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1.幽霊の出る部屋

 アリスは重く大きな扉がゴゴゴと地鳴りのような音を立てて開くのを、口をあんぐり開けて見ていた。

 その扉は、まるで物語に出てくるような巨大な怪物が通るのかと思う程の高さだった。

 茫然と立ち尽くすアリスの傍をかすめるように、荷を積んだ馬車が通る。その荷馬車も立派なものだったが、門に吸い込まれる様は、まるでおもちゃのようだった。

 ゴクリと喉を鳴らし、改めて大きな門を見上げる。てっぺんには陽の光を浴びて輝く獅子の顔があった。その背には羽根が生えていて、扉の上部を包むような曲線を描いている。


「とうとう来たわ……」


 アリスを見下ろす獅子の見事な彫刻は、王家の紋章だ。

 とうとう、王宮へと足を踏み入れる時がきた。

 アリスはもう一度獅子を見上げると、「ヨシッ!」と気合を入れ、拳を握ると、一歩踏み出した。

 今日から、ここがアリスの仕事場であり、住まいになるのだ。

 なんとなく、漠然とではあったが、一応は貴族の出ということもあり、いずれは王宮を訪れる機会はあるのだろうと思っていた。そのため、王宮のことは両親からも、そして兄弟からも話を聞き、想像を膨らませていた。だが、今アリスの目の前に広がるのは、そんな想像を遥かに凌ぐものだった。

 綺麗に整えられた庭園の先に、四つの塔を持った荘厳な建物がある。それを中心に、様々な大きさ、形の建物もあり、揃いの服を着た人々行き交っていた。


「これ、娘。証明書を出さんか」


 近くから催促するような声が聞こえ、アリスは慌てて荷物の中を探った。

 ようやく目当ての物を見つけ出すと、門番の男にそれを突き出す。それは、王家の使者が運んできた合格通知だった。


『アリス・フォンタニエ嬢

 貴殿の王宮勤めを許可する。ジョーヌの早月、一の日の朝九時に王宮に来られたし』


 まさか、と思った。

 アリスだけではない。家族の誰もがそう思った。

 王宮勤めは、貴族や裕福な商人の子供なら誰しも憧れる仕事なのだ。まさか領地の屋敷でのほほんと暮らしていた自分が選ばれるとは、思ってもみなかった。

 もしかして、夢だろうか。それとも、悪戯だろうか――まさか、なにかも間違いだったりして。そのような考えがかすめたが、門番の男はアリスに合格通知を返すと、真っすぐ進み、建物の右側の入口の門番にも通知を見せるように言った。

 正面入り口は、基本的に王族や正式な招待客が通るものだという。その左右には正面入り口を一周り小さくした扉がある。右側が王宮勤めの人々が使い、左側は、出入りの商人が使うのだそうだ。


「はい」


 通知を受け取ったアリスは、自然と速足になる。一歩一歩王宮が近づくことで、王宮勤めが現実になるのだ。ずっと一緒だった両親と離れることに寂しさはあったが、それでも好奇心の方が大きい。自然と歩幅も大きくなり、顔には笑みが浮かんだ。


(やった! 間違いなんかじゃなかったわ!)


 アリスの胸は喜びに溢れた。これから、どんな出会いがあるだろう? 一体、どんな仕事があるのだろう? 国王陛下や王妃様にお会いすることはあるかしら? どんな方たちなのだろう。たくさんの楽しみに、胸が一杯になる。

 アリスは右側の入口の門番に、満面の笑みで通知を渡した。

 ――が、受け取った門番は、手にした紙と見比べて、首をひねった。


「アリス・フォンタニエ……そんな名前は無いがなぁ」


 その呟きは小さかったが、アリスの耳には届いていた。

 そう、まさかの間違いだったのだ。


「……あ~、少し待っているように」


 別の門番が横から紙を覗き込むと、慌てて扉の中へと入って行く。年配の紳士を連れてきたが、その人もまた、アリスが持ってきた通知と門番の紙を見比べ、首を傾げた。


「アリス・フォンタニエ……はて。これは一体……」

「まさか、通知を偽造したのでは?」

「いや、この封筒、この刻印、間違いなく本物だが――」


 偽造だのと物騒な言葉も飛び出し、アリスは青ざめる。

 ここまで来て間違いだとか、そんなことあっていいはずがない。

 アリスのいた領地からここまで、実に七日かかった。兄のアルマンが男爵家の馬車を手配してくれたが、門の前で分かれてしまった。ここで追い返されでもしたら、一体どうすればいいのだ。

 アリスは祈るような思いで、三人のやり取りを見ていた。すると、一番若い門番が「あ」と声を上げた。

 反射的に顔を上げたアリスと目が合うと、声を潜めた。だが、残念ながら大自然で育ったアリスは、耳に自信がある。密やかなやり取りも、しっかりと聞こえていた。


「あの、ここによく似たお名前がございます」

「なになに、アリソン・フォンテーヌ……侯爵令嬢ではないか」

「だが、彼女は既に来ておるぞ」

「はい。ですから……お名前が似ていることから、この方にも送ってしまわれたのかと……」

「じゃが、通知は十五通しか送っておらん」

「……合格者は十四名ですが……」

「む?」


 責任者らしき紳士が見事な髭をピクつかせながら、門番が持つ紙を奪い取る。すると、喉の奥から「あー……」と絞り出すような声が漏れた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 四人の間に、しばしの沈黙が流れる。

 一番初めに口を開いたのは、髭の紳士だった。


「……あ~、これは、なんだ。その……君の父親の爵位は何かね」

「元、男爵です」

「……元」

「はい。早くに兄に爵位を譲り、隠居しましたので……。この度はその兄が後見人になってくれました」

「アルマン・フォンタニエ男爵か」

「はい」


 そこでまた門番を加えたヒソヒソ話が始まる。


「元男爵って……それはさすがに無いでしょう。今回は名門伯爵家のご令嬢なども落ちているんですよ?」

「そもそも、なぜ十五通送ってしまったのです?」

「合格者リストを作っていて……書き間違えてしまったのだ。それで、書き直したのだが、消し忘れたまま通知を書いてしまったらしい……」

「陛下にはどっちのリストを渡されたのですか?」

「は、はて……」


 答えが出ない三人が黙ってしまったその時、鐘の音が響いた。約束の時間になってしまったのだ。

 アリスは思い切って頼み込んだ。


「私、どんなお仕事でもします! お願いします!」


 今更、間違いだったと帰ることはできない。

 アリスがいないと寂しいと両親は言ってくれたが、それでもこの合格には誰よりも喜んでくれた。誇りだとも言ってくれた。アリスとて、新しい世界に飛び込めるのだと楽しみで仕方なかったのだ。すぐに引き下がるわけにはいかない。


「――本当に、どんな仕事でもするかね? 少し辛いかもしれない」

「大丈夫です。私はずっと田舎の領地で暮らしてきました。都会のご令嬢よりは、動ける自信があります!」

「――わかった。入りなさい。この責任は私が取ろう」

「ありがとうございます!」

「私はヴァレール・ペリシエだ。使用人たちの担当部署を決める責任者をしている」

「アリス・フォンタニエです。よろしくお願いします。ヴァレールさん!」


 こうして、アリスはようやく王宮の中に入ることができたのだった。



 * * *



 どんな仕事でもする――とは言ったものの、果たしてどんな仕事が待っているのだろう。緊張の面持ちでヴァレールに案内された部屋に入る。中には、先ほどの門番の言葉通り、十名程の同年代の男女がいた。皆、ヴァレールに連れられてきたアリスに一瞬興味を見せたが、すぐに視線を逸らす。離れたところからは「なにあの子。田舎臭い」と、心無い声が聞こえて来た。

 アリスとしても、長時間の移動とこれからの仕事に備え、動きやすい恰好の方がいいだろうと思ったのだが、それは彼らたちと考えが違ったようだ。室内に待機していた彼らは、まるでお茶会にでも招かれたかのような恰好をしている。

 動きやすさは重視したものの、アリスだって王宮を訪れるのだから、一からしつらえたワンピースを着ている。だが、それでも野暮ったさは否めなかった。

 コホン、とヴァレールの咳払いが響き、全員が彼に注目する。歓迎の挨拶をしたヴァレールは、早速全員の部署を振り分け始めた。

 歓喜の声に、時折落胆の声が混ざる。皆、それぞれ希望の部署があったようだ。そして、アリスは最後に残された。それも仕方のないことだ。ヴァレールが読み上げているその紙には、アリスの名前はないのだから。

 アリスを除き、全員部署が決まると、残されたアリスに視線が集中する。


「ねえ、あの子知っていて?」

「いいえ。初めてよ。一体どこの方かしら」


 こういう空気は好きじゃない。

 アリスが居心地悪く思っていると、ヴァレールがアリスの名を呼んだ。


「アリス・フォンタニエ」

「は、はい!」

「君は、騎士訓練所だ」

「はいっ!」


 これまで読み上げられた中にはなかった部署だ。ということは、同期の中でもアリスだけが配属されたらしい。好意的な雰囲気ではなかったため、安堵したアリスは、元気よく返事をした。だが、周りは正反対だった。


「ええ~。可哀想……」

「僕たちじゃなくて良かったな」

「一年続くかな。あそこ大変なんだろ」


 周りがざわつき始めた時、再びヴァレールの咳払いが響いた。


「あ~。ここからは、それぞれの部署にわかれ、各々先輩から仕事を教えてもらうように。――アリス・フォンタニエ。君は私についてきなさい」

「はい」


 憐れみの視線に見送られ、ヴァレールに続いて部屋を出る。すると、ヴァレールが部屋の外にいたメイドのひとりを呼び止めた。


「マリア、北棟三階の角部屋を整えてもらえるか」

「えっ? 北棟の三階って……あ、あそこをお使いになるのですか?」

「ああ。そこしか空いておらんからな」

「でもヴァレールさん。あそこは幽霊が――」

「シッ。大きな声を出すんじゃない。――緊急事態なのだ。あの部屋しか空いていないのだよ」


 ――今、幽霊、と言っただろうか。

 勿論、アリスの耳にはしっかりと届いていた。



 * * *



 初日の予定が終わり、部屋の鍵を渡されたアリスだったが、その時気になることを言われた。


「この部屋――実は、出るって言われてるの。変な物音がするんですって。今はここしか空いていないけれど、他の部屋が空いたらすぐに変えてもらうといいわ」

「は、はい……」


 そう言われて、身構えずにいられるだろうか。

 部屋の前に立ち、ドアに耳をつけて中の様子を窺う。――なにも聞こえない。とりあえず、入ってみるしかない。第一、アリスは元から霊感がなく、幽霊など見たこともない。感受性の豊かな一部の人が流した噂かもしれない。そう自分に言い聞かせ、ドアを開けた。


「ほぅら、誰もいな……」


 誰もいない、と言いかけた言葉は、そのまま止まる。だって、居たのだから仕方がない。

 全身黒ずくめの細身の男が、窓から身を乗り出していたのだ。


「だ、だれ?」


 とりあえず、幽霊ではないと判断した。アリスの中では、幽霊とは透けていて浮遊するものというイメージがあった。勿論、壁などもすり抜ける透明感だ。だが、窓辺にいるのは、それとは正反対だったのだ。窓からこの部屋を出ようとしている。浮遊し、窓をすり抜けることができる幽霊が、わざわざ窓を開けて足をかけるというのもおかしな話だった。

 相手が人間と分かり、アリスの中に少し余裕ができた。充分な距離を保ち、相手を刺激しないように問いかける。向こうもまたアリスの存在に気づき、動きを止めていた。


「お前こそ誰だ」

「今日からこの部屋の住人になった者です」

「この部屋に? ここは長く空き部屋で便利だったのに……。なぁ、もうこの部屋使わないから、今だけ見逃してくれないか?」

「え?」

「ちょっと、外に出たいんだ。頼むよ。迷惑はかけない」


 そこでアリスは、この部屋の幽霊の正体がわかった。

 この部屋は角部屋だ。今青年が開けている窓は、他の部屋やら見えにくい。どうやらここを、宿舎からの脱出経路として使っていたようだ。時折物音がするというのも、脱出最終に出た音だろう。


(なんだ。幽霊かと思って損したわ)


 アリスはホッと胸をなで下ろすと、大きく頷いた。


「いいわ。黙ってる。でも、この部屋を使うのは本当に今日で最後にしてね」

「わかった。約束する」


 青年は窓の外に足をかけると、身体を反転させ、完全に外に出た。


「危ないわ。本当に下りれるの?」

「大丈夫。この脇に少しレンガが飛び出した場所があって……うわっ!」


 青年の足が滑り、一瞬身体が落ちかけた。なんとか窓辺にしがみついたが、危ないところだった。


「横の蔦に捕まった方がいいわ」

「蔦? 千切れてしまうだろ」

「蔦って結構頑丈よ。見つかりそうな時は葉っぱが身を隠してくれるし。私はいつもそうしてたから、保証する」


 訝し気に蔦を掴んだ青年だったが、何度か引っ張っても千切れないことがわかると、レンガから足場を変えた。


「ありがとう。――お前、面白いな。名前は?」

「アリスよ。あなたは?」

「――アリスか。覚えておく」


 じゃあ、と言うと、名前を告げることなく、青年は暗闇に消えてしまった。

 無事下りれたらいいけど……少しの間、外の様子を窺っていたが、なにかが落ちた音も声も聞こえない。きっと、青年はもう行ってしまったのだろう。


「さてと……。今日は疲れたわ。どうなることかと思ったけれど、王宮で働けることになったし、良かった」


 夜着に着替えて小さな寝台に座ってホッとすると、一気に眠気が襲ってきた。そのままモゾモゾと布団に入り、横になる。

 幽霊の件も解決し、アリスの睡眠を妨げる心配事はなくなった。心が一気に軽くなったアリスは、あっという間に深い眠りに落ちた。

 廊下では、パタパタと忙しない足音に続き、数人の声がする。だが、すっかり夢の住人になったアリスの耳に届くことはなかった。


「誰か、殿下を見なかったか?」

「また抜け出してしまわれたか……。一体、どこから……」

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