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第一話 角煮のデミグラスソースパスタ

「はい、セージさん。あーんって食べさせてください」

「そんなことをしても、魔素(マナ)は回復しないだろう」


 愛想の欠片もなく断られても、少女はまったく気にしない。銀髪の美少女が、胸の前で手を組んで目をつぶった。

 餌を待つ雛鳥というよりは、まるで、恋人からキスを待つ少女のようだ。


 主に少女の美しさにより、ドラマの一シーンではないかと錯覚してしまいそうになる。


 しかし、実際の舞台はありふれたマンションの一室で、ダイニングテーブルで繰り広げられているやり取りに過ぎない。

 そして、「セージ」と呼ばれた男にも、動じた様子はなかった。目は細く、表情は無愛想。あきれて、今にもため息を吐きそうな雰囲気だ。


「します。回復するんです」

「……なぜ、人は嘘を吐くのだろうな」

「嘘じゃないですよ。ね、コタロウちゃん」

「アンアンッ!」


 名前を呼ばれた室内犬――ポメラニアンが、テーブルの下で甘えるようなトーンで吠え、ぶんぶんと尻尾を振った。

 もちろん、少女の意見に賛同しているわけではない。なにかもらえるのではないかと、期待しているだけだ。

 後ろ足で立ち上がり、つぶらな視線を飼い主と同居人へ向けてアピールする。


 けれども、食卓に並んでいるメニューはハンバーグ。タマネギが入っているため、絶対に与えられることはないのだった。


「まったく……。効果がなかったら、二度とやらないからな?」


 そう念押しをして――自身でも、余り有効とは思っていないが――彼は、長い腕を伸ばして手作りのハンバーグに箸を入れた。ただし、自分の皿からではなく、少女の皿のハンバーグに。


 デミグラスソースで彩られた煮込みハンバーグが、仕上げにトッピングされたチーズと一緒に、一口大に切り分けられた。

 チーズが糸を引き、ソースに入っていた薄切りのタマネギとシメジが平皿にこぼれ落ちる。

 

 彼は、その欠片を、少女の口元へと持って行った。


「ほら」

「もっと愛をこめ――むぐぅっ」


 過度な要求は受け入れられない。

 断固とした決意とともに、彼は強引にハンバーグを押し込んだ。


「あつふふふ」


 無理矢理の行いと料理自体の熱さに、少女は恨みがましい視線を向ける。

 だが、すぐに、そんな感情は雲散霧消してしまった。

 

「うう。おいひぃでふ……」


 デミグラスソースの酸味、チーズのコク。そして、ハンバーグを噛みしめると湧き出てくる肉汁。それが渾然一体となって、幸せを形作る。

 しかも、自分のために作ってくれた、自分だけの料理。そう思うと、満足感もひとしお。


 これは、ただ、空腹を満たすだけの食事ではない。


 足りない物を補充する、重要にて神聖な儀式なのだ。


「人に作ってもらって、食べさせてもらうご飯は最高ですぅ……」

「そこだけ切り取ると、本当に最低だな」


 少女の事情は理解しているし、今では納得もしている。

 しかし、一言言わざるを得なかった。


「もうちょっと慎みとか遠慮をするのが、人を美味く使うコツだぞ、王女様?」

「次は、ポテトサラダを食べさせてください。ハム多めで!」


 ――通じないのは、分かっていても。


 最高に幸せそうな笑顔を浮かべる押しかけ。いや、転移同居人の名は、ミューラ・シルヴァラッド。

 それに対して、仏頂面で対応する家主であり、料理を担当する彼は、三浦誠司(みうらせいじ)


 二人の出会いは、一ヶ月ほど前。


 その時に誠司が出したのも、デミグラスソースの料理だった。





 もうすぐ夏休みが終わろうとしている日曜日の夕方。


 税理士事務所に勤め、長期の夏休みとは数年前に縁を切った三浦誠司は、外出もせず一人キッチンに立っていた。


「そろそろ良いか」


 180cmはある長身を折り曲げ、落としぶたを取って鍋の様子を観察する。


 甘辛く、ほどよく煮詰まった香り。

 照りのある色合いも、実に良い。


 成功を確信しつつ軽くうなずき、鍋に菜箸を入れる。

 中でぐつぐつと煮込まれている大根にも豚のバラ肉にも、抵抗なくすっと箸が通っていった。


 厚めに皮をむいた大根は、隠し包丁を入れ下ゆでしたもの。味見をするまでもなく、その色と箸先の感覚だけで、しっかりと味が染みこんでいるのが分かった。


 ふんわりと口の中で蕩け、続けて白い飯やビールで追いかけたくなる。そんな出来に違いない。


 メインである豚バラも期待して良い。


 かなり大きめに切り分けたが、多めのサラダ油で焼いて脂を抜き、二時間も下ゆでしたため、一口大にまで縮んでいる。

 余分な脂は完全に抜け、ゼラチンしか残っていないかのようだ。


 煮汁は、まず醤油から煮詰め、砂糖と日本酒――料理酒ではない――を足し、水と昆布を加えたもの。さらにゆっくりじっくり、あくを取りながら1時間近くも炊いているのだ。


 これが美味くないはずがない。

 口に入れれば勝手にほどけていき、噛む必要どころか、もはや歯すら不要だろう。口内に残るのは、圧倒的な旨味と満足感だけ。

 

 見るだけで幸福を予感させる。

 それは、そんな料理だった。


 念のため最後のあく取りをし、誠司は出来上がりをキッチンで待つことにした。


 しかし、もうやることはない。

 既に、洗い物も掃除も終えてある。


 待ちながらやることと言えば、キッチンに持ち込んだタブレットで本を読むことだけ。

 いや、本を読むために雑事は終わらせたのだ。


 誠司は読みかけだった電子書籍のデータを呼び出した。


 未読の作品であれば、正直、もっとがっついていただろう。しかし、再読作品なので、気分的に余裕がある。


 レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』。

 ハードボイルドの意味を変えてしまったチャンドラーの傑作長編。


 美しい文章に、豊かな情感を感じる描写。

 ミステリィとして見ると難がある部分もあるが、友情や愛について考えさせられる一流の文学作品でもある。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 ただただ、フィリップ・マーロウが格好良いのだ。


 しかし、初めて読んだ学生時代は、警察に捕まり、いたぶられるマーロウの姿には落胆させられることもあった。

 理不尽な扱いをする警察よりも、反撃をしないマーロウに憤りすら感じていた。


 だが、今ならその意味が分かる。


 大事なものを守るためなら、自らが傷つくことなど厭わない。それこそが、本物の大人であり、ヒーローなのだ。


 これも、年を取って見識が広まったお陰だろう。

 もっとも、誠司自身には、大切な相手など――少なくとも人間では――もう、存在しないのだが。


 両親は既に亡く、海外に出た兄も音信不通の状態が続いている。

 家族といえば、フローリングで横になっている愛犬コタロウだけ。


 外出せず、タブレットでミステリィを読みながら料理をする。それが彼の休日の過ごし方だった。


「ウゥゥゥゥウッッ、ワッフ!! 」


 突然、リビングで寝ていたはずの愛犬が吠えだした。


 世間では夏休みも終わったとはいえ、まだまだ暑い。人間よりも体温の高い犬には、過ごしにくい季節だ。

 そのため、リビングのエアコンはしっかり働かせている。不快で吠えているというわけではないはずだ。


「コタロウ!」


 そろそろいい年なのか、寝ぼけて吠えることも稀にあった。今回もそうだろうと名前を呼んで注意するが、一向に鳴き止む気配がなかった。

 リビングとキッチンは隣接しているのだが、壁が邪魔をして愛犬――コタロウの様子が分からない。


 誠司はタブレットの電源とコンロの火を切り、エプロンを外してからキッチンを出る。


「なにをやって――」


 どうせ、カーテンが揺れてるのにびっくりして吠えているんだろう。

 その程度だと思っていた誠司の動きが止まる。


 リビングルームの中心。ローテーブルの上に、光の塊が浮いていた。


 突然の超常現象に驚いたが、固まっていたのは一瞬。


 正体は不明でも、やるべきことは変わらない。自分と家族の安全確保が第一だ。

 まずは、その光の塊へ吠えたてている愛犬を抱き上げ、リビングから離れる。


 だが、そうしようとしたところで、突然、虹色の光が乱舞した。反射的に目を閉じ、腕でコタロウをかばうので精一杯。


「なにがどうなって……」


 幸いにして、ほんの数十秒で閃光は収まったようだ。


 光だけで、音もなかった。近所迷惑にならなくて良かったなと、誠司は変な安心をする。


 しかし、一体なにが起こったというのか。二十数年間生きてきたが、今の現象を説明する術を持たない。

 混乱しつつも、誠司はまぶたをゆっくりと開いていく。


 光の塊は、まだ残っていた。


 その正体を確かめる、いや、推測する暇もなく、次の変化が訪れる。


 閃光は、発生しなかった。

 代わりに、光の形が変わってく。


 大きく縦に伸び、紡錘形に。

 次いで、生地をこねるかのように横へ斜めへ縦へ広がり――


「……人?」


 ――光が人の形に収束していく。


 誠司は、愛犬を抱いたまま、それを見守っていた。そうすることしかできない。


 最後に光が弾けると、ローテーブルの脇に銀髪の美少女が立っていた。


 それだけで非現実的だが、身に纏う青を基調としてスカートが大きく膨らんだドレスが拍車をかける。

 コスプレのように浮いた印象はなく、彼女によく馴染んでいた。こんな状況だが、感心するほどに似合っている。


 また、身長に比べて大きな胸の谷間には、透明な宝石がはめ込まれたペンダントが埋まっていた。他にも、複雑な紋章が刻まれた指輪に、ブレスレットやイヤリングなどの宝飾品で飾られている。


 こんなありふれたマンションの一室ではなく、夢の国にいるのが相応しい。常識離れしすぎて、そんなことを思ってしまう。


 それは、彼女自身の容姿も一因だ。


 背中まで伸びる、ふわりとした美しい銀髪。サファイアのように輝く大きな瞳が、微睡みから目覚めるようにゆっくりと開いていく。とても印象的な光景だ。

 身長は、誠司よりも20cm。いや、どうかすると30cmは低い。その身長通り、顔つきはやや幼かった。だが同時に、非常に整ってもいる。


 手足は細く、足は長い。全体的にすらりとしているが、胸だけはその例外だった。


 まさに、ファンタジー世界のお姫様といった雰囲気の少女。


 しかし、彼女も混乱しているのか、目を白黒させて誠司とコタロウと。そして、周囲の家具や天井を見回している。


「これは、通報すべきなのか……」


 突然現れた美少女へ向かって吠えたてるコタロウをなだめつつ、誠司は途方に暮れた。


 いや、実際に通報するつもりなら、途方に暮れる必要はない。


「台所にいたら、外国人の少女が家の中に現れました。なんか、光って」


 こんな事実を、警察に伝えられるはずがなかった。

 確実に事情聴取で痛くもない腹を探られるはず。そして、冤罪事件誕生の生きた見本となるのだ。


 誠司は、特別、警察に悪い印象は持っていない。だが、逆の立場だったらどうするかを考えると、怪しまれるのも理解できてしまう。

 むしろ、スルーするほうが問題だろう。


 つまり、常識を越えた異常事態に行政機関は役に立たない。


 では、どうするのか。


 驚いたり喚いたりしても仕方がないところだが、誠司は冷静だった。現状が異常すぎて冷静にならざるをえない……というわけでもない。


 三浦誠司は、冷静というよりは、元より感情の起伏に乏しい人間だった。このケースにおいては、それが幸いしたと言って良いだろう。


「とりあえず、靴を脱ごうか」


 少女は、当たり前のように靴を履いていた。靴を履いて、フローリングの上に立っていた。

 せっかく掃除をしたのにだ。


「■☆▲◇◎♂○□!」


 しかし、帰ってきたのは意味不明な音の羅列。

 ある程度の知識がある英語ではないと、自信を持って断言できる。


 ではどこの言葉かというと……。


 皆目見当もつかなかった。

 発音はなんとなくフランス語に近いような気もするが、なにひとつとして理解できない。


 無邪気に日本語が通じると思っていたわけではないが、どこの言葉か見当もつかないとは思っていなかった。

 これでは、靴を脱がせるどころか、その先の話し合いもできはしない。


 降ってきた途端に蜘蛛の糸が切れた。そんな気分だ。


「●▽※◆♀!」


 必死に訴えかけてくる彼女には悪いが、お手上げだった。


 鳴き止まない愛犬、通報すべきか真剣に悩む誠司、聞いたことのない言葉を喋る美少女。


 混沌とする場。


 そのとき、美少女のおなかが「くぅ」と鳴いた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「アオンッ」


 混沌から静寂へと切り替わった場に、犬の鳴き声が染み渡った。


 その泣き声は救いだった。

 二人きりだったなら、恐らく、気不味すぎて破滅が訪れていたに違いない。


「空腹か……」

「◆●▽□◇◎!!」


 少女が涙目に成りながら首を振る。

 言葉が分からなくとも理解できた。否定だ。


 言葉は通じないが、感性は似たようなものらしい。


 誠司がわずかに安堵していると、再び、可愛らしく「くうぅ」とおなかが鳴った。

 可愛らしいことには変わりないが、先ほどよりも、強く、長く。


 少女の顔は、もう真っ赤だ。


 なんとかして意思疎通を図る前に、やるべきことができたようだった。


「まあでも、靴は脱いでもらう」


 そこは譲れない。

 愛犬を抱いたまま玄関からスリッパを持ってきた誠司はそれを彼女の足下に置き、二人の足下を指さした。


「◇▲」


 そこまですれば、通じるものらしい。

 おずおずとうなずくと、少女はミュールのようにかかとの高い靴を脱ぎスリッパに履き替えた。


 その靴を回収した誠司は、さりげなく底面を観察する。

 特に土や泥のような汚れは見当たらない。もしかすると、これも室内履きなのかもしれなかった。


「そこに座って、待ってろ」


 言ってから、言葉が通じないことを思い出し、誠司は頭をかいた。分かっていたはずだが、習慣は抜けないものらしい。


 コタロウは床に下ろし、靴を持ったままダイニングテーブルへと移動。片手で、椅子を後ろに引く。

 その椅子と美少女を順番に指さし、座るように身振り手振りで語りかける。


「☆▲●▽◆◇◎□」


 相変わらずなにを言っているのか分からないが、少女の幼気な相貌に、再び理解の光が灯る。サファイア色の瞳を輝かせ、いそいそと椅子に座った。

 スカートがぱっと広がり、なんともアンバランスな光景が現出する。


 しかし、誠司は、彼女の美しさに心奪われることも、奇妙な光景に苦笑することもない。

 ただ、なにを言っているか分からないのはお互い様かと、つまらないこと感想を抱いていた。


 軽く振ってそんな思考は捨て、彼女の靴を玄関へとどうさせる。そうしてから、軽くフローリングを掃除。

 コタロウはその後を従順についてきて、少女は興味深そうにこちらを見ている。


 誠司は、そのどちらも軽く無視して作業をやり終えた。


 さて、次の仕事がまっている。


「コタロウは、そこにいろ」

「ワゥンッ」


 洗面所で手を洗ってから、誠司は愛犬におやつを与えた。

 異常な状況も忘れて、ジャーキーを必死に咀嚼するコタロウ。


 さっきまでは驚いて吠えていたが、コタロウは元来人見知りをしない犬だ。放っておけば、あの少女に近づいて行くに違いない。

 武器も持っていないようだし、過度に警戒する必要もないと判断している。それでも、自分の目が届かないところで接触されたくなかった。


 かといって、キッチンに入れるわけにもいかない。


 そう。これから、お腹を空かせた彼女の為に、料理をしなければならないのだから。


「さあ、どうするか……」


 一人暮らしをするようになってから、すっかり癖になった独り言をつぶやき、キッチンで腕を組む。


 生憎、すぐに食べられそうなパンやお菓子のストックはない。料理が終わった後、買い物に出かけようとしていたところだったのだ。


 ゆえに、なにか作らなければならない。


 入念に手を洗い、エプロンを身につけながら、誠司は食料のストックを頭の中で確認する。


 米はまだ炊いていないが、冷凍したものならあった。

 角煮もほぼできあがっているし――本来なら、冷まして味を入れたいところだが――チャーハンなら手早く作れそうだ。ネギも卵も、買い置きはある。


 しかし、彼女は見るからに外国人。

 勝手なイメージだが、北欧から来た妖精のような美少女だ。


 そんな彼女が米食とは、どうにも思えない。


 誠司は、キッチンから、改めて少女を観察する。

 

 対面式キッチンのためその場から見れるのだが、相変わらず、なにが珍しいのかきょろきょろと周囲を見ている。

 やがて、天井のシーリングライトに目が釘付けになり、手で隠してはいたが、驚いたように大きく口を開けた。


 どう見ても、人畜無害だ。

 警戒していた自分が、バカらしくなる。


 肩から力が抜け、自然とメニューも決まった。


「パスタで良いか」


 まず、大きめの鍋に水を2リットルほど入れ、コンロに火をかける。


 それが沸騰するまでの間に、ソースを決めなくてはならない。

 市販品のパスタソースは買ったことがなかった。


 いつもなら自分で作るのだが、ミートソースを作るには時間がかかり、ナポリタンを提供するにはケチャップの残量が心許ない。ピーマンがないのもネックだ。

 一方、オリーブオイルもニンニクもトウガラシもあるが、あのお姫様然とした彼女にペペロンチーノはないだろう。


 そうなると、カルボナーラか……。


「そうか。デミグラスソースの素があったか」


 そのアイディアひとつで、一気にレシピと手順が組み上がる。


「いけるな」


 方針を決めると、沸騰するまでの間に、やはり買い置きしていた小松菜をざく切り。ボウルに入れる。角煮はほぼできあがっているため、パスタの準備はこれだけだ。


 そうなると、これだけでは寂しくなる。

 続けて、誠司はスープの準備も始めた。


 ストックのタマネギは薄くスライス。明日の朝食にする予定だったソーセージもあったので、一本、輪切りにする。

 鍋にオリーブオイルを垂らし、温まったらタマネギとソーセージを投下。その間に、みそ汁にするつもりだった白菜もあったので、5ミリ~1センチくらいの細切りにしておく。


 その頃にはタマネギもしんなりしてきたいる。計量カップで水を300CCと固形のコンソメを一粒。さらに、細切りの白菜も鍋へ。

 あとは、煮えるのを待つだけだ。


 そうこうしているうちに、水が沸騰してきた。

 塩を10グラムほど入れ、火を弱める。次いで、ぱらりと広がるようにパスタを100グラム弱ばらして入れる。

 麺がくっつかないように気をつけながら、休む間もなくソースの準備。三ツ口なので最後にひとつ残ったコンロにフライパンを乗せ、オリーブオイルを注ぐ。


「ん?」


 頃合いを見て小松菜を入れようとしたところ、ダイニングテーブルに座っていたはずの少女が、すぐ側にいた。

 対面式キッチンのカウンター。その向かい側に立ち、ドレスの前で手を組んでこちらを見ている。どういうわけか、感動の面持ちだ。

 ただでさえも綺麗だったサファイア色の瞳が、今は好奇心にきらきらと輝いている。


 誠司は、驚いて手を止めてしまった。


 彼女の為に気圧された――わけではなく、単純にこんな近くにいるとは思わなかったのだ。


 しかし、追い払うのも大人げない。


 それに、フライパンが温まっていた。

 彼女の存在や、追加のおやつを欲しがってキッチンの入り口前でお座りをしている愛犬を気にかけている余裕はないのだ。


 ボウルに入れていた小松菜をフライパンに入れると、じゅうっという炒め物特有の音がキッチンに響き渡る。油が跳ねるが、誠司は気にした様子もない。

 軽くフライパンを振りながら茹でているパスタの面倒を見つつ、スープが煮詰まらないように注意。


 いくつものタスクをこなしつつも、その動きはよどみなかった。

 小松菜がしんなりしてきた頃合いに、コンロから下ろしていた鍋から、角煮の豚バラ肉をふたつほど取り出す。


「…………」

「……分かった」


 無言の圧力に負けて、もうひとつ追加。


 それを炒め合わせてたところに角煮の煮汁と水を3:2の割合で加え、煮立つのを待って粉末のデミグラスソースを溶く。

 このまま煮詰めれば、ソースは完成。


 その間にも、もちろん、茹でているパスタを忘れてはいない。

 麺を一本、箸で取り出し堅さを見る。


「……良いか」


 やや堅めではあるが、フライパンでソースと絡めることを考えると、ちょうど良いぐらいだ。

 パスタを鍋から上げ湯切りをすると、もうもうと湯気がキッチンに立ちこめる。


「▲●▽◆!?」


 驚いたような声を上げる少女を一顧だにせず、誠司はパスタとソースを絡めた。それを葉っぱの形をした白く深さのある皿に盛りつける。


 だが、まだ終わりではない。


 スープを火にかけていた鍋から、味見分を少量取って皿に移す。


「…………」


 正直に言えば、今ひとつ。

 しかし、完成形を想像し、問題ないと判断する。


 お玉でスープをすくい、最後に隠し味を加えて、パスタとスープのセットが完成した。


「戻って」


 言葉が通じなくとも身振りだけよりはましだろうと、端的に言ってから、ダイニングテーブルを指さす。

 続けて、できあがった料理を手に持てば、意味は伝わる。

 対面式キッチンのカウンターに身を乗り出さんとしていた少女が、軽やかなステップで席へと戻っていった。


 子供のようにはしゃぐその様子に――まあ、誠司から見れば子供であることは間違いないが――思わず、相好を崩した。

 少女が現れてから、これが初めての笑顔だったかも知れない。


「とりあえず、どうぞ」

「▽◎◇□◆」


 白い皿に盛りつけられた、デミグラスソースのパスタ。

 濃いブラウンのソースがパスタにねっとりと絡みつき、湯気とともに漂う甘い香りが実に食欲をそそる。


 ごろっとした豚バラ肉の塊も、見ているだけで空腹をかき立てた。


 それを前にした少女は、我慢などできなかったようだ。


 フォークを手に取り、見苦しくない程度には余裕を持って。その実、驚くほどのスピードでパスタをフォークに巻く。


 そして、一口。


 その瞬間、少女はサファイア色の瞳を大きく見開いた。驚きにではあるが、それは良い意味で衝撃を受けたのが原因だろう。

 何度も咀嚼し嚥下すると、今度は、花が咲いたような笑顔を浮かべた。彼女自身が感じる幸せにより浮かんだ笑顔だが、見るものにも幸せを感じさせる。それは、そんな満面の笑顔だった。


 具の豚バラ肉を口に入れた瞬間、その笑顔は最高潮になる。


 言葉は通じないが、味の感想を尋ねるまでもない。


 だが、一口では満足せず、さらにパスタを口に運ぶ。


 育ちが良いのか。食べ方は丁寧で品がある。

 にもかかわらず、減っていくペースは早い。ドレスが汚れないか心配になるほどだが、それは杞憂だった。

 食べる勢いというよりは、量の問題で。


 なぜなら、途中スープで休憩を挟みつつも、5分もせず綺麗に食べ終えてしまったのだから。

 足下に来ておこぼれを狙っていたコタロウが、ねだる暇もない完食劇。


 空腹は最高の調味料といったところか。


 誠司は、自分の腕を過信をしてはいなかった。所詮は、一人暮らしの男の料理。そもそも、味の基本であるデミグラスソースもコンソメも市販品だ。

 彼女が喜んでいるのは確かだろうが、自分の手柄ではない。


 そうは思いつつも、やはり、美味しそうに食べてもらえるのは嬉しいものだ。

 満足そうな表情を浮かべる少女を前に、セージもまた、別の満足感を憶えていた。


 だからだろう。


 食べ終えた少女が身振り手振りをしてなにかを伝えようとしているのに対し、深く考えずにうなずいてしまったのは。


 誠司の許しを得たと認識した少女は、座ったまま、まるでダンスでもするかのように右手を振った。


「《☆◆★●▽》」


 そして、歌うように言葉を紡ぐと彼女自身が白く光り出す。


 今度は、愛犬を抱き寄せる暇もない。余裕もない。

 呆然と光が消え去るのを眺めていた誠司は――


「ありがとうございます! あなたは、命の恩人です」

「……は?」


 ――更なる驚きに直面することになった。


 その大げさな物言いに面食らったのか。それとも、いきなり言葉が通じることて呆気に取られたのか。

 自分でも、どちらか分からなかった。


「この料理も、とても美味しかったです! 感動です!」

「あ、ああ……。それは良かった」


 分かるのは、自分が冷静さを欠いていること。ただ、それだけ。

 そう。決して、料理を喜んでもらえて嬉しかったわけではない。


「弾けるような歯ごたえの麺、ぷるぷるのお肉、絶妙なソース。思い出すだけで、興奮してしまいます。それにスープも、野菜の甘みが感じられて、黒胡椒がぴりっと利いて……。そう、バターの風味も最高でした!」

「そうか。それは良かった。隠し味だったんだけど、よく分かったな」


 今にも手を取らんとする勢いでまくし立てられ、誠司は気の利いたことひとつ言えなかった。

 端からは、ほめられたため緊張しているようにしか見えなかっただろう。


「申し遅れました。わたしは、ミューラ・シルヴァラッド。シルヴァラッド森林王国の第三王女で、導機魔法(デバイス・マジック)研究所の特別顧問をしています」

「俺は、三浦。三浦誠司……。こっちは、コタロウだ」


 名乗りつつも、誠司は忙しなく思考を続けている。


 シルヴァラッド森林王国? そんな国、聞いたことはない。

 それに、デバイス・マジック? なんだ、それは。

 それに、十代半ばぐらいにしか見えないが、顧問?


 ミューラと名乗った少女が嘘を吐くようには見えない。


 だが、彼女が語る内容は誠司の常識から乖離している。このギャップが、簡単には埋まらない。


「では、セージさんですね。わたしのことは、ミューラとお呼びください」


 にっこりと春の太陽のように朗らかな笑顔を浮かべる少女――ミューラを前に、誠司は無言でうなずき返すことしかできなかった。


魔素(マナ)が切れて途方に暮れていたところ、素晴らしい食事で回復することができました。お陰で、翻訳の呪文も使えました。本当にありがとうございます」

「マナ? 回復? いや、そういう物ではなかったはずなんだが……」


 先ほどから、圧倒されっぱなしだ。


 これではいけない。


 誠司は無意識に、コタロウを抱き上げていた。そして、その頭から尻尾にかけての魅惑的なラインを撫でながら必死に考えをまとめる。

 しかし、残念ながら、その努力が報われることはなかった。


 次なる衝撃に見舞われてしまったから。


「たぶん、わたしは、セージさんから見て異世界の住人だと思います」

「……それなら、君にとっても、俺は異世界人では?」

「そうですね。あはははは」


 失敗してしまいましたと、ミューラが舌を出して恥ずかしそうに笑う。


「待て。異世界人……だと?」

「はい。シルヴァラッド森林王国の名に、聞き覚えはないですよね? たぶん、わたしもこの国のことはなにも知らないと思います」


 そして彼女は、自身が計画した転移魔法の実験の結果、この場に現れることになったのだと経緯を説明する。


 彼女がやって来たという異世界には、大気中などあらゆる場所に『魔素』(マナ)が存在しているのだという。大気のように目には見えないが、確かに存在しているのだと。


 古代魔法帝国では、それを利用する技術を確立させた。『魔素』を用いて現実を改変する技術を。

 魔法帝国は長き歴史の中に消え去ったが、劣化はしつつも、魔法は今なお連綿と引き継がれている。

 今回、ミューラが実験を行った転移魔法も、失われた技術のひとつなのだという。


 そして、『魔素』は体内にも存在し、それを呪文という形で発動させるには、『導機』(デバイス)という補助具が必要だ。


「その導機(デバイス)が、この指輪です。しかし、古代魔法帝国時代の遺失技術である転移魔法の再現には、体内の魔素だけでは不足しています。そのため、今回は魔素が充填された魔石を用いました」


 それがこれですと言って、豊かな胸の谷間に埋もれていた透明な宝石がはまったペンダントを誠司に見せる。

 透明になっているのは、『魔素』を使い切っている証。

 再度使用できるようになるには、多くの魔術師がこれに『魔素』を注ぐか、あるいは体内の『魔素』が回復するのと同じく、大気中の『魔素』が自然に充填されるのを待つ必要があった。


「なるほ……ど」


 まあ、ある程度筋は通っている。

 到底肯定など出来ないが、安易に否定もしたくない。


 シャーロック・ホームズ――あるいは、サー・アーサー・コナン・ドイル――は言った。


『不可能なことがらを消去していくと、よしんばいかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である』


 これが、推理の出発点だと。


 それに従ったところ、ミューラの言葉は真実と言って良いのかも知れない。少なくとも、勝手に人の家でイリュージョンを見せた理由として、他に合理的な説明が思い浮かばなかった。


 もちろん、異世界という物が存在し、そこから転移してきたという主張を『ありえないこと』として消去しなければ、だが。


 それに、彼女の主張をある程度は認めないと、話が進まない。


「分かった。信じよう」

「ええっ!? 信じてくれるんですか!?」


 誠司の細い目が、ぎろりとミューラを一瞥した。

 控えめに言っても、迫力のある視線だ。倍近く年齢の違う少女を萎縮させるには充分。


「いえ、あの、そのですね。もちろん真実をお話しましたが、突飛すぎて本当に信じていただけるとは

ですね……」

「それで、異世界――元の場所へ帰る方法はあるのか?」


 とりあえず、細かい事情は置いて問題解決に集中する。

 それがベターだろうと、誠司は話を進めた。


 それに、彼女の話が穏当だろうと嘘だろうと、彼女が元の場所に戻れれば関係ない。


「さっきも説明したとおり、もう一度転移魔法を使用できれば、恐らく大丈夫ではないかと」

「どうすれば使えるように?」

「今は透明ですが、この魔石が真っ赤に染まれば。つまり、魔素(マナ)が完全に充填されれば、使えるようになります」

「……で、それはここでもできるものなのか?」


 ぴしりと、空気が固まる音がした。

 いや、それは誠司の幻聴だろう。実際に、そんな音がするはずがない。


 ただ、ミューラがフリーズしてしまったのは間違いのない事実だった。


 誠司は、愛犬を撫でながら、彼女が回復するのを待つ。


「せ、《センス・マジック》」


 そろそろこちらからもアクションが必要かと誠司が思い始めた頃。再び、指輪を閃かせて呪文らしき物を唱えた。

 すると、ミューラのサファイア色の瞳がルビーの色に変わる。その現象を説明することなく、彼女はドレスの裾をはためかせてリビング狭しと走り回った。


 魔法で翻訳された《センス・マジック》という呪文の名前。直訳すれば魔法感覚といっただろうか。目の色が変化したことと考え合わせると、恐らく魔素を可視化する効果があるのではないだろうか。


 とりあえず、誠司はミューラのなすがままに任せる。


「ままま、魔素がどこにもありませんよ!?」

「むしろ、存在したほうが俺は驚くがな」

「そんな。魔素が存在しないなんて。砕けた神々の肉体は、世界にあまねく存在しているはずなのに!?」

「こっちの世界の神は、9光年以内にいるらしいが」


 先ほどとは攻守入れ替わったかのような誠司の冷静さ。

 それで落ち着くどころか、さらにヒートアップしてリビングに隣接するベランダへ出ようとし……窓ガラスに跳ね返された。


「あいたたた……。透明な壁が!?」

「外に出たいのか?」


 ベランダに出たぐらいで彼女の存在が露見することはないだろうと、愛犬を床に置いてから窓を開ける。喜び勇んでコタロウが、ベランダに出る。犬は、外が好きなものだ。

 それを追うかのように、礼を言うことも忘れてベランダに出たミューラは、四方八方に視線を飛ばす。


 ベランダから見えるのは、あかね色に染まりつつある空。それに、他のマンションとマンションが所有する広場や、国道と道を行く何台もの乗用車。


 異世界人というのが本当であれば驚異的な情景のはずだが、今はそれどころではないらしい。


 とぼとぼと、リビングへ戻ってくる。


「魔素がどこにもありません……」

「でも、料理食べたら回復したんだよな」


 コタロウも無理矢理家の中へ戻しつつ、誠司は思案気な顔であごをさすった。


「こいつは、どうなんだ?」


 キッチンからタマネギやパスタなど、材料の残りを持ってきてダイニングテーブルに並べる。

 しかし、結果は同じだった。


「料理に加工すると、マナが生じる……?」


 大気中にすらない物が、どうして? いや、それも仮説に過ぎない。


 疑問は尽きないが、またしても問題が発生してしまったようだ。


「その宝石に、どうやって料理を与えれば良いのか……」

「なんで!? なんで、そうなるんですか!?」

「違うのか」

「この場合、わたしが料理をいただいて、回復した魔素を魔石に充填する形になるかと」

「ちなみに、それはどれくらいかかるんだ?」

「い……」

「い?」

「一年はかからないと思います」


 一年。

 あまりにも長いとは言えないが、考え込むには充分な長さだ。


 そもそも、異世界と地球で一年が同じ長さとは限らない。


 だが、そこから導かれる結論はひとつ。


「つまり、その間の住まいが必要になるわけだ……」

「そうなりますね……。はい……」


 ダイニングテーブルを挟んで、誠司とミューラが見つめ合う。

 コタロウは、その足下でグルグル回っている。そろそろ、散歩の時間だった。


「ど、どうかこの家に置いてはいただけないでしょうか!」


 誠司がなにか言うよりも早く、ミューラが動いた。

 その場で膝をつき、あまつさえ土下座をするという格好で。


 一国の姫――真偽は不明だが――の土下座。

 いやそれ以前に、10は年下の少女にそんなことをされて、誠司は頭を抱えたくなった。たぶん、コタロウが土下座したミューラの耳を舐めに行ったのもその一因だ。


「あの、お礼でしたら、導機(デバイス)と魔石のペンダント以外はなんでも差し上げますから」

「……そういうことは、軽々しく言わないほうが良いな」


 ふんふんとミューラの銀髪に鼻先を突っ込んでいた愛犬を回収し、誠司はため息を吐いた。


 その説明が真実で、見たとおり人畜無害だと仮定して――穏便にミューラをサポートできるのは、自分ぐらいのものだろう。

 偶然ファーストコンタクトを果たしただけではあるが、誠司はそう判断する。


 正直、諸手を挙げて歓迎とは、口が裂けても言えない。


 しかし、彼女を見捨てたらどうなるか。

 この純粋さと、軽率さを考えたら、ろくなことにならないのは確実だ。今も、きっと指輪とペンダント以外の宝飾品という意味で言ったのだろうが、相手によっては彼女自身を好きにして良いとも捉えられかねない。


 外に放り出すのは簡単だが、それで後悔しないとは言い切れなかった。


 その沈黙を否定とでも思ったのか。

 唐突にミューラが顔を上げ、アピールを始めた。


「あ、わたしが異世界人だというのをお疑いですか? 呪文でしたら、こういうのも使えますよ。《ライト》。それから、《ダークネス》」


 天井近くに光の球が。リビングの隅――テレビを置いていた辺りに半球状の闇が現れる。

 手品の類では、絶対にあり得ない。


「疑ってないから消してくれ」

「は、はい。《ディスペル》」


 そして、前触れなく光球と闇が消え去った。


「お、お望みなら。わたし自身に《ギアス》もかけます。内容は、セージさんに不利益を与える行動が取れなくなるではどうでしょう?」

「それ、うちに住むこと自体が不利益だと判断されたら、どうなるんだ? というか、誰が判断するんだ?」

「あう……」


 それは盲点だったと、その場にへたり込む。


「はあぁ……」


 誠司は大きくため息を吐いた。

 それは、諦めであり。その諦めは、ひとつの決断によるものだった。


「分かったよ。帰れるようになるまで、うちで面倒を見よう」

「ありがとうございます!」


 やったぁと歓声を上げて、ミューラがその場でステップを踏む。長くふんわりとした銀髪も舞い、彼女の喜びを表現しているかのようだ。


「よろしくお願いしますね、セージさん、コタロウちゃん」


 そんなミューラに、セージが冷や水を浴びせかける。


「ただ、もうひとつ、疑問がある」

「な、なんでしょう?」

 

 先ほどまでの喜びから一変。

 なにを聞かれるのかとミューラが緊張をみなぎらすが、誠司にとってスルーはできない問題だ。


「異世界……この星は地球と呼ばれているんだが、ここに着たのはイレギュラーだったんだろう? 仮にマナとやらが溜まったとして、ちゃんと元の世界に帰れるのか」

「それは心配ありません」


 自信ありげに、ミューラが胸を反らす。

 年齢不相応に豊かな双球が、大きく揺れた。


「実験に失敗したというよりは、成功しすぎて異世界にたどり着いてしまったようですから。えへへ」

「笑い事か」


 可愛らしく説明するミューラ王女。

 にもかかわらず、誠司の対応は冷たく、甘さもない。


「セージさん、なんだかわたしに冷たくないですか? これでも、一国の王女なのに……」

「王族が、なぜ敬われるのか」

「え? えっ、ええ?」

「それは、国民の生活を外敵から守り、税を集めて効率的に分配するからだ。つまり、いざという時に矢面に立つからこそ、支配者は尊敬される」

「はっ。はい……」

「翻って、俺は君にも君の一族にも、守ってもらったことも、公平な税の分配を受けたことはない」

「君じゃなくて、ミューラですぅ……」

「つまり、ミューラが何者であろうとも俺の対応は変わらない」

「それって、わたし自身を見てくれているということですね!?」


 そんなつもりはまったくなかった。欠片もなかった。断言できる。


 しかし、そういう解釈も成り立つのかと、誠司は、思わず感心してしまった。


 とはいえ、感心してばかりもいられない。


 同居するとなると、生活用品の準備が必要だ。

 なにを買えば良いのか、リストアップしなければならない。それを元に、買い物に出かけ……。それから、生活ルールも決めなくてはならないだろう。


 その後は、なるべく彼女の存在を隠して生活しなければならない。


 滅多に家を訪れる人間はいないが、厄介だ。

 

 誠司は、それが分かっていて、どうして彼女を受け入れたのか考えてしまう。


 ここで見捨てたら、後味が悪かった。

 ミューラが悪い人間ではなさそうだった。


 こういった理由はあるだろう。


 ただ、一番大きかったのは、魔素が自然に回復しない。食事からでないと回復しないという事実に直面したからだ。


 それは決して、自分が作った料理を美味しそうに食べてくれたから。それが嬉しかったからではない。


 結果として、何度も魔法を使わせてしまったのだ。その分の責任は取らなくちゃいけない。


 そう考えたに違いない。

 早速コタロウと戯れるミューラの輝くような美貌を眺めながら、誠司は大きくうなずいた。

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