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SS:みさきと過ごす日々

『みさきとトイレ』


 ある日の深夜、何者かが俺の身体を揺らしていた。


 何者って、みさき以外に居ない。

 重たい目蓋を開いて、みさきを見る。


 布団の上にちょこんと座るみさきは、それが何かの合図であるかのように、両手を太腿で挟んでそわそわした。


「分かった、行こう」

「……ん」


 こくり。

 俺は軽く背伸びをしてから、部屋を出た。


 街灯がぽつりぽつりと示す道を俺達は並んで歩いた。


 焦っているからか、みさきは少し駆け足気味だ。年齢の割に表情の乏しいみさきだが、この時ばかりは必死な顔を見せる。

 

 ……がんばれ、みさき。


 果たして今日も夜の公園に辿り着いた。

 何をしにって、目的は公衆トイレだ。


 俺はみさきを追いかけて迷わず女子トイレに入り、みさきと一緒に個室に入った。


 個室。

 みさきから目を逸らすようにして天井を見上げ、ふと初めてトイレに付き添った時を思い出す。


 あの時、俺はトイレの前で待とうとしていた。そんな俺を引っ張るみさき。


「どうした、一人で出来ないのか?」


 首を振るみさき。


「なら、早く行ってこい」


 また首を振って、俺のズボンを引っ張るみさき。


「なんだ、どうした?」


 んーと言って、口を一の字にするみさき。

 そっと俯いて、もじもじと恥ずかしそうな表情をするみさき。


「……こわい」


 今だから言えるが、強烈なストレートだったぜ。以後トイレに行く時は、必ず個室までついていくようにしている。


 まぁ深夜だし。

 人なんて来ないし。

 みさきはまだ5歳だし。

 問題は無いだろう。


 さておき、何歳くらいから一人で出来るようになるのだろうか。無いとは思うが、中学生になっても一人じゃ無理だったら少し困ってしまう。


 ……まぁ、まだ先の話か。


 と、その時、一際大きな水の音が聞こえた。


「よし、終わったか」

「……ん」


 やり遂げた表情のみさき。


 俺は千切ったトイレットペーパーを持って個室を出て、みさきに手を洗わせる。


 公衆トイレに設置されたドロドロのハンドソープに殺菌効果があるのかは怪しい所だが、まぁ教育という面から見れば、トイレの後に必ず手を洗わせるのは、わりと重要なことだろう。


 ついでに俺も手を洗っておく。水は冷たくて妙に心地良い。手を洗い終わり、トイレットペーパーで水気を取った後「ふぅ」と息が出た。


 直後、ゴト、という物音がした。


 ビクリとしたみさきが慌てて首を振り、俺の脚にくっつく。俺は物音の原因を探して――直ぐに見つかった。


「……あ、わわ、わわわわ、わわわわわ」


 誰かと思ったらこひ、こひ……お隣に住んでるエロ漫画家さんだ。


「こんばんは」


 とりあえず挨拶をしてみたが、聞こえていない様子。エロ漫画家さんは眼鏡の奥に見える目を白黒させて、忙しなく口を動かした。


「し、深夜に女性用の公衆トイレに男性が居て、何かをやり遂げたような顔で『……ふぅ』って、そんな、そこから想像できることなんてアヘっ、い、いや、ぁぁぁぁ――――」

「あ、おいっ」


 訳の分からない事を口走ったエロ漫画家さんは、急に脱力したかと思うと、ゆっくりと床に倒れた。


「おいバカ、みさきの教育に悪いだろうが。トイレで寝るな……って、なんで気絶してるんだ?」


 エロ漫画家さんを抱き起した状態で唖然とする俺。手を洗い終えたみさきがとことこ歩いてエロ漫画家さんの頬をぷにっと突いた。そして、少し俯いて首を横に振った。

 

 何が表現したかったのだろう?


 疑問に思いながらも、とりあえずエロ漫画家さんを部屋まで運ぶことにした。お隣さんだから、ついでみたいなものだ。


 どうでもいいが、妙に生暖かい。人肌を生暖かいと表現することには違和感を覚えるが、お隣さんは生暖かかった。


 歩くこと数分。隣の部屋には鍵がかかっていなかったので、俺は布団の上にエロ漫画家さんを寝かせて帰宅した。帰宅ってほどの距離でもないが。


 エロ漫画家さん騒動にも表情ひとつ変えなかったみさきは、緩慢な動きで布団に入り込む。寝息が聞こえ始めるまでに、十秒とかからなかった。




『みさきとしりとり』


「語彙力チェックだ!」

「……ん?」


 ある休日の昼。

 俺は勉強中のみさきに言った。


 語彙力チェック。


 そう、俺は少し不安に思っていた。

 口数の少ないみさきだが、実は語彙が少ないんじゃないかと。だから口数が少ないんじゃないかと。


 漢字の勉強をしているついでにペラペラと辞書もめくっているようなので、単語に関する知識はあると思う。だが……だけどなぁ、不安なんだよなぁ。


「というわけで、しりとりするぞ! みさき!」

「……しりとり?」


 ほら見ろ! しりとり知らないよこの子!


「例えば、俺が林檎って言うだろ? そしたらみさきは、ゴから始まる言葉を言うんだ。ゴリラとか、ゴマとか。ただし、最後にンが付くか、言えなくなったら負けだ。ごはん、とかはアウト。いいか?」

「……ん」


 お、流石みさき賢い。いっぱつで理解したらしい。

 しかもちょっとワクワクしている! いい表情だ!


「では早速……しりとり」

「りんご」


 おぉぉぉぉ理解してるぅぅぅぅ。


「ごりら」

 

 やべぇ、こんなにワクワクするしりとり初めてだ。


「らーんどせる」


 考えながら言ってるぅぅぅぅ!

 スゲェ! みさきスゲェ!


「る……ルール」

「るーるぶっく?」

「くま」

「まる」

「ルネサンス」

「すーりる」


 スリルとか知ってるのか!?

 ルールブックも知ってたし……だが、しりとりは知らなかったんだよな?


 ……みさきの語彙力が謎だ。


「る、ルビー。イだぞ、イ」

「いすとわーる?」


 ……あれ?


「る、る…………」

「…………ふふ」


 こいつ、まさか。


「ルーマニア」

「あーな」

「やめろぉぉぉ――っ!!!」

「……あなうんさー、だめ?」


 無垢な瞳。

 俺は、いま、なんて邪なことを……


「……いや、ダメじゃねぇ。さ、だな。さ、さ……」


 あらためて、俺は思った。

 みさきの語彙力が謎過ぎる。




『みさきと発声練習』


「発声練習だ!」

「……はっせい?」


 少し前、みさきの語彙力が異常な事が発覚した。

 この5歳児、おそらく幼女らしからぬ語彙力を有している。なのに、なぜ口数が少ないのか。

 

 それはきっと、喋る事に慣れていないからだ!


 これは問題だ。

 こいつは重大な問題だ。


 コミュ力が重視される世の中を生き残っていくためには、


 ……私、シャイなんです。


 とか!


 ……人と話すのは、苦手で。


 とか!

 こんなの通用しねぇ!


 世の中は言ったもん勝ち!

 声を出した奴が勝ちなんだ!


「というわけで、やるぞみさき!」

「……んっ」


 俺の熱意が伝わったのか、みさきはキリっと表情を引き締めて立ち上がった。


「よし、外に出よう!」

「……ん!」


 ピシっと頷いたみさきと一緒に外へ出て、気持ちの良い空気を吸い込む。


「俺に続いて声を出すんだ。いいな?」

「……ん」


 ……よし、行くぞ。


「あめんぼ赤いなあいうえお!」

「あめんぼ、あかい? あーいうえお!」


 やはり、思った通りだ。


「……みさき、おまえの弱点は助詞だ」

「おんなのこ?」

「女子じゃねぇ、助詞だ。に、とか、と、とか……今でいうと、な、が言えてなかった」

「……んん?」

「ゆっくり言おうか。あーめーんーぼ」

「あーめーんーぼ?」

「そうそう。次、あーかーいーな」

「あーかーいーな」

「あいうえお」

「あいうえお?」

「そーそー、よくできた。偉いぞみさき」

「……ん」


 よしよし、嬉しそうだ。やっぱり出来なかったことが出来るようになるのは嬉しいよな!


「じゃあ続き行くぞ!」

「……ん」


 やる気も十分!

 

「……」


 あれ、次なんだっけ?

 確か、う、なんちゃらだったよな?


 ……やべぇ、思い出せねぇ。

 くそっ! 急げ俺! みさきがキラキラした目で待ってるだろうが! 思い出せ! 思い出すんだ!


「う……」

「う?」


 ……作るしかない!


「麗らかな声で、そいつは言ったよあいうえお!」

「うらぁか、こえ、いったよ?」

「もう一回! 麗らかな、はい!」

「うらぁかなっ」


 く、まだラ行が難しいようだな。

 まぁいい、次だ。


「声で、はい!」

「こえで」

「そいつは言ったよ、はい!」

「そいつは、いったよ?」

「あいうえお!」

「あいうえおっ」

「よーしよし、偉いぞみさき」

「……ん」


 続ける。

 麗かな声で……何を言ったのか。


「返して! かきくけこ」

「かえして、かきくけこ?」

「きつつき、こつこつ、枯れケヤキ、はい!」

「きつつき、こつこつ、かれけやき?」

「些細な、ことだけれど、さしすせそ!」

「ささいな、ことだけぇど、さしすせそ?」

「やるなみさき! ちゃんと言えたじゃねぇか!」


 またラ行がダメだったが、とりあえず褒めとく。

 褒めて伸ばす!


「……ん」


 なんたって、褒めると嬉しそうな顔するからな。

 よし、続きだ。


「それは、とても大事な、物なの!」

「それは、とてもだいじな、ものなの?」

「確かに、彼女はそう言った」

「たしかに、かのじょは、そーいった?」

「とてとて、たったと、飛び立った!」

「とてとて、たったた、とびたった?」


 タ行も難しかったか。

 やっぱり、発声練習は必要みたいだな。


 よし、これから毎日続けよう!

 そしたら、みさきは喋るのが得意になって、どんどん声をかけてくれるようになるかもしれない。いやいや! 俺の為じゃなくて、みさきの為だ!


「しゃあ、気合い入れて続けるぞ!」

「ん!」

「なんで、どうして!? なにぬねの!」

「なんで、どうして、なにぬねの」

「なんとか言ってよ!」

「なんとかいってよ?」

「鳩ぽっぽほろほろはひふへほ!」

「はとぽっぽ、ほろほろ、はひふへほ?」

「ひなたはお部屋に火を放つ!」

「ひなたは、おへやに、ひをはなつ?」


 こうして、俺とみさきの日課がひとつ増えた。




『まゆみと隣人』


 どうも、小日向こひなたまゆみ、22歳です。


 専門学校を卒業した後、ニートしながら同人誌を書いてます。


 早速ですけど、死にたい。


 今朝起きたら、私の楽園というか、大事なところがとても湿り気を帯びていて……。


 つまり、その……この歳で、やってしまいました。


 何か怖い夢を見ていたような気がするのですが、思い出せません。


 とにかく、死にたい。


「ふ、ふひひ、ふへ……こんな、こんな売れ残りの喪女が、おもらし属性まで手に入れてしまったら、もう、もう……ふ、ふふひひ、せめて、せめて殿方に綺麗と言っていただけた今の若さを保ったまま、一生を終えたい所存でございまする」


\あめんぼ赤いなあいうえお!/


 う、噂をすれば、例の殿方のお声が。

 あめんぼ……発声練習?


 あ、例の殿方というのは、お隣に住んでいる男性で……ええと、女装をしたら似合いそうな顔をした……じゃなくて、少し近寄り難い雰囲気のあった方です。


 最近、娘さんと一緒に暮らすようになって、なんだか柔らかくなりました。


 何やら私の評価が高いようで、何かと相談されます。ふへへ、もしかして私のこと好きなんじゃ……なんて、ありえないですけどね。


 それはそうと、懐かしい。

 あめんぼ……高校時代は演劇部から毎日聞こえて来たなぁ……ふひひ、あの頃はまだ私も……あ、もっと死にたくなった。


\麗らかな声で、そいつは言ったよあいうえお!/


 ……あれ? 浮藻に子蝦こえびが泳ぐんじゃないの?


\もう一回! 麗らかな、はい!/

\うらぁかなっ/


 ふへへ、なにこれ微笑ましい。

 そういえば、あの人って寡男やもおなんだっけ……? お母さんのいないみさきちゃんを悲しませないように頑張ってるのかなって思うと……。


\返して!/


 アヘっ!? お母さんを!?


\かきくけこ!/


 なにそれ!?

 オリジナル!? オリジナル発声練習!?


\きつつき、こつこつ、枯れケヤキ!/


 じゃない!?


\些細な、ことだけれど、さしすせそ!/

 

 どういうこと!?


\やるなみさき! ちゃんと言えたじゃねぇか!/

  

 あの人なにを教えてるの!?


\それは、とても大事な、物なの!/

\それは、とてもだいじな、ものなの?/

 

 みさきちゃんノリノリ!?


\確かに、彼女はそう言った/


 ええと、ストレスが溜まってるのでせう?

 それとも実体験なのでせう?

 

\とてとて、たったと、飛び立った!/

\とてとて、たったた、とびたった!/


 たったたwww

 みさきちゃんwww

 たったたwww


 ふひひ、分かりましたよ。

 あのひと、多分うろ覚えでやっているのですな。


\なんで、どうして!? なにぬねの!/


 こっちの台詞だよ、もう。

 なんか死にたいとか思ってた自分が馬鹿みたいに思えてきた……。


\なんとか言ってよ!/


 何を言えと申すか……はぁ、漫画かこ。


\鳩ぽっぽほろほろはひふへほ!/


 あ、そこは覚えてるんですね。


\――日向――お部屋に――火を放つ/


 ふぇ? 


 ……小日向の、お部屋に、火を放つ?


 あへっ!? わた、わたくし何か怒らせるような事をしましたっけ!?


 どどど、どうしよどうしよ!?

 こ、こういう時は……土下座!


 私はダッシュで部屋を飛び出しました。

 そして、全力で地面を蹴ります。


 これが奥義――フライング土下座です!


「あぶぇぇぁっ――」


 見事に失敗。

 地面に激突。

 ふっ、どうやら己の力量を見誤ってしまったようだぜ。


「……何やってるんだ?」


 拙者が聞きたいでござるよ。


「……だいじょうぶ?」


 おお、みさきちゃん、ちょっと発声練習の効果出てる。すごい、こんな直ぐに効果が出るなら私もやってみようかな。


 それはそうと。


「……あのぉ、つかぬことをお伺い致しますが、わたくし、どんな状況でせう?」

「血まみれだな」

「……いたそう」


 ああ、お父様、お母様。

 わたし、恋人すら出来ないまま、傷物になってしまいました……ガク。



 このあと滅茶苦茶治療された。



 ※幸運にも傷は残りませんでした。

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