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第二話 トラディショナルスタイルピザとコーラ

 少女が、きらきらと瞳を輝かせて周囲を見回していた。


 背中まで伸びる、緩やかなウェーブがかかった美しい銀髪。

 サファイアのように輝く大きな瞳は、とても印象的で魅力的だ。

 顔の造型も整っているが、美人と表現するにはまだ年齢が足りないかもしれない。それはつまり、彼女が美しく成長することは約束されているということでもあった。また、胸の膨らみは既に要件を満たしている。


 その幻想的とすら言える肢体を包むのは、青を基調としてスカートが大きく膨らんだドレス。生地も仕立ても、滅多に見られない一級品。

 彼女が身につけている数々の装飾品も、ため息を吐くような逸品ばかり。しかし、その真価は妖精のような少女を飾り立てることによって発揮されている。


 シルヴァラッド森林王国の第三王女を名乗るミューラ・シルヴァラッドは、つまり、あまりにも現実離れした少女だった。


 今、いる場所も含めて。


「ここが浴室ですか?」

「ああ。洗面所と脱衣所も一緒になっている。汚れ物は、洗濯機……そこに放り込んでくれ」


 180cmほどある大柄な体をボーダーのシャツとカーキ色のチノパンで覆う青年、三浦(みうら)誠司(せいじ)

 身長からすると細身だが、線が細い印象はない。それは、作業の邪魔にならない程度に伸びた黒髪から覗く瞳のせいだろう。

 目は細いが、そこから放たれる視線は鋭い。滅多に表情を変えることもなく、ややもすれば剣呑な印象を与えてしまう。


 そんな、お世辞にも人当たりが良いとは言えない誠司は、10は年が離れているであろう少女と一緒に、自宅マンションの浴室にいた。


 白いタイル貼りで、2メートル四方程度の一般的な浴室。

 明かりは淡く柔らかで、湯を張っていない浴槽は誠司でも足を伸ばしては入れるぐらいの広さがあった。

 浴室の扉一枚隔てたところは脱衣所で、洗面所も兼ねている。


 もちろん、二人とも服を着ており、やましいことはなにもない。例外はポメラニアンのコタロウだけだが、浴室にはあまり良い思い出がいないのか、脱衣所にすら入ってこなかった。

 その入り口に寝そべって、興味がなさそうに。しかし、飼い主と新たな同居人の一挙手一投足を上目遣いで眺めている。なにか動きがあれば、すぐに対応できる態勢だ。

 いつもなら散歩の時間は過ぎているだけに、必死だった。


「左側が髪を洗うシャンプー。右の方が体を洗うボディソープだ。タオルは後で用意するが、それで洗ったら湯船に入って暖まる……というのが、こっちの作法? いや、方式か」

「分かります、分かります」


 物珍しそうに周囲を見回していたミューラが、弾かれたように全身で肯定する。

 話を聞いていないと思われたくないといった風情のオーバーアクション。


「そうか」


 しかし、誠司は特に感銘を受けた様子はない。それは良かったと、軽くうなずくだけ。

 ただ、表情はまったく変わらなかったが、内心は安堵していた。


 ミューラの故郷であるシルヴァラッド森林王国の入浴方法が、北欧のようなサウナ式だったらまったく通じない可能性もあったのだ。

 考えすぎかだろうか? しかし、ルネサンス期のヨーロッパでは、水浴びや入浴は病気の元だと信じられていたぐらいだ。

 同じ地球でも、これくらい文化の差異があったのだから、油断はできない。


「セージさんの国では、毎日お風呂に入られるのですか?」

「ああ。基本的にはそうだな」

「ほええ……。それは、きれい好きですね」


 浴室に首だけ突っ込んだまま、ミューラが感心したような驚いたような声をあげる。お姫様にふさわしいとは口が裂けても言えないが、可憐さを損なってはいない。


 つまり、これが王族の気品か。


 そう感心しつつ、誠司はシャワーを手に取って説明を続ける。


「下のつまみで、シャワーとカラン……蛇口の切り替えができる。左側のハンドルで温度、右側ので水量の調節だ」


 誠司の言葉通りシャワーヘッドから水が飛び出し、それがつまみひとつで蛇口からの噴出に切り替わる。


 もちろん、ミューラに水がかからないように――ドレスなど、どうメンテナンスすれば良いのか分からない――注意しながら。


「きゃっ」


 だが、結果として驚かすことになってしまった。


「悪い」

「いえいえ、なんだか楽しいですね、セージさん!」

「……濡れないように注意してくれ」


 ある程度、使い方が伝わったと判断した誠司は、シャワーをミューラに手渡した。

 それを手に取りながら、おっかなびっくり暗がりを歩くように、誠司と入れ替わりにミューラが浴室へ足を踏み入れる。


「ひゃっ」


 中途半端に濡れたタイルの感触に驚き、可愛らしい悲鳴と同時にミューラが飛び上がった。


「危なッ」


 誠司は、反射的にミューラの背中に腕を伸ばして転倒を防ぐ。

 二人の距離がぐっと近づき、正面から目と目が合った。


 しかし、それも一瞬。


 シャワーが浴室の床に落ちると同時に、弾けるように離れてしまう。


「あ、ありがとうございまふ……」

「次から気をつければ、それで良い」


 語尾が怪しくなり、露骨に動揺しているミューラ。

 一方、シャワーを拾っている誠司はいつも通りだった。


 わずかに赤く染まった頬を除いては。


「とりあえず、いろいろ触って試してくれ」

「は、はい!」


 お互い気を取り直して、実習を再開した。

 実際に入浴する際には、ミューラ一人でどうにかしてもらわなくてはならないのだ。習うよりも慣れろの精神で、頑張ってもらわなければならない。 


「はええ……。本当に、暖かくなったり冷たくなったりします」

「まあ、そういう仕組みだからな」


 白く長い指に水流を当てながら、ミューラは純真で無邪気な笑顔を浮かべる。余人まで、その楽しげな感情を受けて笑顔になってしまいそうだ。

 しかし、誠司は、それどころではなかった。ミューラのドレスの裾が濡れないか、気が気ではない。 


「すごいです。これが噂のシャワーですかっ」


 そんな誠司の心配を余所に、ミューラはあれこれ操作しながらはしゃいでいる。さっき転びかけたことなど忘れてしまったかのよう。


「噂の?」


 そろそろ止めるべきかと判断した誠司の動きが、停止した。


 ミューラは、シャワーを知っているらしい。

 彼女の故国にまでは伝わっていないが、異世界でも開発されていたということだろうか。そうなると、説明のやり方も違ってくる。


 だが、ミューラから返ってきた応えは、誠司の想像を軽く凌駕するものだった。


「はい。古代魔法帝国時代の小説に出てくるんです。それにそっくりです」

「……小説にか。興味深いな」

「セージさんも気になりますか? 科学という魔法とは違って誰でも使える技術が発展した異世界を舞台にした小説です。人気なんですよ!」

「それは……」


『科学という魔法とは違って誰でも使える技術が発展した異世界を舞台にした小説』


 先入観は否定できないが、まるで、この地球のようではないか。


 誠司は珍しく驚きに表情を――わずかに――変えたが、すぐに考え直す。

 こちらでも、トールキンの『指輪物語』のようなハイ・ファンタジー作品が存在しているのだ。同じように、魔法が実在する世界で『魔法が存在しないファンタジー小説』が生まれても不思議ではない。


 不思議ではないが、かなり面白いテーマだと、誠司は興味をそそられていた。

 架空言語を作り出してしまうような天才であるトールキンに匹敵する才能が、異世界にもいた。その事実だけで、心が躍る。


 ミューラにそんな下地があったから、あの程度の取り乱しで済んだのだろう。そう考えると、きょろきょろと周囲を見ていた理由も変わってくる。


「でも、それならこっちにマナがなくても驚きはしないような」

「いえいえいえいえいえ」


 同時に、シャワーを足下で左右に振って、ミューラは力強く反論する。その勢いに合わせて、水滴が飛び跳ねた。

 誠司は無言でシャワーを止め、続きを促す。


「だって、一般人は知らないことですが、社会の裏側には人に仇なす妖魔が蠢いていて、異能を持つ少年がガールににミーツして世界を救うんですよ?」

「どういう翻訳なんだか……」


 ボーイミーツガールと言いたかったのだろうが、なぜ少年だけ日本語になっているのか。

 それもこれも、言語を翻訳する魔法のさじ加減なのか。意思疎通はできているが、伝わっている言葉は実際のものとだいぶ違っていそうだ。


 些細な問題ではあるが、注意しておくべきだろう。


「??」


 一方、ミューラは可愛らしく小首を傾げている。誠司がなにを考えているか、まったく予想もつかないという表情。

 それを前にすると、心配しすぎなのかと誠司は力が抜けてしまう。


「まあ、そっちの小説は面白そうだが、フィクションだ。妖魔とか異能とかそんなものは存在しないからな」

「本当ですか~? セージさんは所詮アンノウンマン。世界の裏側では、陰ながら戦っている人がいるかも知れないじゃないですかっ!」


 これでもかと力説するミューラ。

 体全体でジャンプして訴えかけたため、輝くような銀髪と胸が大きく揺れる。


 可愛らしい。

 可愛らしいが、それだけに、なぜか腹が立つ。


 少しくらいからかっても良いかと思う程度には。


「まあ、そうだな。仮に、俺が異能者だったとしても、肯定することはできないからな。そういうことにしておこうか」

「えええっっ。も、もしかしてセージさん……?」

「ああ。もちろん、嘘だ。ただ、ひとつ言っておくと。セージには、こっちの言葉で賢者という意味がある」


 そう言って、誠司は踵を返した。

 その瞬間、今言った冗談は彼の中では消え去った。


 台所、インターフォン、トイレ、テレビなど、説明しなければならないことは山ほどある。風呂だけに時間をかけるわけにはいかないのだ。


「セージさん……」


 だから、誠司は気づかなかった。


 自分のことを追いかけるミューラのサファイア色の瞳が、これまでにないほど輝いていたことに。





「セージさん! セージさん! ああ、水が! 水が!」

「安心しろ。そういう機械だ」


 台詞だけなら窓の向こうに神話生物がいてもおかしくなかったが、誠司は冷静に対応した。

 誠司の性格を差し引いても、ミューラが興奮気味に飛び出してきたのはトイレだったのだ。過剰に反応するわけにはいかない。


「ギャンギャンギャン!」


 その役目は、つられて吠えだしたコタロウに任せておくべきだ。


「どうして、セージさんはそんなに冷めてるんですか!?」


 シャワートイレの感動を分かち合いたいと、両手を胸の前で組んだミューラが飛び跳ねた。

 王族の威厳はどこかへ消え去ってしまったが、王女の愛らしさはいや増している。


 けれど、相手は誠司だ。

 そんなものが通用するはずもない。


「熱烈に共感されたかったのか?」

「いえ……。あの、そこまででは……。恥ずかしいですし……」

「なら、それで良いな」

「でも、もうちょっとこう……あっ」


 残念そうにしていたミューラが顔を上げる。

 その美しい相貌には笑顔。それも、新しい遊びを発明した子供のように無邪気な笑顔が浮かんでいた。


「えへへ……。セージさん、もしかして照れてます? 照れてますよね?」


 すたすたとリビング――あるいは台所へか――戻ろうとする誠司の背中に、悪意の欠片もない言葉が投げかけられた。

 それに対して、誠司は振り向く気配もない。


「そうだな。デリケートな部分だからな」

「認めるんですか!?」


 普通、そこは強がるか、無言を貫くかではないのか。

 当然のようにそう考えていたミューラをあざ笑うかのように、誠司はガードを捨てた。


「それが、一番ダメージが少なくなるからな」


 容疑を認めるところから執行猶予をもぎ取るのと同じ戦術で、肉を切らせて骨を断たれるのを防ぐ。


 これには、ミューラも驚いて大きく――彼女にしては、だが――口を開けてしまった。わずかに遅れて、手のひらで口を隠す。


 まさか、そこまで割り切るとは思っていなかったのだ。


「コタロウちゃん、あなたの飼い主はちょっと変だと思いません?」

「わおんっ」


 思わず、足下にいたポメラニアンへ同意を求めてしまうミューラ。

 その行為自体は誠司の心の琴線に触れることはなかったものの、天啓にようにある可能性に気付き思わず足を止めた。


「……もしかして、翻訳の魔法で犬とも喋れるのか?」


 その変な飼い主は、にわかにミューラを振り返り、ただでさえも細い目をさらに細めて異世界の王女を見つめた。


 先ほどまでのやり取りなど気にしていない。

 翻訳の、いや、魔法自体の仕組みは分からないが、意思の疎通を図る呪文ということなら種族は問わないのではないか。その可能性で頭がいっぱいになっていた。


 言葉が通じない今のままでも信頼関係はあるし、太古の昔から人と犬は良きパートナーであり続けている。つまり、今さら言葉によるコミュニケーションなど不要ではないか。


 その意見は分かる。よく分かる。誠司も、基本的には賛成だ。


 それでも、実際に言葉を交わせたならば、有益な点も多いはず。


 特に、コタロウはこう見えて老犬の域に達している。人間換算したなら、セージとミューラの年齢を足しても追いつかないほど。

 そして、生まれつき心臓が弱く、定期的に通院している。


 つまり、非常時には大いに役立つのではないか。


 別に、どんなことを考えてるのかとか、一回で良いから喋ってみたいとか、そういうことではない。

 あくまでも、実用的な面での話だ。他意はない。


「え? 普通に無理ですけど?」

「……そうか」


 セージが、残念そうに言う。

 表情は見えないが、声のトーンだけでそれが分かる。分かってしまう。


 ミューラの美しい相貌には再び笑顔が。それも、新しい遊びを発明した子供のように無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 

「セージさん、もしかして照れてます? 変なことを考えてしまったって、照れてますよね?」

「ああ、照れているよ。ただし、俺の愚かさにな」

「また認めるんですか!? でも、そのセリフは格好良かったです!」


 ぼんやりとした高評価を受けたところで、誠司はリビングとキッチンの間で足を止めた。今のやり取りは、彼の中で完全になかったことにされている。


 そして、壁に埋め込まれた機械を指した。


「これが、インターフォンだ」

「インターフォン」

「誰かがうちを訪ねに来たとき呼び出し音が鳴り、必ずこの小さな画面に映像が出る。そして、こっちのボタンを押すと中には入れるようになるわけだが……」

「はいっ!」


 誠司がいないときに備え、ミューラは真剣に耳をかたむける。

 しかし、現実は非情だった。


「出る必要はない」

「ナンデですかっ!?」

「そもそも、来客自体が滅多にない」

「ひょっとして、セージさんってお友達が……?」

「いないな」

「そうですか……」


 平然と。ごく当たり前のように言う誠司を、ミューラは直視できなかった。

 目を逸らすと、コタロウがフローリングの床に座って尻尾を振っていた。かわいい。


 しかし、よくよく考えると、ミューラ自身、妾腹ではあるが第三王女ということもあって、心から友人と呼べるような相手は数人しかいなかった。


 ミューラは心に棚を作ってその事実を忘却し、もうひとつ気になったことを――おずおずと――口にする。


「ところで、あの……ご家族は……」


 不在のだけかもしれないが、それにしては誠司とコタロウ以外の生活感がなかった。今までの説明にも、まったく出てきていない。


 ミューラとしては塔から飛び下りるような覚悟で聞いた問いだったが、誠司からの回答は短くシンプルだった。


「いない。だから、気兼ねする必要はない」


 母親は三年ほど前にガンが再発して。父親は昨年、心臓病で。そして、兄はその前から音信不通だ。海外に行ったらしいが、生きているのか死んでいるのかすら分からない。

 そして、誠司には配偶者はおろか、恋人もいない。必要としたこともない。


「ええと……。はい」

「別に気にする必要はない。とっくに解決済だ」

「…………」

「過剰に気にされると、俺も気になる」

「分かり……ました」


 これで終わりと、誠司が手を叩く。

 すると、やっと散歩に行くのかと、コタロウが飛び跳ねた。


 そんな愛犬を、ごまかすように撫でる誠司。


 その光景を目にして、ようやく、ミューラに笑顔が戻った。


「あとは……。冷蔵庫か」


 インターフォンの前からわずか二歩でキッチン。

 ミューラが入れるようスペースを空けた誠司が、彼女が入ってきたことを確認してから冷蔵庫の扉を開いた。


 コタロウは、またしても入り口で通せんぼを受ける。しかし、尻尾は期待にゆらゆらと揺れていた。


「食材を保存しておく機械なんだけど、これも……」

「はい! 『黒髪の紗音(シャノン)』に出てきました!」


 それが、先ほどから言っていた小説のタイトルのようだ。

 共通理解のためにも一度読んでみたかったと、心の底から誠司は思う。

 ただ、ほとんど手ぶらで異世界へやって来た彼女に、それを求めるのは酷だろう。

 かといって、今までの言動を振り返ると、ミューラからまともな解説を受けられるとは思わない。頭の良い人間にありがちなことだ。


「黒髪の……か」

「故郷の世界では、黒髪の人がほとんどいないんです」

「ミューラみたいな銀髪も、俺の国にはほとんどいないが……。もし俺が行ったら、そっちに珍獣扱いか」

「いえいえ、とんでもないです。古代魔法帝国時代の人間は黒髪が多かったということなので、人気があるんです。セージさんはカッコイイですし、うちの国に来たら女の子に囲まれちゃいますよ?」

「……面倒な」


 それは、紛うことなく誠司の本音。

 ひがみではない。

 最近、相手は一人ではあるが、異性から迫られた経験がベースにあった。


 しかし、ミューラにまでは、伝わらない。


(ふふふ。これは、照れてます。照れてますね。セージさんも、意外と可愛いところがあるんですから!)


 そのため、誠司が不機嫌そうにしているのは照れ隠しだと、過去の事例により判断してしまう。しかも、わざわざそれを指摘しないという学習結果もセットで。


「これが、本物の冷蔵庫ですか~」


 ミューラは、大いなる誤解を胸にしまって冷蔵庫に向き直った。


「よく分からないですけど、この中に入れておくと食材の時間が止まるんですよね?」

「そんなわけがあるか」

「ノータイムで否定が来ましたよ!?」


 魔法が身近にあるせいで、突飛な発想に行き着きやすいのだろう。

 仕方がないなと、誠司が口を開く。


「この中に入れておくと、適温で食材を保存できるんだ。だから、冬場でも食材が凍り付かずに済む」

「え? そんなに寒いんですか!?」

「嘘だ」

「なんで!? ナチュラルに嘘を混ぜるの止めません!?」


 反応が面白いから……とは言わず、誠司は黙殺して説明を続ける。


「下が冷凍庫。食材を凍らせて保存してる。今は買い置きがないが……アイスクリームがあったら勝手に食べていい」

「アイスですか。アイスがあるんですか!」

「買ってくればな」


 それも、『黒髪の紗音(シャノン)』という異世界の小説に出てきているのだろう。

 異世界の小説――それも古代魔法帝国時代の――に、地球の風俗が描かれているというのは面白いが、説明のときには若干混乱する。


「喉が渇いたら、ここから麦茶とか適当に出して飲んで良いからな」

「はい! でも、そこはセージさんにお任せしたいと思います!」


 お姫様らしく他人任せな返答だったが、誠司にとってはむしろありがたかった。

 キッチンは主婦――あるいは主夫――の城である。アイスぐらいなら構わないが、勝手に食材を使用されては計画が崩れるというもの。


「でも、いずれはわたしがセージさんの分も作れるように頑張りますよ! なにしろ、居候ですから。居候ですから!」


 輝くようなミューラの笑顔。


 しかし、光が強ければ、影もまた濃くなるもの。

 誠司は、税理士事務所の同僚から武勇伝のように語られた、『妻の代わりに料理を作って、喜ばれた』という話を思い出していた。


「あー。うん……。そうだ……な」


 ゆえに、返答は誠司の割に歯切れが悪かった。


 その勝手に語られた同僚の武勇伝を、台所を預かる者の立場で聞けば――。 


 変に張り切って、普段よりも高い食材を買ってこられ。しかも、余らす。

 凝った料理を作るため滅多に使わない調味料を用意し、その後、顧みられず。

 計算して購入していた食材が、中途半端に使用され。

 最終的な後片付けは、こちらがやることになる。


 結果として、たまに手を出される程度であれば、いつも通り自分で作ったほうが楽という惨状が発生していた。

 それでいて、相手は善意でやっているのだから文句も言いにくい。


 その金で外食でもしたほうが、よっぽど喜んだだろう。そこまでいかなくとも、明確にこれを食べたいと、献立のリクエストをしてくれるだけでも充分だ。


 一瞬でそこまで考え――ミューラの場合は、また事情が異なるかと誠司は考え直す。


 料理は、ミューラが故郷の世界に帰還するための――現状では――唯一の手段である。それを今日であったばかりの他人に握られているという状況は、どう考えても危険だ。


 その観点では、ミューラが料理を憶えるべきとすら言える。最終的には、非効率的ではあるが、個人個人で別々に作ってもいい。


「俺が仕事に行ってる間のことを考えると、確かにそうだな」

「お仕事……ですか……?」


 きょとんと、気が抜けたような表情を浮かべるミューラ。単語の意味はしか分からないといった様子だ。

 その飾らない態度でも。いや、だからこそ可愛らしい。庶民には出せない魅力がそこにはあった。


「すまない。そこの説明が抜けていたな」


 正直なところ説明が多すぎるぐらいなのだが、どれも欠かすわけにはいかない。

 誠司が、平日の日中は家を空ける点もそうだ。


「簡単に言うと、明日から五日間は朝から夕方まで仕事で家にいない。その間は、悪いが留守番しててくれ。食べるものは、ちゃんと準備しておくから」

「そんなご丁寧に……って、わたしを残して。不用心じゃありません!?」

「正確には、コタロウと一緒だが」

「……セージさんはいいんですか?」

「良いも悪いもないな」


 そこは信頼するしかない。


「分かりました」


 ぎゅっと痛いほど手を握り、ミューラが決意とともに顔を上げた。

 その先には、変わらない誠司がいる。


「このミューラ・シルヴァラッド。シルヴァラッド森林王国の第三王女として、セージさんのお気持ちにしっかりと応えます!」

「まあ、目立たないようにな」

「そこは! もっと! わたしのやる気を呼び起こしてください!」


 誠司としては、留守番にやる気は出して欲しくないので、それは不可能な願いだった。

 むしろ、昼間は暇になるだろうから、幼児向けの教材でも用意しようかと思っているぐらいだ。日本語を憶えてもらえば、魔素(マナ)の節約にもなるだろう。


「それから、どこで寝てもらうかも決めていなかったな……」


 ミューラを軽くスルーし、誠司は台所を離れリビングへと移動する。

 眼下で、ミューラが――真似をしてコタロウも――視界に入ろうとぴょんぴょん跳んでいたが、もちろん、スルーした。


「けど……。そこの和室しか空きがないんだよな」


 リビングに隣接する8畳ほどの和室。襖で遮り、独立した部屋のように使用することもできる。

 そのため、ある程度プライバシーは保たれるが……。


「でも、鍵はかけられないし、布団はあってもベッドがないのか……」


 万全の環境とは言えないのが率直なところだ。


「俺としても個室をやりたかったんだが、俺の部屋は散らかってるし、兄貴の部屋には仏壇とかも置いてあるからな……」


 つまり、他に選択肢はなかった。

 稀に嵐のような来客はあるが、基本的に来客を泊めることは想定していない。3LDKのマンションで一人暮らしをしているとい贅沢な状況にもかかわらずだ。


「いえ、そんな。贅沢は言えませんから」


 先ほどまでの不満はどこへ消えてしまったのか。

 一転して、腰を低くするミューラ。


 ドレス姿のお姫様が頭を下げる様子はシュールなはずだが、なんだか見慣れてしまった。 それに甘えたわけではないが、現実には勝てない。


「悪い。そのうち、なんとかしよう」


 恐らく、自分の心配は半分も共有されていないだろう。

 そう思いつつも、誠司は当座の所はそれで流すことにした。

 物事には優先順位というものがある。


 先に、ミューラのための生活用品を準備しなくてはならない。特に服は必須だろう。


「ゥワンッ! ゥワンッ!」


 そして、さらに自らの欲求を声高に主張する愛犬。


 時計を見ると、既に18時過ぎ。


 コタロウの散歩の時間はとっくに過ぎている。

 ミューラは食べたばかりだろうが、自分だけ食べるわけにはいかないのでなにか軽いものでも準備しなくては。

 それに、生活用品だけでなく明日以降のことを考えて買い物もしたい。

 予備の布団も、布団乾燥機にかけておきたい。


 誠司は、この状況でなにをすべきか、しばし考える。


「……ピザでも注文するか」


 結論は、コタロウの散歩を最優先。

 夕食の準備は省略。角煮は冷蔵庫に入れて明日に回す。むしろ、味がしみこむし好都合だ。

 そして、ピザなら、ミューラも適量をつまめるだろう。残れば、明日電子レンジで温めて食べれば良い。


 買い物は、食べ終わってからでも間に合う。こういうとき、徒歩5分もかからない場所に大型スーパーが中核になったショッピングモールがあるのは便利だ。


「セージさん」

「……ん?」

「もしかして、ピザとはあのピザですか?」

「さあ? 翻訳の呪文がどう働いているのか分からないし、ミューラの言うピザと俺が認識しているピザとでは――」

「ピザなんですね!?」

「……分かった。一緒に選ぼうか」


 勢いに推された誠司が台所に置いたままだったタブレットを持ってくると、ミューラがコタロウを抱き上げてくるくると踊っていた。


 子供と動物には勝てない。


 誠司は、その言葉に直面していた。





「うふふふふふ……。これがピザですか」

「落ち着け。まだ、ふたも開けていないぞ」


 一時間後。ダイニングテーブルの中央に、直径30センチほどの紙の箱が置かれていた。その表面には、店名とロゴが赤と青のインクでプリントされている。


 それを前に、誠司とミューラは向かい合って座っていた。


 ほのかに暖かさが伝わる箱を、頬ずりせんばかりのミューラ。青いドレスを身にまとった王女のやることではないが、もう、慣れた。

 いや、正確には、諦めたかもしれない。


 どちらにしろ、誠司がやることは変わらない。そのまま、放置だ。


 ミューラだけを残して、誠司とコタロウで散歩に出かけ、30分後。誠司が遭遇したのは、玄関でそわそわと帰りを待っていたミューラだったのだ。

 警戒する気持ちも、すっかり消え失せた。


「仕方がないじゃないですか。だって、セージさんは嫌がるわたしを無理矢理部屋の隅に押し込んで……」

「それこそ、仕方がないだな」


 ピザの配達が来たとき、ミューラは、あろうことか玄関へと走り出そうとしたのだ。コタロウと一緒に。

 それを強引に食い止めたとして、誰に非難されるというのか。


「言わなかった俺も悪かったかも知れないが、キミの格好は目立ちすぎる」

「先に言っていただけたら、魔法でごまかせたのに。あと、キミじゃないです。ミューラですぅ」

「ミューラは悪目立ちが過ぎる」

「表現がひどくなってないですか!?」

「そうだな」

「しかも、あっさり認めましたよ!?」

「あと、そんなことでマナの無駄遣いはさせられない」


 表現がひどかろうとなんだろうと、事実は曲げられない。

 ぐぬぬとするミューラをよそに、誠司はコーラをグラスに注いだ。手にしているのは、ピザを頼んだ際、サービスでセットになっていた1.5リットルのペットボトルだ。

 あまり冷えていないので、グラスには氷を入れてある。黒い液体が注がれると、しゅわしゅわと炭酸が踊り、氷が涼しげな音を立てた。


「はわぁ……。なんだかすごいですね」

「気をつけろよ」

「もう、子供じゃないんですから」


 非難がましい視線を誠司へ向け、ミューラはグラスを手に取った。

 両手で包み込むようにして持つその様子は、誠司の目から見ても、かなりアトラクティブだ。


 しかし、そんな感想はおくびにも出さず、誠司は自分のグラスにもコーラを注ぐ。ビールという選択肢もあるにはあったが、この後もやることはいろいろある。

 自重というほどアルコールを好んではいないが、誠司にとっては当然の選択だった。


 誠司がペットボトルをテーブルの上に置いたのを確認し、ミューラは万感の思いを込めてグラスに口をつけた。


 驚き。喜び。そして感動と、次々表情が変わっていく。


「甘くてしゅわしゅわですぅ……」


 こくりと嚥下すると、素直な感想がもれる。

 そんなミューラを、誠司は表情を変えずに見つめていた。


「コーラでも、マナというのは回復するみたいだな」

「あ、言われてみるとそうですね。でも、本当にちょびっとだけです」

「ふむ……」


 スープは料理だが、コーラは飲み物。

 原材料を加工しているという意味では変わらないはずだが、そこに違いがあるのかもしれない。

 なんともファジーで、とらえどころがなかった。


 それが魔法だと反論されたら、誠司としてもうなずく他ないのだが。


 なんにせよ、気に入ってもらえたのならそれで良い。


「じゃあ、そろそろ食べるか」

「はい! ……あ、でも、コタロウちゃんは?」

「俺たちが食べ終えてからな」


 散歩から帰ってある程度満足したコタロウは、誠司とミューラの足下に行儀良く座っていた。

 ただし、ねだるような視線を上に向け、尻尾をぶんぶんと振りながらだが。


 そんなコタロウにお預けをするのは良心が痛む。だが、飼い主よりも先にエサを食べさせると上下関係に問題が生じる場合がある。


 コタロウはかわいい。

 かわいいからこそ、上下関係はしっかり構築しなければならないのだ。


「なら、早く食べないとですね」

「……というか、さっきパスタを食べたばかりだろ? 別に無理しなくてもいいんだが」

「なにを言っているんですか、セージさん。美味しいものを食べるときは、お腹が増えるんですよ?」

「それは反芻動物ですらない」


 どちらかというと、妖怪の仲間だ。

 まあ、本人が別腹だというのであれば仕方がない。

 痛くなければ憶えないという言葉もあるのだから、本人の意思に任せよう


 実のところ、誠司も限界だった。


 昼は菓子パンで軽く済ませただけ――だから、ミューラに食べさせる分がなかったのだ――で、ずっと異世界からの客人にかかりきり。

 いつもより疲弊するのも仕方がない話だ。


「じゃあ、セージさん。お願いします」


 箱を開ける役目は譲ってもらえるらしい。

 少しだけ口の端を上げて微笑みながら、セージはピザの箱を開いた。


「うわわわわっ、きれいですね! ね?」

「まあ、そうだな」


 ふんわりと香る、チーズの匂い。続いて現れた、円形の物体。


 チーズの鮮やかな黄色。

 焼けて濃くなったサラミの赤。

 それらに彩りを加える、ピーマンの緑。

 そして、絶妙に焼き上げられた生地に所々存在する焦げ目。


 誠司にとってはありふれたピザだが、ミューラはまるで宝石箱を目の当たりにしているかのように瞳を輝かす。


 その宝石よりも価値のある笑顔を前にしては、誠司でも、否定的な言葉は出なかった。


 誠司がインターネットから注文したのは、サラミとチーズの伝統的な――少なくともアメリカと日本では――ピザ。

 タブレットでミューラと一緒に選んだのだが、あれこれ悩んで決まらなかったので、オーソドックスなものを選択したのだ。


「さささ、セージさん。まずはおひとつ」

「……そこまでさわやかに下心を感じさせるのもすごい話だな」


 口元はにやけ、期待に体をうずうずさせていても、真っ先に手を出すような真似はしない。

 さすが王女と思わせると同時に、もうちょっとなんとかならなかったのかとも思う。


 どこからどう見ても、自分が食べたいだけだ。言っても仕方のないことだろうが。


「じゃあ、先にいただきます」


 取り皿は用意していたが、手でちぎるように1ピースつかむと、誠司はそのまま口に運んだ。


 湯気が出るほどではないが、充分に温かなピザ。

 それを縁の部分で折り曲げつつ、半分ほど口に入れ噛みちぎった。


 まず感じたのは、チーズの複雑な味。

 いや、正確にはあの独特な匂いか。好き嫌いはありそうだが、発酵食品を食べていると実感する。


 シンプルすぎてつまらなさそうな顔をしたミューラに配慮して、チーズを追加したのが良かったのだろうか。クリーミーなコクと、ヨーグルトを思わせる酸味。複数のチーズが絶妙に組み合わさって、舌の上を踊る。


 そこに、もちっとした生地が合わさり、それだけで美味い……が、やや物足りなさもある。


 しかし、その判断は早計だ。


 やや遅れてやってきた、肉の歯ごたえ。少しだけ辛味のあるサラミが、薄い上に一枚しかないにもかかわらず、その存在感を大いに主張する。

 穀物や乳製品だけでは味わえない満足感が、そこにはあった。


 最後に、ピーマンのしゃきしゃきした歯触りを楽しみつつ、誠司の手は無意識にグラスへ伸びていた。

 なにも考えず、ただそうするのが当然だと、ぐびりと一口。


 炭酸の刺激が口の中から喉へと走り、チーズの塩気をコーラの甘みが中和していく。


「ふう……」


 思わず、満足げなため息が漏れてしまった。

 悪魔的なまでに調和した組み合わせだ。


 一息ついた誠司は、残った半分を口に入れた。


 残った部分に、具は少ない。

 だがその分、生地自体を楽しむことができる。

 特に、端の盛り上がった部分はもちもちした食感で、これまた美味い。同じ小麦を焼いたものでも、パンとはまた違った充足感があった。


 野暮なことは言いたくないが、値段分の価値はある。値段以上ではないのは、一日の食費を千円未満で生活している誠司にとって、ピザだけで二千円強というのは、なかなか勇気のいる注文だったからだ。


 それでも、たまに食べる分には悪くない。


 ふたつ目のピースを手に取りながら、誠司は一人納得していた。


「セージひゃん……」

「……ん?」


 そんな誠司の目の前に、予想外の光景が広がっていた。


 ミューラが、今にも泣き出しそうな表情で、こちらを見上げている。


 ピザは小さく一口だけかじられた形跡があるものの、どうすれば良いのか分からないと所在なげに浮いていた。

 サファイア色の瞳は潤んで垂れ下がり、口は吐き出すのをこらえるかのように半開きになっている。


「なにか、嫌いな物でも入ってたか?」


 恐らく違うだろうとは思いつつも、誠司は問いかける。足下のコタロウも、異変に首をひねっていた。


 しかし、ミューラは涙目で首を横に振った。

 一緒に美しい銀髪が宙を踊り、悲劇性を増幅させていく。


「味のする砂を噛んでるような味がしまふぅ……」

「まさか……」


 突然、味覚障害になったなどとは考えられない。

 それならば、こう考えたほうが、まだ現実的だ。


「はい。このピザには魔素(マナ)がないですぅ……」


 素材そのものには、魔素(マナ)は存在していない。

 だが、調理をすることで――理由は分からないが――含まれるはずではなかったのか。


 からんと、グラスから氷が溶ける音がする。


 その音が、妙に大きく感じられた。

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