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27.ひとりの人間として

 朝日が差し込む中、アリスはドレスを広げて、満足げに頷いた。


「できた!」


 華奢な作りの上半身は、澄んだ湖のような透明感のある水色。薄い生地を重ね、ふんわりとボリュームを持たせたスカートは、下になるにつれ紫が混ざり、裾は空一面に広がる夕暮れのような、深みのある紫色だ。美しいグラデーションは、角度によって青にも紫にも見えるベアトリスの瞳の色と同じだ。

 露出の少ない上品なデザインは、その色味も相まって、おとなしい印象だ。ベアトリスが指摘したように、新年の舞踏会で着るには、地味かもしれない。そこで、アリスはマノンの店で買った薔薇の立体レース編みを使った光沢のあるサテンリボンで、輪を左右に三つ作り、花びらが開いたような飾りを作った。その中央には細かなカットが沢山施された、クリスタルをつける。身につけたドレスの青みや、シャンデリアの明かりを反射して、ベアトリスをより輝かせることだろう。それをドレスの胸元に縫いつけ、ボリュームを作ると、それ以上の装飾は必要ないと判断した。

 ベアトリスも、それには納得したようだった。

 ベアトリスにとって、今回の舞踏会は、若々しさや煌びやかな姿を見せたいわけではない。

 マルセルの隣に堂々と立てると、示したいのだ。

 体型がほぼ同じアリスが、ドレスを胸に当てて鏡を見た。


(うん、程よく大人っぽいわ)


 疲れ切って、やつれた自分の顔は、無視した。

 根を詰めないようにとエリーズに釘を刺されていたが、つい徹夜をしてしまった。

 朝日が目に突き刺さるようで、しぱしぱと瞬きをする。

 焦っていい作品ができるとは思っていないが、舞踏会まであと五日ということもあり、気が急いてしまったのだ。

 引っかけないように気をつけながら、ドレスをトルソーに着せると、アリスは自分の顔を鏡で覗き込んだ。

 目の下にはくっきりとクマができている。更に肌はカサカサで、髪はボサボサだ。

 頬の傷がやっと目立たなくなってきて、ガーゼが外れたというのに、こんな顔をしては、明日仕事に戻った時びっくりされてしまう。

 時計を確認すると、まだ早朝で、ベアトリスが起きるまでも時間があった。

 ドレスのことは、後で伝えて、ベアトリスに試着してもらうとして、その前に少し眠ってこの顔をなんとかしなくては。アリスはあくびをしながらベッドに向かった。


 ドアを叩く音に目が覚めた時、アリスはまだぼんやりとしていた。


「ん……誰ぇ?」


 むにゃむにゃと呟く声は、当然ドアの向こうには聞こえない。再び、ドアがノックされた。


「アリス・フォンタニエ。いるのでしょう?」


 イラつきを隠さない強い声に、慌てて飛び起きる。

 朝日がまぶしい早朝に眠ったはずなのに、部屋の中は真っ暗だ。一瞬、今日が何日で今が何時なのか、混乱してしまう。が、寝過ぎてしまったには違いなかった。


「す、すみません。今開けます」


 食事も摂らずに寝ていたものだから、誰か心配して様子を見に来たのだろうか。だとしたら、申し訳ない。

 ボサボサの髪を直す余裕もなく、急いでドアを開ける。


「ごめんなさい。あの、少しのつもりが今まで眠ってて……」


 侍女仲間の誰かかと思ったが、そこには侍女のお仕着せに身を包んだ、見慣れぬ女性が立っていた。


「……あの?」

「なぁに、あなた。休養中だからといって、今まで眠っていたの?」

「え?」

「ベアトリス王女殿下は、舐められたものね。新米侍女がこんな生活態度だなんて。まあ、こんなだから、ラウル殿下の侍女ではなくて、ベアトリス王女殿下の侍女なんだろうけれど。わたくし達と一緒にしては、可哀想ですわね」


 アリスを見るなり、見下したようにそんなことを言う女性に、アリスもカチンときた。

 確かにアリスは出来た侍女ではない。だが、それで主人ベアトリスを悪く言われるのは悔しい。


「なんなんですか?突然やって来て」

「アリソン様が、あなたとお話したいのですって。ちょっと顔を貸しなさい」

「はあ?」


 やってきた女性は、そう言うとさっさと背を向ける。だが、肝心のアリソンの姿は見当たらない。

 自分について来ないことに気づき、女性は苛立たし気に振り向いた。


「早くなさい。アリソン様をお待たせするつもり?」

「あの、あなたは誰ですか?あと、アリソンさんはなぜ直接来ないんですか?」

「まあ、あなた、口答えするつもり!?フォンテーヌ侯爵様が黙っていませんわよ。いいから、早くなさい!」


 口答えではなく、質問をしただけなのだが、かえって女性を怒らせてしまった。

 明日から仕事に復帰するとはいえ、一応はまだ休養中の身だ。それを呼び出す方がどうかと思うが、それを聞く気はないらしい。アリスは仕方なく、女性の後について行った。

 やって来たのは、庭園の東屋だった。そこには、アリソンと、また別の女性がいた。


「アリソン様。お連れ致しましたわ」

「……ご苦労さま」


 同じ侍女のお仕着せを着ていながら、この上下関係は一体なんなのだろう。

 アリスは違和感に眉を顰める。

 そういえば、迎えに来た女性は、はじめからアリソンのことを“様”を付けて呼んでいた。それに、すぐに従おうとしなかったアリスに向けて、フォンテーヌ侯爵の名を出していた。

 王宮の勤め人たちは、皆それなりの身分が保証された人物ばかりだ。その中には、貴族階級の者も、そうでない者もいる。が、共に働く以上、勤め人同士は対等であるはずだ。

 東屋の椅子に座っているのはアリソンだけで、一緒に待っていた女性も、そしてアリスを迎えに来た女性も、アリソンを挟んで立っている。それは、あまり気持ちのいい光景ではなかった。


「――なんでしょう」

「まあ、あなた。口の利き方に気を付けなさい」

「そうよ。フォンテーヌ侯爵が黙っていませんわよ」

「……あなた方、少し黙ってちょうだい」


 アリソンが片手を上げると、両側の女性はすぐに大人しくなる。まるで、女王様のような振る舞いだと、アリスは思った。


「アリス・フォンタニエ――。率直に言いますわ。あなた、どうやってラウル殿下に取り入りましたの?」

「は?」

「あなた、両親は爵位を譲って隠居した元男爵夫妻の末娘なのですってね。男爵令嬢であれば、末席とはいえ、わたくしと一緒に今年社交界にデビューするはずでしたのに、お父上が既に隠居していたから、貴族という扱いにはならなかった」


 どこで調べたのか、アリソンはアリスの立場を淡々と話す。それに両側のふたりの女性が笑う。その笑いには、侮蔑の感情が込められていた。


「それが、どうしたんですか?」

「そんなあなたを、なぜラウル殿下は気に掛けるのかしら。あなた、なにをなさったの?」

「なにもしていません。ただ、危ないところを助けていただいただけです」

「なにか、気を惹くことをしたのでしょう?必要以上に怖がったり、大げさに痛がったりして、ラウル殿下の優しいお心に訴えかけたのでしょう?」

「そんなこと、していません!」


 大体、助けられた瞬間のことなど、アリスは気を失っていて覚えていない。

 気がついた時には馬車に乗せられ、そしてラウル殿下に支えられていたのだ。そんな状況で、一体なにができると言うのだ。


「でしたら、なぜラウル殿下はあなたのことを、名前でお呼びになるの?なぜ、毎日のようにあなたの様子を見に行かれるの?」

「そんなこと、知りません」

「一体、どんな手を使ったのかしら。わたくしに教えてくださらない?ああ、そうですわ。あなたから、わたくしのことを殿下に言っていただこうかしら。そうね……さっさとおかしな考えは捨てて、身を引きなさい。そして、わたくしに協力してくれたら、お父様には内緒にして差し上げますわ」


 そのあまりの言い草に、アリスは唖然とした。


「身を引く?協力?一体、なんの話ですか?」

「あなた、話のわからない子ね。殿下とはもう会わないで。そして、あなたが知った殿下のことを、わたくしに教えて協力してくれたら、それでよろしいのよ」

「あなた……それ、本気で言っているの?」


 思わず素で返したアリスに、アリソンはピクリを眉を動かす。

 アリスの態度が気に入らなかったのだろうという事はわかったが、そんなことはどうでもよかった。

 アリスの胸を、なんとも言いようのない悲しさが渦巻いた。


「アリソンさんは、誰よりもラウル殿下の近くにいて、なにを見ているの?私から聞いたって、それは私という人間を通して見た殿下のお姿です。そんなものを知って、なんになるの?」

「あなた……、あなたね、わたくしを一体、誰だと思っているの?」

「あなたは、アリソンさんです。侯爵令嬢かもしれないけれど、侍女という立場は、私と一緒です。王宮勤め人は、階級制度に関係なく対等です」

「――例外というのが、ありますのよ?わたくしは、ラウル殿下の婚約者候補ですの。口の利き方に気を付けなさい」

「婚約者候補?」


 驚いて聞き返すアリスに、アリソンは勝ち誇った笑顔を見せる。


「そうよ。驚いた?」

「ええ、驚きました。婚約者候補なら、なおのことです。なぜ、ご自身の目で殿下を知ろうとは思わないのですか?私が知った殿下のお姿を聞いて、なんになるのですか?」

「……あなたねぇ」

「それに、そうやって同じ侍女の中で君臨して手下を作って、王妃様ごっこですか?両側のおふたりは、アリソンさん本人を見ているんでしょうか?さっきから私に、侯爵の名を出して従わせようとしますけど、あなた方は、本当にアリソンさんを慕っているの?」

「あなた、なんて失礼なことを言うの?私たちは、侯爵直々に頼まれて――」

「ナディア!」


 ナディアを呼ばれた方が、ハッとして口を押さえるが、もう遅い。その言葉は、アリソンの耳に入っていた。


「お父さまの――?お父様に、頼まれましたの?それで、わたくしのそばにいると、そういうことですの?」

「……そ、それは……」

「――もう、ナディアったら!」


 アリソンは、きっとこれまで、本当に女王のように育てられたのだろう。

 娘の世話を頼んだ少女を、侍女に潜り込ませる程、両親もまた次期王妃と望み、本人もその気になってしまったのだ。

 彼らが見ているのは、そういう立場であり、権力だ。そこには血が通う人間はいない。

 アリソンにとって、ラウル殿下とは、なんだろう?そして、ナディアたちにとって、アリソンとはなんだろう。フォンテーヌ侯爵にとっての娘とは、一体なんなのだろう。


「誰も、その人本人を見ていないのではないですか?」


 アリスの言葉に、明らかにアリソンは動揺していた。おまけに、一緒にいた侍女たちは、バレてしまったらもう隠すつもりはないようで、フォンテーヌ侯爵から家への援助と引き換えに頼まれたと白状した。

 ふてぶてしく話す彼女たちとは対照的に、アリソンは青ざめている。彼女にしてみれば、突然、たったひとり闇の中に放り込まれてしまったような気分だろう。


「そんな……。ひどい、ひどいわ」


 アリソンは震える声で嘆くが、きっと、ラウルも気づいているのだ。彼女たちが、ラウル自身を知ろうとしないこと、見ようとしないことに。彼女たちが興味があるのは、ラウルの立場であり、次期国王だという事実だけだということに。

 だから、きっと、彼は姿を変えたのだ。血が通ったひとりの人間で、いるために。

 アリスの中で、ラウルと黒尽くめの青年の姿が、ピッタリと重なった。

 誰か、肩書き抜きで、自分自身を見てくれる相手を探していたのだ。

 今更ながら、ラウルの本心に気づき、やるせなくなる。

 そして同時に、姿を変えた彼からの告白の重みに気づいた。

 あれは、彼の心の声だ。

 ラウルは、どんな気持ちでここ数日アリスの元を訪れていたのだろう。黒尽くめの青年の事など、一切口にせず、彼はラウル王子殿下として、アリスに会いに来た。

 試されていたのだろうか? 一瞬、そんな考えがよぎるが、すぐに打ち消す。

 違う。

 彼は、アリスに逃げ道を与えていたのだ。

 ラウルと黒尽くめの青年が、同一人物だと気づかなかった振りをすれば、アリスはきっと穏やかな日常に戻れる。けれど、もう二度とラウルの素顔を見ることはできないだろう。



 


 

 

 

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