第一話 ハロウィンには遠すぎる
お待たせしました。更新再開します。
なお、前話に登場人物等紹介を投稿しています。
作中で紹介した小説にコメントしてたりしていますので、興味があればそちらもどうぞ。
「トリック・オア・トリート!」
とある日曜日の昼下がり。
誠司がコタロウを抱きながら玄関を開けると、そこには金髪をツインテールにした美少女が立っていた。
しかも、ただの美少女ではない。
ファッション雑誌のモデルを務め、最近は声優としても活躍しているとびきりの美少女。身長は150cmほどと小柄だが、より美しく成長する余地があるということ。
彼女のヘイゼルの瞳は子猫のように挑戦的な光が灯っており、それと常に自信ありげな笑みを絶やさぬ表情と相まって。小悪魔的な魅力を醸し出す。
それが、浦賀有朱という少女。
その上、ハロウィンの決まり文句を口にしたように、身につけているのはただの普段着ではなかった。
深い赤をベースに、黒いレースなどで彩られた女吸血鬼風のドレス。体の前面に黒い飾りリボンがいくつかつけられているが、それがコウモリを思わせ、さらに吸血鬼っぽさを演出する。
チョーカーとストッキングといったサブアイテムも決まっていた。
「ワフン、ワフン」
「ふふん。イタズラしたくなっちゃった?」
「いや、コタロウは俺の代弁者じゃないんだが」
そもそも、なぜ吼えたのかも分からない。
しかし、そんな物関係ないと有朱がその場でぐるりと回ると、大胆に背中が開いているのが見えた。
クラシカルでありながら、可愛らしさもある仮装。
それでも普通なら“浮いて”見えてしまうのだが、有朱にかかるとそんなことは起こらない。実に自然に、それでいて魅力的に着こなしている。
しかし、残念なことがひとつ。
「ハロウィンは、あと350日ほど先じゃなかったか」
「そこは、二週間前に終わったで良くない!?」
「前向きに捉えたほうが有朱らしいかと思ってな」
「え? 一体なんですか?」
そこに、三浦家の同居人であるミューラ・シルヴァラッドが現れる。
ふんわりとした長い銀髪は、今は無造作にリボンで束ねられ体の前に流されていた。ラフだが、その装わない雰囲気が、さらに魅力を増幅する。
いや、結局のところ、どんな格好でも彼女は魅力的なのだ。
それは整った顔立ちも理由のひとつ。
やや幼くはあるものの、その造型は人の手で忠実に写し取ることは困難。ミューラの美しさは、彼女の快活さや天真爛漫な性格にも起因するのだから、当然と言えば当然なのだが。
ミューラが地球に訪れ、二ヶ月ほどが経過した。季節は、晩夏から初冬へ。ミューラも、すっかり地球での生活に順応している。
そして、魔石に魔素も順調に溜まっていた。
季節の移り変わりに合わせ、ラフなTシャツやスウェットは卒業。
今は、タートルネックのセーターとデニムという多少ファッショナブルな装いだった。いや、このアイテムだけ見れば、まったくファッショナブルではない。
ただ、素材が良ければ、そういった問題は雲散霧消する。
特に、セーターに走っている縦線。
その胸部にのみ現れる歪みが、ミューラの魅力をまた著しく強調していた。
「イタズラとか聞こえましたけど……って、アリスさんすごい! かわいいですね」
「まあ、ミューラにほめられても嬉しくはないけどね」
当初はいがみ合っていた二人も、今では親友とまでは行かないが、それなりに仲の良い友人同士にまでクラスアップしていた。
「そうだな。まあ、可愛い部類だろうな」
「セージくんがアタシをほめた……ですって……?」
「ぶー。セージさんがほめたのは、服ですからね。服ですからね」
そこを切り離して意味があるのか。
誠司には疑問だったが、盛り上がりに水を差しても意味はない。
そう考え、腕の中のコタロウをあやした。
特別、有朱が好きというわけではない――コタロウは人見知りしないので――が、人が増えて嬉しそうだった。
ぶんぶんと尻尾を振り、地面に下りようと身をよじる。
しかし、玄関が空いていると勝手に出て行く癖があるため、自由にさせるわけにはいかなかった。
「やっぱり、アタシにイタズラしたくなったんでしょ?」
「それは立場が逆だ。あと、中に入れ。寒いだろ」
「うー。完全にスルーだし」
唇をとがらすが、慣れているのだろう。
玄関脇に置いていた紙袋とコートを持って、有朱が家の中に入ってくる。
ミューラの存在は、未だ近所には秘密。これでようやく一安心と、誠司はコタロウを床に下ろした。
「ただいま~」
「そこは、お邪魔しますではないでしょうか?」
「まあ、ハロウィンと同じく、ちょっと早い予行演習みたいなものよ」
ミューラになにを言われても余裕綽々。
有朱は、平然と自分の家のように行動する……が、コタロウが足に飛びかかってくるとなると話は別。
「ああ、ストッキングが伝線するでしょ」
慌てて、コタロウを遠ざける。
「キュウウン……」
「大丈夫ですよ~。コタロウちゃんにはわたしが。このミューラ・シルヴァラッドがついてますからね」
「ぐぬぬ」
火花を散らす美少女二人。
間に挟まれたコタロウは、順番に鼻先を押し当てて仲裁しようとするが二人に和解の意思は芽生えない。ハーレムルートは遙か遠いようだった。
しかし、誠司はそんなことは気にしていない。
「ところで、どうしてハロウィンなんだ?」
いや、もっと気になることがあったと言うべきか。
「だって、ハロウィンの日も仕事でなーんにもできなかったんだもん」
「それでコスプレか」
別にやる必要はないだろうとは、思っていても言わない。
いや、実際に思っているしハロウィンに興味もないが、有朱が盛り上がっているのに水を差す必要ないだろう。
その程度の配慮は、誠司にも可能だった。
「ハロウィン……ですか?」
そんな二人についていけない王女が一人。
最近はテレビなどで地球の知識も仕入れているが、どうしても偏りがある。
「確か、シブヤという盛り場で若者が狂乱の宴を繰り広げるという……?」
「盛り場って、今時聞かないわね」
狂乱の宴も、微妙なところだ。
「お盆……と言っても分からないな。一年の終わりに死者が親族の元へ訪れる日とされている」
「え? アンデッドが? ゾンビやレイスが出現するんですか?」
「そういうんじゃないな、きっと」
いきなり、『猿の手』のようなホラーになりかけた。
二人をリビングへと誘導しつつ、誠司はさらに説明を重ねる。
「祖先の霊が現世の家族と再会し、それに乗じて悪霊なんかも騒ぐ日だったらしいな、ハロウィンは。もちろん、実際に来るわけじゃないが」
説明が足りない気もするが、ハロウィンを一言で説明するほうが難しい。
元々は古代ケルトのお祭りだったが、クリスマス同様キリスト教が吸収。さらに、19世紀以降アメリカで広まったため、様々な要素がミックスされているからだ。
「なるほど。あくまでも伝説や伝承の類ということですね。となると、仮装も魔除けの一種でしょうか」
「そうだな。まあ、仮装をして騒ぐ日程度の認識で良いんじゃないか」
びっくりしましたと、ミューラが胸を撫で下ろす。
まあ、撫で下ろすといっても、なだらかとは正反対なのだが。
それを憎悪すらこもった瞳で見つめていた有朱だったが、気を取り直して紙袋を二人にどんと突きつけた。
「というわけで、コスプレ衣装を持ってきたわよ」
「コスプレ……ですか?」
「そうよ。セージくんも好きなコスプレよ」
「見る方と着る方、どっちですか!?」
ミューラの存在が有朱に露見してから、約二ヶ月。
その間、何度か査察と称して誠司の家を訪れているため、この程度のやり取りはよくあることだった。
誠司は、下手に反論せずリビングのソファに移動する。
正直、若いパワーにはついていけない。
だが、そんな逃げを有朱が許すはずもない。
「仕事で忙しくてハロウィンなんてできなかったんだから、付き合ってくれても良いわよね?」
そう上目遣いで瞳まで潤ませて懇願する有朱。
「そういうことなら……仕方ないですね」
「断る」
「って、ええーー?」
ほだされたミューラと、我が道を行く誠司。
これまた、ありふれた光景だった。
「え? なんで? セージさん、なんで梯子を外して?」
「安心しろ。事が終わったら梯子は戻しておく」
有朱も、誠司の反応は予想通りだったのだろう。
生贄が確保できたと、ほくほく顔でミューラを和室へと押し込んでいく。
「ミューラは魔法使いなんでしょ? だから、魔女ね?」
「いえいえ、伝統ある導器魔法を雑多な魔女術と一緒にされては困ります」
普段はふわわんとしているミューラも、そこは譲れないところなのだろう。真顔になって、有朱へ抗議をする。
「え? 魔法使いも魔女も一緒でしょ?」
けれど、一般人は無理解だった。
本格ミステリと社会派ミステリを一緒くたにされ、憤っていた過去を思い出す誠司。まあ、今では一周回って、どっちも良いということで落ち着いているのだが。
「あ、コタロウも来なさい」
まったく気にした様子もなく、有朱はコタロウも和室へ連れ込みふすまをぴしゃりと閉める。
だが、それはすぐに顔ひとつ分、開いた。
「セージくん覗かないでね」
「もちろん」
「ちなみに、今のは“振り”だから」
「俺の行動は、俺が決める」
「もう、セージくんは堅物なんだから」
「あの……着替えるのはわたしなので、覗かれるのもわたしなのでは?」
「細かいことは気にしないの!」
そして、誠司は一人残される。
ふすまの向こうから、かしましい声が聞こえてきても疎外感は憶えない。ソファに180cmはある長身を沈めて目を閉じる。
ただ、少し思うところがあった。
仮装の定番のようになっているが、なぜ古代ケルトなのに吸血鬼なのか……と。
いわゆる早すぎた死体の存在や黒死病への恐怖が、吸血鬼伝説の根幹にあるとされており、いわば汎ヨーロッパ的な妖怪と言えるだろう。
その意味では、霊に関するイベントであれば、吸血鬼が登場するのもある意味で当然なのかもしれない。
誠司は、そう考えを改める。
古来より、欧州では吸血鬼伝説が存在していた。
しかし、その吸血鬼の代名詞とまでになったドラキュラこそが、一躍メジャーにした存在と言える。
レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』という先鞭があったとはいえ、ブラム・ストーカーの偉大さは変わらない。
ドラキュラが有名になることでヴラド・ツェペシュへの深刻な風評被害を生み出したが、それも、作品の魅力があったからこそと言える。
確かに、今の基準で読めば、血液型を一切配慮しない輸血シーンなど酷いを通り越して笑ってしまうし、ドラキュラ伯爵が怪しすぎて、城に滞在を続けるジョナサン・ハーカーが馬鹿のように見える。
それでも、船でイギリスに上陸するシーンや、ドラキュラ伯爵の毒牙に徐々に蝕まれていくルーシー・ウェステンラなど読んでいて――結果を知っているにもかかわらず――ドキドキハラハラさせられる。
そして、その毒牙はヒロインであるミナ・ハーカーにも及ぶのだが……そこに現れる、ヘルシング教授の頼もしさ! 王立国教騎士団が設立されるのも当然と言えよう。
超自然の、どうしようもない相手へ対抗できる唯一の存在。
この頼もしさと格好良さは、理屈抜きに好きになってしまう。
クトゥルー神話における、シュルズベリィ博士にも通じるものがある。まあ、シュルズベリィ博士の存在というか、ダーレス自体に賛否両論あるだろうが……。
だからだろうか、ドラキュラ自体は、一種の舞台装置となってしまうことも多い。
それが最も推し進められたのは、キム・ニューマンの『ドラキュラ紀元』だ。
これは、ヘルシング教授らが敗北し、ドラキュラが勝利したヴィクトリア女王時代のロンドンを舞台にした物語。
ドラキュラはヴィクトリア女王の王配として実質的にイギリスを支配している。
そのため、ロンドンは新旧の吸血鬼が入り交じって暮らす世界になっており、そんなゴシックなロンドンを舞台へさらに、切り裂きジャック事件をぶち込むという豪華な作品だ。
切り裂きジャック事件を追うのは、女吸血鬼ジュヌヴィエーヴと、秘密機関の諜報員ボウルガードというコンビ。
女吸血鬼ジュヌヴィエーヴは作者のお気に入りらしく、ファンタジーヨーロッパ世界を舞台にした小説にも登場している。
その一作目『ドラッケンフェルズ』は誠司も読んでいるのだが、その時は「なんか悪い男に騙された頭の悪い女だな」としか思わなかった。
しかし、『ドラキュラ紀元』のジュヌヴィエーヴは段違いに可愛い。
それは、ドラキュラより古い血筋を誇る高貴な美少女で、400歳以上だが見かけは吸血鬼になった16歳のままというあざとい設定の勝利とも言える。
言えるが、これは、主人公ボウルガードの格好良さと不可分だろう。主人公が格好良いからヒロインが可愛く、ヒロインが可愛いからこそ、主人公の格好良さも際立つのだ。
戦闘能力では吸血鬼たちに劣るものの、マイクロフト・ホームズ率いる諜報機関ディオゲネスクラブの一員であり、銀の仕込杖でボウルガードは対抗する。
これだけで、男の心を沸き立たせるに充分だ。
切り裂きジャック事件そのものすら、実はエンディングシーンのためのお膳立てに過ぎなかったという構成には唸らされる。
まあ、海外物特有のぶつ切り感あふれるラストは難点なのだが。
そして、ドラキュラの舞台装置化は第一次大戦を舞台にした『ドラキュラ戦記』を経てシリーズ完結作の『ドラキュラ崩御』において完成する。
これはもう、見事と言うほかない。
もちろん、ボウルガードとジュヌヴィエーヴの恋物語としても『ドラキュラ崩御』は切なくて良い。
吸血鬼化を拒むボウルガードは、本当に切ない。それでもジェームズ・ボンドを軽くひねってしまう辺り、実に格好良いのだが。
結論として、長命種と人間の恋は素晴らしい題材だなと思う誠司だった。
「じゃーん。お待たせ!」
そのタイミングで、バァンとふすまが開く。
「せ、セージさん……どうでしょう?」
恥ずかしそうに。
しかし、なにかを期待しながら、おずおずと和室からリビングへと出てくるミューラ。
「……かわいいな」
思わず口をついて出ていた。
ただし、誠司の視線はずっと下を向いている。
マントに当たる上の部分は黒く裏地は赤い。ワイシャツを模した前肢と首の下の部分は白くなっている吸血鬼スタイルの服を着たコタロウに。
「ハグググッ! ハゥゥゥッ! 」
ほめられたコタロウは、しかし、そんなことは知ったことじゃないと邪魔くさそうに吼えた。
「そう。犬さんに服を着せると可愛いんですよね……って、違います。わたしですよ、わたし!」
一瞬同意しかけて、すぐにマントをはためかせて抗議するミューラ。
有朱が言ったとおりの魔女スタイル。
黒く尖った帽子に、同じく黒のマントだけなのだが、充分に魔女だと分かる。ワンポイントでオレンジ色を使っているのもハロウィンらしい。
ただ、なにを勘違いしているのか、掃除機のホースを手にしているのはマイナスだった。
「箒の代わりか?」
「どう? アタシのコーディネートもやるでしょ?」
有朱ほど本格的ではないが、それが逆に素朴な味わいとなっている。
可愛いや綺麗よりも面白いにベクトルが振れてはいるが、そこは、モデルが違う。
「あの……。じっと見られると……セージさん?」
「なんだ?」
「なんだか、いかにもって感じで、恥ずかしいのですが……」
銀髪のお姫様がもじもじと身をよじって照れる姿など、滅多に見れるものではない。
そういう意味でも、実に貴重な光景と言えた。
「はーい。踊り子さんには、手を触れないでくださーい」
「……どこで憶えたんだ、そんなの」
なんだか妖しい雰囲気を感じ、有朱が誠司とミューラの間に割って入る。
誠司からは違う意味で不審の視線を向けられるが、有朱は動じない。
「なんか、目がエロかったしぃ」
「ええ? セージさん、そんな……」
今度は、少し嬉しそうに身をよじるミューラ。
それもまた面白くないと、有朱は切り札を出すことにした。
「というわけで、セージくんは、これ許したあげる」
そう言って有朱が取り出したのはカチューシャだった。
それも、猫のような耳がついたカチューシャだ。
「断る」
「えー。ノリ悪くない?」
「俺は犬派だ」
「セージさん、そこなんですか!?」
それ以上に重要なことがあるだろうか。
人は、宗教で同じ人を殺すのだ。それと同じことである。
――などとは言わず、セージはただ、無言で拒絶した。
「仕方ないわね。犬耳で勘弁してあげるわ」
「あるんですか!?」
「当然じゃない。尊敬した?」
「いえ、初めてアリスさんが役に立つなと思いました」
「初めて!?」
役に立つのほうがひどいのではないかと誠司は思ったが、まあ、蒸し返す必要もないと引き続き沈黙を守る。
それを同意と解釈した……訳ではないだろうが、問答無用と有朱が犬耳カチューシャをはめてしまった。
「ほい」
「うわぁ……」
それは歓声なのか、あきれの声なのか。
無理矢理やっておいて後者ではあまりにあまりだが、評価としては妥当だろうと誠司も思う。
大人に、こんな事をしてなにが面白いのか、理解に苦しむ。
「写メ取るから、そのまま。そのままね」
「アリスさん、アリスさん。後で印刷してくださいね」
そのスマートフォンを向けられても、誠司は微動だにしない。ただ、なすがままになっていた。
抵抗が無意味だと知っているから。
その状態で、やったことと言えばひとつ。
「ところで、今日の夕飯はなにが食べたい?」
誠司は、面白くなさそうにリクエストを尋ねることだけだった。
「さて、今日はせっかくなので、ハロウィン料理を作ります」
「誰に向かって説明しているんだ?」
「そりゃ、一人しかいないっしょ」
「まあ、それもそうか」
キッチンに立つ、誠司と有朱。
「頑張ってくださいね!」
その対面で、コタロウとともに応援するミューラ。
ミューラには、嫉妬や邪気の欠片もない。ただ純粋に、美味しい料理を望んでいた。
「はー。なんか、やりにくいわ……」
「場所変わるか?」
「いやいや、そういう意味じゃないから」
視線を明後日に向ける有朱を見下ろしながら、誠司は調理を始めることにした。
まずは、役割分担だ。
「ピラフは有朱に任せる」
「おっけ。でも、材料切るだけよね」
「それが一番大変なんだ」
料理で一番時間がかかり面倒なのは下ごしらえ。
それが終われば、八割方調理は完了と言って良い。
「まずは、こいつからだな」
誠司が、メインとなるカボチャ丸々一個を、細い目で見つめる。
今日のリクエストは「ハロウィンっぽい料理」。確かに作り慣れていなくて大変だが、献立を考える苦労に比べたらどうということもない。
特に、普段ミューラに尋ねても「お肉が良いです!」としか返ってこないので、今回のリクエストは価値が高い。
肉が良いだけなら、コタロウに聞くのと変わらない。
そのリクエストに従って、レシピを検索した結果、今日はカボチャのシチューとやはりカボチャ入りのピラフとなった。
しかし、一人暮らしだった――一年後にはまた過去形ではなくなるのだろうが――誠司は、カボチャ一個など買ったことがない。
緊張はしないが、感慨深かった。
そのカボチャをふんわりとラップで包み、丸のまま電子レンジにかける。時間はおよそ8分。あまり加熱しすぎても問題が出るので、様子を見ながらだ。
その間に、シチューの材料を用意する。
具材は、タマネギ、ニンジン。それから、彩りを考えてインゲン。
それらを黙々と一口大に切り揃えるのだ。
見れば、有朱はニンジンの皮むきを終え、輪切りに取りかかっている。そこからさらに型抜きをするつもりのようだ。
こういう細かい作業は、女の子ならではだなと誠司は感心する。
しかし、感心ばかりもしていられない。
「鶏肉は、こっちでやっておく」
「ありがと、セージくん。愛してる」
「そうか」
相変わらずの塩対応。
しかし、それがミューラには親密さの証と映ったようだ。
「なんで平然と言えるんでしょう、二人とも……」
あきれているような、おののいているような声をあげた。
そんなミューラには目もくれず、鶏のもも肉を2cm程の幅に切っていく。
そうして下ごしらえが一段落すると、電子レンジが鳴った。
「あ、セージさん終わりましたよ?」
今やすっかりと、電子レンジの音が鳴る=美味しい物が出てくると認識を刷り込まれたミューラが、得意げに言った。
それに少しだけ苦笑を零しつつ、誠司は電子レンジからカボチャ丸々一個を取り出す。
「熱くないの?」
「熱いな」
しかし、我慢できないほどではない。
ラップを外し、上の部分を切り取る。器の蓋になるので、ゴミにはしない。
スプーンをカボチャに突き入れると、ほとんど抵抗なく中身を取り出せた。ちょうど良さそうだ。黙々と中身をくりぬき、種と身を分けていく。
「よし。アタシのほうは準備完了」
米を洗い、規定量の水を張った有朱。
星形にくりぬいたニンジン。誠司が扱っているのとは別の、くし切りや三角形にしたカボチャ。それに誠司が切った鶏肉。
これらの下準備した食材と顆粒のコンソメを炊飯器に加え、炊き込みモードで炊飯をスタートさせる。
「じゃあ、あとはこいつに顔を作ってくれ」
「おっけ~」
だいぶ冷めたカボチャを持って、台所からダイニングテーブルへ移動。
「なにをするんですか?」
「ミューラは、そこで見てなさい」
この二ヶ月の付き合いでミューラの美術センスを熟知している有朱が、果物ナイフでカボチャの表面を削っていく。
「あ、お顔を彫るんですね」
三角形の目と、コウモリの形にも似たギザギザの口。それに、鼻を慎重に彫っていく有朱。やり過ぎて貫通したら台無しだ。
「わたしもやりたいです」
「気が散るから黙ってて」
「うう、セージさんのように冷たいです……」
「それは似たもの夫婦ってことね」
「違います、似ていませんでした。セージさんのは、もっとこう、心を抉りこんでくるような感じでした!」
「そーよ! そうなのよね……」
かしましい少女たちを尻目に、誠司は調理を進める。
カレー・シチュー用として予め角切りで売っている豚肉を炒め、そこに野菜を加えていく。
あとは、水を足して市販のシチューの素を半量。しばらく煮込んだら、牛乳を足して、また煮込むだけ。下ごしらえを終えてしまえば、極めて簡単な作業だ。
「もう、良いか?」
「うん。大丈夫!」
火を止め、調理していたフライパンを持ってダイニングテーブルへと移動する。
そして、アリスが顔を描き守り通したカボチャの器――ジャック・オー・ランタンへカボチャのシチューを注ぎ込む。
天国にも地獄にも行けず彷徨う魂とされるジャック・オー・ランタン。
それがまさか、シチューの器に身をやつすなどとは、想像もしていなかったことだろう。
そして、異世界から来た王女を喜ばせるなどとも。
「ほおおお~~~」
なんだかよく分からない歓声を上げて、ミューラが諸手を挙げた。
「カボチャのお化けの中に、シチューが。シチューが入ってますよ、セージさん!」
「知ってる」
なにを隠そう、注いだのは誠司だ。
「あ、ピラフもできたみたいね」
そんな光景を眺めていた有朱が、きらきら星――炊飯が終わったことを知らせるメロディ――に従って台所へ移動。
蓋を開け、仕上げのバターと黒こしょうを混ぜてしてピラフを完成させる。
だが、ピラフ自体はできあがっても、盛りつけが残っている。
カボチャでほんのりと赤く色が付いたピラフを、平皿の上でカボチャの形に盛りつける。さらにその上に、三角形に切って置いたカボチャで目を。
くし切りのカボチャと鶏肉で口を作っていく。
ピラフのジャック・オー・ランタンだ。
そして、型抜きした星形のニンジンを周囲に散らす。
「完成っ……て、写真撮んなきゃ!」
絶対に忘れちゃいけないと、ピラフの皿をダイニングテーブルへと持って行ってカボチャのシチューと並べた。
スマートフォンを持ち出し、ダイニングテーブルの上へレンズを向ける。
写真嫌い……というよりは、大事なら記憶しておけば良いだけだと考える誠司には理解できない行動。
「写真好きだなってあきれてるでしょ?」
その内心を有朱が見事に言い当てる。
「でも、これもお仕事なんだから」
「仕事?」
「そ。ブログに上げるの。『お兄ちゃんとお友達と、少し遅れたハロウィンです。でも、お兄ちゃんはハロウィンには早すぎるって言ってました(笑)』って」
「お兄ちゃんか」
「うん。声優のお兄ちゃんと弟は、カレシって意味だから」
「夢のない話だな」
まあ、有朱の彼氏でもなんでもないので、そこは安心して欲しい。
そう、彼女のファン――恐らく、たくさんいるのだろう――に伝えたい誠司だった。
「もう、食べても良いんですよね? ね?」
そんな裏事情など知らないと、ミューラがワクワクと席に着く。その手には、既にスプーンが握られていた。
「アンアンッ! アンアンッ!」
テーブルの下でコタロウも賛同する。
もちろん、テーブルの上など見えはしない。だが、匂いで分かる。
コタロウは小さな体を伸ばして飛んだ。テーブルの上は、とても届くような場所ではない。それでも、飛んだ。
そこに、美味しい物があるのだから。
「今日の料理はタマネギをたくさん使っているから駄目だぞ」
使っていなくても人間用の食事は与えていないが、駄目なものは駄目だ。
コタロウをテーブルから引きはがし、軽く手を洗ってから、誠司が言う。
「そうだな。食べるか」
待たせても仕方ないし、暖かいうちに食べるに限る。
誠司はもスプーンを持って、シチューが入ったジャックオーランタンを崩そうとし――
「あわわわ。なんてことをするんですか、セージさん!?」
――寸前で、ミューラに止められた。
「これは、器も食べるんだぞ?」
「真っ先に食べなくて良いじゃないですか!」
「あー。はいはい。装ったげるわよ」
「え? そこは、セージさんに……」
「知らないわよ」
付き合ってらんないと、有朱が濃い黄色のシチューを取り皿へ装う。
赤いニンジンと緑のインゲンが彩りになって、なかなか綺麗だ。
「う~ん。甘い香りですね」
それを受け取ったミューラは、顔を近づけて香りをかぐ。
それだけでもう、涎が出てきた。こんなの絶対美味しいに決まっている。
それでも、全員に行き渡るまで待つのは、王女としての教育の成果か。
「では、いただきます!」
しかし、教育も食欲には勝てず、ミューラは真っ先にスプーンでシチューをすくって口へ運んだ。
「とろっとろ~の濃厚ですぅ」
シチューはとろりと濃厚で甘い。しかも、砂糖やハチミツで作り出した甘さではない。野菜そのものに備わっている甘みだ。それが、存分に引き出されている。
ミューラの表情も、同じようにとろけていた。
「はあぁ……。身も心も温まりますぅ」
それに、寒くなってきたこの時期は、暖かさだけでごちそうだ。
ニンジンは芯まで柔らかく、かぼちゃは食感を残しつつもとろっと溶ける。タマネギはほとんど原形を留めていないが、シチューに溶け込んでいた。
そして、ごろっとした豚肉。
「ん~。お肉の噛み応え、最高です! むきゅむきゅじゅわーってなりますね」
噛めば野菜とは違う脂の甘みが口内に溢れ出す。
野菜も美味しい。だが、肉はまた格別だ。
「ご飯はどうでしょうか?」
これも甘そうですねと思いながら、ピラフをスプーンですくう。顔を崩すのはもったいないので、端っこから少しだけ。
正直あまり期待していなかったのだが……。
「これは……ッッ」
バターと黒こしょうでまとめられたピラフは、甘いとかしょっぱいなどと一言で表現できる味ではなかった。特に、シチューとの相性が抜群。
シチューとピラフ。ピラフとシチュー。
くるくると回る車輪。自らの尾を食む世界蛇。
これこそ、永遠だ。
ミューラの認識では、米はエルフの主食。あるいは、エルフのクリアワイン――要するに日本酒――の材料でしかなかった。
しかし、地球に来てから、認識はガラリと変わった。
ミューラの『誠司がなんらかの手を加えた食べ物でないと味が感じられず魔素も回復しない』という特性により、パン食の頻度は下がり、最近はご飯食が多い。
どんなおかずにも合う万能選手。主役も脇役もこなせる偉大な役者。
もう、お米抜きでは生きられないかもしれない。
「相変わらず、幸せそうに食べるわね」
「もちろんです。セージさんがあたしのために作ってくれた料理ですから」
「アタシも作ってるし、今回はアタシのために作っても入ると思うけど?」
「セージさんの愛は、そんな物に負けません」
それはない。
そう思いながらも反論できなかったのは、口の中にシチューがあったから。
「そういえば、ミューラの故郷にも似たようなイベントがあるのか?」
シチューを飲み込んでから誠司が聞く。
それは好奇心からの質問だった。
「そうですね。ご先祖様を敬う気持ちはありますが、霊が戻って来ることはあり得ません」
「そうなのか」
日本にもお盆があるし、洋の東西を問わず死者が一時的に戻って来るという概念は存在している。
今までの傾向からすると、似たようなイベントがあるのではないかと思っていたが、違うようだった。
「はい。人間は、死んだらお星様になりますから」
「ふ~ん。可愛いわね」
スプーンを置きながら、有朱が率直な感想を口にする。そこには馬鹿にしたようなニュアンスはなく、ただ、サンタの実在を信じる子供を見守るような暖かさがあった。
「そうか。こちらですと、星の意味が違うんでしたね。お星様というか、英霊の一翼を担うといった感じでしょうか?」
「えーれー?」
いきなり、雲行きが変わってきた。誠司も、目は細いままだったが、表情をわずかに変える。
「星というのは、業魔が世界に侵入しないよう神々が姿を変えた結界ですから」
「そういえば、そんな話を聞いたな……」
「ですので、人の魂も死後は星界に留まり業魔と対抗することになります。意識を持って消滅するまで戦い続けるのか、意識のないただのエネルギーとなって侵入を弾くだけなのかは、学説によって異なりますけど」
「文字通り、ご先祖様が守ってくれるわけか」
ただし、守護霊のように一人をではなく世界全体をだが。
「ねえねえ、セージくん。なんか、すごい。すごくない? ハロウィン関係ないけど」
有朱の、内容はないが驚きが如実に伝わる感想。
「そうだな」
うなずくしかなかった。
同時に、聞かないほうが良かったかなとも思う。
「ハロウィンには遠すぎるな……」
地球と異世界の常識は、9マイル……14.4キロよりずっと離れている。
そんなことを思いながら、誠司はスプーンでジャックオーランタンを崩した。




