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みさきが勉強を始めた日

 立派な親になる。

 漫然とした目標を掲げてから数日。


 まずタバコをやめた。

 次に酒までやめて、バイトだが真面目に働き始めた。


 革新的な成果だ。出来過ぎだ。

 人間やると決めたら案外どうにかなるというか、これまでの人生が如何に無意味だったか思い知る。


 常にヤニが漂うボロい部屋には、今ではファブリーブの強烈な香りが漂っている。パチンコからトイレくらいにはランクアップしたんじゃねぇか? どっちも吐きダメに変わりねぇけどな。


 散らかり具合は変わってねぇ。相変わらず脱いだ服が散乱していて……まあ、こいつはそのうち片付けよう。


 んで、俺が考えてるのは次の一手だ。

 20万の生活保護と日給1万の肉体労働。手取り額だけ考えれば、これで十分にやっていける。


 だけど俺は、仕事を探していた。

 無駄に分厚い求人情報誌。パラパラ捲り続けて、その度に心が重くなりやがる。


 ……なんだこれ、正社員募集で時給900円? バイト以下じゃねぇか誰が応募するんだよ。


 ああ、ダメだ。

 まともな場所で働ける気がしねぇ。


 溜息ひとつ。雑誌を投げ捨てる。

 それから天井を見上げていると、不意にパラパラした音が聞こえた。見ると、俺が投げ捨てた本をみさきが読んでいた。


 感慨深い。

 少し前まで窓際が定位置だったみさきは、俺がタバコを辞めてからウロウロするようになった。


「どした、気になるか?」


 気分良く声をかける。

 みさきはコクリと頷いた。


「ガキが読むような本じゃねぇぞ。つうか、みさきは文字読めんのか?」

「……ひらがな、だけ」


 新事実。

 俺のみさきは平仮名が読める!


「本とか好きなのか?」

「……ももたろ、すき」

「しゃあ待ってろ! 今すぐ買ってきてやる!」




 吾輩は本屋に居る。名前は天童龍誠。

 ふぅ、なかなか見つからなくて苦労したぜ。

 本屋とか生まれて初めて入るが、本棚がいっぱいあるし、多分ここで間違いないだろう。しかし銭湯の時にも思ったが、最近は本屋も進化してるんだな。本以外にも漫画のキャラみたいな玩具とか、カードゲームとか、いろいろ売ってやがる。入り口も『animate』とかいう青いオシャレな感じの看板だったし……ここまで工夫しなきゃ生き残れねぇんだな、最近の本屋って。


 まぁ、それはさておき……桃太郎、どこだ?

 モモキュンソードとかいう漫画があったが、明らかに子供向けじゃねぇっつうか、ぱっと立ち読みした感じ男性向けっつうか、なんかパチンコで見たことあるような気がするっつうか……これが一番桃太郎に近いってどういうことだよ!? そもそも子供向けの絵本コーナーがねぇじゃねぇか!


 店員か? 店員に聞けばいいのか?


「おいアンタ、見かけねぇ顔だな」


 また声かけられたぞ。ぱっと見た感じ私服のおっさんだが、店員か?


「何か用かよ」

「そういうわけじゃねぇんだが、珍しくてよ。さっきから見てたが、何を探してやがるんだ?」

「桃太郎だよ」

「……くっ、ははははは」


 なんだ、こいつ。何笑ってやがるケンカ売ってんのか?


「わりぃわりぃ、そう殺気立つな。いやなに、あんまり面白かったんで、ついな」


 やっぱケンカ売ってんだな? そうなんだな?


「ここに桃太郎なんて売ってねぇよ」

「……バカ言うんじゃねぇよ。こんなに本があるじゃねぇか」

「本は本でもここにあるのはオタク(おれたち)栄養さんそだ」


 なに言ってんだこいつ、頭おかしいんじゃねぇのか?


「ところで、テメェどうして平日の昼間っから桃太郎なんて探してやがんだ? 仕事は?」

「テメェこそ、平日の昼間っから何してんだよ」

「自営業を営んでいてな、8時までは暇なんだよ」


 夜の店ってヤツか。なんだかキナ臭いオッサンだぜ。


「まぁ、俺もそんなところだ」

「ほぅ、なんて店なんだい?」

「わりぃな、見栄を張った。実は無職だ」

「くっ、ははははは……こいつはいい。アンタ、最高だ」


 俺は知っている。

 嘘を重ねた先には、絶望だけが待っていると。


「なぁアンタ、もし働く気があるならウチに来ねぇか?」

「あぁ? 誰が夜の仕事なんてするかよ」

「なぁに、ただの定食屋だよ」

「居酒屋の間違いだろ。俺は煙草にも近付かねぇと誓ったんだ」

「ほぅ、なら安心しな。うちは全席禁煙だ」


 ……それは、悪くないかもな。いやしかし……。


「なんなら、桃太郎が売ってる店まで連れてってやるぞ?」

「詳しく話を聞こうじゃねぇか」




 果たして、俺は桃太郎を含む数冊の絵本とオッサンに勧められた少女漫画、それから漢字ドリルとノート、筆記用具、辞書を持って帰宅した。


「みさき喜べ、いろいろ買ってきてやったぞ」


 部屋の隅で枕を抱えて虚空を見つめていたみさきは、俺が手に持った本を見ると目を輝かせた。


 ……ふっ、あの顔を見られるだけで、買ってきたかいがあったってもんだぜ。


「……よめない」

「漢字ドリルって書いてあるんだよ。これで漢字の勉強をしやがれ」

「……べんきょう?」

「なんだ、知らねぇのか?」


 こくり。


「マジかよ。ええっとだな、知らねぇことを新しく覚える。この場合なら、みさきが漢字を覚えることを勉強って言うんだよ」

「……いま、べんきょうした?」

「ああ、そうだな。勉強って言葉を勉強したな」

「……ん」


 おお、なんだか嬉しそうだぞ?

 よっしゃ見てろ、やる気を出させるのは得意分野だぜ。


「みさき、俺思うんだよ。漢字読める人って、かっこいいなって……」

「……かっこいい?」

「ああ、超かっこいい」

「……ぎゅって、したくなる?」

「ああ、ぎゅってしたくなる」

「……ん」


 勢いで返事したが、どういう意味だ?

 まぁ、やる気は出たっぽいから、いいか。




 この日、みさきが勉強を始めた。

 ノートの使い方も知らないみさきだったが、教えると直ぐに覚えた。

 熱心な姿でノートに書き込みをするみさきを見ながら、俺はまた、昔のことを思い出した。

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