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第四話 コタツの中の失楽

今回、アーサー王伝説のあらすじに触れています。ご注意ください。

 異世界から転移魔法の大成功(・・・)で地球へとやってきた、シルヴァラッド森林王国の第三王女ミューラ・シルヴァラッド。


 彼女の容姿でまず目を惹くのは、背中まで伸びる、緩やかなウェーブのかかった美しい銀髪だろう。有朱から勧められたシャンプーが良かったのか、ただでさえも煌びやかだった銀髪は、さらに光沢を増している。


 サファイアのように輝く大きな瞳も、とても印象的で魅力的だ。


 顔の造型も整っているが、美人と表現するにはまだ年齢が足りないかもしれない。それはつまり、彼女が美しく成長することは約束されているということでもあった。


 その白い肌と細い手足を包むのは、ハイウエストのスカートに、白いブラウス。

 ただでさえも、たわわな双球が強調され、それでいて清楚な印象を与える。ここにミューラの天真爛漫な笑顔が加われば、まさに無敵。


 この服を用意した有朱自身を、「アタシは、とんでもないバケモノを生み出してしまったのかもしれない……」と戦慄させた対誠司用決戦兵器。


「はあぁ……」


 しかし、それを身につけているミューラ本人は、服の攻撃力などまったく意識していなかった。


 宝の持ち腐れだろうか?


 否。ミューラは、それ以上の宝を手に入れたのだ。


「ダメです……。このコタツはダメですぅ……」


 先日、やや早めに行われた三浦家の大掃除。

 それに合わせて導入されたコタツに半ば身を沈め、ミューラはへにゃへにゃと全身を弛緩させた。コタツの天板に頬を載せ、「はああぁ~~」と幸せそうに小さくあくびをする。


 膝の上に乗せたコタロウの暖かさと相まって、完全に骨抜き状態だ。


 ミューラの故郷シルヴァラッド森林王国は、大陸でも南に存在している。つまり、然程北にあるとは言えない誠司の家でも、その寒さは身に染みていた。


 そこに、コタツである。


 冷たくなりがちな足下から、じんわりと暖めてくれる素敵なコタツ。電源を入れなくとも、コタツ布団にくるまっているだけで暖かい。


 その暖かさは、じんわりと全身に伝わっていく。


 優しいぬくもりに心がほぐれ、ついついうとうとしてしまう。


 まるで、母親の腕の中にいるかのような安らかな気持ちになっていく。


 冬の愛しき人、汝の名はコタツ。


「――というぐらい、人をダメにしますぅ……」

「そうか」


 一方、リビングにはいるがコタツには入っていない誠司の反応は冷淡。


 つまり、いつも通り。


 だが、「コタツに出会う前までは、自分がダメじゃないと思っていたのか」と言わない程度には優しかった。


 180cmの長身をソファに沈め、ミューラとちょうど向かう合うように座り――しかし、視線は異世界の王女ではなく愛用のタブレット端末へと向かっている。


 ミューラの服装に興味がないわけでも、魅力的すぎてまともに見れない……というわけでもない。


 よく似合っているのは認めている。だが、彼女が可愛らしいのは、最初から分かっているのだから特筆すべきことではないと考えているのだ。


「ああ……。許してください。このままでは、ダメに、ダメな人間になってしまいますぅ……」

「じゃあ、片付けるか」

「止めてください」


 真顔で。そして、真剣な表情で怒られた。

 その声は堅く、冷たい。コタロウも、雰囲気の違いを感じてか、お腹を晒していた姿勢を正す。


 先ほどまでの骨抜き状態は、どこへ行ってしまったのか。


 今まで見たこともない、ミューラの本気。誠司は、思わずそれに気圧された。


 だが、誰にだって虎の尾は存在する。それを踏んだのだと判断し、誠司は口を閉じた。元より、本気で仕舞おうと思っていたわけではない。


「コタロウちゃーん」


 誠司に圧力をかけたことなど忘れたように、ミューラが猫なで声で三浦家の愛犬の名を呼んだ。

 

 名を呼ばれたコタロウは、ペロペロと舌の出し入れをすることだけで返答に代えた。コタロウもコタロウで、いい年でもあるし、暖かさに骨抜きになっていたのだ。


「ん~。今日も鼻の頭が湿ってますね。健康でなによりですぅ」


 そんな対応をされても、コタロウは嫌がったりしない。


 それをいいことに、ミューラは頭から尻尾の付け根まで、さらさらと一息に撫でた。かと思いきや、耳の後ろやあごなどをピンポイントに、また撫でる。


 それでミューラが正常に戻ったと判断した誠司は、またタブレットに視線を落とした。


 そんな誠司へ、ふと思いついたかのようにミューラが問う。


「セージさん、そんなに面白いんですか?」

「そうだな。これに関しては……面白いというよりは、記憶の確認作業というところかな」

「もっと分かりやすくお願いします」


 ミューラは、元々物怖じしない性質だったが、最近遠慮もなくなってきた。有朱との交流の結果だとしたら、それは喜ぶべきか哀しむべきか。

 それを評価できるのは、恐らく、彼女の故郷――異世界――でミューラと接してきた人たちだけだろう。


 誠司は、生きている以上変化はするものと考えているため、特になにも思わない。変化も進化も劣化も老化も本質的には同一で、避けられないものなのだから。


「アーサー王と円卓の騎士に関して、原典を確認したくなった……という意味だな」

「アーサー様!? アリスちゃんが出演しているアニメに、原典があったんですか!?」


 この秋から始まった、新作アニメ『円卓のシンデレラ』。


 現代の日本からアーサー王時代のイングランドへタイムスリップした女性の主人公が――まあ、どれだけ遡ろうと伝説のアーサー王など存在しないはずだが――紆余曲折を経て『グィネヴィア』となり、アーサー王と円卓の騎士と深く関わっていくというストーリー。


 主人公の名前の時点で悪い予感しかないのだが、原作がゲームと言うこともあり、当然、ハッピーエンドも用意されているそうだ。恐らく、アグラヴェイン卿が頑張ったのではないかと誠司は睨んでいる。


 ただ、アニメがどのルートをたどるのかは、未だ明らかになっていないため、本当にアグラヴェイン卿の活躍が見られるかは未知数だ。

 現実的な話をするならば、誠司が喜ぶ展開は一般的なそれではないため、確率にすると絶望的だろう。そもそも、ゲームなのだから、頑張るのは主人公であるべきだ。


 有朱は、その主人公『グィネヴィア』に仕えるメイド兼友人キャラ『モリー』を演じていた。これは原作ゲームの頃から同じで、続投ということになる。

 この『モリー』、実は記憶を失ったモルガン・ル・フェイであり、ルートによってはキャメロットを守ったり滅ぼしたりもする、二面性のあるキャラで人気がある……らしい。


 当初はあまり注目されていなかった作品であり、有朱曰く「ヒーローの声優さんにお金を使いすぎた」ために、「サブキャラはギャラの安いワタシに回ってきたのよ」ということらしかった。


 結果として人気が出てアニメにもなったが、「運が良かっただけだし」と有朱は浮かれていなかった。


 それでも、「運も実力のうちだろう」と言うと、嬉しそうに笑顔を浮かべたのだが……。


 そのお陰で、ミューラと一緒に毎週視聴することになったのだった。


 円卓の集合がかなり早いような気がするし、円卓と敵対するサクソン人が完全に人食い巨人の侵略者だったりするが悪くはない。


 なにがシンデレラなのかは、ちょっとよく分からないのだけど。


「アーサー様の本なんですか?」

「『アーサー王の死』という、アーサー王伝説の集大成みたいな作品だ」

「アーサー王の死……って、ええ? アーサー様死んじゃうんですかぁ!?」

「まあ、死なないとアーサー王じゃないからなぁ」


 勝利と敗北。そして、栄光と悲劇こそがアーサー王伝説の花である。

 崩壊しないキャメロットなど、蜀が勝利する三国志演義のようなものだ。


 それはなんというか、とても虚しかった。


 そう、蜀が勝利する三国志演義は実在するし、誠司も読んだ上での感想だ。


 蜀が勝利する三国志演義それは『反三国志演義』という。

 作者曰く、「今に伝わる歴史は王朝による改変を受けて」おり、「本当の歴史書は戦乱のなか失われて」しまったらしい。

 そのため、真実の歴史は市井にのみ伝わっている。作者は偶然にも三国時代の真実の歴史が記された『三国旧志』という古文書を発見したので、それをベースに『反三国志演義』を記したそうだ。


 そして、『三国旧志』の前半部が失われていたたため、物語は曹操が徐庶の母親を人質にして徐庶を呼び寄せるところから始まる。

 もう、書きたいところから書き始めましたという事情を隠そうともしていない。いっそ、清々しさすら感じる。

 いやいや、これは真実の歴史なのだ。書きたいところなど、あるはずがない。


 そして、いきなりなのだが徐庶は劉備の元から去らない。趙雲が徐庶の母親を助けて事なきを得るのだ。ちなみに、趙雲は作者のお気に入りだったようで、『三国志演義』には存在しない馬超の妹を出して趙雲と結婚させている。


 そして、龐統も死なない。落鳳坡などなかった。いや、落鳳坡自体創作なので、元々存在しないのだが。


 こうして、劉備の元に孔明、龐統、徐庶の三軍師が揃う。これだけなら、夢のオールスター競演といえなくもない。


 しかし、それが面白さにつながるかというと、首をひねらざるを得なかった。関羽を龐統が、張飛を徐庶がサポートするため、ぽかをしないのだ。当然、二人とも死ぬことはない。


 その上、魏も呉も徹底的に弱く描写されるため蜀は連戦連勝。


 特に、楽進、夏侯惇、司馬懿が好きな人は読まないほうが良いだろう。呉もかなり悲惨で、蜀に追い落とされ台湾に落ち延びようとしたところ海の藻屑に消える。


 ひどい。


 ひどいが、これが真実の歴史なのだから仕方がない。歴史とは残酷なものである。


 結果、五虎将は誰一人欠けることなく蜀が中華の覇者となるのだった。


 しかし、蜀でも不幸な末路を迎えた者がいる――劉禅だ。


 無敵の蜀にもかかわらず劉禅は暗殺され、その子の劉諶――『三国志演義』では蜀が滅亡する際「先帝に詫びる」と劉備の墓の前で妻子とともに自害した――が劉備の後を継いだ。


 執筆の時代背景的に軍閥批判もあって魏や呉の扱いが悪いというのもあるのだが、ここまで徹底して蜀無双を見せられると乾いた笑いしか出てこなかった。


 日本でいえば、源義経が源頼朝を返り討ちにして天下統一するようなものだろうか。


 一時の爽快感はあっても、読後感はなかなか微妙なものになりそうだ。


「セージさん?」

「……ん?」

「……どうしたんです、いきなり黙って」

「いや、関係ない考え事をしていた」

「わたしが目の前にいるのにですか!? またですか!?」


 「可愛いお洋服でセージさんを誘惑します!」という当初の目的を忘れ去ってコタツに耽溺していたミューラだったが、さすがにこの状況で完全に無視をされるのは腹立たしかったようだ。


 コタツの天板から顔を上げ、サファイア色の瞳に、珍しく剣呑な光を湛えて抗議する。


「誰がなにをしていようと、内心の自由は認められねばならない」


 しかし、誠司の反応は素っ気ない……どころではない。

 そもそも、誠司にもっと人としての心が備わっていたなら、こんな格好をしてまでアピールする必要もなかったはず。

 状況は、最初から詰みだったのだ。


「よく分かりませんが……アーサー様ですよ! 本当にいらっしゃったんですか!?」


 追及を諦めたミューラが、せめてもと話を元に戻した。


 どうも、『円卓のシンデレラ』ではアーサーがミューラのお気に入りのようだった。


 金髪碧眼の美少年で人気声優が声を当てており、普段はやや軽めだがやるときはやるというキャラ。当然ながら活躍の場も多い。

 生真面目なランスロットとの関係も――今のところは――問題なく、相棒(バディ)ものとしても見ることができる。


 こうなると、人気なのも当然だ。


 誠司としては、ランスロットが堅物キャラというところに制作者側の仄かな悪意を感じてしまい、素直には受け取れないのだが。困ったことだ。


 アニメのアーサー王はともかく、“実際”のアーサー王はどうだったのか。


「アーサー王の実在に関しては、正直なところ、分かっていない」


 にもかかわらず、彼の生涯はあまりにも有名だ。


「ブリテン……つまりイギリスけど……」


 タブレットを操作して地図アプリを起動し、ヨーロッパ大陸の北に浮かぶ島を指し示す誠司。


「ああ、ここがそうなんですね」


 アニメの舞台となった土地が実際にある。そのことに、ミューラが目を細めて微笑を浮かべる。ただし、コタツからは出ず、体と首を伸ばしながらだが。


「王の子という出自を隠されて育てられたアーサーは、石に刺さった剣を抜き、このブリテンの王となる」

「エクスカリバーですね、エクスカリバー!」


 石や木に刺さった剣を抜くことができる選ばれし者。これは、古代ケルトなどで見られるモチーフだ。

 アーサー王伝説のややこしいところは、こういった古代ケルトの伝承をベースに、キリスト教的価値観がプラスされているところだろう。


 しかも、『アーサー王の死』の中では、最初の剣はすぐに折れてしまう。


「そうなんですか?」

「ああ。そのうち、アニメでもパワーアップイベントでヴィヴィアンが出てきたりするんじゃないか?」

「うう。ネタバレ……」

「嫌なら、この話は終わりだ」

「うううぅぅ……」


 可憐だが、地の底から響いてくるような呻き声。ミューラはその場に身を投げ出し、葛藤で悶え苦しむ。


 もっとも、傍目には、コタツから出たくなくてぐずっているようにしか見えない。その動きに巻き込まれるコタロウは、いい迷惑だ。


「……ちょっと夕飯の準備をしてくるから、その間に考えておくように」


 判断をミューラへ丸投げし、誠司はタブレットを置いて立ち上がった。


「ご飯ですか?」

「ワフゥン! ワフゥン!」

「ああ、違います。コタロウちゃんじゃないです」

「不用意だな」

「それは認めますぅ。でも、早くないですか?」


 時間はまだ16時にもなっておらず、いつもの夕飯の時間まで二時間以上ある。


「出汁を取るのに時間がかかるからな」

「なるほど、お出汁ですか……」


 口調ほどにはよく分かっていない表情で、ミューラは繰り返した。そもそも、今晩のメニューを聞いていないので、分かるはずもないのだ。


 そんなミューラを残して、誠司はキッチンへと移動する。


 土鍋に1.5リットルほど水を張り、そこに手羽先を一パック投入して火にかけた。そして、換気扇を回してリビングへと戻る。


「もう終わりですか?」

「とりあえずはな」

「考える時間、まったくなかったんですけど……?」


 騙しましたねと、寝っ転がったまま誠司を見上げて抗議する。

 ハイウエストのスカートで強調された胸の膨らみは、そんな体勢でもまったく崩れていなかった。


「ネタバレじゃない、一般的な範囲で話そうか」

「はいはい! それでお願いします……」


 ミューラが大賛成と座り直すが、誠司は中身をまったく考えていなかった。

 とりあえずはエクスカリバーについてでいいかと、タブレットのスリープを解除し、ページをめくる。


「ここが、エクスカリバーを抜いたアーサーが王として認められるシーンだ。『剣を抜いた以上、神に認められた王なんだから、いい加減認めろ。認めないヤツは殺してしまえ』って他の騎士が言ってるな」

「殺してしまえって……」

「まあ、騎士だからな」


 騎士も武士も、結局、暴力を対価に糧を得る存在である。血気に逸ったところで、なにひとつおかしいことはない。

 それに、トーマス・マロニーが『アーサー王の死』を編纂したのは、日本で応仁の乱が始まった頃。そういう時代だったのだろう。


「実は、原典である『アーサー王の死』では、この石から抜いた剣が活躍するシーンはほとんどない」

「ええ!? アニメでは、ばったばったと薙ぎ払って、魔法も出してましたよ?」

「ああ、あのビームみたいなのか……」


 演出的に派手になるから使いやすいのだろうと思うが、純真なミューラに大人の事情は伝えがたい。


「なにか、あとで説明があるんじゃないか?」


 さすがの誠司も、お茶を濁すことしかできなかった。


「とはいえ、あくまでもこの『アーサー王の死』はアーサー王伝説の集大成みたいな本でしかないからな。別の本には、エクスカリバーを持ったアーサー王が一人で何百人も倒したという伝承もあるそうだ」

「さすが、アーサー様ですね!」


 うんうんと満足するミューラ。

 一緒に、無意識だろうが、コタロウを撫でる。三浦家の愛犬もご満悦だ。


「それから、これまた混ざりやすい話なんだが……アーサー王が手にする剣は二本ある」


 キッチンで火にかけている土鍋の様子を気にかけつつ、誠司はさらに説明を続ける。

 『アーサー王の死』の著者も二本の剣を混同しているぐらいなので、土鍋と同じぐらい気をつけなくてはならない。


「一振りは、石に刺さった剣。もう一振りが、魔術師マーリンの導きにより湖の乙女ヴィヴィアンから授かった剣」

「だから、一本目はすぐに壊れちゃうんですね」

「ああ。だが、伝承によっては壊れた剣を湖の妖精に鍛え直してもらったというケースもあったりする」


 この辺りの混乱は、元々、石に刺さった剣を抜いて王と認められる伝承と、王になった後に湖の乙女から剣を授けられる伝承の二パターンがあり、それをまとめてしまったのが原因なのだろう。


 なお、『円卓のシンデレラ』では石から抜いた剣とヴィヴィアンから授けられた剣は別物として扱われ、一振り目も壊れはしない。

 二本の神剣を手にしたアーサーは、長剣二刀流スタイルで戦うことになるのだ。


「要するに、『アーサー王の死』でのエクスカリバーの役割は、王権を象徴することなんだろうな。アーサー王に不死をもたらすエクスカリバーの鞘も、王として特別な存在であることを示す役割を持っているんじゃないかと思う」


 ゆえに、アーサー王最後の戦い(カムランの戦い)の前に鞘は失われ、その死に際しては湖の乙女へエクスカリバー――王権――を返却しなければならなかったわけだ。


 つまり、アーサー・ペンドラゴン個人の死ではなく、『アーサー王』の死なのである。


 ――ということは、ミューラには説明できない。


「ああ。この前アーサー様が瀕死の重傷を負ったのに、何事もなかったように復活してヴァイキングの船を沈めたのって鞘の力だったんですか!」

「……ネタバレになってしまったな」

「いえいえ、疑問が解けたので、許します」


 ミューラには珍しい尊大な口調。

 しかし、王家の血のなせる業か、不快感はまったくなかった。


「……さて、ちょうどいいから料理の続きをやってくるか」

「あの……セージさん? ちょっといい匂いがしてきましたけど、今日のお夕飯はなんなんです?」


 手羽先が煮え、換気扇を回していても、その匂いが隣接するリビングに届いている。完全にいい匂い……とまではまだ言えないが、将来性には期待できる匂い。


 それに、一番そわそわしているのはコタロウだろう。くんくんと鼻を鳴らし、しかし、下手に吼えたりキッチンに入ったりしては怒られるためミューラに抱えられたままじっとしている。


「水炊きだ」

「……美味しそうに聞こえないんですけど」


 しかし、ミューラの期待は一瞬でしぼんでしまった。


 誠司が作ってくれる料理だ。

 美味しいのは分かっている。信じている。


 けれど、水で炊く――茹でるとだけ聞いては、期待のしようがない。


「確かに。それ自体にあんまり味はないからな。ポン酢とか薬味で食べるんだ」

「ポン酢……? 酢はお酢として、セージさん、ポン酢のポンってなんですか?」

「オランダ語のポンスが語源だそうだ。ポンスは柑橘類の絞り汁のことで……酢は当て字だな」

「ははぁ……。オランダ……ですかぁ」


 半分ぐらいしか理解できていないようだが、とりあえず、外国由来ということは分かったらしい。


「それを、ちょっと作ってくる。混ぜるだけだけどな」


 ポン酢初体験のミューラは、それが一般家庭で自作することなどほとんどないということが分からない。誠司も、いちいち説明はしない。


 再びキッチンへと向かう誠司の大きな背中を眺めつつ、ミューラは、決断を迫られた。


 約束の地(コタツ)を捨て、調理を見守るか。それとも、コタツ警備員の義務を全うするか。


 難しい、選択だ。


「ポン酢の組み合わせはいろいろあるが、今回はこれを使う」

「セージさん!」


 鍋の様子を確認した誠司が、ガラスの容器といくつかの材料を持って戻ってきた。

 ポン酢作りをキッチンではなくコタツでやるつもりのようだ。誠司にしては甘い対応だが、普段がしょっぱいので甘く感じるだけかもしれない。


「まず、醤油と酢とみりんだな」


 醤油と酢は1:1の割合で混ぜる。みりんは総量の一割ほどで充分。

 これだけで、見た目はポン酢に見える。


「セージさん、柑橘の果汁はどこへ行ったんですかー」

「まずって言っただろ」


 誠司は使い終わった調味料を持ってキッチンへと移動し、今度はすだちを持って戻ってきた。すべてを一度には持って来れなかったのだ。


「あ、昨日、サンマにかけた果実ですね!」


 緑色の果実を目にし、ミューラがうっとりとした表情を見せた。


 すだち、大根おろし、醤油。サンマの脂、内臓の苦み、そしてすべてを包み込む白いご飯。


 昨日の夕飯も美味しかった。


「サンマに使うだけじゃ余るからな」

「わたしは、毎日サンマでも構いませんよ!」

「ワフゥンッ! ワフゥンッ!」


 ミューラの子供のような意見に、コタロウも賛同する。

 意味が分かっているはずがない。ないのだが、サンマを一匹ぺろりと食べてしまうコタロウだけに、あり得ないとは言い切れなかった。


「グリルの掃除が毎日発生するのは面倒すぎる」

「わたしが毎日魔法で綺麗にしたら問題ありませんね!」

「本末が転倒している」


 長い前髪の向こうで目をさらに細め、却下だとミューラへ告げた。

 誠司は半分に切っておいたすだちを絞る。果汁の量は、みりんと同じぐらい。味付けというよりは、風味付け、香り付けに近い。


「……意外といけるな」


 スプーンで少しだけ味見をし、誠司はわずかにうなずいた。


 元のお酢が酸味を抑えたマイルドなものであるせいか、ほとんど味に角を感じない。


 正直、市販品との違いはよく分からなかったが、悪くはない。そして、市販品にそう劣る物でなければ、ミューラにとって、より良い物であるはず。


 誠司はボウルを持ってキッチンへ行くと、最後に出汁用の昆布を一欠片浮かべて、冷蔵庫にしまった。


 そしてまた、リビングへと戻る。


「それで、セージさん。結局、アーサー様はどうなるんです?」

「ネタバレはいいのか?」

「もう、覚悟完了しました」


 そういうことならと、誠司は三度タブレットを操作する。


「エクスカリバーを得て、数々の騎士を味方に付けたアーサー王は、ブリテン島を統一し、ガリア――今のフランスにも進出する」


 誠司は、ミューラのため地図アプリでアーサー王の支配地域を指し示していく。


「さらに、ノルウェーやダキア……今のルーマニアだな。この辺りまで、アーサー王もしくは、同盟を結んだ騎士が支配することになる」

「この大陸のほとんどがアーサー様の物じゃないですか!」


 スペインやイタリアを除く西ヨーロッパ全土がアーサーとその同盟国になってしまっていた。まさに、破竹の勢いだ。


「だが、元々その地域を支配していたローマ帝国と対立することになってしまうわけだ」

「それは、当然ですよね」

「ああ。でもって、あっさりと非実在ローマ皇帝を倒して、ローマ皇帝に即位する」

「非実在皇帝」


 キャメロットと対立するルキウス・ティベリウス帝。

 実際に、その名を持つローマ皇帝は実在していないのだから非実在ローマ皇帝としか言いようがない。


 それに、いいところがなにひとつない、やられ役なのだ。語るべきことも、とくになかった。


「その先の時代は、しばらく騎士たちの物語が続く。代表的なのは、ガラハド卿の聖杯探索だな」

「聖杯ですか?」

「救世主が処刑されたときの血を受けた杯だ。不思議な力を持つ……マジックアイテムって言えばいいのか?」

「なるほど! ……あれ? でも、この世界には魔素(マナ)がないのに?」


 まだ、若干フィクションと現実の区別がついていないようだ。

 まあ、誠司も完全についているとは言えないので、そこには触れない。


 他にも、トリスタンとイゾルデの物語やランスロットの活躍など、本来アーサー王とは無関係の騎士物語が組み込まれていく。


 そして、騎士物語の定番といえばロマンスである。


「ロマンスですか。いいですね……。はっ、つまり、グィネヴィア様はアーサー様のお妃様に!」

「勘が良いな」

「えへへ……」


 嬉しそうに、にへらと相好を崩すミューラ。


「そして、ランスロットと不倫する」

「不倫!? なにやってるんですか、グィネヴィア様……」

「しかも、ランスロットが魔法で騙されて他の女と一夜をともにすると、ガチギレする」

「不倫関係なのに、理不尽ですぅ」

「その怒りを受けたランスロットは、心神喪失状態で二年ぐらい放浪することになる」

「なにやっているんですか、ランス様……」


 後に正気に戻り、ガウェイン卿らとともに聖杯探索に成功するも、不倫の罪で聖杯に触れることができない。

 ……にもかかわらず、その後もグィネヴィアとの関係は続き、アグラヴェイン卿らに現場を押さえられて円卓崩壊の引き金を引くことになった。


 この平和な時代に、後の円卓崩壊への種が蒔かれているということになる。


 これこそが、アーサー王伝説の真骨頂と言えるだろう。


「まあ、アーサー王も実の姉のモルゴースと不倫をするんだがな。そして、生まれた子供のモードレットに反乱され死ぬ」

「モー様って、そんな生まれだったんですか!?」


 そういえば、『円卓のシンデレラ』では既にモードレットがいたなと、誠司は思い出す。既に、破滅の種が蒔かれているのか。それとも、他に設定があるのだろうか。


「というか、ドロドロしすぎですぅ……」

「美女が相手だから仕方ないんだろう。なんか、一目で恋に落ちるパターン多いしな」


 現実的な問題として、そこに尺を取ってばかりもいられないのだろう。

 有名な『ロミオとジュリエット』など、二人が恋に落ちてから死ぬまで、わずか五日間しかないのだ。


「それから、もうひとつ。不倫とはつまり、許されざる恋。それに身を焦がすのが美しい……という価値観なんじゃないだろうか」


 『三銃士』でも、コンスタンスは人妻であった。こちらの場合、夫のボナシューがかなり悪く描かれているので罪悪感はほとんどないが……。


「なるほど。できないからこそ憧れるということですね」


 それなら分かりますと、ミューラは納得した。

 なので、湖の妖精ニムエへの恋に狂って封印されることになるマーリンのことは黙っていこうと思う誠司だった。


「でも、もうちょっと、こう……分かりますよね!? わたしが言いたいこと!」

「アーサーもランスロットも立派で強い騎士なので、強引に弱点を作らないと破滅してくれないんだろうなぁ」

「破滅させる前提ですか!? もう、分かりました。だから、『円卓のシンデレラ』みたいな作品が生まれるんですね!」


 ミューラは、創作の真理にたどり着いたようだった。


「……さて、結論が出たところで俺は水炊きの仕上げといくか」


 気付けば、時間もかなり経過していた。これ以上時間をかけると、またミューラの腹の虫が騒ぎ出してしまう。


「ミューラ。コタツで、コタロウを抑えといてくれ」

「承知しました!」

「アンアンッ!」


 コタロウの抗議を背に、誠司はキッチンへと移動した。


 まず土鍋を確認すると、乳白色のスープが踊っている。手羽先から充分に出汁は取れているようだ。鶏ガラがなかったために、誠司の母親が手羽先で代用して以来、三浦家の定番となっている。

 鶏ガラで出汁を取るのと遜色ないスープを楽しむことができるのだ。


 ぶつ切りにした骨付きの鶏肉も、ほどよく煮えている。これ以上は肉が硬くなるだけだと判断した誠司は、一端火を止めた。


 炊飯器のスイッチは、既に入っている。


 誠司は、土鍋からスープと手羽先や骨付き肉をいくつかコタロウの取り分として取りだしておいた。冷ましておく必要がある。


 それを終えると、残っているのは本当に仕上げだけ。


 白菜は――キャベツにする場合もあるようだが、三浦家では白菜だ――芯に近い部分は繊維に沿って縦に。葉っぱの部分は横に切る。

 春菊は食べやすい大きさにざく切り。ネギは、やや大きめに斜め切り。しいたけは、軸を取って飾り包丁を入れる。


 最後に、薬味の紅葉おろし作り。


 本来は、大根に穴を開け、そこに種を取った唐辛子を刺して下ろすのだが、辛いのが苦手なミューラもいる。

 そこで、大根と人参をすり下ろし、そこに一味唐辛子を混ぜて辛さを調整。


「……これくらいなら、大丈夫だろ」


 味見をして確認すると、誠司はリビングへ呼びかける。


「食べるから、テーブル拭いといてくれ」

「かしこまりました!」


 ウェットティッシュを取り出すミューラ。

 それを横目で確認しつつ、卓上コンロなど必要な物を用意していく誠司。


「これが水炊きですか……」


 五分もせず、むわっとした熱気とともに、水炊きがミューラの前に姿を現した。


 乳白色のスープは見るからに濃厚。その奥に沈むぶつ切りの鶏肉たちは、実に蠱惑的。おとぎ話の妖精のように、ミューラを誘う。


 いや、誘っているのはミューラだけではない。


 その芳醇な香りにやられているのは、コタロウも同じ。否、もっと酷いかもしれない。普段なら落ち着きなく周囲を歩き回ったり、誠司やミューラにおねだりをするはず。


 それなのに、自主的にお座りをしてじっと待っているではないか。例外は、ぶんぶんと振られる尻尾だけ。


「最初はどうなることかと思いましたが、これはなかなか期待が持てるんじゃないですか?」

「まず、スープだけ飲んでみてくれ」

「なんとぉっ!?」


 肉禁止令が出されコタツから飛び上がらんばかりだったミューラだったが、それが作法なら仕方がないと受け入れる。

 スープを皿に取り、誠司が自作したポン酢を少し垂らした。


 疑問を表情に浮かべながら、赤い唇を皿に近づけ……。


「おいしいーです! なにこれ、美味しいですよ、誠司さん!」

「……ああ。よくできてるな。自分で言うのも、なんだが」


 ミューラが、残っていたスープを一気に飲み干す。

 誠司の淡泊な反応も気にならないほど、スープは濃厚だった。


 なにが美味しいと具体的な説明はできない。しかし、口に入れた瞬間、脳が、体が、本能が美味しいと叫んでいた。

 味わい深く、それでいて口当たりが良い。少し垂らしたポン酢も、驚くほど効いている。


 滋味に富むとは、こういうことなのだろう。体が元気になり、心の底から温まるスープだった。


「スープを飲んだら、あとは肉を食べる」

「はい! お任せください!」

「……骨には気をつけろよ」


 誠司が肉を取り分け、ミューラに任せると使いそうにないので、紅葉おろしも入れてポン酢を垂らしてやる。


「いただきます!」


 そして、はしたないなどとは思いもせず、骨付きの鶏肉を箸で取って、猛然とかぶりついた。


「んんんぅ~~~」


 しっとりとした柔らかい肉。噛めばじゅっと旨味が溢れ出し、幸福も一緒に流れ込んでくる。


 皮の部分も柔らかく、それでいて脂の旨味に溢れている。それだけならくどく感じてしまうかもしれないが、ポン酢の酸味と紅葉おろしとが綺麗に洗い去ってくれた。

 自作だからと誠司は自信なさげだったが、とんでもない。このポン酢がなければ、水炊きは完成とは言えないだろう。


 骨まで食べられる……とはさすがにいかないが、軟骨もほとんど堅さが感じられないほど煮込まれている。

 それを器用に取って食べるのも、また楽しかった。


 一方、誠司は出汁を取った手羽先に箸を付ける。


 唐揚げなどにしても骨があって食べにくい手羽先の部分は、じっくりと煮込まれて小さな骨なら、こちらは骨ごと食べられた。

 その行為自体プリミティブで気持ちいい。


 比較的大振りな手羽中の部分には肉が充分に残っており、皮とのバランスもいい。肉と脂の両方が楽しめる。


 出汁を取ったはずなのに、肉まで食べられる。しかも、美味い。


 鶏肉を一番上手く食べる料理なのではないかと、密かに自画自賛する誠司だった。


「はうぅ……。お肉……。わたし、やっぱり鶏肉が一番好きです!」

「そうだな。美味い」


 普段、あまりストレートな表現をしない誠司も、この時ばかりは素直なもの。

 ミューラと違って初めて食べるという感動はないが、当たり前に美味いという満足感がそこにはあった。


「大根おろしには、消化を助ける働きがある。一緒に食べるといいぞ」

「なるほど、なるほど」


 相槌を打ちながらミューラは次の肉に取りかかる。

 ご飯茶碗を片手に、ポン酢がついた鶏肉をご飯の上に乗せてから口へ運ぶ。数回咀嚼してから、続けざまにご飯も口内に招き入れた。


「このちょっとポン酢の染みたご飯が、また最高ですね! って、セージさん、なんでご飯食べてないんです!? それでも、ご飯の国の人ですか?」

「おじやが残ってるんだから、そんなにばかすかは食べられない」

「セージさん、かわいそう……」


 王女様の同情に苦笑しつつ、誠司は箸を置いた。

 ご飯をつぎに行くのではない、愛犬が限界だと察したのだ。


 コタツから出てキッチンへ舞い戻ると、餌皿にドッグフードを入れ、先ほど取り分けたスープをかける。堅いドッグフードがふやけていくのを見計らい、鶏肉も上にトッピングする。


「アンアンッ! アンアンッ! アンアンッ!」


 先ほどから誠司の一挙手一投足を見守っていたコタロウが、ついにか。ついになのかと吠え立てた。

 怒りたいところだが、まあ、仕方がない。


「よし!」


 早々に許可を出すと、コタロウは猛然と餌皿へ襲いかかった。

 その勢いは、食べるという表現では、不足してしまうほど。ポメラニアンのような犬種だろうと、元をたどれば獲物を仕留めて生きてきた。


 そう感じさせる勢いだ。


 がつがつと、ほとんど噛まずに飲み込むよう速さで餌皿は空っぽになった。


 一瞬で食べてしまうと、なにも残っていない皿を必死に舐めている。


「明日の分もあるからな」


 楽しそうに、嬉しそうに。

 長い前髪の奥で細い目をさらに細めると、誠司は自分の食事に戻る。


 戻って来ると、鶏肉もそこそこ減っていた。


「えへへ……」


 幸せそうにはにかむミューラ見ると、なにも言えない。


「野菜を入れるぞ」 


 誠司はそう宣言すると、ミューラの返事も待たずに、白菜、しいたけ、春菊、えのき茸、葛切り、豆腐、ネギといった食材を順次、鍋へと投入していく。


「ああ……。お肉の楽園が失われていきます……」

「キャメロットも崩壊するんだ。そういうものだと思って見守るしかないな」

「これが、諸行無常なんですね……」


 そんな言葉、どこで憶えたのか。

 無常観を湛えつつ、ミューラは野菜が煮えていくのを見守った。


「別に、これで肉が食えなくなるわけじゃないだろ」

「それもそうですね」


 いや、あっさりと食事に戻った。


 しかも、野菜が煮えるとあっさりと前言を翻す。


「わたし、実はお野菜はそんなに好きじゃないんですけど……」

「……秘密を告白するように言われてなんだが、よく知っている」


 えのき茸を食べ終えてから、誠司は言った。

 しゃきしゃきとした歯触りが良い。


「ええ!? いえ、それはともかく、よく煮てトロトロになった白菜さんだけは認めてあげたいと思います」

「トロトロなら、ネギもあるだろう?」

「ええ~。だって、火傷するじゃないですか。その意味では、お豆腐さんもギルティですね」

「落ち着いて食べなさい」


 誠司は一言で切って捨てるが、ミューラは気にした様子もない。

 気にするべきなのだが、結局、鶏肉の大半がなくなるまでミューラのペースは変わらなかった。


「はあぁ……」

「満足そうだな」

「はい。もう、お腹いっぱいですぅ……」

「そうか。じゃあ、おじやは――」

「――食べます」

「…………」

「いただきます」

「……分かった」


 もちろん、食べてくれたほうが片付く。

 それはまちがいないのだが、釈然としないものが残るのは確かだった。


 しかし、それに拘泥する誠司ではない。


 ご飯、溶き卵、小口切りにしたネギでおじやのベースを作り、土鍋に蓋をした。


「そういえば、セージさん」

「ん? おじやなら、もう少しかかるぞ」

「それは待ち遠しい……って、違いますぅ」


 嵐のように食べ――いや、貪ると表現したほうが適切か――ていたミューラも、落ち着いたようだった。

 ミューラは少し鍋に意識を取られつつも、ぶんぶんと首を振って誘惑を断ち切ることができる程度には。


「アーサー様が架空の王様というのは分かりましたが……だったら、なんでハッピーエンドにしなかったんでしょう?」

「……それは、考えたことがなかったな」


 先ほどまでの食事風景との落差に誠司はやや戸惑う。

 だが、それも一瞬のこと。


「確かに、キリスト教を守護する永遠の王国を作っても、いいはずだよな……」


 三国志演義と違い、いわば好き勝手に脚色できる題材だ。実際、本来は無関係だった騎士物語も組み込んでいる。

 それなのに、なぜ、結末を変更しなかったのか。


 それこそ、『反三国志演義』のように。


「実在しないからこそ……だろうな」


 沸騰を始める鍋の音を聞きながら、誠司は静かに答えを出した。


「……どういうことです?」

「自分たちの先祖には、こんなに偉大な王がいた。でも、実在しないわけだから、滅んでいなければならない」


 それならば、理想の滅び方であるべきだ。


 騎士の理想を体現したアーサー王も、罪を犯している。


 それが、モルゴースとの過ちだ。


 その罪は、雪がれねばならない。

 だから、最後に命をもって罪を贖った。不義の子であるモードレット卿と、相討ちという形で。


 それでこそ、いや、そうしなければアーサー王伝説は完結しないのだ。ゆえに、アーサー王はエクスカリバーを奪われ死ななければならなかった。 


「……という説はどうだろう?」

「それが、騎士の生き様ということですね」

「生き様に殉じる。まさに、騎士じゃないか」


 思いつきの割には、結構説得力があるのではないだろうか。


 おじやを作っている土鍋を前に、誠司は一人満足そうにうなずいた。


「では、セージさん。わたしも、王女の生き様に殉じるべきではありませんか?」

「王女の生き様?」

「はい。危ない所を助けてくれた勇者様と、恋に落ちる。これこそ、王女の生き様ではないでしょうか?」


 得意げな表情で「どうだ!」と、言わんばかりのミューラ。


「ふむ……。そうだな」


 誠司は意外にも、一理あるとでも言いたげに重々しくうなずいた。


「分かった」

「分かってくれたんですか!?」


 まさかこれが通じるとは思わなかったミューラが、飛び上がらんばかりに驚く。軽く放ったジャブでダウンを奪うことになれば、それも当然だろう。


「しかし、ひとつ問題がある」

「乗り越えましょう、一緒に」

「道ならぬ恋をミューラへ提供するためには、まず、俺が結婚する必要が――」

「あーあーあー!」


 ミューラが両手を無茶苦茶に――あるいはでたらめに――振って、誠司の言葉を遮った。まるで、そうやって誠司の言葉をかき消そうとしているかのように。


「ダメです! それは乗り越えちゃ駄目なやつです! アリスちゃんに聞かれてたら、即死でしたよ!?」

「ミューラが有朱をどう思っているのか、よく分かった」

「そういうことは冗談でも言っちゃダメなんですからね。ダメダメですよ」


 興奮しすぎたミューラは、もう話を聞いていない。

 同時に、自分で言ったこともすっかり忘れているようだった。


 そんなミューラはとりあえず置いて、誠司は土鍋の蓋を開いて中を確かめる。


 卵には火が通り、散らしたネギとのコントラストが美しい。米も出汁を吸ってつやつやと光っている。実に、美味そうだ。


「ミューラ、おじやできたぞ」

「はっ! わたしは、なにを……?」

「どれくらい食べる?」

「とりあえず、大盛りでお願いします!」


 美味しいご飯を食べて、魔素(マナ)を補充する。

 これが、現時点における王女(ミューラ)の生き様だった。

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