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将来の話

「ほんとは女なんだろ」

「しつこい」


 働き初めてから二週間。昼飯は、この男みたいな女と一緒に例の場所で壁際に座って食べるのが日課になっていた。オッサン達と一緒に食うよりはマシだし、何故か周りも何も言わないから不満は無いのだが、毎日のように俺を女扱いしてきて少しうざい。


「今更だけど、おまえなんなの?」

「なにって?」

「おまえが仕事してる姿は見たこと無い。だけど、いつもいるから無関係ってワケじゃないだろ」


 後藤の部屋からパクってきた菓子パンの食べながら言うと、朱音は何故か楽しそうな表情を見せた。


「なんだよ」

「オレについて質問するの初めてだなって」

「興味無かったからな」

「じゃあ今は興味あるんだ」

「気になっただけだ」

「んだよ可愛くない言い方。龍誠ってやっぱ女だろ」

「うるさい、質問に答えろ」

「やーい、怒ったー」


 ガキみたいに肩をつついてくる朱音。俺は軽く肘を上げて抵抗しながら、反対側の手でジュースの入ったペットボトルを掴んだ。これも後藤の家からパクった物だ。パクってばかりだが、給料が入ったら返すつもりだから問題は無いだろう。


「やーいやーい、怒ってるー」


 さておき、いつまでやってんだこいつ。いつのまにか両手だし。


「やーい! 怒ってるぅ!」

「しつけぇよガキか!」

「あははは、まだ十二歳だよーだ」

「嘘吐けバカ。テメェみてぇにデケェ女が去年までランドセル背負ってたとか信じるわけねぇだろ」

「ほんとだって。あとで誰かに聞いてみろよ」

「分かった今直ぐ聞いてくる。嘘だったら無駄口叩くの止めろよクソガキ」


 マジだった。


「学校サボってんじゃねぇよクソガキ」

「あははは、まっけおっしみー」


 こんな感じで、朱音は謎の多いガキだった。しかしそれについて問いかけても話を逸らされてしまうから、そのうち俺は聞くことを諦めた。


 もちろん仕事の方もちゃんとやっていた。溶接の他に部品も製造しているようで、コンベアを流れてくる部品の中にエラー品が無いかチェックするのが俺の仕事だった。最初の一週間は監督役として傍にオッサンが居て、エラー品を見分けるコツとかいうワケの分からない理論を語っていた。


 溶接については「バーロー女のやる仕事じゃねぇよ引っ込んでろクソガキ」とのことだ。俺としても今の仕事は楽なので文句は無いのだが、いや、無いので、仕方なく女扱いされたままでいることにした。どうせ、こんな工場で一生を過ごすつもりは無い。




 時間が経つのは早いもので、女だと思われたまま、あっという間に三ヶ月が経過した。変わったことと言えば、ある程度の金が入ったことで昼飯が豪華になったことくらいだ。


 俺は相変わらずエラー品の仕分けを行っていて、昼は朱音とかいうガキの子守をしていた。


「なあ龍誠。最近オレのことガキ扱いしてねーか?」

「朱音が勝手にそう思ってるだけだ」


 相変わらず朱音については謎だらけだ。

 たまにオッサン達と親しげに話している姿を見かけるから、下の世話でもして生活してる孤児なのかと思ったこともあったが、下ネタを振ると大袈裟な反応をするので多分違う。


「なんか嫌な言い方だな。これだから女は嫌なんだよ」

「だから男だって言ってんだろ。ちんこ見せてやろうか?」

「は、はぁ!? ば、ばっかじゃねぇの!?」


 下ネタを振ると、こんな感じに大声を出しながら右ストレートをぶつけてくるので、冷静に受け止める。最初こそ同じレベルで会話をしていたが、所詮は三つも年下のガキ。扱い方が分かればどうということは無い。


「くっそ、手をはなせバカ! 下ネタ言う龍誠は嫌いだ!」


 細い手首を掴んだまま、反対の手でコンビニで買った菓子パンを口に入れる。


「呑気に飯食ってんじゃねぇ! 無視すんな!」


 掴まれた手をブンブン振って抗議する朱音。反対の手か足を使うって発想は無いらしい。


「このやろ、勝ち誇った顔しやがって……」


 顔を真っ赤にして小刻みに震える朱音。この通りこいつはガキだから気が付いていないが、実はこの様子、オッサン達に見られている。


 ……いやぁ良かった良かった。朱音ちゃんにもちゃんと友達が出来たんだなぁ。

 ……ああ、女の子どうし仲良しなのはいいことだ。


 と、耳を澄ませばこんな会話が聞こえてくる。特に聞かれて困る会話はしていないのだが、これに気が付いてからは小声で話すようになった。性別については、もう慣れた。


 仕事についてはコツも何も無いので三ヶ月前から変化は無いのだが、人間関係はそこそこ変わっていた。十七人いるオッサンの顔と名前は覚えたし、朱音とも初めて会った時よりは距離感が近くなったような気がする。


 少しずつ、この工場での居心地が良いと感じるようになっていた。




 さらに一ヶ月が経過した。

 八月。高校に進学した連中は夏休みで、しかし遊ぶ頻度が増えたかと問われれば、むしろ減った。どうやら新しく出来た友達を優先しているらしい。それについて俺が何か言う権利は無いし、言うつもりも無い。冬が始まる頃には、全く連絡を取らなくなっていた。


 それと。

 九月が始まった頃、工場内でちょっとした事件があった。事件というか、ただ従業員が一人辞めただけなのだが、仲間意識の強い場所だっただけに、かなり揉めたらしい。


 すっきり辞めさせてやれよと思いながら見ていたのだが、話を聞いていると面倒な事情があるらしかった。特に興味は無いのだが、そこそこ良く思っていた連中が言い争っている姿を見るのは、あまり気持ちの良いものでは無かった。


 彼が工場から去った後、工場内の空気は悪かった。

 特に、朱音の落ち込み方は異常だった。


「……」


 暫くの間、朱音は一言も喋らなかった。そのくせ昼飯の時間には毎日現れ、俺の隣で膝を抱えてすすり泣いているから、何の嫌がらせだよと思っていたのだが、それでも工場内よりはマシなので、相変わらず俺はこの場所で昼飯を食うことにしていた。


「……なんか、声かけろよ」


 久しぶりに聞いた声は、明らかに涙声だった。

 流石にいつものような軽口を叩けるわけもなく、かといって気の利いた言葉なんて浮かばない。俺は迷った末に、何か食えば元気になるだろうと思って、手に持っていた菓子パンを朱音の頬に押し付けた。


「……なんだよ」


 少しだけ顔を上げた朱音が、真っ赤に腫れた目で睨む。


「口開けろ」

「……やだよ、食べかけじゃん」

「いいから食え」


 強引に押し付け続けると、やがて朱音は諦めてパンをかじった。


「……みず」


 黙って飲みかけのペットボトルを差し出す。中身はお茶だ。

 朱音は受け取った後、最小限の動きでキャップを開けて、半分以上は残っていたお茶を一気に飲み干した。


「二百円」

「……金取るのかよ」

「冗談だ。調子はどうだ?」

「……見りゃ分かんだろ。最悪だよ」


 掠れた声で言って、ペットボトルを突き出してきた。それが俺の頭にあたって、ポンとかいう間の抜けた音が鳴る。黙ったままそれを受け取ろうとして、なぜか抵抗された。


「……龍誠は、いつまでいるんだ?」

「知らん」


 正直に答えると、朱音はペットボトルを握る手から力を抜いて、また膝を抱えた。


 俺はうんざりして、明日にでも工場からバックレてやろうかと思いながら、朱音の横顔に向かって言う。


「そんなにショックだったのか、あの人が辞めたの」


 見れば分かることだが、他に何も思いつかなかった。

 朱音は微かに頷いただけで、何も言わない。


 また沈黙。

 俺は重苦しい空気に耐えかねて、深く溜息を吐いた。


 なんだこの状況、どうしてこんな面倒なことに巻き込まれた? なぜ俺が気を使っている。くだらない。


「言っておくが、俺はテメェを慰めてやるつもりは無い」


 本心からそう言った。確かに半年近く朱音の子守をしていたが、それで情がわいたかと問われれば、そんなことは無い。そもそも、そんな感情を俺は知らない。


 工場内の空気が悪かろうが、うざいだけ。

 朱音が隣でしくしく泣いていようが、うざいだけ。


 この頃の俺は、能力だけ無駄に成長した餓鬼でしかなかった。物事の良し悪しなんて知らないし、人の心理とかいう面倒な事なんて論外だ。その代わり、好きか嫌いかというシンプルな事だけは理解できた。


 面倒なことはやりたくないし、楽しいことはやりたい。

 そんな幼児みたいな感性を持って、機械みたいに冷めているのが天童龍誠という少年だった。


「だけど、言いたいことがあるなら聞いてやる」


 ただ、話を聞くことくらいなら出来る。


 中学の頃、話を聞いてやるだけで満足するヤツが何人かいた。それを覚えていたから朱音にそう言った。本当に他意は無かった。


 それから暫く、無言で朱音の言葉を待っていた。

 このまま何も言わなければ、何も話さないまま工場をバックレる。

 何か言ったならば、それを聞き届けたうえで工場をバックレる。

 そのつもりだった。


 待っている時間は、妙に長く感じた。

 木陰だというのに暑くて汗が滲むし、朱音はしくしく泣いているのに空はちっとも泣いてくれない。せめて涼しくなれと空を睨んだら、ちょうど太陽が黒い雲に隠れ始めたところだった。


「……パパが、生きてた頃」


 やがて、ポツリと小粒の雨が降り始める。


「パパが生きてた頃、工場にはもっと人がいた。男手ひとつでオレを育ててるパパはかっこ良くて、仲間にも好かれてた。そのおかげで、オレも皆から実の娘みたいに可愛がられてた」


 ようやく、朱音は話を始めた。


「でもパパが病気で倒れて、そのまま治らなくて……そしたら、あんなに仲の良かった皆が毎日ケンカして、どんどん人が減って……怖かった」


 それは朱音についての話だった。俺が何度聞いても教えてくれなかったことを彼女は語り始めた。


 よくある話で、中心人物を失った組織は止まること無く瓦解して、しかも朱音の親父の遺産をめぐって醜い争いがあったらしい。朱音には親戚もおらず、母親も早くに亡くなっていたそうだ。


 最終的に工場を含めた遺産は、森谷朱音が成人するまで、残った従業員で管理することになった。その時に残った従業員は僅か十三人で、もとは五十人以上いたそうだ。


 それから五年経って、人は増えたり減ったりしたけれど、そいつらだけは決して離れることは無かった。まさに家族のようなものだったそうだ。


 そのうちの一人が、この工場を去った。

 そのせいで朱音は昔のことを思い出したそうだ。


「ずっと一緒だと思ってたんだけどな……勘違いだった」


 寂しそうに、朱音は言う。


「オレ、大人になったら、パパみたいに立派なリーダーになって……この工場を日本一にするって、思ってた。でも……オレが大人になる頃には、誰も残ってないかもしれない。パパが遺した工場も、失くなっちゃうかもしれない」


 話は終わり、雨が強くなった。

 しかし雨は体から体温を奪うばかりで、何も洗い流してはくれない。


 朱音の言葉からは諦念を感じられた。子供ながらに、いや子供だからこそ、この先のことが鮮明に想像できるのかもしれない。もう元通りにはならないと悟っているのかもしれない。だけど震えるくらい強く握られた両手からは、痛いくらいの感情が伝わってきた。


 嫌だ、諦めたくない。どうにかしたい。

 でも何も出来ない。悔しい。


 そんな真っ直ぐな想いが伝わってきた。


 俺は、


「悪くない」


 素直に、思ったことを言った。


「俺もひとつ教えてやる」


 立ち上がって、上から目線で朱音に言う。


「俺は将来の事なんて考えたことが無い。だけど、今決めた」


 朱音の腕を引っ張って強引に立ち上がらせる。


「なにすんだ、痛いって」


 朱音は抵抗するけれど、年下のガキ、ましてや女が暴れた程度で振り払われるほど非力な俺じゃない。そのまま工場内まで引っ張って、そこで解放した。


 工場内は、相変わらず湿った空気をしていた。

 誰も目を合わせず、それぞれ一人でちまちま飯を食っている。


 雨はどんどん強くなり、ざーざーと鬱陶しい音で工場内を満たしていく。

 俺は腹に力を込めて、その全てを吹き飛ばすつもりで声を出した。


「聞け!! ヘタレ野郎共!!」


 俺達が工場に入ったことにすら気が付いていなかったオッサン達は、何事かと此方に目を向けた。


「テメェらいつまでイジケてんだ!? いい加減にしろ!!」


 俺の声は工場内で何度も反響して、やがて空気に溶けて消えた。

 その直後、一人のオッサンが見るからに憤った様子で立ち上がった。


「何も知らねぇクソガキが調子こいてんじゃねぇぞ!!」


 完全にキレているのが遠目でも分かった。そのまま俺に向かって一直線に走ってくる。何人か止めようと立ち上がっているオッサンがいたが、間に合わないだろう。


 俺は大人げないオッサンの動き冷静に見切って、胸倉を掴みに来た右手の手首を掴んで後ろに投げた。


 その様子を見ていたオッサン達は目を点にして固まっていた。おそらく投げられたオッサンはもっと間抜けな顔をしているだろう。


「朱音は、お前らと一緒に、この工場を日本一にしたいらしい」


 もはや、大きな声は必要なかった。


「だから手伝え。嫌なら今直ぐ消えろ。邪魔をするなら、俺が相手になる」


 こんなものは喧嘩が強いだけのガキの戯言だ。その言葉がオッサン達に届いたのは、朱音がいたからだろう。誰もが朱音の方を見て、バツの悪そうな表情をしていた。


 そこに、


「みんな! 頼む!」


 朱音が、トドメをさした。




 次の日から、工場は元の活気を取り戻した。俺は生意気な事を言った手前、オッサン達に厳しく扱われるようになった。だけどそれは陰湿な嫌がらせというわけではなくて、親が子を鍛えるような温かさがあって、俺は嫌いでは無かった。


 ただ、ひとつ大きな勘違いをしていたんだ。


 この時に上手く行ったのは全て朱音がいたからだ。

 工場内に朱音を中心とした絆があったからだ。

 断じて、俺が何かを言ったからではない。


 だけど俺は、勘違いしてしまった。

 俺のおかげだと、俺の力だと、俺は何でも出来るんだと、思い上がってしまったんだ。

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