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第四話 オムライスと野菜スティック(前)

 180cmほどある大柄な体をネイビーのビジネススーツで覆った青年、三浦(みうら)誠司(せいじ)

 身長からすると細身だが、線が細い印象はない。それは、作業の邪魔にならない程度に伸びた黒髪から覗く瞳のせいだろう。

 目は細いが、そこから放たれる視線は鋭く、滅多に表情を変えることもない。ややもすれば剣呑な印象を与えてしまう。

 冷静というよりは感情の起伏に乏しい誠司だったが、さすがに咄嗟に言葉が出なかった。


 それはそうだろう。

 様々な買い物を終えて帰宅した誠司が見たのは、うつぶせに倒れ伏した美少女だったのだ。


 うつぶせ――顔が見えないにもかかわらず美少女だと断定できたのは、それが誰か分かっているから。そして、そんな格好でも美しさが損なわれていないからでもある。


 たとえ、ふんふんと心配そうに、ポメラニアンが彼女匂いをかいでいても。


 背中まで伸びる、緩やかなウェーブがかかった美しい銀髪。

 それが今は、フローリングに広がっている。まるできらきらと輝く天の川のようだ。


 思い切りよく投げ出されているものの、手足はほっそりとしており、指も細く長い。身長に関してはまだ成長の余地があるが、現時点でも多くの人間が羨むようなプロポーション。


 しかし、その素晴らしい肢体を包んでいるのは、サイズの大きなワイシャツのみ。

 着飾っている状況とは正反対ではあるが、それが逆に、まだ幼い彼女の魅力を増している部分もある。


 ミューラ・シルヴァラッドの美しさは顔が見えない程度では揺るがず、また、服装にも左右はされないのだ。


「この展開は予想外だったな……」


 ようやく我に返った誠司は、エコバッグなどを玄関に置き、リビングへと急ぐ。

 ミューラが既にいなくなっている可能性まで考慮していたものの、まさか、家の中で行き倒れているなどとは想像もしていなかった。


 ただ眠っているだけなら良いのだが……。


 そう思って肩を軽く揺するが、反応はない。代わりに、なにを勘違いしたのか。コタロウがじゃれついてくる。

 いや、勘違いというよりは、誠司が帰ってきたので散歩に連れて行ってくれると期待しているのだろう。倒れているミューラは、既に関心の外だ。


「ミューラ、ミューラ」


 そんな本能に忠実なコタロウを片手で押さえつつ、誠司はさらに呼びかけを続ける。


「うっ、うう……」


 すると、なんとか絞り出したようなうめき声が聞こえてきた。


「生きてるか?」

「わたしは、死にましぇん……」

「水、飲めるか?」

「ひゃい……」


 若干ろれつが回っていないが、返事はしっかりしている。

 脱水症状とまではいかないものの、それに近い症状だろうか。


「ちょっと待っててくれ」


 キッチンへ移動しつつ、スマートフォンで手早く検索。

 出てきた手順通りに、大きめのマグカップに塩ひとつまみと大さじ2杯の砂糖を入れ、水を注ぐ。これで、即席の経口補水液が完成だ。

 それを軽くスプーンで混ぜてから、誠司はミューラを抱きかかえた。


「ほら。ゆっくり飲め」

「うう……」


 なぜか、いやいやと首を振って拒否をするミューラ。

 なにが不満なのか分からないが、問い質している暇はない。


 誠司は、少し強引にカップの縁を桜色の唇に押し当てる。


「んっ、んっ、んんっっ……」


 すると、最初はゆっくりと。

 次第に勢いよく即席経口補水液を嚥下し始める。


「はっ、はぁ……。はぁんっ……」


 時折、熱い息を吐きながら頬を上気させるミューラ。

 なにをしているのかわすれてしまいそうになるほど、官能的な光景。


「待て」


 安心したのも束の間、ミューラが一気に飲み干してしまいそうだったので、誠司は慌てて止めた。マグカップが、ミューラの

 ついでにコタロウまでかしこまったのは、思わぬ副産物だった。


「一気に飲んだら、逆効果だぞ」

「ああんっ。セージさん、イジワルですぅ……」


 ミューラのサファイア色の瞳がうるみ、上目遣いで哀願する。

 しかし、それで心動かされる誠司ではない。


「今度、鳥取の(かつ)え殺しの顛末を解説しよう。そうすれば、俺に感謝することになる」

「え? なんですか、それ? こわい」


 詳細は分からないが、語感だけで恐怖を感じたミューラが小刻みに震え、美しい銀髪も一緒に揺れた。これも、翻訳魔法の効果かもしれない。


「それはそれとして、わたしはいつもセージさんに感謝していますよ?」

「それはそれとして、キミ……ミューラは、なんでこんなことに?」

「うう。スルーされました……」

「タイミングが悪かったな」


 ひとまず落ち着いたようだと判断し、誠司はマグカップを床に置いてミューラをきちんと座らせる。


 誠司が離れてしまい、ミューラは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 その直後、コタロウがミューラのお腹の辺りに顔を擦り付ける。まるで、安心したと言わんばかりに。いや、あるいは、さっきまで自分を構わなかったことへの抗議とも考えられる。


「やだ、くすぐったいですよ」


 そう言いつつも嫌がる気配はなく、ミューラはそのままコタロウの背中から尻尾を撫でた。

 その手が、尻尾の付け根に達した瞬間、コタロウの尻尾が大きくぐるんと振った。


「ここですか? コタロウちゃん、ここが気持ちいいんですか?」


 誠司の存在は忘れられ、戯れる一人と一匹。


 若干の淋しさはあるが、コタロウが甘える仕草を客観的に見られるのは良いものだ。


 誠司は、そう心の中でだけうなずいた。

 もしかすると、今この瞬間こそ、ミューラが誠司から同居人と認められた瞬間かもしれなかった。


「話しは戻るけど。どうして、倒れていたんだ?」


 だが、いつまでもそうは言っていられない。

 誠司はわずかにネクタイを緩めながら、改めてミューラに問いかけた。


 ミューラは顔を伏せ。それでもコタロウを撫でる手は止めず、おずおずと口を開いた。


「実は、お水が砂みたいな味で……」

「……なるほど」


 コーラやスープで水分を補給していたため、そういえば水を飲ませた記憶がない。コタロウの水を変えてもらうため、水道の使い方は教えていたのだが……。


 水分補給も一筋縄ではいかないとはと、誠司は嘆息する。


 まさか、脱水症状になるから“砂”でも構わず飲めとは言えない。そもそも、この事態を招いたのは、誠司の責任でもあった。


「昨日、コーラばっかり飲んでいたから気づかなかったな。すまない。俺の不注意だ」

「コーラさえあれば良かったんですが……」

「アメリカ人か」


 あきれたようにツッコミつつも、誠司はペットの世話を怠ってしまったような罪悪感を憶える。


「あと、さっきのセージさんは強引で、ちょっとドキドキしました!」


 しかし、その罪悪感は一瞬で消え去った。


「まあ、そうだな。結果としては、ちょうど良かったかもしれない」

「……どういう意味です? セージさんの笑顔が、ちょっと怖いんですけど……」

「笑顔? 俺が?」

「心の目で見れば分かります」


 それはただの偏見ではないかと思ったが、気にする必要はない。

 誰かの主観が集まって形成されているのが世界なのだから。


「ところで、ミューラ」

「なんですか、誠司さん!」

「もう、体調は平気か?」

「問題ありません!」


 なら……と、前置きをしてから誠司が問う。


「お腹空いてないか?」

「食べます!!」


 空腹か否かを問うたにもかかわらず、返答は動詞だった。

 人によっては脈絡を気にするかもしれないが、誠司にとっては好都合。


 玄関に置いていたエコバッグを回収し、そのままキッチンへ移動。誠司が慣れた手つきで次々と取り出しては、冷蔵庫や野菜置き場へとしまっていった。


 ミューラは、対面式キッチンの向こうから、その一挙手一投足をサファイア色の瞳で見つめている。

 コタロウも、キッチンの入り口からつぶらな瞳で見上げている。


 誠司は、期待の視線を綺麗に無視。機械的に整理を終えた後には、個別に包装された肉まんがふたつ残されていた。

 一個あたりの値段で言うと、五個セットになっている商品などと比べると三倍ほどの開きがある。


 今回は数が必要というわけではなかったということ。それから、誠司の予想通りにいった場合、ミューラへのお詫びの気持ちも含んでの選択。

 もちろん、高ければ美味いというわけでもないだろうが、やはり、気持ちの問題だ。


「軽い実験だな」


 そう言いつつ、誠司はパッケージ裏の調理方法に目を走らせる。

 難しいことはなにもない。皿に載せ、少し水をかけてラップをする。そうしたら、電子レンジで温めるだけだ。


 手順通りにしたあとは、ミューラに説明――したりはせず、コンロに置きっぱなしになっていた鍋へ手を伸ばした。


 朝作り、昼食にもしてもらったオニオンスープが入っていた鍋。持ったときから分かっていたが、中身は空。綺麗に全部なくなっていた。


「セージさん、美味しかったですよ!」

「それは良かった」


 残さず食べてくれたことに、感慨はない。ただ、こっちのほうが片付けは楽だし、逆よりはずっと良い。それ以上でも、以下でもない。


 スーツの裾をまくった誠司は手早く鍋を洗って布巾で拭いた。この後――コタロウの散歩が終わってからだが――使う予定なので、またコンロに戻す。

 ちょうどそのタイミングで、電子レンジが鳴った。


 電子レンジから肉まんの載った皿を取り出した誠司は、表情ひとつ変えずにラップを外す。


「わわわっ」


 すると、一気に湯気が立ち上った。


「これは……まあ、食べれば分かるか」

「わたしの扱い、雑じゃありません!?」

「ほら」


 誠司は黙殺してミューラへ肉まんを手渡す。


「あっつつつふぅ」


 両手で交互にキャッチしながらミューラは、その食べ物を観察する。


 見た目であれば、シルヴァラッド森林王国にも似たような食べ物はあった。

 パンの生地を焼くのではなく蒸して、中にプルーンのジャムを詰めたものだ。場合によっては、溶かしバターのソースをかけることもある。

 中流以上の食卓で出てくる料理だが、必ずしもデザートというわけではない。メイン料理のひとつという扱いだ。ミューラも何度か口にしたことがある。


 最上流とも言える王女ではあるが、妾腹のため、良く言えば自由があったのだ。


 それはともかく、異世界でも、人間の発想は似てくるようだ。


 改めて感心しつつ、ミューラは肉まんを口元へと持っていった。


 別にごまかされたわけではない。ただ、同じ口を使うのなら喋るのではなく食べるほうに使用すべきだと判断したに過ぎない。

 大枠でそんな理論武装をして、ミューラは肉まんを口にする。


「アンアンッ!」


 いつの間に移動していたのか。ミューラの足下でコタロウが期待して飛び上がるものの、相手をしている場合ではなかった。


「はぐ……」


 最初に感じたのは、焼けるような熱さ。

 しかし、吐き出すわけにはいかず、皮を噛みきり中身――餡と一緒に口へ運ぶ。


 果たして、ミューラの予想は裏切られた。


「はふはふはふ」


 熱さと戦いながらも、ミューラはしっとりとして、それでいてもちもちの食感を味わっていた。噛みしめている内に、甘みも感じてきた。


 次いで、肉汁が王女の口内を蹂躙する。


 そう。ジャムなどではない。肉だ。豚肉だろうか。


 ジューシーな。スープと呼んでも差し支えないそれは、肉と数種の野菜が織りなす複雑な味わいだ。これを支えるために、もちもちした皮が必要だったのかとミューラは悟る。


 その瞬間、ごくりと嚥下した。

 まさに、腑に落ちたと評すべきだろう。


 そして、想像とのギャップもあったのだろうが、一口で虜になった。


「美味しいけど、熱いです……」

「そうか。美味いか。ところで、回復量のほうは?」

「ん~。ちょびっとですね」


 ミューラの口調からすると、コーラのように味が感じる程度よりは上。しかし、最初に作ったパスタのような料理よりは下といったところか。


 誠司が確認したかったのは、まさに、その点だった。これで、実験の八割は終了したと言って良い。


「なるほどな……」


 ミューラのマグカップに冷蔵庫から取り出した牛乳を注ぎつつ、誠司は満足そうに息を吐いた。


 けれど、ミューラは誠司の感想には気づかない。

 いや、手にした肉まんの存在が大きすぎて、誠司の変化に思い至らないといったほうが正しいか。牛乳も、初めて飲んだが美味しかった。


「アンアンッ!」


 加えて、コタロウまで足下で存在を主張する。

 散歩に行かないのであれば、その食べ物を下賜せよと。


「セージさん……」

「中身は駄目だ。外側の皮なら、少しだけやっても構わない」

「やった! お許しが出ましたよ」


 諸手を挙げて、ミューラが喜びを表現する。そのはしたない動きでワイシャツがめくれてしまったのだが、幸か不幸か、対面式キッチンの陰になって誠司からは見えなかった。


 体を仰け反らしていたミューラは一転。その場にしゃがみ込んで、肉まんの一部を千切った。誠司の言いつけ通りだ。

 しかし、コタロウは。否、野生はより貪欲だった。


「きゃっ。もう、なんで本体を狙うんですか!? ダメですよぅ」


 差し出された肉まんの皮には目もくれず。ミューラが逆の手に握っている肉まん目がけて、飛び上がるコタロウ。

 目と牙をむいて奪おうとするその姿は、まさに獣。


 その瞬間、キッチンから静かな。けれど、厳しい声が発せられる。


「コタロウ」

「きゅうん……」


 怒気がこもった、誠司の声。

 その一喝で、コタロウは耳を伏せその場にお座りをした。


「はわわっ」


 なぜか、ミューラまで同じようにかしこまっていた。


 誠司は内心微笑ましく思いつつ、不機嫌そうな表情を浮かべたままミューラに言う。


「ミューラ、もう一度」

「はっ!? はい。コタロウちゃん、こっちですよ、こっち」


 ミューラが、改めてコタロウの鼻先に肉まんの皮を差し出した。


「アオンッ」


 今度は、ちゃんとそちらだけを口に入れる。


「あうっ。指は食べないでくださいぃ~」


 ――多少勢いが良かったようだが、大きな問題ではないようだ。


 少し粘り気があるためか、頭を上下に振りながら咀嚼し嚥下するコタロウ。

 その姿に触発された――というわけではないだろうが、ミューラも残った肉まんにかぶりつく。

 適温になった肉まんは、先ほどのようなインパクトはないものの、それだけ味をしっかり感じられるようになっていた。少しだけ存在した違和感も、綺麗に消え去っている。


 先の一口で食欲が刺激されたのか、ミューラは止まらなくなってしまった。

 止まる必要もなく、そのままぺろりと一個平らげてしまう。


 そしてミューラは、しゃがんだまま誠司を上目遣いに見つめた。コタロウとの生活が長い誠司は、それがなにを意味しているのか誤解することはなかった。


「実は、もうひとつある」

「……ごくり」

「ただし、今度はミューラにやってもらう」

「…………」

「実験だと言っただろう」


 餌付けではないのだと、誠司はミューラをキッチンへと招き入れた。

 不在の間は、電子レンジを使ってもらう事もあるかもしれない。いずれ憶えてもらうつもりだったのだから、誠司としては予定通りである。


「うう。なんて試練が……」

「異世界に来てしまった以上の試練などない。大丈夫だ」


 覚束無い足取りでキッチンに入ってくるミューラに対し、誠司は一切ぶれない。

 有無を言わせず、個包装された肉まんと、皿、ラップを押しつける。


「自分で言うのもなんですが、容赦なく王女様を使おうとするなんて、セージさんぐらいですよ?」

「……ミューラは親しみやすいからな」


 第三王女などという設定は忘れていた……と言いかけて、誠司は慌てて方向修正した。

 それが奏功したようで――


「ふふん。もう、セージさんは仕方がない人ですね」


 ――ミューラは少しだけ機嫌良く、作業を進めていく。


 もっとも、それは長くは続かない。


「壊れないですよね?」


 指示通り肉まんに水をかけ、やや不格好ではあるがラップをかけたミューラ。

 電子レンジの中に肉まんをセットするまでは良かったが、実際に操作するとなった段階で、不安そうに振り返った。


 けれど、後ろで見守る誠司はいつもと変わらぬ無表情だ。


「壊れても、買い換えれば良い」

「壊れるところを否定してくださいぃ」


 ミューラのある意味で切実な訴えを、誠司は無言でスルーした。

 今はこっちのほうが大事だと、電子レンジの使い方をレクチャーする。


「まず、このボタンを押す。それからこのつまみをひねると時間の表示になるから、任意の所まで回す。最後に、この一番大きなボタンを押すと動き出すから」

「ええと……」


 手を止め、言われたことをミューラは整理していく。

 頭が柔軟なのか。それとも、元の知性の高さゆえか。ミューラはあっさりと操作を憶えてしまった。


「いきます! えいっ!」

「気合いは要らないな」


 だが、あって困る物でもない。

 ぶんと機械音がして、ターンテーブルが回り始める。


「おお! 動き出しましたよ、セージさん!」

「優秀だな」

「へへん。もっとほめても構わないんですよ?」

「優秀すぎるのも困りものだけどな」

「どうして上げて落とすんですかぁ!?」


 転移呪文に成功しすぎて(・・・・・・)地球へやって来たミューラが、涙目で誠司の胸を叩く。


 そうやってじゃれついている間にも、電子レンジは命令に従って動き続ける。

 やがて指定した時間の加熱が終わり、ピーッと電子音を発して動きを止めた。


 将来的に、ミューラの中で電子レンジの音は「なにか美味しい物が出てくる音」として認識されることになる。


 だが、今回は、まだその時ではなかった。


「うう……」


 喜び勇んで二個目の肉まんを口にしたミューラが、涙目を浮かべる。


「セージさぁん……」

「やっぱり、そうなったか」

「分かっててやらせるなんて、ひどいですぅ……」

「だが、必要な犠牲だった」

「被害者! わたし、被害者ですよね! 労って下さい!」

「少なくとも、俺は加害者だろうな」


 今度の肉まんは砂の味だった。

 それをミューラはうるうるとした瞳で訴えかけるが、誠司は想定通りだと涼しい顔。


「お陰でひとつ前進したし、そういうときに犠牲は付きものだ」


 誠司はそう言うと、ひょいとミューラから肉まんを取り上げて、自分の口へ運ぼうとし……先ほどまでとは意味の違う視線を向けられて、その動きを止めた。


「あ、あの……。あたしの食べかけ……です……けど……?」

「捨てたほうが良かった?」

「いえいえ、それはダメですけど……」


 期待と不安が入り交じったような表情のミューラ。

 誠司は、誤解されているのだろうと思いつつも、口ではなにも言わない。


 ただ、行動で示す。


 ミューラが口を付けた辺りを千切って、そちらは捨てる。そして、残った部分を口にするという行動で。


「安心しろ。俺も、人並みのデリカシーはある」

「そう言う人に、デリカシーがあった試しはないです!」


 ミューラがなにを言っているのか、ちょっと分からない。


 まあ、それはいつも通りと言えばいつも通りなので、誠司は無視して肉まんを口にした。


 普段は夕食前におやつ――というには、いささか重たいが――など口にしないのだが、実験の一環だから仕方がない。

 このあと、コタロウの散歩にも行くのだし、問題はないだろう。


 ミューラよりも大胆にかぶりついた誠司が最初に感じたのは、しょうがのさわやかな香り。それが口内に広がっていく。

 熱さにも平然と食べ進めていくと、肉汁ともっちりとした皮のハーモニーを感じる。肉まんの醍醐味だ。


 同時に、それもさることながら、たけのこの歯触りが面白い。


 しかし、食べ進めていくうちに、少しくどく感じられてきた。辛子か酢醤油あたりで、味を変えたくなる。

 一気に食べてしまったミューラとは違う。好みというよりは、年齢によるものだろうか。


 そう思いつつ、結局、そのまま食べきってしまった。


 うらやましそうなミューラの視線を無表情で跳ね返し、誠司は炊飯の準備を初めた。

 炊飯器は、電子レンジの下。冷蔵庫と食器棚に挟まれた、ラック設置されている。


「それで、セージさん。実験、実験って。結果はどうだったんです?」

「そうだな」


 これでもかと頬を膨らませて聞いてくるミューラ。


「サンプルが少なすぎて断定はしたくないんだけど……」


 誠司は米を研ぎながら――とりあえず、二号で良いだろう――とりあえずの結論を出した。


「どうやら、食物に魔素(マナ)が発生するのは、俺がなんらかの手を加えた場合のみのようだな」


 ミューラが味を感じられるようになる程度の魔素(マナ)であれば、電子レンジで温めるだけでも発生する。

 そして、それが出来合いの物でも構わない。極論だが、昨日のピザも、食べる前に温めてやれば、あんな惨事が発生することはなかったのだろう。


 飲み物に関しても、それは同じ。


 コーラに味があり、水にはなかった。


 その違いはシンプル。


 コーラは誠司がグラスに氷を入れ、誠司が注いだ。

 一方、今日ミューラが飲んだ水は、自分でコップに注いだ。


 それだけなのだ。


「つまり、わたしはセージさんが手をかけてくれないと生きられない体に!?」

「大丈夫だ。故郷に帰れば、俺なんか必要なくなるぞ」

「逆に言うと、こっちにいる限り、わたしはセージさんに隷属するってことですよね!」


 ミューラは、笑顔で言い切った。

 誠司は、思わず天を仰いだ。


「それは、隷属ではなく依存だな」

「同じですよぅ。セージさんに生かしてもらう身ですからね!」


 奴隷なのに寄っかかる気満々だった。

 堂々と縛る物のようなことを宣言して、花が咲くような笑みを浮かべるミューラ。けれど、美しく気高い。音声をオフにして、静かに手でも振らせたら王族の見本になりそうだ。


「別に、俺だけとは限らないけどな。他の誰かでも問題はないはず。いや、」

「他の誰かって、どうやって探せば良いんですか」


 米を研ぐ手を中断して、誠司は思わずミューラの顔を見つめてしまった。


 にこにことしたその笑顔に、邪気は一切感じられない。

 サファイア色の瞳にも、桜色の唇にもだ。


 それにもかかわらず、誠司には一種の脅迫とすら感じられた。


 ある一線を越えると、借り主は貸し主よりも立場が強くなる。誠司は、カエサルに金を貸したクラッススの気持ちが分かるような気がしてきた。


 米を研ぎながら、だが。


「もっとも、まだまだ足りないことが多いけどな」

「分かりました。セージさんが気にしているのは、なにを食べたらどれくらい魔素(マナ)が回復するかですよね?」

「ミューラは、たまに核心をついてくれるな」

「え? ほめられてます? ほめてるんですよね? でも、なんでたまになんて限定するんです?」

「……ちょっと待っててくれ」


 研ぎ終えた米を炊飯器にセットし、浸水が不要のタイプなのですぐにスイッチを入れた。


 そして誠司は、ミューラをキッチンに残して自室へと戻っていった。コタロウがそれを追うが、部屋の前でシャットアウト。

 子犬時代に、誠司の部屋に入り込んだ際、本をかじって以来出入り禁止になっているのだ。


 コタロウとともに、待つこと数分。


「あの……セージさん……?」


 そのマイペースさにミューラが不満ではなく不安を抱きかけたところ、スーツを脱いで普段着に着替えた誠司が戻ってきた。


 紙を一枚持って。


「なんですか、これは……」

「チェックシートだな」


 休憩時間中にタブレットで作成した書類には、単純な表が描かれていた。

 一番左側の列には、今までに食べた料理が既に記載されている。真ん中の列には、味。そして、右側には回復した魔素(マナ)の量を記入させ、その相関関係を調べようというのだ。


 味は1~5の五段階。

 魔素(マナ)の回復量に関しては、一日毎の魔石への目標貯蔵量を設定し、それに対する割合を算出させるつもりだった。


「これからは、食べながらこれを書いてもらう」

「お料理はお料理で楽しみたいです!」


 誠司がスーツから着替えてしまって残念……などという気持ちは、どこかへ行ってしまった。それどころではない。


「楽しんでくれ」

「ですので、こういうのを書きながらだと心赴くままに楽しめないと言いますか……」

「そこは、なんとか折り合いを付けて欲しい」

「丸投げですか!?」


 妥協するつもりがなさそうな誠司を前に、ミューラはため息を吐く。

 必要なことだとは理解できるので、あまり強く抗議もできない。


「俺は、コタロウの散歩に行ってくる」


 散歩という単語に反応し、コタロウが後ろ足で立ち上がり、誠司の足にしがみつく。待たせやがって、離さないぞという強烈な意思を感じさせた。


「なので、それが終わるまでに書いておいてくれ」


 追加でシャープペンシルと消しゴムを手渡し、いや、押しつけながら誠司は言った。


「セージさん、もうちょっと、こう、手加減というものを……」

「はっきりはせないと、気分が悪いんでな。そのためになら、鬼にでもスパルタにでもなろう」

「……そうですよねって、あれ?」


 同意しかけて、ミューラがはたと気づく。


「わたしのためじゃなくて、条件をはっきりさせるためみたいに聞こえるんですけど?」

「さ。行くか、コタロウ」

「セージさぁん!?」


 喜び勇んで、コタロウが外へと出て行く。それに引っ張られるようにして誠司も。


 ミューラの抗議は、ぱたりとしまった玄関のドアに遮られてしまった。

書き始める前の作者「一話一万文字予定のところが今のところ約一万五千文字になってるけど、そろそろ文字数も減るだろ」

途中まで書いた作者「一万文字書いても、本番の料理に入らない……だと……?」


というわけで前後編。続きは、運が良ければ明日。あるいは、順当に来週です。


・追記(09/26)

すいません。後編も一万文字書いても終わらなかったので来週の更新となります。

お待たせして申し訳ありませんが、ご理解いただきますようお願いします。

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