都合がないなら、俺の仕事ではない」
言い切ったシャノンに、チェルシーはまたかすかに眉をひそめたが、やがてあきらめたように息をついた。
「では、私からは言ってもよろしいですね。口さがないどなたかが何を吹き込むかわかりませんもの」
「どうぞご随意に」
シャノンはあえて短く返した。チェルシーの友情には感心するが、少し過保護にも思えたからだ。幾重にも柔らかな守りにつつまれていたライラは、今自らの足で立とうとしている。その進む道に転がる石を先んじて取り除くような真似は、いささかやりすぎのように思う。
チェルシーはシャノンからつんと顔を背け、ダンスホールの方を向いた。
そこでちょうど、曲が終わる。
ニコラスと一曲踊りきったライラが、ダンスの終わりに礼を取る。顔を上げ、ニコラスに微笑みかけるライラの頬はほんのり上気していて、あまり見たことのない表情だった。
笑みを返してなにやら話しかけるニコラスの顔も、今にも蕩けそうだ。こちらは、可愛らしい女性を前にするといつものことであるが。
ニコラスの言葉にますますはにかむライラを見て、シャノンの心はざらついた。
(何を話してるんだ)
シャノンのことは、いつもまっすぐすぎるくらいまっすぐに見据えてくるというのに。自分に向けられることのない恥じらうような様子が、なぜだか全く面白くない。
踊り終えたニコラスは、ライラをシャノンのもとに送り届ける途中で、派手なドレスをまとった令嬢に話しかけられた。ライラはそっとシャノンの方へ抜け出してくる。
「ニコラスとも踊れたじゃないか」
「それは、そうなのだけど……あのね、ポケットチーフの色があなたと同じだったの」
「…………そう」
「それに、ニコラス様はあまり威圧感がないし」
確かにそれはそうだ。ニコラスはシャノンの友人たちの中で、一番物腰が柔らかいと言っても過言ではない。
その日は何人かシャノンの友人とライラを引き合わせた。嫡男か、次男以下でもすでに婚約者がいる者ばかりだったが、これも経験である。
やはり、問題は軍人だ。近くに軍服の男性がいるだけで体を強張らせるライラを見ていて、シャノンは頭を悩ませた。
ひとつだけ、考えがあるにはあるのだ。試す価値はある、という程度のもの。
ライラが無事デビューしてからも、二人の練習は細々とだが続けていた。シーズンが始まれば当然王族も社交にいそしむので、近衛の仕事も増える。加えてライラも茶会などに積極的に参加しているようで、あまり時間は取れていないのだが。
帰りの馬車の中、シャノンは話を切り出した。
「ライラ、少し試してみたいことがあるんだけど」
「……ええ」
シャノンの声音が真剣なものであることを感じ取り、ライラもまた真面目に応じた。
「君は……、近衛の隊服でも、やっぱり怖いのか」
隊服は、礼装に似たデザインの色違いといっても差し支えないだろう。
「……わからないわ。お父様の隊服姿は怖くないけれど、礼装の時も怖くないから……」
「なるほど、それは判断材料にならないな」
その場合は、服装うんぬんよりも父親だから怖くないということなのだろう。
「次に会うとき……練習か、都合次第では夜会のときに、隊服を着てこようと思うんだ」
シャノンがそう言うと、ライラはもう話の流れから予想していたのか、すぐに頷いた。
「今まで試していなかったものね」
「もし夜会の日になってしまったら、いつもより早く迎えに行くよ」
着替える必要が生じる可能性も考慮して、そう取り決めた。




