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友達

「なあ龍誠。歳いくつなんだ?」

「十五」

「そっか、みっつ上なのか」


 朱音が懐いた。

 あの日の後、オッサン達は俺を厳しく扱うようになった。そのせいで仕事がキツくなり、昼飯の時間は今まで以上に癒やしを与えてくれると期待していたのだが、朱音が鬱陶しいくらいベタベタしてくるようになったせいで、むしろ疲れる。


「なあ龍誠。誕生日はいつだ?」

「クリスマス」

「そっか、やっぱりみっつ上なのか」


 ただでさえ暑いのに肩を寄せて休むこと無く話しかけてくる朱音。


「なあ龍誠。血液型は?」

「知らん」

「えー、知らないのか?」


 今度は肩に頭を乗せてきた。


「暑苦しい、いい加減にしろ」

「いーじゃん。オレと龍誠の仲だろ?」

「知らん。鬱陶しいから離れろ」

「照れんなよぉ〜」

「頭からジュースかけるぞクソガキ」

「水遊びか? いいぞ、やろやろ〜!」


 ついには腕を組んで、おーと手を振り上げた朱音。俺は自由な右手に掴んだペットボトルを潰さない程度に握りながら、本気で中身をかけてやろうかと考えていた。


 このように、うんざりするくらい懐かれた。これが猫くらいの大きさだったら許せたかもしれないが、朱音は俺よりも大きいのだ。


 もちろん、変わったのは朱音だけではない。


「よぉクソガキぃ。今日も暑いねぇ!」


 もちろん天気のことではない。


「そうだな。今年の夏は長いらしい」

「まったまた素直じゃねぇなぁオイ!」


 と、オッサン達の絡み方も鬱陶しい方向に変化した。仕事については厳しいのだが、そうでないときは、いつもこんな感じだ。


 本当に心底うざいのだが、止めさせようとは思わなかった。当時の俺は自覚していなかっただろうが、きっと無意識に求めていたのだ。この工場内にある家族みたいな温もりが、心地良いと感じていたのだ。


 だからこそ、朱音が俺に懐いている理由も感覚的には理解していた。彼女の話によれば、父親が他界したのは五年前。つまり、当時の朱音は七歳だ。幼くして両親を失った朱音が甘えたいという欲求を向ける相手として、俺は適任だったのだろう。




「なあ龍誠。どこに住んでるんだ?」


 また月日が流れ、冬を迎えた。

 朱音は未だにベッタリしてくる。


「教えない。朱音こそどこに住んでるんだよ」

「オレか? オレはあそこに住んでるぞ」


 朱音の目を追った先、てっきり物置だと思っていた小屋が目に入った。


「あそこって、あの遠くに見える小屋か。マジか」

「おう、今度遊びに来るか?」

「いかねぇよ」


 朱音の素性については理解したが、やはりこの工場の闇は深い。こんなガキをあんな場所に一人で住まわせるとか正気じゃない。


「いつから住んでるんだ?」

「二年前くらい。その前はパパの家に住んでたんだけど、なんか工場から離れたくなくてさ……」

「そうか」


 俺は少し言葉を探して、


「風呂とか何処で入ってんの?」

「近くの銭湯」

「金持ちだな」

「そうか? いっかい四百円だぞ?」

「毎日行って年に十五万か、思ったほどじゃねぇな」

「二日に一回だから半分だ」

「くっさ」

「くさくねーし!」


 俺の頬を引っ張って抗議する朱音。

 すんすんと鼻を鳴らして、


「龍誠の方が臭い」

「うるさい俺は働いてるからいいんだよ」

「やーい、おこったー」


 少しイラっとして、頬を引っ張ったままの手を叩き落とす。朱音は楽しそうに笑っていた。


 この頃から、ふと考えるようになった。

 朱音は俺にとって何なのだろう。

 

 オッサン達との関係は単純で、ただの仕事仲間だ。

 中学の頃に連んでいた連中のことは友達と呼んでいた。


 しかし朱音はどちらとも違う。

 幼い子供を相手にしているつもりで、だけど気が付けば同じレベルでの会話をしている。


 何かに似ているような気がして、ずっと考えていた。

 そしてある時、小学校で出会った女の子を思い出した。


 朱音は、あいつに似ているような気がする。

 そういえば、あいつは最後に俺のことを友達だと言っていた。


 ならば、俺と朱音は友達なのだろうか。


「なあ朱音」

「お、なんだ?」


 ある日、俺は朱音に聞いてみた。


「俺達って友達なのか?」

「当たり前だろ、何言ってんだよ」


 当然のように、朱音は答えた。


「そうか……いや、なんでもない」

「変な龍誠。頭でもぶったのか?」

「そうかもな」




 友達。ともだち。

 不思議な言葉だ。


 中学の頃、人の物を取り上げていた不良が「友達だろ?」と言って自分を正当化していた。いつも遊んでいた連中は「ずっと友達だよ!」としきりに口にしていた。


 俺に人と関わる楽しみを教えてくれた女の子も、俺のことを「友達」と呼んだ。

 そして朱音もまた、俺との関係を「友達」と称した。


 全部違う。ひとつとして同じ関係は無い。

 なのに、同じ友達。


 では逆に、友達とは違う特別な関係とは何なのだろう。

 ……家族、だろうか。


 もしもそうならば、俺にはいくら考えても分からないに違いない。


 産まなければ良かったと言われて以来、一度も話していない。

 俺の中にある親への印象は、こんなものだ。


 中学の頃の友達は、武勇伝として認識した。

 工場のオッサン達は笑い話として扱った。


 そして朱音は――


「なあ龍誠。龍誠のパパとママってどんな人なんだ?」


 ある日、こんなことを聞いてきた。


「知らん」

「えー、教えろよー。龍誠はパパとママのどっちに似てるんだ?」


 いつものようにベタベタしながら問いかけてくる朱音に向かって、俺は溜息混じりに決まりきった返事をする。


「産まなければ良かったって言われて以来、一度も話してない」


 家族に関する話題は、いつもこれで終わりだ。

 だから今回も同じだろうと思っていた。


「ふざけんなよ!!」


 誰かが叫んだ。

 誰って、朱音しかいない。


「なんだよそれ!? そんなのってねぇよ!!」


 俺はこの時、初めて朱音が怒っている姿を見た。

 朱音には無関係なことなのに、顔を真っ赤にして、涙を浮かべていた。


「朱音?」


 呆気にとられながら名前を呼びかけると、強い力で肩を引かれた。そのまま朱音の胸まで引き寄せられて、強引に抱きしめられる。


「……最低だよ。許せねぇよ。勝手すぎるだろっ」


 俺を抱く手が震えているのが分かった。


「龍誠も、そんな寂しいこと、さらっと言ってんじゃねぇよ……」


 あまりに突然のことで、頭の中が真っ白になった。それと一緒に、体中が痺れにも似た感覚を伴って震えているのが分かった。


「朱音、落ち着け」


 思ったよりも落ち着いた声が出た。

 

「はなしてくれ、痛い」

「……わりぃ」


 自由になった俺の目に最初に映ったのは、涙に濡れた朱音の顔だった。

 表情は強ばっていて、口元は小刻みに震えている。


「別に、俺は気にしてない。どう思おうが本人の自由だ」


 これで今度こそ話は終わり、そのつもりで言った。


「そんなことない」


 しかし朱音は納得しない。

 前に工場から人が減った時と同じくらい悲しそうな顔をして、朱音は言う。


「……子供が頼れるのって、親だけだろ。子供がどんなに頑張ったって、大人が助けてくれなきゃ、何も出来ねぇじゃん。なのに、親がそんなこと言うって……おかしいだろ」


 朱音が言ったのは当たり前の言葉だ。きっと正常な感覚を持った人ならば、誰もが同じようなことを思う。工場のオッサン達も同じことを思った上で、あえて口にしなかったのだろう。いや、口にすることが出来なかったのだろう。


 今のは、彼女だからこそ言えた言葉なのだ。


 幼くして両親を失って、自分だけでは何も出来なかった。その代わり、周りの大人達が助けてくれた。そんな朱音だからこそ、子供にとって親という存在がどれだけ大きいのか、痛いほど分かるのだろう。


 だから俺の話を聞いて本気で憤って、本気で悲しいと思ったのだろう。なんでもない事のように言う俺を見て、冷静ではいられなかったのだろう。


 当時の俺は、それを感覚として理解した。


 そして、きっとこの時から、朱音は俺にとって特別な存在になった。

 彼女の為なら命を掛けても良いと思えるようになった。


 きっと何年経っても忘れることの出来ない、大切な友達になった。




 それから一年、二年と時が流れた。

 あと少しで俺は十八歳になる。


 工場には人が増え始めて、長いこと使われていなかった設備もいくつか再稼働していた。


 朱音は十五歳になったというのに、相変わらず子供のように俺にベッタリだった。ただ身長については少し変化があって、俺は朱音よりも僅かに大きくなっていた。


 この工場を日本一にする。

 それは朱音の夢であり、俺の夢にもなっていた。


 最初は数ヶ月でバックレるつもりだった工場。だが長いこと居たせいで愛着が湧いたのか、なんとなくこの工場から離れることは無いのだろうなと思っていた。


 そんなある日、珍しく来客があった。


 柔和な笑みを浮かべた長身の男性で、黒い格好をしていた。

 とつぜん現れた彼は、俺達に向かってこう言った。


「この土地を譲ってもらう為に来ました。作業を中止して、この書類にサインしてください」


 彼が浮かべた笑顔という仮面の内側に、おぞましい何かが潜んでいることには、まだ誰も気が付いていなかった。

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