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16.既視感

 アリスはこれまでの人生でも一番の速さで走り、部屋に飛び込むとベッドに身を投げだした。


「いやぁぁぁぁぁぁー‼」


 枕に顔を押し付けて叫ぶ。

 なんだかもう、身体のあちこちからひでも吹いているのではないかと思うほど、全身が熱かった。


「ヤダ、ちょっと。今の声なに?」

「またこの部屋?やっぱりなにかあるんじゃないの?」

「ちょ、ちょっと!アリス、大丈夫⁉」

「なにかあったの?落ち着いて!」


 叫び声を聞きつけた人たちが、廊下でざわついている。

 気がついたら唇を奪われていたのだ。これが落ち着いていられるか。だが、このままではおかしな人間だと思われてしまう。

 むくりと起き上がると、ドアを開けた。

 心配そうなマリアの後ろには、好奇心に満ちた視線を寄越すメイドが何人かいた。


「だ、大丈夫。虫を見つけて……ビックリして」

「ええっ?虫?もう寒いのに、まだ出るのね」

「ほ、ほんとね。驚いたわ」

「虫?なぁんだ。もう、人騒がせね」

「ご、ごめん」


 アリスの言葉に明らかに興味を失ったようで、マリア以外の野次馬は、それぞれの部屋に消えていった。


「ねぇ、アリス。本当になんでもないの?」

「え?」

「あんた、最近なんだか変よ。――前から変だけどさ。けど、たまに心ここにあらずって感じでぼうっとしてることがあるわ」


 マリアがじっと見つめて、アリスの額に手のひらをあてた。

 突然のことに驚いていると、すぐに手は外された。


「顔が赤いし、目が潤んでるから熱でもあるのかしらと思ったけれど、良かったわ。ねえ、体調が悪いとか、なにか困り事があったら、なんでも言ってよね?いつも元気なあんたがそんなじゃ、心配になるじゃない」

「……うん、ありがと」


 マリアの言葉に思わず鼻の奥がジンとする。

 まさか最近の様子で心配をかけていたとは、知らなかった。

 今ここでマリアに相談できたら、どんなにいいだろう。だが、相手は名前も知らない密偵だ。彼の存在は、そう簡単に打ち明けていいものではない。


「マリア……」

「ん?なあに?」

「私、そんなに元気なかった?」

「そうよー。なんだかため息とかついちゃってさ。アネットとふたりで、もしかして衣装部で苦労してるんじゃない?なんて話してたの」


 もしかして、いじめられてる?とマリアが続けたものだから、思わず噴き出す。


「ない!そんなのないわ。ジゼルさんもすごく優しくしてくれる」

「あー、良かった。もう少しでジゼルを問い詰めるところだったわ」


 アリスのために、旧友を問い詰めるとは、なんとも頼もしい言葉だ。そう言ってくれるだけで、アリスも自然と笑みが溢れる。


「ねえ、前の私ってどんなだった?」

「そうね、なんでも一生懸命。人一倍元気で明るくて、物怖じしない子ね。騎士訓練所なんて、要は男社会よ。そこにあんなに早く溶け込む子、あんたが初めて。変な事に詳しいし、馬も怖がらない。マルセルさんが可愛がるメイドなんて、いままでいなかったのよ?」

「……そっか。ありがとう!マリア」


 マリアの言葉を聞いていると、最近の自分がどれだけボンヤリしていたのかが分かる。

 心が持って行かれたみたいで、空洞を抱えて、こんなにも自分を見てくれていた友人にも気付かなかった。

 初めてのことが怖いのは当然なのに。

 沢山の初めてに出会う覚悟で、王宮ここに来たのに。

 それに、彼が見つけてくれた自分だって、頑張り屋の私なのに。


「ん?なんか、吹っ切れた?」

「うん。ありがとう、マリア。本当にもう大丈夫よ。このところ色々あって考えすぎていたみたい」

「そう?なら、これ以上は聞かないわ。でも、これからはそうなる前に話してね」


 アリスはしっかりとマリアを見て、頷いた。



 * * *



 その後の休日、アリスは久しぶりに厩舎に向かった。

 手には干し柿ペーストの瓶が入ったカゴを持っている。黒尽くめの青年に頼まれていたものだ。ただ、彼の分だけを預けるのはマルセルに悪いので、ひとつ多く持って来た。そのため、カゴがかなり重くなり、ギシギシと音をたてているが、仕方がない。

 空は雲が多く、風は冷たい。

 アリスが吐く息もほんのり白く漂うと、灰色の空に消える。そろそろ初雪かという天気だ。


(あれから3日経ったけれど、彼は無事かしら)


 あの日の出来事にすっかり混乱していたアリスだったが、マリアのおかげでだいぶ自分を取り戻すことができた。

 いつも元気で一生懸命な自分を、彼も好いてくれたのだ。なかなか会えず、今は遠くにいることもあって寂しさは感じるが、悲しんでばかりでは、彼に嫌われてしまう。

 自分らしく、彼を待とう。次に会った時に、元気な笑顔で明るく出迎えたい。

 カゴを持ち直すと、ドアを叩いた。分厚い手袋をしているためか、ドンドンと鈍い音が響く。


「誰だ?――おっ、なんだ。アリスか」


 難しい顔で出て来たマルセルだったが、アリスを見て破顔する。


「こんにちは。お久しぶりです」

「本当に久しぶりだな。元気だったか?」


 マルセルはドアを大きく開けると、顎をしゃくって中に入るよう示した。

 ここに来るのは久しぶりだが、アリスにしてみれば勝手知ったるマルセルの詰め所だ。「お邪魔します」と言って躊躇なく足を踏み入れる。

 詰め所の中は、寒くなってきたこともあってか、暖炉の脇に薪が積まれていた。


「冷えると、足の古傷が傷むんだ。こればっかりは、何年経っても嫌なもんだ。――ん?」


 目ざといマルセルは、カゴの存在にすぐに気づき、アリスから取り上げた。


「なんだ?こいつは」

「干し柿のペーストです。マルセルさんのところに置いていった干し柿、もうなくなったって聞いたので」

「こりゃ助かる。パンにつけても美味そうだ」


 次々とカゴから瓶を取り出すマルセルを、慌てて止める。


「あっ、待ってください。マルセルさんのはひとつで、残りは預かって欲しいんです」

「ええ~?俺ひとつ?で、アイツがみっつ?」

「え、えっと……」


 誰かも言っていないのに、黒尽くめの青年のことだとわかったようで、不満げに顔を顰める。

 もういい年だというのに、そんなことで拗ねないで欲しい。


「ずるくねえか?ここは二個ずつだろう。百歩譲っても」


 譲っても半分なのか……仕方なく、アリスは頷いた。


「じゃあ、それで」

「よし、預かってやる。ちょうど、茶を淹れようかと思っていたんだ。お前も飲むか」

「あ、ありがとうございます」


 奥の小さなキッチンレンジには火が入っており、格子網に置かれた鍋の中はグツグツと沸騰している。

 棚にはいくつか紅茶の入った瓶があり、台には大き目のがっしりしたカップと蓋の空いた蜂蜜の瓶が置かれていた。


「私がやりましょうか?」

「じゃあ、頼めるか。棚のカップは適当に使ってくれて構わない。俺の紅茶にはミルクと蜂蜜をたっぷりと頼む」


 出来上がった干し柿の食べっぷりを見てから薄々気づいてはいたが、マルセルはかなりの甘党らしい。

 アリスは鍋を火から下ろすと、レンガの上に置き、火を消そうとした。


「ああ、消さないでくれ」


 頼む、と言ったマルセルが、キッチンへとやって来る。すると、布のかかったカゴからパンを取り出す。それを適当な大きさに切ると、網の代わりにグリドルを置き、パンを並べた。


「本当なら、卵とミルクと砂糖を合わせたものにパンを浸して、焼くんだが、今日はペーストがあるからただ焼くだけにしよう。お前も食うだろう?」


 そんなにお腹は空いていなかったが、迷わず頷いた。甘いものは別なのだ。

 マルセルが手際よくパンを準備している間に、アリスは紅茶の準備をした。

 マルセルにはミルクと蜂蜜をたっぷりと入れ、すぐにかき混ぜる。自分用の紅茶には、蜂蜜を少しだけ入れた。アリスは紅茶の風味と香りが好きなのだ。


「いただきます」


 ちょうど良いタイミングでパンと紅茶の用意ができ、ふたり揃ってテーブルについた。


「ん。うんまい。パンをカリカリにしたのが良かったな」


 ナイフとフォークを使っているアリスの横で、マルセルはペーストをたっぷり塗ったパンにそのまま齧り付いている。その塗り方たるや豪快のひとことで、一口齧り付く度にペーストが溢れそうになっている。これでは、一瓶などあっという間に無くなってしまうだろう。ちゃんと彼の分には手をつけずに預かってくれるだろうか?


「――で、これを預けに来るってことは、進展があったのか」

「グフッ!」


 飲み込みかけたパンが喉につまり、アリスは慌てて紅茶を流し込んだ。

 ケホケホと急きこむアリスを、マルセルは生ぬるい視線で見ている。


「それは……その……」

「告白でもされたか?」

「どうしてそれを!」


 瞬く間にアリスの顔が赤くなった。困っているようでもあったが、どこか嬉しそうでもある。

 告白したということは、素性を打ち明けたということだろうか?

 その割には、アリスの様子はいつもと変わらないものだった。


「あいつがいなくて、寂しくないのか?」

「寂しい、ですよ。でも、彼が好きな私は、きっと元気な私だから……。次会った時にがっかりされるのは嫌だから、いない間も私は私で頑張ることにしたんです」


 強いものだ。

 ラウルは、きっとその明るさだけに惹かれたのではないだろう。この子は芯の強い子だ。この子なら、きっとぶれない。ラウルに守られるだけではなく、ラウルを支えようとするだろう。

 それでも、ラウルの気持ちを受け止めるには、並大抵の強さではやっていけない。


「そうか……アイツ、話したのか。――で?」

「……で、とは……」

「お前も応えたんだろう?」

「……は?」


 一瞬、ぽかんと口を開けたかと思ったら、次の瞬間青くなる。

 先ほどまでの明るさはどこへやら。一気にどんよりとした空気を纏ってしまった。


「ど、どうしよう!私、返事してません!」

「はぁ!?」

「だって!あまりにも急で!キ、キスとか、はははは初めてだったし!ビックリしちゃって……逃げてきてしまいました!どうしよう!?」

「はぁぁ!?」


 マルセルは悪態をつこうとして、なんとか押しとどめた。

 告白はともかく、返事も聞かずにいきなり口づけたら、相手は驚くに決まっている。ましてや、このアリスだ。まっすぐ育ち、色恋に興味のなかった子が、突然そんな状況に置かれたら、逃げたくもなる。


(アイツ、相当思いつめてたのか?それにしても、出発前に何をしてるんだ……)


「あ~、まあ~その、なんだ。帰ってきたらすぐ返事をすりゃいいじゃないか。な?」

「名前も呼び出し方も知らない相手に、どうやって返事をするんですかっ!」


(素性明かしてねえのかよ!)


 またもや悪態をつきそうになって、マルセルはぐぬぬ、と黙り込む。

 なんとかなだめてアリスを送り出した時には、マルセルはぐったりとしていた。

 これじゃ割に合わない。

 マルセルはカゴに残っていたペースト瓶を、もう一本いただくことにした。



(会ったら、ちゃんと気持ちを伝えなくちゃ……)


 とはいえ、彼が王宮に戻ってくるまで、あと十七日はある。

 予定の変更もあり得るだろうし、次に会えるのは一体いつだろう。

 こんな時は、誰しも祈りたくなるものである。

 アリスの手は自然と、ポケットに伸びた。


(ん?あれ……!?)


 いくらまさぐっても、お守りの指輪がない。


「うそっ……!?」


 どこかで落としたのだろうか。

 チェーンを外したから、バチが当たったのだろうか?

 アリスは最後に見たのがいつだったか、自分の記憶を辿った。


(どうしよう……。ここ数日、全然見てないかも……)


 ポケットに入っているものだとばかり思っていたため、意識して確認をしていなかった。

 アリスはよく行く場所を探してみることにした。

 まずは、向かおうと思っていた食堂にそのまま行く。食堂は毎日掃除をしているが、落し物があった場合は、管理者に聞けば分かるだろう。

 だが、食堂に入ると、全員の目がこちらに向けられ、アリスは入ろうとして出した足を思わず引っ込めた。


「な、なに?」


 いつもの隅の席では、マリアとアネットがアリスを見て、なにやら口を動かしつつ、手招きしている。

 急いでふたりの元に向かうアリスを、他のメイドたちがヒソヒソ話をしながら見送った。いつもと違う異様な光景に、アリスの中で不安が広がる。


「どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわよ。ヴァレールさんが探していたわよ」

「えっ?」

「あっ、ほら!」


 食堂の入口にヴァレールがやって来ると、まっすぐにこの隅のテーブルを見た。そこにアリスの姿を確認すると、ひとつ咳払いをし、眼鏡を押し上げやって来る。

 このところ何度か見た姿だったが、なんだかヴァレールの顔がこわばって見えた。

 ヴァレールは、アリスのところにやってくると、再び咳払いをした。


「あの……私になにか……」

「アリス・フォンタニエ。異動が決まった。ブラン盛月、一の日には新しい仕事になる。二十五日までには荷物をまとめておくように」

「は、はい……?」


 前回とは違う伝え方に、アリスの返事も思わず語尾が上がる。

 荷物をまとめろ――それは、宿舎からの引っ越しを意味するのだ。


(と、言うことは――?)


 マリア、アネットと顔を見合わせる。

 それはつまり、王宮勤めに異動……しかも、王宮内に自室が用意される職種ということだ。


「あ、あの……。私は一体、どんなお仕事をすることになるんでしょうか?」

「それは、今ここで言えることではない。二十六日、朝八時に荷物を持って私のところに来なさい」


 それだけを伝えると、ヴァレールは食堂をさっさと出て行った。

 突然のことに、アリスの胸がドクドクと煩く跳ねる。まだ、衣装部に移って一ヶ月にも満たないのだ。この異動は明らかに異常事態だ。

 これはやはりお守りを失くしてしまったからだろうか。


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