第三話:まゆみ先生は最近ちょっとおかしい
四月が始まってから早くも一週間が過ぎた。
会社は新入社員を迎え、学校では次々と授業が始まる忙しい時期。しかし、もちろん誰もが忙しいわけではない。
平日の昼。
小日向檀は布団の上でぼーっとしていた。
この一年間でずいぶん伸びた髪は頭の高い位置でおだんごになっていて、服はすっかり体と一体化したオレンジ色のジャージ。今日はまだ朝ごはんを食べていないけれど、なんだか温かくて布団から離れられない。
いけないいけないと頬を叩いて、檀は枕元にあるスマホを手に取った。そのまま体を横に向けて、ブックマークに保存してあるページから、とある掲示板のスレを開く。
神の新作が純愛物だった件について [無断転載禁止]
1:名無しのダルマ
方向転換ってレベルじゃない
8:名無しのダルマ
神ってLSSで合ってるよな?
あれはマジで予想外だった
13:名無しのダルマ
変な声出たわ。なんだあれ
14:名無しのダルマ
俺は未だに何か深い意味があるんじゃないかと思ってる
15:名無しのダルマ
>>14
これ
22:名無しのダルマ
いつヒロインのマミが某魔法少女みたいになるのかと思ってドキドキが止まらなかった。そしたら最後まで綺麗な純愛物で草。こんなにドキドキしたのは初めてやで
26:名無しのダルマ
俺は信じないぞ。どうせ最後はヒロインがひどい目に合うんだ
29:名無しのダルマ
>>26
俺もそう思ってた。R指定無しで大丈夫ですかってコミケで聞いたくらい
31:名無しのダルマ
>>29
33:名無しのダルマ
>>29
俺もR指定について聞いたwww
41:名無しのダルマ
エロ無しなら買わないって思ってたけど、実際どう?
45:名無しのダルマ
>>41
神がいつもの絵で純愛物描いてるってだけで興奮した
47:名無しのダルマ
>>41
アヘ顔が足りない
54:名無しのダルマ
>>47
これだな。ヒロインのリアクション可愛かったけど一ヶ所はアヘ顔が欲しかった
61:名無しのダルマ
これからポチる予定なんだけど、マジで純愛物なの?
63:名無しのダルマ
>>61
うそに決まってんだろ俺達の神だぞ?
64:名無しのダルマ
>>61
マジ
65:名無しのダルマ
どっちだよw
66:名無しのダルマ
さっさと買えってことだよ
82:名無しのダルマ
今読んだ。百合かと思ったら相手役は男かよ
91:名無しのダルマ
いったい神にどんな心境の変化があったんだ
102:名無しのダルマ
次回作で彼のことを考えてアヘアヘしてたマミちゃんが酷い人達に襲われるんだろ。俺には分かる
106:名無しのダルマ
>>102
マジでありそうだから困る
108:名無しのダルマ
うわ、そういや神ってNTR物まだ描いてねぇじゃん。やめろよマミちゃん結構好きなのに(ゲス顏
113:名無しのダルマ
続編あるならイチャラブックスがいい。アヘ顔マシマシで
116:名無しのダルマ
あのエンドの後なら流石の俺もイチャラブックス希望かな。でもマミちゃんの瞳から光が消える展開も捨てがたい
121:名無しのダルマ
告白した後は手を繋いで終わりとか小学生かよってくらいピュアだったのに続編はいつもの神だったら大炎上不可避
122:名無しのダルマ
ここの住民ですらイチャラブックス希望してるやついるくらいだから、続編がいつもの神だったらピュア民のSun値が大変なことになりそう
125:名無しのダルマ
>>122
そもそも毎年表紙に騙されたピュア民が被害者スレで騒いでるだろ
128:名無しのダルマ
>>122
むしろ目覚めるんじゃね?
153:名無しのダルマ
とにもかくにも次回作楽しみだな
そっとスマホをスリープして、はぁぁと長い息を吐く。
Little Sun Shine それが彼女が同人活動をする時に使う名前であり、特殊な性的指向を持った人達からは神と崇められる程の人気がある。逆に一般的な変態からは、決して表紙の絵に騙されてはならない要注意人物として恐れられている。
彼女の作風は、プロと遜色の無い画力で描かれる美少女が徐々に精神的に追い詰められ、最後は獣のようにアヘアヘするという大変ハードな物だ。
そんな作者が突如として小学生が読んでも大丈夫な作品を描いた。これはテレ東がアニメ放送途中に緊急特番を開始するようなものであり、ファンに大きな衝撃を与えることになった。
しかし本人はネットで話題になっていることなど露知らず、その年の冬コミでは「いつもの」作品を描いた。その際に購入者から続編について問われ、ネットで話題になっていることを知った。そして気になって調べた結果、件の掲示板を発見したのである。
「……どーしよっかなー」
まさか続編を望まれているとは思わなかった。檀は趣味で漫画を描いていて、同人活動は生活費の為に行っている。エグい同人誌を販売するのは、その方が売れるからだ。
しかし去年の夏に趣味百パーセントで描いた漫画が意外にも好評だった。実際、檀も個人的に何度か続きを描こうとはしている。
「……でも、モデルがモデルですし。手を繋ぐくらいが限界ですし。これ以上やったら流石にドン引きですしっ! ん~~~っ!」
枕に顔を埋める檀。
これ以上やるというのは、つまりそういうことであり、そういうことというのは、つまりそういうことなのである。そんなの想像しただけでアヘッてしまう。万が一にでも本人に発覚したら切腹せざるを得ないレベルだ。
「恥ずかしくて描けないぃぃぃ~~~っ!」
笑顔でハードな作品を作り続けた彼女が、いまさら何を恥ずかしがるのか。きっとこれが乙女心というやつなのだろう。
彼女はハードな作品に拘りがあるというわけではない。だから最近は、みさきちゃんが喜ぶからという理由で普通に可愛らしい漫画ばかり描いていたりもする。その中にはもちろん恋愛要素も含まれているから、恋愛物が描けないわけではない。
やはり、実在する相手がモデルになっていて、しかも自分がヒロインというのが高いハードルになっている。
「そんなの完全に変態じゃないですかー! いやぁぁ! 私がモデルのマミと天童さんがモデルのリョウがキャッキャウフフするなんてそんなっ、そんなっっ!」
ピタリと、檀は動きを止める。
体を起こして、部屋の中央にある小さな机の前に置かれたクッションに正座して、ペンを装備する。
「……ふへっ、ふひひひ、ひひひひひ……」
手が止まらにゃいぃぃぃいぃぃ!
無事に結ばれたマミとリョウが次は物理的に結ばれっ、いやんっ、ダメ、まだ早いわ。まずは楽しくデートして思い出作りをして、それから……ふ、ふひひ、夜になったら夜景の綺麗な場所で肩を寄せ合って……好きだよ。うん、私も……なんて言ったりしてぇ!! 良いムードになったところで目があって、互いの唇と唇が、く、くちびる、がががが
「あああぁぁぁぁっふぅ、らめっ、ムリっ! こんなの恥ずかしくって描けないよぉぉ!」
枕にダイブしてバタバタと足を振る。
「封印しないと」
バッと音を鳴らして枕から顔を上げた檀。あんなもの人に見られたら控えめに言って死んじゃう。早く処分しな……………………
「……みさき、ちゃん?」
「ん?」
瞬間、檀は全てを思い出した。この部屋に鍵など存在しないこと、小学生になったみさきちゃんが下校してから天童さんが帰ってくるまでの間、面倒を見るという話をしたこと。そして今日、小学校は半日授業であること。
「それ見ちゃダメェェェェぇえぇぇぇぇ!」
檀はヘッドスライディングの要領で、みさきと原稿の間に飛び込んだ。そのまま原稿に覆い被さって、驚いて目を丸くするみさきに全力で言い訳をする。
「ま、まだ途中なんだ~。ふへへへ、途中の漫画を見られるのは、ちょっと恥ずかしいといいますか、その、そういうものでして、はい……」
分かって、頂けましたか?
絶望の上に笑顔を貼り付けた檀の顔を、みさきの無垢な瞳が見つめている。やがてみさきはキョトンと首を傾けると、小さな声で言った。
「りょーくん?」
「……違うよ?」
バレてる♪
もう檀さんの心の中はグチャグチャです。
ここは逆に、ポジティブに考えよう。あのキャラのモデルが天童さんだとみさきちゃんに伝わったということは、私の画力はバッチリなのね! ふひっ、漫画家としては最高の褒め言葉ですよ! でも人としてはもうおしまいです!
「だいじょうぶ?」
しくしく泣いている檀を慰めるみさき。
「大丈夫だよー」
とは言うものの、許容量を遥かに超える精神的なダメージを受けた檀さんはもうボロボロです。
あぁ、きっとみさきちゃんの口から天童さんに伝わってしまうに違いない。そして全てを知った天童さんの狼が私の兎さんを……そんなに悪くないかも、なんて思ったしまった私は多分もう手遅れだ。
「まだ大丈夫、まだ間に合う、もうダメだ」
「……ん?」
「ふひひ、なんでもないよー」
ほんとに大丈夫?
いつもよりずっと変な檀さんを見て、みさきは少し不安になる。
「みさきちゃん、おかえり。いつ帰って来たの?」
「さっき」
「ふひひ、そっか。さっきかー」
描いてるとこは見られてないのかな。
見られてないよね、セーフだよね。
※アウトです
「学校、どうだった?」
「どう?」
「どんなことしたの?」
「いろいろ」
「ふひひ、そっか。いろいろか」
「……ん」
こくりと頷いて、みさきは檀の膝の上に座った。そのあと机に置いてあったペンを手に取って、ぐーっと首を上に向ける。
「おしえて」
「うん、いいよ」
りょーくんに上手な似顔絵をプレゼントする為に、みさきは檀に教えを乞う。今日の檀さんはいつもより変だったけれど、変なのはいつものことなので、みさきは特に気にしない。
「……ふにゃふにゃ」
「ふひひ、直線は、まずイメージして、それからササっと線を引くと、真っ直ぐになるよ」
「いめーじ?」
「そう。どんな線を引くか、想像してから描くの」
「……ん」
言われた通り想像してみるみさき。
そのままじーっと固まって、
「…………んん?」
難しそうな声を出すみさき。
檀は静かに笑って、みさきに頬を寄せる。
「頑張って」
「……ん」
頷いて、みさきはスーっと手を動かした。そうして引かれた線は、やっぱり少し歪んでいた。
また難しい声を出すみさき、頑張れと笑う檀。
龍誠が帰ってくるまで、二人はずっと和やかな時間を過ごした。




