Step 10. お友達を紹介してくださる?
ライラのデビューはつつがなく済んだ。帰りの馬車の中、ライラは興奮した様子でチェルシーについて語る。デビュー前でも参加できる女性だけのお茶会など、私的な付き合いの場には参加したことがあったようだが、同年代の令嬢と会う機会は少なく、今まで親しい友人はあまりできなかったそうだ。
「私ばかり話して、ごめんなさい」
ライラは急にそう言って黙り込んだ。シャノンは驚く。
「どうしたんだよ、もっと話せばいい」
「でも私、今夜はずっとチェルシーとばかり話して、あなたを放っておいてしまったわ」
そんなことを気にしていたのかと、シャノンはますます驚いた。女性同士が話し出すと止まらないのは、母や姉を見ていて知っている。一人でそうした場にいることも慣れていたので、全く気にしていなかった。
「俺は俺ですることがあったから、平気だ」
「……することって?」
怪訝そうに、ライラは尋ねた。
「君の結婚相手になりそうな男を観察してた」
シャノンの答えに、ライラは目を見開いた。その瞳にさっとよぎった感情がなんだったのか、シャノンには読み取れない。
ライラはほんの少し目を伏せた。
「……早く、過去の恐怖と向き合わなくてはならないわね」
それから数度、ライラは夜会に参加した。シャノンとファーストダンスを済ませると、軽食やグラスを手に座って過ごす。
けれど、いつまでも父親を言い訳にしてダンスを断り続けていては怪しまれるだろう。
ライラもそのことに思い至っていたのか、とある舞踏会に参加した夜、ファーストダンスを終えるとこんなことを言いだした。
「お友達を紹介してくださる? ずっとシャノンとだけ踊っているわけにいかないもの」
「……いいんだな?」
「軍の方でなければ、きっと平気なのよ。それを確かめたいわ」
ライラの決心は固いと見える。シャノンは、今日来ているであろう友人たちを思い浮かべながら、ホールを見回した。
すると、数人の女性と語らっている若い男と目が合った。優雅に波打つハニーブロンドを洒落た形に整え、流行の最先端もかくやという派手な夜会服を着こなしたその男は、周囲の女性に断るような仕草をしてこちらへ向かってきた。甘いマスクに人好きのする笑みを浮かべた彼は、間違いなくシャノンを見ている。
(あー……よりにもよってニコラスか……)
社交界で知り合った友人、ニコラス・ティリットは、王国西部の工業都市を領地に持つラビントン伯爵家の嫡男だ。領主貴族の子息らしくのびのびと育ったのであろう彼は気のいい紳士で物腰も柔らかい。優しく気遣いもスマートだ。ライラにダンスの相手として紹介するには申し分ない人選だが、それらを覆しかねない懸念があった。
女性関係も派手なのだ。そんなところまで自由奔放でなければ、手放しでライラをダンスに送り出すのだが、シャノンは葛藤した。
「あの方、お知り合い?」
ライラが扇子で口元を隠し、わずかに身を寄せて尋ねた。シャノンに対しての距離感はかなり慣れてきたようだ。
「あー、まあ、そうだけど……」
よく考えたら、ニコラスは一人息子だからアシュトン家に婿入りすることはない。それにそもそもいくらニコラスが浮名を流していると言っても、節操なく手を出しているわけではなかったはずだ。
わずかでも友人を疑うような気持ちを抱いたことを反省しているうちに、近づいてきたニコラスはにこやかに話しかけてきた。
「やあ、シャノン。最近ナイトを見かけないなと思っていたら、珍しい格好をしているじゃないか」
礼装と同じく、近衛の隊服はそのまま夜会にも出られる、軍人にとっての正装だ。近衛制度のルーツがかつての近衛騎士からきていること、面倒がったシャノンが社交の場でもほとんど隊服で通していることからとって、ニコラスはたまにシャノンのことをナイトと呼んでいる。シャノンが普通の夜会服に身を包んでいるのは確かに珍しい。おそらくニコラスも初めて見たのではないだろうか。
「君は俺のことを隊服で認識していたのか?」
「まさか! 見つけやすかったことは認めるけれどね」
ニコラスは肩をすくめてみせる。そうした仕草が様になる伊達男は、ライラに微笑みかけてからシャノンに目線をよこした。
軽く咳ばらいをして、シャノンはライラの背をほんの少しだけ押した。シャノンの斜め後ろで半ば隠れるように立っていたライラは、一歩前へ進み出て礼をする。
「こちらは、ライラ・アシュトン伯爵令嬢。隊長はお忙しいから、代わりにエスコートを仰せつかっているんだ。……それで、ライラ。こっちが、ニコラス・ティリット。次期ラビントン伯だ」
「お初にお目にかかります、ティリット卿」
「こちらこそ、お会いできて光栄です! できればニコラスと呼んで? 家名で呼ばれるのは好きじゃないんだ」
にこやかにそう言ってのけたニコラスに、ライラは少々戸惑ったようだが、ためらいがちに名を呼んだ。
その様子が、シャノンと初めて会ったときよりも緊張しているように見えて、少しばかり気が沈む。
(やっぱり俺の容姿は男らしくはないんだよな)
「シャノン、どうかしたの?」
案ずるようにこちらを覗き込むライラが思いのほか近い距離にいて、シャノンははっと身を引いた。
「なんでもない」
「……そう?」
不思議そうに瞬きするライラに、シャノンは誤魔化すように言葉を継いだ。
「それより、ライラ。無理だと思ったら、途中でやめても大丈夫だ。ニコラスはそんなことで怒らないし、むしろうまく場を収めてくれると思う」
こそこそと小声で会話する二人を前にしても気を悪くした風でもなく、ニコラスはライラに左手を差し出した。
「踊ってくださいますか、レディ?」
ライラは一度、ぎゅっと両目をつぶったかと思うと、頷いて差し出された手を取った。
やがて曲が流れ出し、ライラはニコラスとともにダンスホールへすべるように出ていった。
緊張は見えるものの、デビューしたての令嬢にはありがちなことだ。その程度に収まっているということは、ニコラスの雰囲気が柔らかいことを差し引いても、軍服でなければなんとかなるというライラの言は間違っていないらしい。
少々ぎこちなくはあるが問題なく踊っているライラを眺めながら、シャノンは次のダンスの相手について考える。ライラの最終的な目的を考えると、アシュトン家に婿入りするのに不都合のない次男以下の男性との交友関係を広げなくてはならない。けれど次男以下というと身を立てるために文官か軍人になっているものがほとんどだ。社交に熱心な者はそれほど多くなく、シャノンも例にもれずその一人。必然的に、シャノンの友人というとほとんど軍の関係者か、そうでなくても嫡男である。
軍人は、軍の礼装がそのまま正装となるので、今のライラには恐怖の対象だろう。
しばらくは、軍人でない相手との社交に慣れるのがいいかもしれない。
そんなことを考えながら壁のシミになっていたシャノンは、ふいに声をかけられた。
「こんばんは、シャノン様。今日はライラと一緒ではないのですか?」
華やかなドレスを隙なく着こなしたチェルシーだった。
「これは、アークライト公爵令嬢。ライラは今、私の友人と踊っていますよ。ほら、あちらに」
「あら、本当だわ……待ってください、彼はティリット卿では?」
シャノンが示した方向に友人の姿をみつけたチェルシーは、相手が誰かをみとめるとたちまち柳眉を吊り上げた。迫力のある美人がそういう顔をすると、少し怖い。
「シャノン様、彼の評判をご存知でないわけありませんよね」
「噂ほど奔放な男ではありませんよ、彼は」
「そうだとしても……心配ではありませんの?」
ひそめられた眉の下、赤みを帯びた茶色の瞳は揺れていた。きっとチェルシー本人こそ、ライラのことが心配でたまらないのだろう。いい友人ができたものだ。
シャノンがそんな呑気なことを考えている顔をしていたからか、チェルシーは少しあきれた顔をした。
「あなたがよろしいなら、あれこれ言いませんけれど……うぶなライラが彼にのぼせ上ってしまっても知りませんわよ」
「? ニコラスは嫡男で、婿候補には……」
「……やっぱり言わせてもらいます。そんなのわからないではないの。ラビントン伯には弟様もいらっしゃるし、ニコラス様は爵位には執着していないとか」
チェルシーはやけに詳しい。公爵家の令嬢として社交に励む彼女のもとには、たくさんの情報が集まるのだろう。
けれど一方的に責められるようなこの状況は、シャノンにとって不可解だ。
「仮にそうだとして、どうして私にそんなことを言うんです」
心底わかっていない様子のシャノンに、チェルシーも勘違いに気がついたらしい。
「え……シャノン様とライラは、恋仲ではないの? 婚約間近だと聞きましたけれど」




