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第八話 新年プラスワン(後)

あけましておめでとうございます。

というわけで、後編をお届けします。

「あけましておめでとうございます」

「ああ、うん」

「『ああ、うん』じゃないですよ、セージさん! 新年の挨拶ですよ、新年の挨拶」


 さすがに、今日はどてら姿ではなくゆったりとしたセーターにフレアスカートという出で立ちのミューラが誠司の不作法を糾弾する。


 誠司は、そんな言葉に意味などないと言うのだろう。

 言っても言わなくても地球は回るし、カレンダーがある限り次の年は訪れると。


 しかし、一年の始まりとなるこの日に、そんな態度は許されない。何事も、最初が大事なのだ。


「もう、なんで昨日言えたのに肝心の今年になってから言えなくなってるんですか!」


 たとえ、目の前に綺羅星のようなおせち料理が並んでいても、そこは譲れなかった。


 ちなみに、コタロウはその横で行儀良くお座りをして待機している。食いっぱぐれないように、必死だ。


「……あけまして、おめでとう」

「それだけですか?」


 ようやく口にした新年の挨拶だったが、年下の少女にあっさりとダメ出しをされてしまう。


「今年もよろしく」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 それでいいんですと、にっこり微笑むミューラ。

 一方、誠司の表情は固まっていたが……まあ、いつも通りだ。問題はない。


「とりあえず、食べるか」

「はい!」

「ワウンッ!」


 こたつの上に並べられたお重。

 ミューラは、その端から端まで視線を動かし、どれから食べようか思い悩む。


「どれにするか、迷いますね」

「……分かった。まずは、煮物を取ってやろう」


 それを、誠司はサーブして欲しいとの要望だと解釈した。


「よく見ると、お重の模様も綺麗ですね」

「今まで気付かなかったのと、今になってそれを言おうとした根性。どっちに驚くべきだろうな」


 そう、軽く流しつつ朱塗りの小皿に煮物を載せていく。

 レンコン、サトイモ、ゴボウ、コンニャク、ニンジン。それに、鶏肉。色合いはかなり地味だが、味が染みている証拠でもある。


「いただきます!」

「どうぞ」


 好物は後に残しておくタイプのミューラ。


 まずは、レンコンに箸を伸ばすミューラ。


「おおっ?」


 しゃくっとした歯ごたえは予想外だったようだ。少し驚いたようにサファイア色の瞳を見開く。

 次に口にしたゴボウは、堅そうに見えたが、柔らかく口の中でほどける。

 サトイモはねっとりとした味わいだし、コンニャクも瑞々しい。


 そして、どれも味が良く染みている。肉派のミューラも、なかなかやるなと感心せざるを得ない出来だった。


 しかし、決して浮気をしたわけではない。


 やはり、鶏肉は別格。ジューシーな肉、皮の脂。どれを取っても最高だ。


「煮物の食材にも、実は意味がある」


 ミューラに続いて煮物を口にしながら、誠司は由来を語っていく。


 レンコンは穴が空いているため、先の見通しが立つように。

 ゴボウは、しっかりと根を張って安泰に。

 サトイモは、いくつも子孫を付けるため子孫繁栄を願って、新年の料理に加えられているのだ。


「じゃあ、鶏肉はなんなんです?」

「さあ? 美味いからじゃないか?」

「中途半端!? でも、本当に美味しいですぅ」


 全部が全部当てはめられるわけでもないのだろうし、なにより、味が良くなくては意味がない。せっかくの新年のお祝いなのだから。


「まあ、ニワトリはたくさん卵を産むから子孫繁栄でもいいが」

「……セージさん、子孫繁栄したいんです?」

「その予定はないな」


 セクハラまがいの発言をあっさり流し、ミューラが食べ終えたのを確認し、今度は伊達巻きを皿に載せる。


「次は、伊達巻きですね。お魚のすり身を茹でたやつの実力、確かめさせてもらいます」

「はんぺんな」


 誠司の指摘を、聞いているのかいないのか。

 表面は茶色で中は黄色い伊達巻きを箸で掴んで、しげしげと観察するミューラ。


 やがて、意を決して口に運び――先ほどの煮物の比ではなく、サファイア色の瞳を大きく見開いた。


「ふわふわあまあまで……お菓子みたいなのに、この中に並ぶとお料理みたいで……どうしましょう。どうしましょう、セージさん!」

「どうもしなくていい」

「では、食べます」


 瞬く間に五切れ――一本の半分ほど食べ尽くすミューラ。


 端を切ったときに味見をしているので失敗はしていないと思っていたが、そこまで気に入ってもらえるとは思わなかった。


 ミューラの喜びに比べたら、自分の分がなくなるのなんて些細なこと……ではあるが、とりあえず二切れほど皿に避難させる誠司。


「アンアンッ! アンアンッ! アンアンッ!」


 そこに、待ちかねて――あるいは、耐えかねて――コタロウが自分の存在をアピールする。そちらに目を向けた瞬間、コタツ布団の上に乗っかり、誠司へ懇願する。


 なんでもいいから、食べさせてください――と。


「じゃあ、お座りな」

「アンアンッ!」


 お座り。人間にとってはしつけの言葉であろうが、少なくとも、コタロウにとっては美味しいものをもらう準備段階でしかない。

 そのためなら、いくらでもすわってやろうではないか。


 ……と思っているかどうかは定かではないが、行儀良くお座りの姿勢を取るコタロウ。


 そんな愛犬を満足げに眺めてから、誠司はコタロウ用のおせち皿を手に取った。


 といっても、お重に飾っているわけではない。


 おせちの制作過程で出た余った食材を味付けせずに取っといただけ。即ち、栗きんとんに使ったサツマイモや、角煮の豚肉を茹でたもの。


 それでも、コタロウにとってはごちそうだ。


「良し」


 目の前に茹でた豚肉を差し出され、コタロウは目を剥いてかぶりついた。そして、猛烈な勢いで咀嚼し、またお座りをしてアピールしている。


「コタロウちゃん、必死ですね」

「……そうだな」


 ミューラも似たような物だぞとは言わず――誠司にも、武士の情けはある――次に、角煮を取ってやった。コタロウに豚肉をあげたことと関連はないはずだ。


「そういえば、セージさんの角煮をちゃんと角煮として食べたのは初めてですね」

「そうだったかな」


 最初は、パスタの具で。次に食べたときは、砂のようだと吐き出していた。


 もちろん誠司は憶えていたが、なぜか、記憶にない振りをしてしまった。


「そうですよ。初めて食べたパスタも、美味しかったですけどね!」


 初めて地球にやって来たときのことを思い出していたのか。満面の笑みで角煮を口に入れた。はしたないと言われるような食べ方を、王女の気品でごまかして。


「んん~~~」


 トロトロで、比喩ではなく舌の上で溶けてしまう。やはり、肉の旨味は脂の旨味だ。それが甘塩っぱい味付けで最大限に引き出されている。

 

 特に、このしょっぱさが――


「あっ、栗きんとん。これは、絶対に栗きんとんです」


 なにかに気付いたのか、角煮を飲み込んだミューラが、漆塗りのスプーンを使って取り皿に栗きんとんを山盛りにした。

 間髪入れずに口にすると、甘みが溶け出していく。


 それは角煮の塩気を洗い流し、幸せを広げていった。


 同時に、この世界で初めて食べた甘味の思い出が蘇る。誠司の優しさも


「ああ。次は味が濃いのが……」


 と、煮物へと戻るミューラ。


 味の円環に囚われたミューラは、おせちを周回するだけの王女に成り果てた。


「そろそろ、雑煮でも出すか」


 それが止まったのは、誠司がこんなことを言ってから。既に、三周ほど終えた後だった。


「お雑煮ですか?」

「お正月の特製スープみたいなもんだ」


 雑煮だからではないが、雑に説明をしつつキッチンに立つ。

 今回はミューラもコタロウもコタツで食事に忙しく、本当に誠司一人だ。


 まず、だし汁。


 これは、昨晩年越しそばを食べた後に鰹だしを追加している。


 母親から受け継いだ三浦家のお雑煮は、あご出汁が本来らしいのだが、誠司の母親もかつお節で出汁を取っていた。

 単純に手に入らなかったのか、あるいは、地元の人間ほどこだわりが薄いのかもしれない。

 それに、誠司が母親に変わって台所を預かるようになって知ったのは、主婦もわりと適当に手抜きをしているという当たり前の事実。


 具材は、一般的な雑煮と少し変わっている。

 白菜やサトイモ。それに、コンニャクやゴボウなど。煮物に使った材料と共通点が多く、余り物の処理にちょうど良かったのではないかと邪推してしまう。


 そして、塩ぶりも使う。


 塩をして一晩冷蔵庫で寝かしたブリを、野菜や鶏肉と一緒に煮込む。


 それから、九州がルーツの三浦家の雑煮は、丸餅を使う。それを焼かずに、そのまま鍋へ。


 最後に、醤油で味付けして完成だ。


「とりあえず、餅は一個な」

「そう言われると、もっと増やして欲しくなっちゃうんですけど?」

「まあ、まずは食べてからな」


 そう言って、誠司はミューラの前にお雑煮の椀を置く。


「わわわ。具だくさんで、お鍋みたいですね!」


 確かに、白菜やゴボウは鍋の具材によく使う。鶏肉と魚が一緒になっているのも、寄せ鍋を連想させたのだろう。


 まずは、そっとスープを啜ると――


「ふあぁ……」


 ――ミューラは、無防備で、ゆるゆるになった表情を晒した。


「お野菜の旨味が溶け込んで美味しいですぅ」

「野菜も、いいやつだろ?」

「いいお野菜は、スープに消えたお野菜だけです」


 酷い王女様もいたものだ。


 と、思うが、ある程度同感だったので誠司はなにも言わなかった。


「このお魚、ぱさぱさなのかと覚悟していましたが、旨味がぎゅって閉じ込められてますね!」

「覚悟するほどなのか……」

「おいひーでふ」


 誠司の指摘は聞こえなかったようで、もきゅもきゅとブリの身を食べ進めていく。気に入ってくれたのならそれでいいかと、流した。


 誠司も、食べるので忙しい。


 ミューラも、今度はみょーんと伸びる餅に驚きながら、咀嚼している。


「お餅って不思議ですよねぇ……」

「伸びるところがか?」

「いえいえ。お餅自体には、あんまり味ってないじゃないですか」

「ああ……。言われてみると、そうだな」

「なのに、お雑煮にするとこんなに美味しくなるなんて……合法的に流通している理由がよく分かります」


 そんなに大げさなものじゃないだろう……とは思うのだが、気に入ってくれたようなのでなにも言わない。

 ミューラが大量消費することを見越して、餅は多めに買い込んでいるのだ。下手に余ったら困ってしまう。


 そのため、餅の脅威を語るのは止めようと決意する誠司。


「セージさん!」

「おかわりだな」

「はい! お餅はふたつ……いえ、三つでお願いします」


 気に入られすぎるのも、それはそれで困る。

 三が日、餅が持つだろうか。


「コタロウちゃん~。お正月って、楽しいですね!」

「ゥワンッ! ゥワンッ!」


 そんな心配を余所に、ミューラはコタロウをひっくり返して寝かしつけようとしていた。





「寝たか……」


 雑煮を食べた終えてからしばらく。

 はしゃいでいたミューラは、電池が切れたように寝落ちしてしまった。コタロウを寝かしつけていたはずが、この有様。


 それを少しだけ眺めていた誠司は、先に和室へ移動してミューラの布団を敷く。


 それから、銀髪の王女を横抱きに抱き上げた。


 柔らかで、しなやかな。それでいてボリュームのある肢体。


 それを抱え上げ、和室へと移動する。


 触れ合って伝わる体温。

 甘い吐息。

 呼吸に伴って上下する双球。


 それらすべてを意識からシャットアウトした誠司は、ほどなくしてミューラを布団に寝かしつけた。


 そうしてから、誠司は自室に入り、一冊の文庫本を持ってリビングのコタツに戻ってくる。


 その本のタイトルは、『オランダ靴の謎』だった。


 誠司が愛して止まないエラリー・クイーンの第三長編。


 作家としてのエラリー・クイーンは、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの共同ペンネームのひとつだ。

 この名前で、名探偵エラリー・クイーンが活躍する数々の傑作を世に送り出した。


 もうひとつ有名なペンネームはドルリー・レーン。こちらも、本格ミステリィの歴史に燦然と輝く『Xの悲劇』や『Yの悲劇』といった名作を上梓している。


 ただ、初期は覆面作家で、読者も二人組であることは知らなかった。エラリー・クイーンとドルリー・レーンシリーズが同一人物であることも。


 そのため、覆面をかぶってエラリー・クイーンとドルリー・レーンの公開対談が行われたこともあるという。しかも、お互いに悪口を言い合ったとか。

 なんとも稚気に溢れた話で、誠司も大好きなエピソードだ。


 肝心の『オランダ靴の謎』だが、実は、国としてのオランダはなんの関係もない。


 オランダ記念病院で創設者の老婦人が、手術の直前に絞殺された。遺留品である靴から名探偵エラリー・クイーンが事件を解決する……ということで、『オランダ靴の謎』なのだ。

 これは、ローマ劇場で起こった事件を解決する『ローマ帽の謎』やフランス百貨店のショーウィンドウで発生した『フランス白粉の謎』と同様、オランダとはまったく関係がない。


 そして、タイトルにもなっている『靴』が解決に重要な役割を果たす。


 というよりは、靴ひとつですべて解決したみせたと言っていいだろう。


 読者への挑戦の後、エラリーが遺留品である男性用としては小さめな靴から、いくつもの推理を紡ぎ出し、謎を解いていくクライマックス。


 その推理は鮮やかで。あまりにも鮮やかすぎて……。


 怖かった。恐ろしかった。


 探偵の推理を目にして怖いなど、誰に言っても理解されない。笑われるだけだろう。


 所詮、作り事。人の手で生み出された虚構に過ぎない。


 そんなことは誠司だって百も承知だ。


 しかし、そんな理屈を粉砕してしまうほど怖かったのだ。


 それはあまりにもロジックが美しすぎたからかもしれなかった。


 病院内で管理されるほど貴重品とはいえ、補修された靴一足から複数の推理が飛び出し、しかも、ロジックに穴はどこにもない。


 推理を披露するエラリーが、誠司には――大げさだと笑われるだろうが――神の化身に思えた。信仰とはこういうことなのかと、まざまざと思い知らされた。


 つまり、信仰とは人を越えた存在への恐怖に他ならないのだと。


 だから、誠司は一読して以来、手に取りはしても頁をめくることはできず――特別な一冊になった。外部の事象には寄らず、ただただ内容のみで。


 それを読み直そうと思った理由。


 新年だから……というだけであれば、毎年そのチャンスはあった。


 では、大きな環境の変化――ミューラがこちらへやってきたからか……というと、それも特に関係がないように思える。


 もっと小さな事象が積み重なって、そんな気になったのだろうが……。


「いや、やっぱり、それだとミューラのお陰になるのか?」


 一周回って戻ってきてしまった。ミューラの存在が、そんなに大きいなんて。そんなはずはない。


 釈然としないまま、ミューラが眠る隣の和室へ視線を向ける。


「まあ、どっちでもいいか」


 これ以上は、ドツボにはまりそうな気がして思考を打ち切った。今はそれよりも、『オランダ靴』だ。


 カバーを愛おしそうに撫でてから、深呼吸をしてゆっくりページをめくった。


 大富豪アビゲイル・ドールンが設立したオランダ記念病院を訪れるエラリー。

 そこに勤務する旧友に事件のアドヴァイスを求めるためで、それはあっさりと解決。しかし、せっかくだからとアビゲイルの手術を見学しようとしたとき、事件は起こる。


 アビゲイルは、手術が行われる前に絞殺されていたのだ。


 父であるリチャード・クイーン警視を呼び出し、早速捜査に乗り出すエラリー。


 オランダ記念病院のフランシス・ジャニー外科部長が容疑者として浮上するが、エラリーは即座に否定。


 そして、遺留品である靴。それも、靴紐が切れ、テープで補修した靴にエラリーは注目する。


「そう。この靴紐なんだよな……」


 怖いという印象だけが残っていたエラリーの推理が、誠司の中に少しずつ蘇っていく。


 同時に、徹底したフェアプレイ精神も感じられた。


 さりげなく、しかし、しっかりと配置された手がかり。それでいて、ミスリードもほとんどない。それどころか、フランシス・ジャニー外科部長への容疑など、なりすましと見せかけた本人の犯行なのでは……というマニアなら誰でも思いつくトリックを速攻で潰してしまうぐらいだ。


 初めて読んだときには気付かなかった、構成の妙を感じられた。


 また、初読時は、犯人がほとんど絞り込めているのに秘密主義を貫くエラリーに、『ギリシア棺の謎』での失敗を目の当たりにしているだけに、仕方がないなと受け入れられる。


 これも、再読のメリットだろう。


 そして、三作目にして初めて二番目の殺人が起こる。事件解決に乗り出しておきながら、次の被害者を出すなんて無能という風潮もあるが、正しさを認めつつも、誠司は首を横に振らずにはいられない。


 事件がひとつだけでは、退屈すぎる。


 ただ、客観的に見て、いいところばかりではない。


 登場人物がやたらと多く――実に、30人以上!――しかも登場人物が記号的。本格ミステリィを非難する定型句、人間が書けていないというやつだ。


 認めよう。ストーリーが希薄だという点は認めよう。


 だが、誠司はあえて言いたい。


 そんなこと知るか――と。


 ストーリーとミステリィの融合は、ドルリー・レーンシリーズなどで決着を見ている。


 だから、オランダ靴はこれでいい。これでいいのだ。 


 やがて誠司は、『読者への挑戦』にたどり着く。


 ここから先は、もう、手は止まらない。ほとんど瞬きもせず読み進めていく。


 そこには、豊穣なロジックの沃野が広がっていた。


 やはり、ロジックの美しさは他に類を見ない。それに、説得力も申し分ない。


 パズラーの最高傑作だ――と、言い切ってしまおう。


 きっと、作者であるエラリー・クイーンも自信満々で世に送り出したに違いない。


「あっ……」


 その思いつきで、蒙が啓いたような、ガラスが割れるかのような衝撃に見舞われた。


 きっかけは些細なことだったが、それで自分の中で、消化できたというか……。


 恐ろしさは希薄になってしまったかもしれないが、畏れ奉る存在から、ようやく手が届くものになったような気がする。


 言葉にするのは難しいが、それは、とてもとても幸せなことだった。


「クゥゥン……」

「ああ……」


 文庫本を手にしたまま呆然とする誠司に、コタロウが体を擦り付けてきた。寂しかったのか、甘えた声を出している。


 夢見心地で、そんなコタロウの背中を撫でてやった。


 それで、ようやく――お互いに――落ち着いてくる。


「セージさん……?」


 そこに、目を擦りながら寝起きのミューラが戻ってきた。


「起きたのか、ミューラ」

「わたし、決めました」

「……なにを?」

「今年の目標です」


 意外、予想外。どうしてそんなことを言い出したのか分からない。


 不思議を通り越して、疑わしくさえあるが……。


「とりあえず、聞こうか」

「わたし、料理をします」

「……寝ぼけているんだな。まだ、寝てていいぞ」

「どうしてそういうリアクションになるんですかぁ!?」


 初夢にはまだ早い。

 ……と、言おうとして、ミューラには通じないだろうことに気付く。


「自分で注いだ飲み物が砂のようになる以上、ミューラが料理を作っても魔素(マナ)は回復しないと思うが」

「はい。だから、セージさんの分だけでも、わたしが作ってあげたいんです。」

「……ふむ」


 どうやら本気のようだ。

 それなら無碍にはできないと、誠司は姿勢を正した。


 しかし、根本的な問題がある。


「……料理できるのか?」

「やらないと、できるようになりません」

「一理あるな」


 論理的な正しさを誠司は認めた。


 それが正しいロジックで、説得力があるならば、認めないわけにはいかないのだ。


「まあ、簡単なものから練習しようか」

「はい!」

「でも、三が日はおせちがあるから、その後だな」

「はい!!」

「アンアンッ! アンアンッ!」


 元気よく返事をするミューラに、コタロウもその場で飛び上がって吼える。


 なんだか同レベルに見える一人と一匹を眺めながら、セージは、「明日まで、憶えているかな……」と、聞かれたら「失礼です!」とミューラが頬を膨らませそうなことを考えていた。

これにて、第二章完結となります。

前回同様プロット作成のために一回お休みをいただき、1/15より再開とさせていただきます。


それでは、(恐らく)最終章となる姫様帰還でお会いしましょう。

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