SS:みさきと誕生日
みさきという女の子について話をしよう。
彼女は六年前に生まれ、母親と共に五年間を過ごした。
気が付いた時には父親が居なくて、気が付いた時には母親と話をしなくなっていた。
彼女は無口な女の子だが、最初からそうだったわけではない。
むしろ、おしゃべりな女の子だった。
甘えん坊で、いつも母親にくっついて「あのねあのね」と話をしていた。
それが変わったのは、三歳の誕生日がキッカケだ。
誕生日が近付くにつれて、母親は冷たくなった。いつものようにみさきが甘えると、少し嫌そうな顔をするようになった。
みさきは幼いながら、母親が忙しそうなのを感じていた。
みさきの母親は、バレンタインデーの準備で忙しかった。
彼女は男にだらしない。そのくせ惚れやすくて、一度恋をすると他の事が見えなくなる。
一生懸命チョコを作る彼女に、みさきと遊んでいる時間は無かった。
むしろ、甘えてくるみさきが鬱陶しくて仕方なかった。
みさきは三歳になった。
母親に甘えることを遠慮するようになっていた。
だって、甘えたら怒られるから。
甘えたら、嫌われるから。
それでも我慢できるわけ無いから、みさきは母親の表情を伺いながら甘えていた。
そして次の誕生日が近付く。
その頃、また母親は忙しそうな姿を見せるようになった。
今は甘えちゃダメだ。
みさきは我慢した。
それは正しくて、同時に間違いでもあった。
もうこの時、みさきの姿は母親には見えていなかった。
新しい男に夢中になった母親は、完全に育児を放棄した。
寂しかった。
お腹が空いた。
何かが食べたかったみさきは、ふらふらと椅子を伝って机の上に乗った。
そこには食べ物が置いてあった。みさきはそれを食べた。
今度は喉が渇いた。
みさきは蛇口を捻ったら水が出るところを見た事がある。
だけど蛇口がある洗面台は、みさきの身長ではとても届かなかった。
みさきは考えた。
やがて重たい椅子を動かして洗面台にのぼり、水を飲んだ。
みさきにとって、生きる為には考える事が不可欠だった。
親子の会話はとっくに失われていた。
四歳になってから、みさきは一度も声を出していなかった。
それはつまり、一度も母親に声をかけられていないことを意味している。
一人で虚空を見ている時、みさきは考えた。
何がいけなかったのだろう。
あんなに優しかったお母さんは、どうしてみさきのことを嫌いになったのだろう。
きっと困らせてしまったからだ。
甘えてしまったからだ。
そうか、それがいけなかったのか。
なら、もしも次にチャンスがあったら、今度は間違えないようにしよう。
ある日、みさきは楽しそうな声を聞いた。
子供の声だった。
てくてく歩いて玄関を開けると、母親と手を繋いで歩く男の子の姿があった。
みさきは引き寄せられるようにして、二人の後を追いかけた。
やがて公園に辿り着いた。
男の子がブランコをこぐ。
母親は男の子を褒めた。
男の子が滑り台をすべる。
母親は男の子を褒めた。
男の子が鉄棒で遊ぶ。
母親は男の子を褒めた。
男の子が何かをすると、必ず母親が褒める。
みさきは、それを羨ましそうに見ていた。
だけどそのうちたまらなくなって、そこから逃げ出した。
家に帰ったあと、みさきは思った。あの男の子のように何かが出来れば、お母さんが自分の事を見てくれるようになるかもしれない。
みさきは考えた。
みさきに出来るのは、考えることだけだった。
その日から、みさきは目を合わせてくれない母親のことを見ていた。
何をすれば喜ぶのか、じーっと観察していた。
そして、五歳の誕生日が近付く。
みさきは誕生日が近付くと、母親が忙しくなることを知っていた。
それは何故だろうと考えた。
思えば、母親は何かを作っていた。
なら、もしもみさきがそれを手伝ったら、褒めてもらえるかもしれない。
みさきは一生懸命に考えた。母親は何を作っていて、それはどうやったら作る事が出来て、どうやったら手伝うことが出来るのか。
果たして、みさきはチョコレートを作り上げた。
完成したチョコレートは、とても美味しかった。
これを渡せば、きっと喜んでくれる。
きっと、また仲良くしてくれる。
そして五歳の誕生日――みさきは、龍誠と出会った。
最初は怖かった。
部屋に入った時は臭いで倒れそうになった。
だけど、りょーくんは優しかった。
みさきの為に一生懸命になってくれた。
みさきは、あっという間にりょーくんの事が好きになった。お母さんとお別れしたことは悲しいけど、それを忘れさせてくれるくらい、りょーくんとの時間は楽しかった。
甘えたかった。
頬をすりすりして、いっぱい撫でて欲しかった。
歩くときは手をつないで歩きたかった。
でも、それをしたら嫌われてしまうかもしれない。
だからみさきは甘えることが出来なかった。
怖くて仕方なかった。
そして、六歳の誕生日が近付いた。
りょーくんは傍にいない。
みさきは誕生日が嫌いだ。
誕生日は、いつもみさきから大事な何かを奪っていく。
何も悪い事はしていないのに。
ゆいちゃんの家に住むようになった理由は知っている。
半年経ったら、またりょーくんと一緒に居られるようになることも知っている。
だけど、みさきはそれが信じられなかった。
りょーくんはみさきのことが嫌になったんじゃないかと思った。
なんで?
みさきが面白い話を出来なかったから?
りょーくんに助けられてばかりだったから?
毎朝、いなくなってないか心配でりょーくんの寝顔を見ていたから?
誕生日なんて嫌いだ。
大嫌いだ。
その日の夜、ゆいちゃんと、ゆいちゃんのママと一緒に歩いて家まで帰った。
すっかり慣れてしまった日常だった。
今日はみさきの誕生日だ。
みさきは今日、六歳になる。
特に何もなかった。
普通にご飯を食べて、お風呂に入った。
ただ、今日はゆいちゃんと二人だった。
いつもはゆいちゃんのママも一緒に入るのに、今日だけはゆいちゃんと二人だった。
おねえちゃんにまかせて!
そういって、ゆいちゃんはみさきの世話をしてくれる。
みさきはゆいちゃんのことが好きだ。
だけど、りょーくんのことはもっと好きだ。
りょーくんに会いたい。
会いたい、会いたい、会いたい。
お風呂から出ると、どうしてか周りは暗くなっていた。
ゆいちゃんはタッタカ歩いて、暗闇の中を進んでいった。
みさきは不思議に思いながら、ゆいちゃんの後を追いかけた。
そして――
パンッ、という音がした。
「みさきちゃん! 誕生日おめでとう!」
そこには、ゆいちゃんのママが居た。小さな袋を持っていた。
そこには、ゆいちゃんが居た。口元にクリームがついていた。
そこには、まゆみさんが居た。四角い袋を持っていた。
そこには――りょーくんが居た。大きな袋を持っていた。
なんで?
ゆめ?
パチパチと瞬きを繰り返すみさきに、りょーくんは大きな袋を差し出した。
「みさき、誕生日プレゼントだ」
みさきよりも大きな袋の中身は、みさきが欲しがっていたピアノ――電子ピアノだった。
だけど、そんなこと考える余裕は無かった。
中身なんてどうでもよかった。
「…………」
みさきは、グッと口を一の字にした。
我慢しなきゃダメだ。だって、あの日りょーくんと約束したから。
「……みさき、どうかしたか?」
でも、りょーくんの声を聞いたら我慢なんて出来るわけ無かった。
「あー! みさきのことなかせたー!」
「いや、えっ、俺!?」
「まったく、相変わらずのクズですね」
「だからっ、えっ、俺が悪いの!?」
ゆいちゃん達の言葉に戸惑うりょーくんを見て、まゆみさんはふひひと笑っていた。
夢のような時間だった。
みさきはお風呂で寝てしまって、夢を見ているのだと思った。
「おいみさき、大丈夫か? 俺なにかしたか?」
困った顔をして、りょーくんがみさきを見ている。
みさきは思い切って、りょーくんの胸に飛び込んだ。
そこには、しっかりとした感触があった。
これが夢ではないと伝えていた。
みさきは、思い切り泣いた。
わんわん泣いた。
りょーくんが戸惑いながら頭を撫でてくれているけれど、それがもっと涙を流させた。
嬉しいのに涙が止まらなかった。
初めて、みさきは誕生日が好きになれそうだった。
「みさき、どうしたんだよ」
「…………き」
「なに、なんだって?」
「……すきっ」
初めて、素直になれた。
「すき! だいすき! だいすき! だいすき! だいすき!」
りょーくんの服を涙と鼻水で濡らしながら、みさきは大好きと叫んだ。
りょーくんは、ぎゅっとみさきのことを抱きしめる。
「バカ、俺の方が大好きに決まってるだろ」
それは、みさきが一番聞きたかった言葉だった。
「みさき、こと、いやじゃない?」
「当たり前だろ」
それは、ずっと前から知っていたことだった。
「みさき、こと、すき?」
「そう言っただろ」
それも、ずっと前から知っていたことだった。
みさきが泣き止むまで、りょーくんはずっとみさきのことを抱き締めていた。
そしてみさきが泣き止んだ後、みさきにとって初めての、嬉しい誕生日パーティーが始まった。
第二章 仕事と子育て 終
続く第三章はみさきちゃんが主役の物語です。




