第二話 はじめてのハンバーグ
「本当に、俺だけ出かけなくちゃいけないのか?」
玄関で靴まで履いた――というよりは、脱がせてくれなかっただけなのだが――誠司の言葉は、確認というよりは不服に近い。それは、何事にもデジタルに対処する誠司にしては、非常に珍しい反応だった。
そうかといって、怒っているわけではない。
180cmはある長身は黒いコートに手編みのマフラーで覆われているものの、威圧感は皆無。そして、これまた非常に珍しいのだが、細い瞳には困惑の色があった。
「大丈夫です。このわたしに、どんとお任せください」
誠司の懸念に気付くことなく、可憐な。それでいて、気高さすら感じられる佇まいで誠司を送り出そうとしているのが、異世界の王女ミューラ・シルヴァラッド。
日本人、いや、現実離れした銀髪とサファイア色の瞳と相まって、まるで魔王を討伐する勇者を見送っているヒロインのようだ。
誠司を勇者と呼ぶには、あまりにも覇気に欠けてはいたけれど。
「たぶん、三時間ぐらいでお呼びできると思いますから」
異世界から転移魔法の大成功で地球へと迷い込んだミューラは、散歩から帰ってきたばかりのコタロウを胸に抱き、無防備で無邪気な笑顔を浮かべていた。
ボーダーのニットワンピースを身に纏ったミューラに、不安の色は一欠片もない。
「わたしと離ればなれになるのは身を切られるような辛さでしょうが、ぐっとこらえてくださいね」
「違う、そうじゃない」
ミューラがポジティブすぎて、なんと言っていいものか分からなかった。
誠司は、ますます悩みを深くする。そこへ、ミューラに抱かれたままだったコタロウが体を伸ばして鼻をペロペロと舐めた。
まるで、慰めるかのように。
「コタロウ……」
分かってくれるのはお前だけだ……と、誠司がコタロウへ手を伸ばそうとした刹那。ミューラが体を引き、一人と一匹を引き離す。
「もう、コタロウちゃんはお留守番ですからね。というわけで、セージさんは、外でわたしからの朗報をお待ちください」
「その自信は、どこから……。いや、聞きたいわけじゃないから説明しなくていい」
「ふふふふふ。どうやら、セージさんもわたしの実力を認めたようですね」
額を抑え、誠司は静かに頭を振った。それは、否定であり、同時に諦念の表れでもあった。
「あはは。まあ、アタシもいるから、アニメの料理下手キャラみたいなことにはならないわよ」
乾いた笑いを浮かべながら――それでも、魅力的だった――有朱が最悪の事態にはならないと請け負った。
艶やかな金髪をポニーテールにし、青のソフトカーディガンと2Wayミニスカートといったファッションに身を固めた有朱。
同年代でも抜きん出た容姿をした有朱が、今日は一際輝いていた。
「……あとは頼んだぞ」
いっそ悲壮感すら漂わせ、誠司は有朱の肩に手編みの手袋で覆われた手を置いた。それだけでなく、すがるような雰囲気すらある。
実際、有朱だけが頼りだった。
「セージくん……」
歓喜にか、有朱はぶるっと震える。頼りにされたのが嬉しかったのだろう。決して、普段は山のように揺らがない誠司の弱った姿を目にして感情が刺激されたわけではない。
ないはずだ。
そこにずいっと割り込んで、ミューラが頬を膨らませてから口を開く。
「では、できあがりそうなタイミングでお呼びしますからね!」
「……やっぱり、俺が家を出る理由はないと思うがな」
最後にそう言って、誠司は家から追い出された。
散歩から戻った直後だけに、さすがの誠司も途方に暮れる。
今日は、有朱が来てミューラに料理を教える。
それは把握していたものの、その間、外に出されるとは思わなかった。料理をしているところを見られたくないのであれば、部屋で大人しくしていると言う暇もなかった。
これが乙女心というものか。
(さて、どうするか……)
エレベーターへ向けて歩きながら、誠司はこれからの行動を考える。乙女心に関しては、考察を放棄した。どの角度から検討しても、建設的な知見が得られるとは思えなかったからだ。
ともかく、タイムリミットは三時間。
この寒さだ、外で過ごすのは論外だろう。
誠司の足は、自然と近所のショッピングセンターへと向かっていた。ここには、映画館もゲームセンターもボーリング場もある。
時間を潰すことは容易と思われたが、映画は予定より早く呼び出された場合に対応が難しいという欠点がある。
そして、ゲームセンターとボーリング場に関しては、完膚なきまでに誠司の趣味ではない。
自然と、遥か以前から決まっていたかのように、一瞬の遅滞もなく、誠司の姿はショッピングセンター内の書店へと吸い込まれていった。
児童書の売り場を通り過ぎ、マンガのコーナーに差し掛かったところで、誠司は足を止めた。
最近はすっかり読んでいないが、これで昔は――と言っても、小中学生の頃までだが――それなりに漫画を読んでいた。
それが今のような読書傾向にシフトしたのは、どうしてだったか。
色とりどりの煌びやかなカバーを眺めつつ、誠司は、記憶を探る。
(そうか。金がなかったからだな……)
それでも、本を買わないという選択肢は存在しない。
だから、誠司が重視したのはコストパフォーマンスと安全性。
コストパフォーマンスは、単純に、同じ金額でどれだけの時間を楽しむことができるか。その基準で言えば、どうしてもマンガは小説に勝てない。
そして、安全性――いかにして駄作を避けるか。
学生時代の誠司は、こう考えた。
つまらない作品を、わざわざ翻訳することはないだろう――と。
その、今にして思えば穴だらけの取捨選択と、幼少期の読書体験が合わさって翻訳ミステリィの道に入っていったのだった。
思わぬところでルーツを思い出した誠司は、足早に翻訳小説の棚へと移動する。
そして、棚を目にした途端、すべて吹き飛んだ。ミューラのことも、有朱のことも、一時忘れた。
クイーンの国名シリーズが揃っていた。『悲劇シリーズ』は当然、『中途の家』、『フォックス家の殺人』、『九尾の猫』など代表作は一通りある。
ヴァン・ダインは、新訳の『グリーン家』と『僧正』しかなかった。せめて『ベンスン』も揃えて欲しいところ。
クリスティも代表作は一通りあるようだ。一方、『黒後家蜘蛛の会』は中途半端な巻しかない。これは、売れて補充が間に合わないのだと思うことにした。
チャンドラーは、冊数が少ないこともあって全巻あった。そうでなくてはと、誠司は意味もなくうなずく。ハードボイルドは不滅だ。
一方、ホームズの『正典』がすべて揃っていることに関して感慨はない。むしろ、ホームズ以外のドイル作品もこれくらい扱って欲しいと思ってしまう。
はっきり言ってしまえば、この辺りの作品はだいたい家にある。それでも、どんな作品と出会えるのかとドキドキしてしまう。不合理だし、他人から見れば下らないと思われるだろうが、構わない。
やはり、書店で実際に本と対面するのは特別だ。持っている本だろうと関係ない。ワクワクして仕方がない。
(……とはいえ、見ているだけで三時間も潰すのは迷惑だな)
ひとしきりラインナップを確認したところで、誠司は正気に戻った。同時に、せっかくだから、一冊買って喫茶店で読んでしまおうと行動計画を決定する。
誠司は、心が高揚するのを感じていた。
本などいつも読んでいるが、こういう突発的で限定された状況だと、また違った読書体験がある。
やはり、本はただ内容を追うだけではない。それを読んだ状況――自室、図書館、通学途中、授業中など――とも記憶が関連づけられるものなのだ。
そんな思いとともに、誠司は本を選ぼうとするが……。翻訳ミステリィの棚は既読の作品ばかり。再読も悪くはないが、それではつまらないと思ってしまう。
未読の作品と言うことになると、自然と隣のSFコーナーへと移動することになる。
だが、そうなると今度は、なにが面白いのか分からない。誠司もタイトルだけであれば何作かは知っているが、それが逆に萎縮する原因となる。
なにより、そういった作品は厚みがあって、ミューラに呼び出されるまでに読み切れるか自信がない。いや、自信がないのは、そうなった場合、読み切る前に家に帰るかどういう部分か。
そんな葛藤を表に出すことなく、視線だけでタイトルを追い――ある一点で止まった。
その先にあるのは、平積みにされた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
SFの古典と言って良い作品だが、誠司は未読だった。
確か、アンドロイドを殺す賞金稼ぎが主人公で、映画の原作にもなった作品だったか……と言う知識しかない。不勉強かもしれないが、SFの道には進まなかったのだから仕方がない。
新刊というわけでもないだろうに、なぜ平積みなのか。そんな些細な疑問とともに誠司は手に取った。
適度な厚み、文字も詰まっているわけではない。そして、帯を見ても、平積みされている理由は分からなかった。
「これにするか」
本読みの直感。
そんなものがあるのか分からないが、誠司は確信とともに黒の背景に黄色で羊が描かれた文庫本をレジへと持っていった。
「さあ、セージさんのために頑張りましょう!」
ニットワンピースの上からエプロンを身につけ、気合い充分のミューラ。プラチナよりも美しく価値もあるだろう銀髪をポニーテールにまとめ、まるで新妻のような初々しさがあった。
これから、たった一人の男のために料理を作る。
それを知られたら、誠司は嫉妬の炎で灰になってしまうことだろう。
「はい、ミューラ。ステイ!」
しかし、有朱が待ったをかける。出鼻を挫かれたミューラはたまったものではない。
「ステイって、アリスちゃんどういうことですか?」
「どうもこうもないわよ。失敗したいの?」
「失敗したい人間なんていませんけど?」
「なら、ちゃんと予習をするものでしょ?」
有朱の言葉におかしいところはない。
普段の彼女が、モデルや声優業などで時間がないとはいえ、学校の勉強で予習など一度もしたことがないということ。
それから、料理――誠司のために、美味しい料理を作ろうというのに、キッチンに入るのを止められたこと以外は。
不満を抱いたミューラが頬を膨らませて不満を表明し……すぐに理解の色に変わった。
「予習ですか? はっ、まさか『これが完成品です』って、画面の外から出てくるんです?」
「どこの料理番組よ。っていうか、それは予習じゃなくてカンニングよね」
「ですよね。わたし、完成品を作った憶えないですもの」
反射的にツッコミを入れた有朱はミューラの言葉をスルーして、ダイニングテーブルに置かれていた誠司のタブレット端末を手に取った。
「そういうことですか、さすがアリスちゃんですね」
「分かったの? やるじゃ――」
「それでセージさんの趣味嗜好を『予習』するとは……」
「やらないし!」
否定の声は聞こえていないようだ。おののきながら「アリスちゃん、恐ろしい娘……」と、つぶやくミューラ。
もちろん、有朱にそんなつもりない。それに、自分のスマートフォンでやると速度制限がかかってしまうからと、誠司からタブレットの使用許可も得ている。完全に、合法だ。
そもそも、この程度で分かる誠司の趣味嗜好は、本格原理主義者であるということぐらいだろう。価値がないとは言わないが、既知の情報でしかない。
「これで、ハンバーグを作る手順を確認するのよ。動画でね」
「動画ですか?」
よく分かっていない様子のミューラ――それがまた、作ったところがなく可愛らしいのだが――の手を引き、コタツへと移動。
「そうよ。だって、ミューラはあっちで料理したことなんかないでしょ?」
「ありません」
「こっちでセージくんを手伝ったこともないでしょ?」
「残念ながら」
「なら、これを見て勉強しなきゃ」
コタツに腰を落ち着けると、タブレットで予め目を付けていた動画を再生する。コタロウは、タブレットに興味を示さず、ミューラと有朱の間に割り込んで、こてんと転がった。
「おお……。材料から説明してくれるんですね」
当初は訝しげだったミューラも、ようやく意図を理解し、片手でコタロウを撫でながら液晶画面に見入る。
「ふんふん。このみじん切りって言うのは、セージさんもたまにやってますね」
「なんか、余裕そうね。みじん切りできるの?」
「人間のできることです。それが、わたしに不可能だとは思いません」
「根拠のない自信だけは一流だわ……」
これは実際にやらせるしかないかと、有朱は保護者として判断する。
「ええええ? 手でお肉をこねこねし出しましたよ? こんなことしていいんですか?」
「知らなかったの? というか、セージくんが作ってるところ見てなかったの?」
「う~ん。一部始終はさすがに。セージさんから、気が散るからって追い出されたこともありますし」
ハンバーグを作りたいと言い出したのはミューラだったのだ。てっきり、誠司が作っているのを見て、自分でもできそうだと判断して決めたとのだと思っていた有朱は、悪い予感を憶える。
「でも、セージさんのハンバーグは美味しかったので問題ありません」
誠司のハンバーグを思い出してとろけそうな表情になりつつ、やる気をみなぎらせるという難しい技を華麗に決めたミューラ。
この時点で、成功から失敗はしないに目標を修正する有朱。
「あっ、焼き始めますよ!」
ここで、もう一人の住人――コタロウが動いた。
美味しい音はするが、匂いはしない。
「キュウウゥゥン……」
謎の現象に遭遇し、コタロウはミューラと有朱の周囲を駆け回る。
「はいはい、大人しくしてるの」
「ハグググッッ」
もう、しょうがないわねとコタロウを抱き寄せようとした有朱。
しかし、いきなり噛みつくとまではいかないが、露骨に警戒してうなりを上げた。
「もー。なんでコタロウはアタシにだけ塩対応なの? セージくんなの?」
「むしろ、セージさんもこれくらい分かりやすい反応をしてくれると助かりますけどね」
「そうね。それはほんとにそうよね……」
このとき、誠司がくしゃみをしたか否か。それは、誰にも分からない。
「まあ、いいわ。ちょっと戻すわよ」
有朱がタブレットを操作し、動画を巻き戻す。
「便利ですねぇ、ほんと。どういう理屈で動いているのかは分かりませんが」
「大丈夫。アタシも知らないわ」
それでも、作り方の動画を見る分にはなんの問題もない。
しっかりと予習をし、ミューラと有朱がキッチンへ移動したのは、一時間ほど経過してからだった。
ショッピングセンター内の喫茶店で一席を確保した誠司は、コーヒーを一口飲んでから――そうしないと、最初から最後まで冷めたコーヒーを飲む羽目になる――ページをめくった。
しかし、すぐに困惑することになる。
脱走したアンドロイドを追う賞金稼ぎの物語。
そのはずが、いきなり賞金稼ぎである主人公リックと妻の夫婦喧嘩から始まったのだ。
決定的に不仲というわけではなく、崩壊寸前のところで留まっているという雰囲気なのが、もっといたたまれない。
まるで、アメリカのドラマの1シーンのようだ。
なんだこれはと、騙されたような気分になるのも当然だろう。
しかも、その次は屋上で動物の世話だ。馬を飼っている近隣住人との格差。劣等感が感じられ、これまた愉快な展開ではない。
第三次世界大戦で――この設定で、既に時代を感じるが――汚染されたこの世界では、生身の動物を所有していることが社会的なステータスになっている。というよりは、動物を飼っていないと立場がないようにすら思えた。
誰も彼もが、まともな人間なら、なんらかの動物を飼っているべきという強迫観念を抱いているようだ。
リックも羊を飼っていたが、不注意により死なせてしまう。それ以来、機械仕掛けの羊を飼ってカモフラージュしていたが、それを猛烈に恥じていた。恐怖していると言っても良いだろう。
そういう設定なのだと分かっていても、奇妙な感覚だ。
いずれにしても、新しい動物を飼う。
これも、賞金稼ぎであるリックのモチベーションになっているようだった。
しかし、誠司は世界設定の説明以上の物を感じ取っていた。
(これは、伏線だな)
別に構成がどうこうなどと大仰な話をしたいわけではない。ただ、冒頭部のまだ作品に入り込む前に提示される内容は、後々重要になることが経験上分かっていた。
そう考えると、テレビ司会者の「バスター・フレンドリー」なども、どことなく怪しい。隣人との会話の中で出てきた「マーサー教」という宗教もだ。
いや、これはミステリィの読み方か。それも、根腐れしたマニアのだ。これはよくない。
誠司は反省し、素直に読み進めることにする。
(いきなり、別のキャラが出てきた。これも、後々重要になりそうだな)
しかし、長年積み重ねた習慣は、なかなか抜けなかった。
「じゃあ、まずはミネストローネを作るわよ」
「ハンバーグは、どこへ行ったんですか!?」
金髪ツインテールと銀髪ポニーテールの美少女二人が、キッチンに入る。しかし、調理ではなくコントもどきが続いていた。
「フゥゥゥン……」
コタロウが、キッチンの入口に寝そべって大きくあくびをした。ミューラと有朱がなにを言っているかは分からないが、騒がしいのには慣れている。
そして、今のところは、まだ自分に恩恵がないことも。
だから、コタロウは寝そべって機会を待つ。
視線だけは、キッチンへ鋭く向けながら。
「ハンバーグは最後に決まってるでしょ。熱々を出さないといけないんだから」
「それはそうですけど……むぅ……」
またしても出鼻を挫かれたと、ミューラが不満げに頬を膨らます。
しかし、有朱としても、ここは譲れない。元々スープとしてミネストローネを作る予定ではあったが、包丁の練習として本番前に練習を挟んでおきたかったのだ。
「はい、文句を言わずにタマネギ切りなさい。というか、ここから先、アタシを上官だと思って命令を絶対遵守するのよ」
「分かりました!」
元々、ミューラは有朱にお願いしている立場である。その有朱から言われては否やはない。
威勢良く返事をして、ミューラはタマネギを受け取った。材料は、すべて有朱が準備してくれていた。後ほど、誠司が清算する手はずになっている。
まな板の上にタマネギを置いたミューラは、しっかりと包丁を握り――
「じゃあ、行きますよ!」
――思いきり振り上げた。
「おバカーー!」
叫び声をあげて有朱がミューラを止める。びくりと、コタロウも反応するほどの大声だった。
「え? バカって言うほうがバカなんですよ?」
「今、そういう話してないから。なんでそんな勢いよく切ろうとするのよ」
「……タマネギを切るためですけど?」
有朱とミューラの間には、埋められない溝が存在していた。いや、溝があることは分かっていた。だから、動画で埋めようとしたのだ。
「動画とかセージさんは、美味い人の切り方じゃないですか。だから、わたしの力量でもできるように、工夫したんですけど?」
なにが悪かったんでしょうと、ミューラが小首を傾げる。一緒に、ポニーテールにした銀髪も揺れた。
「……アタシと同じようにやりなさい」
「はぁい」
不承不承だが反論はせずに、ミューラが手元を覗き込んでくる。
それに重圧を感じつつも、有朱は慣れた手つきでタマネギのヘタを落とした。続けて、外側の皮も剥いていく。
「ほら、力も勢いも要らないでしょ?」
「やっぱり、上級者向けなんじゃないですか?」
「どれだけ修業しないと料理ができない設定なのよ!」
ぐだぐだ言わずに切りなさいと、ミューラの前にタマネギを置いた。
「まず、縦半分に切るだけで良いから」
「分かり……ました……」
ぐっと真剣な瞳でタマネギを見つめながら、ミューラは再び包丁を手にした。
見るからにガチガチで、緊張した手つき。
それでも、今度は振り上げたりはしなかった。ゆっくり、慎重に、タマネギの中央に刃を合わせる。
「あー。ちゃんと左手でタマネギを抑えて」
「こうですか?」
「なんで握ってるのよ!? 手を切るでしょ。こう、猫の手で上から抑えるのよ」
「猫ちゃんですか?」
「そうよ、にゃーよ、にゃー」
「にゃー」
なにが起こったのかと、コタロウが左右に首を振る。
しかし、当然と言うべきか、猫の姿はどこにもない。
「行きますにゃー」
そんなコタロウの困惑を置き去りに、聞く者を脱力させる声とともに包丁がタマネギに吸い込まれていき……あっさりと両断した。
「やりました! アリスちゃん、わたしやりましたよ!」
「包丁を持ったまま、はしゃぐの止めなさい」
微妙にミューラから距離を取り、それでもぎこちない笑顔で有朱は祝福した。
「ですが、アリスちゃん。このペースでは、三時間では終わらないのではないでしょうか?」
「もう、一時間以上すぎてるけどね」
当初は、もっと余裕のあるスケジュールだったはずなのに、どうしてこうなったのか。まあ、原因は明らかにミューラではあるのだが。
「そこで、提案がひとつあります。良かったら、口裏を合わせてください」
「セージくんには、秘密にしろってこと?」
「はい。実は、魔法をひとつ使いたいんです」
「魔法って……」
材料から、いきなり完成品を作ってしまうような魔法だろうか。それとも、味を良くする魔法。あるいは、惚れ薬的な魔法という可能性も――
「ずばり、【物理防御】を上げる魔法です」
――という予測は、はずれた。
「は? ぶつりぼうぎょ……?」
「はい。この包丁程度なら、全力で刺されても傷つかなくなりますよ」
「包丁で刺すって」
それどんな修羅場よ……と言いかけて、つまり、包丁で手を切ることもなくなるのだと有朱は気付いた。
同時に、その有効性も。
「まあ、ミューラがそうしたいって言うなら、セージくんには秘密にするけど」
「では早速、《ホワイト・プレート》」
素早く指輪を身につけ呪文を唱えると、それを中心としてミューラが全身に白い光を纏った。
「この防御フィールドがあれば、包丁で手を切りそうになっても、油がはねても大丈夫ですよ」
「こんな魔法の使い方、初めて見たわ……」
「えへへ。褒められると照れちゃいます」
決して褒めたわけではないが、面倒なことになるので訂正はしない。
それにしても、あまりにも下らない使い方で、口止めの有無にかかわらず誠司に伝える気にはなれなかった。
『ミューラが、怪我をしないように魔法を使ったのよ。許してね』
こんなことを報告しても、誠司は冷たい視線を向けるだけだ。それはそれで悪くはないのだが。
ただ、呆れはしても責めることは絶対になかっただろう。
病院へ簡単に連れて行けないミューラだ。誠司にとって、怪我のリスクを低減させることは、魔素の温存よりも余程重要だった。
「アリスちゃんにもかけます?」
「そうね。かけてもらったほうが良さそうな気がするわ……」
その呪文があれば、万が一、アニメみたいに料理を爆発させても大丈夫そうだ。
アニメのヒロインは、みんなこんな呪文を使っているのかもしれない……と妄想が浮かび、有朱は慌ててかき消した。
今は、そんな場合ではない。
「うそうそ、アタシは要らないから。それより、続きよ続き。次はタマネギを1センチぐらいの角切りにするのよ」
「はい! 《ホワイト・プレート》を身に纏ったわたしは、もはや絶対無敵ですよ。完全勝利に向けて、頑張りましょう!」
「元気爆発してるわね……」
ついていけないと溜め息を吐きつつ、再びお手本とばかりに、タマネギの半分を引き取って繊維の方向に対して直角に切っていった。
さらに、それをばらして1cm角に切りわける。
こちらは、なんの問題もない。安心して見ていられた。
「はい、ゆっくりでいいから、もう半分よろしくね」
「いきます!」
続けて、ミューラが包丁を握る。
先ほどのような慎重な手つきとは違う、自然な動作で猫の手を作ってタマネギを抑える。
「にゃー」
そして、すとんと刃が繊維に対して直角に入っていった。
「その『にゃー』は必要?」
「なんか、癖になっちゃいました」
はにかみながら、ゆっくりとではあるがミューラはタマネギを切っていく。手際は悪いが、一生懸命であることは間違いない。
魔法の効果がどれだけあったのかは分からないが、先ほどよりも余裕がある。怪我をする心配がなくなったと、リラックスしているようだ。
「そうだ。包丁に、武器の切れ味が増す魔法を……」
「ぶつりぼーぎょってのを上げた意味なくならない?」
「……あ、ほんとですね」
……というような会話を交わしつつ、タマネギに続いてニンジンとジャガイモもなんとか下ごしらえを終えた。
「なんとか、魔法のお世話にならずに終わったわね」
「はい! 最悪、時間を巻き戻せばいいやという覚悟で臨んだら、上手くいきました!」
「時間を巻き戻すって」
そう苦笑しながら、有朱はベーコンとニンニクをスライスし、オリーブオイルを熱した鍋に投下した。
「そっちの野菜も鍋に入れて」
「にゃー」
「切るんじゃないのよ?」
「間違えました」
言葉遣いは間違えても動作は過たず、タマネギとニンジンがミューラの手により鍋に入れられる。
あとは、少ししてからジャガイモも加え、水、コンソメ、缶詰のカットトマトとともに煮ていくだけだ。
「さあ、やっとハンバーグよ」
「ついに……ですね」
ジャンボパックと書かれている、大きな挽肉のパックを前に、ミューラが万感を込めて言った。ミネストローネのいい匂いが気にならないと言ったら嘘だが、今はこちらのほうが重要だ。
「まあ、まだタマネギをみじん切りにしなくちゃいけないんだけど」
「お肉遠いですね!」
完成は、さらに遠い。
そうは言っても、ハンバーグにタマネギは欠かせない。
並んでタマネギをみじん切りをする美少女たち。
ミューラのほうが圧倒的に遅く不揃いだが、手は止めない。ひとつには、《ホワイト・プレート》により怪我をしないという安心感があるのだろう。
「漫画やアニメだと、涙が出る~とか、そんなことを言ってる流れよね、これ」
「そんなことで作業を止めてる時間ないですよね」
「ほんとね。洗い物も全然できてないのに……」
これでは、頼りにしてくれた誠司に申し訳ないと有朱が落ち込む。こんなことでは、誠司が怒ることはないだろうと分かっているだけに、なおさら。
「アリスちゃん。ここは、美味しいハンバーグでセージさんを唸らせましょう。それしか逆転の目はありません」
「そーね。終わりよければすべてよしよ!」
「おー!」
改めて気合いを入れ直し、なんとかみじん切りを終える二人。
「大変でした……」
「ラップしてレンジで加熱しておくわよ」
「お願いします」
未だに、電子レンジはオートモードしか使用できないミューラが頭を下げた。
「次はやっと、肉をこねる番よ」
電子レンジをスタートさせた有朱が合い挽肉と塩をボウルに入れる。
「さあ、ミューラこねてこねてこねるのよ」
「うぎゅううううう」
キッチンに、奇声が木霊した。
何事かと、飽きて眠っていたコタロウが体を起こす。そして、左右に首を振り、ミューラが発生源だと確認すると、安心してまた目を閉じた。
「これ、なんかぐにゃって。ぐにゃってしますよ、アリスちゃん! 《ホワイト・プレート》意味ないです」
「ミューラ、もっともっとこねるのよ。その粘りが、美味しさになるんだから」
「ミューラ・シルヴァラッド、頑張ります!」
ぎゅっと目をつぶりながら、粘り気が出るまで根気よくこねていくミューラ。
「あ、なんだかちょっと気持ちよくなってきました」
充分にこねると、コタロウの分を別にわけ、みじん切りにしたタマネギと生パン粉――動画のレシピに従い、牛乳には浸していない――を加えて混ぜていく。
「もう、良さそうね」
「くぅう……。疲れました」
「休んでる暇はないわよ。成形は二人でやりましょ」
「ぱんぱんって投げるやつですね?」
「そうそう。時間もないからね」
厳密に約束したわけではないが、いつの間にか、誠司との約束の時間まで30分を切っていた。
だというのに、ボウルからよくこねたタネを取り出したミューラの手つきは、ゆっくりで注意深く、念入り。
見るからに、まごころを込めていた。
「ちょっと、ミューラ。そんな、慎重に作らなくていーんだけど?」
「ダメですよ。だって、セージさんに食べてもらう物なんですから。ちゃんと形を整えませんと」
「……好きにしなさい。でも、あんまり触ってお肉が暖まると不味くなるわよ」
「そういうことは先に言って下さいぃ!」
少しだけ不機嫌そうに唇を突き出した有朱に気付くことなく、慎重にハンバーグの形を整えていくミューラ。
手のひらの間を往復させて空気を抜く度に、チェックする姿は真剣そのもの。
「これでいい……と思います」
ようやく納得いったのか、ミューラが静かにバットの上に置く。
どことなく誇らしげで、やり遂げた感がある。
それは、有朱も同じだった。
「ふう……。ついに焼くだけになったわね」
万感の想いとともに、有朱が成形したハンバーグのタネを眺めた。
俵型で、やや歪だが、苦労と努力の結晶だ。
正確には、その後ソースも作る必要があるのだが、とりあえず忘れることにする。今は、ここまでたどり着いたという達成感に浸りたい。
「やっと、セージさんに食べてもらえるんですね。今から、楽しみです」
「そうね……って、ああ。ご飯炊かないと、ご飯」
「ハンバーグにご飯がないなんて、神への冒涜に等しいじゃないですか……って、手がお肉でぐちゃぐちゃですけよぅ」
「洗うのよ、徹底的に洗うのよ!」
……このような失敗はあったが、炊飯器を早炊きモードにすれば間に合いそうだと気付き、二人は安堵する。
「……そろそろ、お肉焼きません?」
「その前に、セージくんを呼び出さないと」
そのときは、確実に近づきつつあった。
ミューラと有朱がキッチンで奮闘している頃。
すっかり冷め切ったコーヒーを前に、誠司は敗北感を味わっていた。
軽い気持ちで手にした『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、そんな甘い作品ではなかったのだ。
既に、買う前に抱いていた、賞金稼ぎとアンドロイドの戦いを描いた作品という漠然としたイメージは吹き飛んでいる。
これは、そんな単純な作品ではなかったのだ。
SFの皮を被った文学作品とでも言うべきか。まさか、人間のアイデンティティに、ここまで踏み込んでくる作品だとは思わなかった。
人間とアンドロイドの違い。
技術が進みすぎ、肉体的な組成からは区別が付かない。ゆえに、違いは精神――共感能力の有無になる。
主人公リックは、アンドロイドと思しき対象を共感のテストにかけて判別し、破壊していく。
アンドロイドとの死闘などというものは存在しない。
そこには、自らが人間だと信じ込んでいたアンドロイドの哀愁があった。
リック自身、アンドロイドに共感し、段々と人間とアンドロイドの境目が分からなくなっていく。
アンドロイドも、夢を見るらしい。
だからこそ、より良い生活を求めて逃亡する。
それを敷衍するならば……主人公は、世間の評価が気になって羊が夢に出てきてしまう。ならば、人間に近づいていったアンドロイドも、機械仕掛けの羊――電気羊の夢を見るのだろうか。
非常に魅力的なタイトルからも誘導され、読者に、自然とそんな疑問を抱かせる。
作中、リック以外にもアンドロイドを追う賞金稼ぎが登場し、彼は実はアンドロイドではないかという疑いが浮上する。
こうなると、誰が人間で誰がアンドロイドなのか。まったく分からなくなる。
人間とアンドロイドの境界があっさりと突き崩され、まるで世界がぐにゃりと歪んだような感覚を憶えてしまう。
リックがアンドロイドと恋愛関係になってしまう展開に至っては、もはや、主人公の正義すら担保されなくなる。
共感能力のないアンドロイドを始末するのはただの破壊だが、恋愛感情を抱ける相手で合れば、それは破壊ではなく殺人になってしまうのだから。
これは、凄まじい読書体験だった。
この作品が上手いのは、基本的にアンドロイドを狩る側でリックだけでなく、アンドロイドに奉仕する人間イジドアを登場させたことだろう。
しかも、このイジドアは人間ではあるが、頭が良くなく“ピンぼけ”と差別されている。そんな彼を通して、人間とアンドロイドの差異が浮き彫りにされていくのだ。
そして、逃亡したアンドロイドを全員を破壊しても物語は終わらない。
誠司の予想通り、冒頭で出てきた「バスター・フレンドリー」や「マーサー教」の秘密が暴かれ、作品は、より観念的な世界に入っていく。
リックが荒野で見つけたカエルを持ち帰って日常へと回帰する――はずの――ラストシーンは、静かだが圧巻。意味が分かった瞬間、ぞっとした。
現実の脆さを思い知らされる。
無意識に、残り少なくなったコーヒーカップを手に取り……胸ポケットに入れていたスマートフォンがメロディを奏でた。
デフォルトから変更していない呼び出し音が、誠司を現実へと呼び戻す。
「有朱か?」
『いえ、わたしです』
「ミューラか。なにかあった?」
『なにかっていうか、お料理ができあがりそうなので帰ってきて下さい』
「ああ……」
気付けば、外は真っ暗。いつの間に、そんな時間になっていたのかと誠司は驚いた。
「分かった。10分もしないで戻れると思う」
『これから最後の仕上げですから、楽しみにしてて下さいね!』
通話が終わると、誠司は改めて残りのコーヒーを飲み干した。表面上はてきぱきと、帰り支度を始める。
(そういえば、このスマートフォンのOSもアンドロイドだったな)
そんな符合に微笑を浮かべつつ、誠司は家路についた。
「それでは、セージさん」
帰宅するなりリビングへと引きずり込まれた誠司は、ミューラと有朱の手によってダイニングテーブルへと押し込まれた。
既に夕食の準備は整っており、誠司の目の前には湯気を立てているハンバーグとスープの皿が並べられている。
どちらも、見た目から失敗と断じられる要素は、どこにもなかった。
「熱いうちに、どうぞお召し上がり下さい」
晩餐を主催する女主人のように、誠司へと食事を勧めるミューラ。
有朱を見れば、疲れたような表情で、それでも薄い微笑みを浮かべてうなずいていた。有朱の苦労は、ふと目にしたキッチンの状態を見ればおおよそ察せられる。
その苦労を慮りながら、誠司はナイフとフォークを手に取った。
「じゃあ、いただきます」
にっこりと微笑み返すミューラの視線を感じつつ、誠司はナイフをハンバーグに入れる。
その途端、じゅわっと内部から肉汁が溢れ出してきた。少しだけ心配したような、生焼けということもない。
意外と言ってはなんだが、上手くできているようだ。
自然と、緊張が解けていく。
「ほう……」
そして、実際に口にし、誠司は驚きに目を丸くした。
タマネギが存在感を出し過ぎているようにも思えるが、噛みしめた途端に感じる肉汁は圧倒的だ。
ソースも、ケチャップをベースにしたものだが、悪くない。
なにより、ふっくらと焼き上がっており、堅さがまるで感じられなかった。
(あ、俺、腹が減っていたのか)
ミューラのハンバーグを食べて気付いた事実。
それに後押しされるかのように、なにも言わずにもう一切れ口に運ぶ。
それで落ち着いたのか。それとも、ミューラと有朱からの食い入るような視線に負けたのか。
「美味しいよ」
誤解の余地無く。
誠司は、はっきりとストレートに感想を伝えた。
「アリスちゃん」
「ミューラ」
それを聞き、二人はひしと抱き合った。
ここに至るまで、様々な苦労があった。それがすべて報われ、喜びもひとしおだった。
「二人も温かいうちに食べたらどうだ?」
「そうします。いただきます!」
「はやっ」
もう我慢できないと、ミューラもナイフとフォークを手にして参戦する。
「う~ん。肉汁! 愛さずにはいられませんね。お肉も、ぎゅっと噛み応えがあります。我ながら、美味しいですね。自画自賛しちゃいますよ」
「ミューラの分を成形したのは、アタシだけどね」
「二人とも、本当によくできてるよ」
「ありがとうございます。こっちのスープも、味見しましたけど、美味しかったですよ」
そう言って、ミューラはミネストローネにも手を付けた。
トマトの酸味と甘みが、疲弊した体に染み渡っていく。野菜はトロトロですっと入っていくし、少しだけ混ざっているベーコンも嬉しい。
「はふう……」
スープで緊張が解け、体がほぐされていくかのようだ。適度な塩味が、疲労を癒してくれる。
その様子を見て、誠司は有朱へ疑問をぶつけた。
「ミューラのハンバーグの形を整えたのは有朱ということだけど、ミネストローネも、有朱が作ったのか」
「ううん。一緒に作ったわよ」
「なるほど、共作か」
それは考えつかなかったと、誠司は目をつぶった。
無理もない。基本的に、誰かとなにかを一緒にするという思考をしたことがない誠司なのだから。
「そうなると、俺とミューラが一緒に作っても大丈夫なわけか……」
まぶたを開きながら言うが、実際は、あり得ないだろうなとも思っていた。
恐らく、魔素への変換効率は低くなってしまうだろうことがひとつ。
もうひとつが――
「俺一人で問題ないからな」
「うう……。事実だけに、反論できないですぅ」
「そこは、コミュニケーションがどうとか、適当に理由を付ければいいじゃない」
素直というか、正直というか。裏表のないミューラの反応に、有朱はあきれたようにヘイゼルの瞳で見つめる。
一見アシストをしようとしているようにも見えるが、誠司のガードが弱まれば、有朱も得をするので問題はない。
しかし、その希望は、ミューラが頭を振って銀髪が揺れると同時に潰えた。
「その方面で、セージさんに受け入れられるほどの理論を構築できません!」
「確かに、それは難問ね」
ミューラの指摘に、有朱はそれもそうだと唸った。
それが世間からするとどんなに非常識でも、理屈さえ通っていれば――誠司の価値観が正しいと判断すれば――受け入れる誠司。
逆に言えば、誠司が非合理だと判断したなら、それで終わりなのだ。
「そうだな。頑張って、俺を納得させてくれ」
「セージさん……」
「セージくん……」
一回りは違う美少女たちから、じとっとした視線を向けられても誠司に気にした様子はまるでない。風にそよぐ柳のように、さらりとかわす。
「それよりも、驚く……と言ったら悪いが、きちんとした出来で驚いたよ」
「ほんとですか? 美味しいですか?」
「ああ。文句はない」
きちんと中まで火は通っているし、噛みしめると肉汁もたっぷり出てくる。タマネギがやや大きめで不揃いではあるが、それがまた面白い食感を生み出していた。
ソースも、肉の旨味をきちんと引き立てている。
充分に及第点。いや、合格点だと言って良いだろう。
「やりました、アリスちゃん!」
「やったわね、ミューラ!」
ハイタッチをしてお互いを祝福する少女たち。
嬉しそうな気配を感じ、コタロウもテーブルの下で尻尾を振る。
「ミネストローネも、この季節には最高だな」
「ですよね、美味しいですよね」
「……ということは、こっちは有朱の提案か」
「まーね」
謙遜することなく、有朱が薄い胸を張る。
微笑みながら、誠司は有朱の苦労を労う。
「有朱には、面倒かけて悪かったな。助かったよ、ありがとう」
「……う、うん」
ぼんと湯気が出そうな劇的な変化。
ヘイゼルの瞳は、嬉しさにか、あるいは恥ずかしさにか潤んでいる。
「ちょっと、セージくんが超優しくて素直なんだけど。どういうこと? なにがあったの? 死ぬの?」
「明日、世界が滅びてしまうんでしょうか?」
「いやいやそれは……。ああっ、そうよ。ミューラがなんか魔法を使ったんじゃないの?」
「使ってませんよ。そんな都合のいい呪文も……ないではないですけど」
「そこ詳しく」
小声で失礼な会話を繰り広げる有朱とミューラ。
もちろん、誠司の耳にも届いていたが、聞こえない振りをした。介入しても泥沼だろうし、なにより、自分でもいつになく上機嫌だという自覚はあった。
「そうだな……」
ナイフとフォークを置き、二人の美少女を正面に見据えて口を開く。
「面白い本を与えると、こういう状態になる。俺が今までに読んだことがない作品限定だけどな」
「…………」
「…………」
端的に事実を語った。
にもかかわらず、ミューラも有朱も表情を変えずに固まってしまった。一言も発さず、正面――つまり、誠司を見つめている。
「まあ、セージさんですからね」
「まあ、セージくんだしね」
妙に理解のある二人の台詞。
それに、誠司はなにも言い返せず、ただ黙々と食事を続ける。
そのソースもほとんど残さない食べっぷりは、二人をさらに喜ばせた。




