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ミューラ・シルヴァラッドの帰還(前)

お待たせしました、後日談を投下します。

本編のラストからそのまま続きますので、ご注意ください。

「いただきます」


 ダイニングテーブルに並んだ料理を視界に収めたミューラは、神妙な口調で食前の挨拶を述べると恭しく箸を手に取った。

 その所作は優雅で思わず見惚れてしまうほど。さすが高貴な血を継ぐ者と出自を感じさせる。


 けれど、ミューラはそこで動きを止めてしまう。


 どれから手をつけるべきか、すぐには決心がつかなかったからだ。


 茶碗にこんもりと盛られた白いご飯。さすがに炊きたてというわけではなく冷凍していた物を温めただけだが、湯気が立ち上り甘い香りがする。

 それでなくても久しぶりの白いご飯だ。意識せず、喉が鳴った。


 湯気を立てているのは、その横のみそ汁も同じだ。

 具は、油揚げとキャベツ。それに、タマゴ。タマゴは半熟のようで、そのとろっとした濃厚な味を想像するだけで食欲が刺激される。

 完全にミューラ好みの組み合わせ。帰ってきて良かったと、思わず相好が崩れてしまう。それと同時に、ミューラはきつく紐で縛られたドレスのお腹の辺りを押さえた。


 そろそろ、空腹が危険水域に突入している。もう、これと佃煮でもあれば何杯でもご飯をおかわりできる。


 だというのに、もちろんこれで終わりではなかった。


 メインのおかずは、豚肉の生姜焼き。

 使っているのは、脂身の多い――つまり、ミューラ好みの――バラではなく、豚ロース。しかし、ミューラに不満はない。


 生姜焼きにするなら、やはり肌理が細かく、肉質も柔らかなロース。バラも悪くはないが、やや脂がくどい。


 その点、ロースはバランスが絶妙。一緒にタマネギも炒められていてボリュームもある。添えられた千切りキャベツも嬉しい。


 これをほんの15分ほどで用意した誠司はすごい。


 ミューラは、改めて誠司への尊敬の念を強くした。同時に、どんな手順で作っていったのかも分かる。ズッと見続けてきたのだ。分かってしまう。

 まず、みそ汁を作るためにキャベツを刻んだに違いない。その流れで、キャベツも千切りにして水にさらす。

 次にタマネギを薄切りにして、それと並行して生姜焼きのたれを作ったはずだ。あとは、みそ汁の火加減を注意しつつ生姜焼きを作っていくだけ。


 端から見ると淀みのない手つきで、それなのに大したことではないと。それどころか、手抜きで申し訳ないとでも思いながら仕上げたに違いない。


 ミューラの平均を遙かに超える胸に、暖かいものが宿る。


 もう、限界だった。


 悩んでいる場合ではない。


 ミューラは欲望の赴くままに、箸で肉を掴んだ。

 白いご飯が食べたいと言ったのに、肉へ行ってしまう。そこに多少の葛藤がないではなかったが、もう、取り繕っている場合ではない。


 遠慮も遅滞もなく15cmほどあるロース肉にかぶりつき、半分ほどを咬み千切った。


 その途端、ショウガの風味が効いた甘辛のたれが口内を蹂躙する。柔らかだがやや淡泊なロース肉に、その濃い味付けはよく合う。


 それだけではない。


 白眉なのは、ふちの脂身の部分。旨みが凝縮されており甘い。つまり、美味い。この脂身のために食べていると言っても過言ではなかった。


 そんな思いとともに咀嚼し、ゴクリと飲み込む。


「ふわあぁぁ……」


 感動で、ミューラの体が震えた。


 別に故郷の料理が不味かったとか、そういうわけではない。食べ慣れた物が一番美味しいというのは、真理だ。


 けれど、その意味であれば誠司の料理はすでにミューラの血と成り肉と成り魔素(マナ)となっている。


 美味しくないわけがないのだ。


 生姜焼きの残りを、今度はご飯の上に乗せる。そして、そのまま一緒にかきこんだ。


「うううう……」


 思わず、ミューラから呻き声がもれる。もちろん、苦痛ではなく喜びの呻き声だ。


 肉と白いご飯。

 ただでさえも最高の組み合わせなのに、生姜焼きのたれがさらに食欲をかき立てる。

 甘辛い――つまり、白いご飯と最高の相性を持つ生姜焼きのたれ。それが染みこんだ白米と一緒に肉を食らう至福。


「幸せそーに食べるわねぇ」


 半ば呆れたような有朱の声。

 もちろん感心しているわけではないが、ミューラは我が意を得たりと笑顔でうなずいた。


 幸せ。そう、もはや美味しいを通り越して幸せなのだ。


「セージさん、わたし幸せです」

「それは良かった」


 誠司にしては、素直な反応。

 それも当然で、誠司は小さなコタロウを目で追っていたため返事も考えたものではないのだ。


 そんなことは気付かず、ミューラはみそ汁を飲んで口の中をさっぱりさせる。

 みその香りと出汁の風味が全身に染み渡っていった。タマゴ本体にはまだ手をつけていないが、キャベツにくっついたその破片が妙に嬉しい。


 本当に優しい味だ。


 同時に、次の一口への活力が湧いてくる。


 今度は、野菜と一緒に生姜焼きを食べることにした。


 タマネギのしゃきしゃき感に、ふんわりとした千切りのキャベツ。それらも一緒に口にすることで異なる食感が弾ける。

 特に、たれがかかったキャベツは、ただの野菜ではない。旨味をたっぷりと吸いこんで、肉に準じる存在へと昇華されていた。


 これでもう、ミューラのリミッターは外れてしまった。元々ついていたのかどうか疑わしいという意見もあるだろうが、現時点においてついていないことには変わりない。


 肉を食べ、肉とご飯を食べ、肉と野菜を食べ、みそ汁を飲み――


「セージさん、おかわりください!」


 ――ご飯とみそ汁を追加したにもかかわらず、あっという間に食べきってしまった。


「ふー。ごちそうさまでした!」

「お粗末様」


 まったく変わらないミューラ。

 その姿に誠司としては珍しい苦笑を見せつつ、誠司は湯飲みに緑茶を注いだ。


 ミューラ愛用の可愛らしい子犬が描かれた清水焼の湯飲み。それを鼻歌でも歌いそうなぐらい上機嫌に手にし、食後の緑茶を美味しそうに啜りながら、ミューラはおもむろに口を開く。


「というわけで、セージさん」

「なんだ?」


 食器類をまとめて台所へと運ぼうとしていた誠司が、足止めずに聞き返す。その足下を、小さなコタロウがちょこまかと追跡する。


「提案があります」

「……聞くだけ聞こうか」


 誠司はそれに気を取られ、半ば上の空でミューラの言葉を聞いていた。それは同席する有朱も同じで、どうせ大した話ではないと高をくくっていた……のだが。


「わたし、子供を作るべきだと思うんです」

「あいたぁっ。って、子供!?」


 突然の爆弾発言に、有朱は額をダイニングテーブルに打ち付けた。

 しかし、その痛みは無視して昂然と顔を上げる。黙ってなどいられない。


「な、ならアタシも作る!」

「え? アリスちゃんもですか?」

「ミューラが言っているのは、有朱が想像しているような話じゃないぞ」


 食器の汚れを簡単に洗い流してから水に浸け、誠司はキッチンから冷静な声で否定する。もし万が一違っていなかったとしても拒否するだけなので、結果は同じことになる。


「ええっ!? セージくんの子供を産むって話じゃなかったの?」

「違います。それは将来的な課題としてですね。是非、関係各所で前向きに検討をしていただきたいという気持ちを表明しておきたいと思います」

「……あんまり違ってなくない? なくなくない?」


 前触れもなく誠司の下へ戻ってきた、シルヴァラッド森林王国第三王女ミューラ・シルヴァラッド。

 銀髪の姫はサファイア色の瞳に真剣な光を灯し、目の前に座る誠司へと持論を語り始める。


「コタロウちゃんの子供ですよ、コタロウちゃんの」

「ああ……。なるほど、コタロウのね」


 有朱が、ようやく得心がいったと大きく息を吐く。

 そんな有朱の前に、冷たい麦茶が入ったコップを置いて、誠司はダイニングテーブルに戻った。


 小さなコタロウを膝に抱いて。


 そのコタロウは、興味津々とテーブルに前足を置くと頭を左右に動かしてふんふんと匂いをかぎ始める。

 愛らしいその姿を誠司は優しい瞳で見つめていた。


「あ、セージさん。わたしも麦茶欲しいです」

「……有朱、頼む」

「え? アタシ!?」


 仕方がない。コタロウが膝に乗っているので動けない。仕方がない。

 煮出した麦茶なので、誠司が注がなくても問題ないだろう。いや、有朱であれば、そもそも問題はないはずだ。


「もー。こんなサービスするの、セージくんだけなんだからね!」

「感謝してる」

「あの? サービスを受けるのって、わたし。わたしですよね? ね?」


 可愛らしい湯飲みを両手でいじくりながら確認するミューラ。

 しかし、誰も応えてくれない。


 誠司はコタロウを支えるので忙しく、有朱もキッチンへ行ってしまったから。


「うう……。お母様もリッリも骨抜きにした小さなコタロウちゃんの魔性がセージさんにまで……」

「まあ、感謝はされてるわよ」

「ですよねー!」

「感謝は、愛情とは最も遠い感情だと思うけど」

「そうやって、上げてから落とすの止めてもらえません!?」


 抗議はしつつも、麦茶を持ってきてくれた有朱に「ありがとうございます」とお礼を言ってから、冷たい麦茶で喉を潤した。

 そして、思い出したように続きを語り始める。


「というわけで、コタロウちゃんの子供なんですよ。子供がいれば、寂しくないですから。繋いでいくんです!」

「まあ、一理あるかもしれないが……」


 突然の暴論にもかかわらず、誠司に狼狽の気配はない。過去、そのアイディアが一度も頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。


「でも、また若返らせればいいだけじゃないの?」

「最初はちゃんと効き目がありますが、二回目、三回目になると、ちょっと保証ができないんですよね」

「魔法といっても、完全なものではないだろうからな」


 完全であれば、ミューラがここに来ることもなかったはずだ。


「しかし、コタロウの子供か……」

「女の子を増やすのが早道ですかね?」

「そうなんだろうが……」


 ミューラはサファイア色の瞳をきらきら輝かすが、誠司は易々とうなずけない。


「えさ代とか費用はこの際考慮から外すにしても、散歩の手間は増えるし、子供も一度に3匹や4匹生まれるはずだ。全員は飼いきれないし、里子に出すのも引き受け手がな……」

「その辺は、アタシが協力してもいいけど、どうなるか分かんないわよ」

「じゃあ、離宮で飼いましょうか」

「そんな気軽に行き来できるのか?」

「リッリの目を盗んで、お母様の協力を得られれば大丈夫です!」

「逆じゃないのか……」


 生まれてからのことはともかく、その前の部分でもハードルは多く高い。

 すぐには結論も出せそうにないし、子犬になったコタロウではあまりにも時期尚早。とりあえず先送りにすべきだろう。


「まあ、それはいずれきちんと考えるとして……」


 それに、誠司の目の前には、もっと差し迫った問題があった。


「ミューラは、これからどうするつもりなんだ?」

「末永く、誠司さんに養って欲しいと思っています」

「じゃあ、アタシはセージくんを養ってあげる! 永久に!」

「止めてくれ、どっちも……」


 セージは頭を抱えそうになる。

 最悪だ。一回りは違う少女たちから言われている辺りが特に。


「真面目な話、なるべく早く帰ったほうがいいのか。それとも、休暇みたいなものでしばらくいられるのかだけでも聞いておきたいんだが」

「う~ん。魔素(マナ)が溜まったら、あっちと通信して相談するつもりです。それじゃ、ダメでしょうか?」

「家出してきたってわけじゃないんだよな?」

「一応、お母様の了承は得ています」

「魔石を持ってこなかったのは?」

「あははははは」


 そこは、故意犯だったらしい。


「まあ、最初は一年かかるかもしれないって話だったんだ。それを考えれば、一回帰っている分ましか」

「ですです」

「俺としては歓迎するけど――」

「聞きましたか、アリスちゃん。セージさんが、わたしを歓迎するって。長かった。ここまで来るまで、長かったですよ……」

「歓迎してるのは、コタロウを連れ帰ってきたミューラじゃないの?」

「きーこーえーまーせーんー」


 両手を耳に当てて頭を振って拒絶するミューラを、誠司は黙って眺めていた。

 もちろん、コタロウの件に関する感謝の念は、千言万語を費やしても足りない。


 だが、ミューラを歓迎する気持ちはそれだけではない……はずだ。


 もちろん、口に出すことはないが。


「というか、ミューラは落ち着いて転移? ってのができないの? こっちから帰るときなんかも、ちゃんとセージくんに説明してからやれば良かったのに」

「それは、申し訳なかったと思うんですが……」


 本当に悪いと思っているのだろう。

 恐る恐る、ミューラが誠司に視線を向ける。


「いや、結果として事後承諾で良かったんじゃないか」


 しかし、誠司は静かに首を横に振った。

 あのときの自分は、明らかに正常ではなかった。そんな状態でコタロウを若返らせるなどと言われても、まともに反応できたとは思えない。


 これで良かったのだ。


 小さなコタロウを抱き上げ、片手で全身を撫でながら誠司は思う。


「まあ、セージくんがそう言うならアタシは別にいいんだけど……連絡ぐらいはしなさいよね。どれだけ心配したと思うのよ!」

「連絡……ですか?」

「そーよ。あの鏡でテレビ電話できる呪文よ」

「あ……」


 本当に忘れていたらしい。

 ミューラが、横を向いてへたくそな口笛を奏でる。


「鏡越しでしか通信できませんから、セージさんがいつ鏡の前に立つか……」

「朝なら、必ず身支度のためいるわよね」

「ですよねー! ごめんなさい! 完全に忘れていました!」


 ごまかせないと観念し、ミューラがその場で体ごと深々と頭を下げる。

 テーブルの上で、むにゅっと胸のたわわな果実が潰れ、それを、浅野内匠頭が吉良上野介を見るような目つきで見つめる有朱。


「まあ、あっちでいろいろ忙しかったんだろう」


 誠司はフォローをするが、それは優しさというよりは、今さらだという合理性から発せられた言葉だった。

 ミューラとコタロウがいなくなった間は、自分でも直視できないほど酷かったが、それも過ぎ去ったことだ。蒸し返しても仕方がない。


「そうなんですよ! 蘇らせた転移呪文の件もレポートにまとめなくっちゃいけなかったですし、お母様の呪いを解くために儀式の手伝いをしたりとかありまして。それなのに、地球へ帰りたいって言っても許してくれませんし」


 ミューラとしては頑張ったのだからご褒美が欲しかったという意味で言っているのだろうが、それだけ有能なら逃がす手はない。

 そもそもミューラは妾腹の第三王女とはいえ王族であり、本来、軽々しく動いていい人間ではないのだ。


「本当は、セージさんの手が入っていなくても、味だけは分かるような魔法も作りたかったんですけど」

「それは……」


 もしそれができたら、ミューラのためにはいいことだなと誠司は素直に思う。

 所詮、誠司の料理は家庭料理。しかも、男の料理だ。世界には、もっと美味しい物がたくさんあるのだ。それを味わえないのでは、もったいない。


「もちろん、セージさんの料理がナンバーワンですけど。それはもう、間違いなく」

「そんなこともないだろう」

「ありますよぅ!」

「別に、気にする必要はないんだけどな」


 誠司としては親切心で言っているのだが、ミューラからは拗ねているように見えたらしい。

 なにか思い詰めたような表情で、ミューラが決意を語る。

 

「分かりました! 呪文を作ったりなんかしません!」

「いや、作っていいから」

「いーえ。セージさんを裏切るようなことできません」

「裏切るもなにもないだろう」


 押し問答を続ける誠司とミューラを横目に見つつ、有朱は深いため息を吐いた。安堵と、あきれと。その他、言葉にならない感情がブレンドされたため息だった。


「とりあえず、元通りってことでしょ?」

「……そう、そうですね。元通り、的確でいい言葉です!」

「そういうことにしておくか」


 もちろん、完全に元通りというわけではない。


 コタロウなど若返ってしまったし、誠司が沈んでいた期間もなくなったりはしない。人は日々変化していき、望むと望まざるとに関わらず同じではいられない。

 それに、これはある意味元通りではあるが、ミューラだっていつかは帰らなければならないはずだ。


 それでも、今、この瞬間は。


 元通り(・・・)、三人と一匹が揃っていた。





「ゥワンッ! ゥワンッ! ゥワンッ!」


 頭上を越える手のひらサイズのサッカーボールを追って、コタロウがフローリングの床を駆けリビングの窓際へと走っていく。

 老犬だった以前よりも速度は劣るが、動きは俊敏で若々しいく、声も甲高い。


 ミューラとコタロウの帰還から約三週間。


 三浦家は騒がしい日常を取り戻しつつあった。


 繁忙期を抜けた誠司は従来通りミューラとコタロウの世話を焼き、ミューラは家事とゲームに勤しみつつ最近はなにか書き物をしているようだ。

 進級を控えた有朱も、学校にモデル・声優としての活動をしつつ三浦家に顔を出している。


 その中で、まだ完全に日常を取り戻せていないのはコタロウだろう。


 小さすぎて、散歩に出ることができないのだ。


 今のコタロウは、まだ、生後二ヶ月といったところ。もう少ししないとワクチンも打てないし、散歩はその後からということになる。こればかりは、時間が解決してくれるのを待つしかなかった。


 しかし、どうやら意識というか記憶は引き継いでいるため、コタロウ本人は散歩を求める。


 そのため、代わりに室内で運動をさせているのだった。


 朝からそれに付き合っている誠司は、しかし、いつも通りの無表情ではなく渋面。


 なぜなら、ボールを取りに行ったはいいが、その場でボールに噛みついて持ってこようとはしないのだ。恐らく、生えたての歯がかゆくてやっているのだろうが、実に虚しい。


「終わりにするか?」

「キャウン! キャウン!」


 言葉は通じていないだろうが、そう言うとコタロウは焦ってボールを誠司の下へと運んできた。


 だが、簡単には離そうとしない。


 ボールに手を伸ばした誠司を威嚇し、両手でブロックし、それでもなお抜けてきた手を甘噛みする。


「こら、汚れるから」


 そうは言いつつも、誠司も手は引かないし、怒りもしない。愛犬とのじゃれ合いに、いつもの無表情が崩れかけていた。


「ほら、行け!」


 もう朝も9時近いので、隣の寝室でミューラが寝ていても遠慮はしない。

 コタロウから小さなサッカーボールを奪い取り、何度か投げる真似をして焦らしてからまたリビングへと投げるが……少し、失敗した。


 ボールはリビングの液晶テレビの後ろへ飛び、家具と壁の間に落下してしまったのだ。


「ゥワンッ! ゥワンッ! ゥワンッ!」


 コタロウはそんなこととは無関係に落下地点へと走って行くが、たぶん、取れないだろう。


 誠司はコタロウの攻撃で汚れてしまった手を洗ってから、リビングへと移動する。自分でボールを回収し、再開するつもりだったのだが……。


「コタロウは、花咲か爺さんにも出演できそうだな」


 小さな体を無理矢理突っ込んでボールを取り出しただけでなく、ほこりまみれのディスクケースまで引っ張ってきていた。


「クゥゥゥゥン」


 おすわりの姿勢で、誇らしげに誠司を見上げて尻尾を振るコタロウ。

 誠司は、そんな愛犬の頭を撫でながら、もう片方の手でディスクケースを持ち上げる。


 どうやら、レコーダーで録画した番組をディスクに書き出した物のようだった。誠司はそんなことをしないので、家族がやったものだろう。

 それが、地震かなにかで家具の裏に落ちてしまったといったところか。


 ティッシュでほこりを払うとディスク自体に、油性ペンでタイトルが書かれているのが見えた。


「へえ……」


 意外なタイトルに、誠司が珍しく驚いたような声をあげる。


 そこには――


『シャーロック・ホームズの冒険』


 ――と、書かれていた。

後編は、上手くいけば来週更新できると思います。

ついにシャーロック・ホームズですが、グラナダTVのドラマ版と絡めていくことになるかと。


それでは、後日談もよろしくお願いします。

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