SS:みさき禁止令
みさきがサプライズの準備を着々と進める裏で、龍誠もまた彼の時間を過ごしていた。
「NGワード、みさき」
今日の昼休みは、ロリコンのこんな言葉と共に始まった。突然の事に驚いて何も言えない俺とは違って、他の二人はいつも通りの様子で席に着く。これから五分もすれば、いつものようにロリコンの母親が昼ご飯を持って現れるだろう。
「なんだ、NGワードって」
「言っちゃいけない言葉って意味だ。一回言う度に減給してくから」
「……ケンカ売ってんのか?」
ふざけんなよ。それじゃまるで、みさきが存在を否定されてるみたいじゃねぇかよ。
「あはっ、沸点が低いよ龍誠くん。そ、れ、に、僕は当然の判断だと思うな」
この会社で唯一の営業担当である恒村彩斗は、いつものように気持ち悪いくらい爽やかな笑顔と口調で言った。とっくに慣れたかと思っていたが、そんなことは無かったらしい。
俺は今にも爆発しそうな拳を必死に抑えて、この胡散臭い会社に所属する唯一の良心に目を向けた。
『特に異論は無いよ』
拓斗の脳波によって生成される合成音声が、俺に味方がいないことを告げる。
「待て、どういうことだ。お前ら、みさきに一体なんの恨みがある?」
「ふざけるなよ天童龍誠。僕が幼女を恨むわけ無いだろ。たとえ数千万円の機器を破壊されたとしても、その犯人が幼女であるのなら僕は怒らない。ダメだぞっ、コツンっ、くらいで済ませる」
なぜか幸せそうな表情をして言うロリコン。
だが次の瞬間にはキッと目を細めて俺を睨んだ。
「悪いのはお前だよ、天童龍誠」
ロリコンの一言に、他の二人は力強く頷いた。
しかし、この場において俺だけが納得できない。当然だ、俺がいったい何をした。
「お前が入社してから、僕達は度々みさきちゃんについての話を聞かされていた。そのせいで、今ではみさきちゃんの趣味、成長過程、寝る時間や読んでいる本のタイトル、友人関係などなど何でも把握している。それに関しては何も問題は無い。だがな天童龍誠、最近の言動は……流石にうざい」
ロリコンはわざとらしく溜息を吐いて、机に頬杖を付いた。
「彩斗くん、罪状を読み上げてくれ。とびきり爽やかに」
「あはっ、了解」
うざ。
「まずは昨日だね。被告人はこう言っていたよ」
こっほんこっほんと喉の調子を整える彩斗。殴りたい。
「聞いてくれよ。最近みさきが鼻歌うたうようになってさ、部屋が静かになると聞こえてくるんだよ。それがもう可愛くて! ……それだけじゃねぇんだよ。あっ、また歌ってるなと思ってみさきの方を見ると……みさきっ、恥ずかしがってっ、枕の下に隠れるんだよ! でも下半身は丸見えで……もうっ、なにしてんだこいつって思って……やばいだろ?」
今のは、もしかして俺のマネをしたつもりなのか?
……愛が足りねぇよ。
「天童龍誠、感想を言ってみろ」
「特に無い。それはそうと、みさきのやつ、なんか知らねぇけどピアノも上達してて、最近は弾きながら鼻歌うたってたりしてて」
「はいストップ。これは重症ですねぇ」
なぜか深刻そうな雰囲気になる三人。なぜだ、意味がわからない。
「お前がみさきちゃんと別離していたらしい半年間は、流石の僕もちょっっとだけ心配したよ。だから、また一緒に住み始めたってことで浮かれる気持ちは分かるし、少しくらいは惚気話を聞いてやろうって思ったよ。けどさ、限度があるよね? あるよね?」
後半に行くにつれて声が震えていく。
「まぁ、僕は無駄なことが嫌いだから長々と話すようなことはしないよ。そうだね、単刀直入に僕の気持ちを伝えるとしたら……うっらやましいぃぃんだよ!!」
「結局それかよ!?」
「うるさい黙れ!」
バンバン机を叩くロリコン。
「毎日毎日よくもまぁネタが尽きないなぁというか、ネタを提供出来るみさきちゃんは何者なんだよ!? 可愛すぎるだろ!? くれよ! みさきちゃんくれよ!」
「たく、何かと思ったらただの嫉妬かよ。あーあ、くだらねぇ」
「くだらなくない最重要事項だ! ほら、お前らも何か言ってやれよ!」
「何かもクソもねぇよ、テメェが勝手に嫉妬してるだけじゃねぇか。まったく、お前らも災難だったな」
同情の意を込めて二人を見る。
「あはっ、二度とみさきちゃんの話はしないでね」
『しないでね』
「……そんな馬鹿な」
ロリコンが醜い嫉妬で荒れ狂っているのは分かった。だが残りの二人は特殊な性的指向は持っていなかったはずだ。となると、俺が相当うざかったと考えるのが自然だ。
「そんなに、うざかったのか?」
「僕は常に心に余裕があるから、そんな風には思っていないよ」
『同じく。むしろ楽しく聞かせてもらってるよ。君がみさきちゃんの話をするのは決まって休憩時間だから、仕事の邪魔にもなってないしね』
「ならどうして」
『優斗が荒れるんだよ。君が帰ったあと一時間くらい愚痴が続く』
「愚痴とか言うな!」
なるほど、そういうことか。
「つまり、ロリコンが悪いと」
「そうだね」
『そうだよ』
「なにぃ!?」
今度は俺が溜息ひとつ。
「無駄な時間だったな」
「なんだとぅ!?」
すっかり脱力した俺。というか、よく考えたら熱くなっているのは最初からロリコンだけだった。
『というわけで、天童くんが大人になってくれると嬉しいかな』
大人になる。これは俺にとって新鮮な言葉だった。もちろん意味は分かる。
どちらにとっても簡単には譲れない問題ではあるのだが、どちらかが我慢すれば問題が解決する。そして我慢するというのは、何も命を失うような大きなことではない。ならば問題を解決する為に自らが折れる。それが一般的に言う大人になるということだ。
「……そうだな、仕方ない」
悪くない気分だ。
今ここに、ロリコンが俺よりガキであるということが確定したのだから。
……いや、あんま嬉しくねぇな。
「しかし、みさきのこと以外に話のネタなんて持ってねぇぞ」
「喋らないという選択肢は無いのか天童龍誠」
「やだよ。何が悲しくて男四人で黙々と飯を食わなきゃいけねぇんだ」
「あはっ、辛辣だね」
「事実だろ。逆に俺が来る前は何を話してたんだ?」
「うーん、仕事の話だったかな。主に優斗がね」
どこか懐かしそうな表情をして彩斗が言った。
『あの頃はみんな必死だったよね』
「そうだね。ほんと、魔女のせいで心の余裕を保つのが大変だったよ」
「今では余裕みたいな言い方だな彩斗」
「あはっ、だから僕達に仕事があるんじゃないか」
「勘違いするな。僕が良い物を作った結果だ」
そうやって昔話をする三人の表情は、どこか誇らしげだった。
俺はこいつらにも積み上げてきた過去があるのだなと関心しつつ、何を今更とも思う。俺みたいな無能に毎月給料を支払えるだけの会社が自然に生まれるわけが無いのだから。
「ところで魔女って何だ?」
「あぁ、通り名みたいなものだよ。この辺りの営業マンの間では魔女って呼ばれて恐れられている女性が居るんだ。大企業ってだけでも厄介なのに、そのうえ有能なんてホンッと困っちゃうよね」
呆れたように笑いながら言う彩斗。
一般社会にも通り名とかあるのか。よく分からんけどかっこいいな。
「お前らもそういうのあったりするのか?」
「ふっ、当然だ。僕がこの業界でなんと呼ばれているか知ってるか、天童龍誠」
「知ってるも何もロリコンだろ。他に何があるんだよ」
「そう呼んでいるのはお前だけだぞ天童龍誠」
いやいや、俺以外にも呼ばれてるぞ?
「聞いて驚け天童龍誠。僕の通り名、それは――」
「ゆーくん、ご飯持ってきたよー」
「ありがとう母さん。けど空気読んで! そのタイミングだと僕の通り名が『ゆーくん』みたいな感じになっちゃうから!」
「あらあら、ゆーくんは皆に愛されているのね」
「ちょっと母さん黙ってって!」
やっぱガキだこいつ。そんな風に思いながら微笑ましい親子のやりとりを見守ること数分、和崎母が部屋を出た後、ロリコンはフゥゥゥゥと深い息を吐いて椅子に座った。
「あはっ、ほんとに優斗は成長しないよね」
「どういう意味かな彩斗くん」
煽り耐性の低い社長はさておき、今日の昼飯は野菜たっぷりのラーメンだった。
「まぁいい真面目な話をしよう。天童龍誠、ちょっと聞け」
「まひめなは☆△※ほうへ○×ふぁないふぁなふぁろ?」
「食べながら喋るな! 真面目な話なの!」
「……なんだよ、真面目な話って」
「小さな案件をひとつ、任せようと思ってる」
「はーんそうか、小さな案件ね」
……あれ、ちょっと待てよ?
「今なんつった?」
「返事してただろ天童龍誠。小さな案件を任せるって言ったんだ」
それってつまり……
「俺に、仕事を振るってことか?」
「他の意味なんてあるわけ無いだろ。嫌なら断ってもいいんだぞ」
「いや、やる! やらせてくれ!」
いきなりで驚いたぜ畜生。ほんとに真面目な話をするとは思わなかったぜ。
「俺は何をすればいい?」
「焦るなよ天童龍誠」
「もったいぶるなよ早く教えてくれ!」
「近い近い。ラーメンが溢れるぞ」
「おっと、わりぃわりぃ」
俺は若干傾いていたラメーンをこぼさないよう慎重に身を引いて、椅子に腰を落とした。一年以上も勉強勉強勉強の毎日で、初めての仕事なんだ。興奮するなって方が難しい。
「さて、聞き逃すなよ天童龍誠。お前に任せたいのは、とある工場に簡単なシステムを構築することだ」
「……工場」
「ああ、最近出来たばかりのところで、ショボくてもいいから安くシステムを導入したいらしい。これを僕に頼むならふざけるなって追い返す所だが、ちょうどウチには素人に毛が生えた程度の新人が居る。そういうことだ」
「……」
「どうした天童龍誠。ビビったのか?」
「……いや、そういうわけじゃないんだが」
一度、深呼吸をして。
「具体的に、俺は何をすればいい?」
「とりあえず彩斗と取引先に挨拶して、詳しい話はそっちで聞いてくれ。なに、仮にも僕の所で一年間も勉強した天童龍誠だ。手も足も出ないということは無いだろう」
「褒められてんのか貶されてんのか分かんねぇな……」
「好きに解釈してくれ」
短く言って、ロリコンは箸を手にとった。どうやら話はこれで終わりらしい。
『大丈夫、君なら出来るよ』
「あはっ、もちろん僕も一緒だから安心して。一応、先輩だからね」
素直に二人の言葉が嬉しい。これは俺にとって初めての機会であり、待ちに待った瞬間でもある。それなのに思い切り喜べないのは、きっと緊張のせいだ。
「ありがとう」
とりあえず礼を言って食事を再開した。
この怪しい会社に入社してから一年と少し。みさきは小学生になって、すくすく成長を続けている。ならば親を自称する俺も負けてはいられない。このチャンスをしっかり生かせるように、全力を出そう。