-境目の森-
ふと目が覚めると、時計は6時を指していた。普段なら5時に起きるところを1時間も寝過ごしてしまった。きっと淡海が気遣ってくれたのだろうと、潮はごろんと寝返りをうち、窓に目をやった。外は暗い。
むくりと起き上がり、ベッドのそばのランプをつけた。それから着替えて、部屋を出る。廊下と階段のランプは付いていて、急いで下の階へ降りた。
「おはようございます!すみません、寝過ぎました!」
そう言ってリビングの扉を開けると、キッチンから淡海が顔を覗かせた。潮を確認すると、にっこりと笑う。
「いいのよ、たまにはね」
潮は急いでキッチンへ向かう。朝ごはんを作るのは潮の当番なのだ。エプロンを付けようとすると、淡海が「あら、いいわよ」と言った。
「今日は私が作るわ」
「けど、それじゃあ…」
潮は困ったように言った。別にそれは淡海が料理が下手だからという訳ではなく、何もかもしてもらいっぱなしが無性に罪悪感を感じたからだ。すると、それに気がついた淡海は困ったように笑って言う。
「そうねぇ…。潮くんは、郵便受け見てきてくれない?私は大丈夫よ。料理、好きだから」
淡海がばちんとウィンクした。潮は少し申し訳なさそうに「はい」と返事をすると、エプロンを置いて玄関へ向かった。寒い廊下を進み、玄関のドアの郵便受けを開き中身をとる。入っているのは、いつも宗教やら孤児の事が書かれた茶封筒が数十枚。
「これはフェイ宛……こっちのは淡海さんので…」
手紙を確かめながらゆっくり歩いてリビングへ入って行く。すると、ふと封筒の束の隙間から一枚、封筒が落ちた。茶色ばかりの封筒の中でその落ちた封筒は唯一、真っ白だった。
(…なんだろ、この手紙)
そう思いながら体をかがめ、落ちた手紙を拾い上げる。青い封蝋がされた封筒には青いインクで「化野 潮様」と書かれていた。潮はどきっとした。驚きすぎて封筒を落としてしまいそうになるくらい心臓がドキドキしている。他の手紙をテーブルの上に置き、自分宛の手紙を持って椅子に座った。そしてゆっくり封蝋を開ける。そして中を見る。真っ白な封蝋の中には真っ白な紙が一枚入っていた。広げて、読む。
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化野 潮くんへ
昨日は色々あったね。
大丈夫でしたか?
コロニーのことはきっと淡海から聞いていたりするかな?
そこで申し訳ないのですが、
一回コロニーへ来てみませんか?
もし興味が湧いたのなら、
この手紙を持って
今日、境目の森の入り口にある
看板へ向かってください。
使者が待っています。
コロニー 元帥
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潮は思わず椅子から立ち上がってしまった。それに気づいた淡海がそばへ来た。
「あら?どうしたの、その手紙。潮くん宛だった?」
淡海が潮の手紙を覗き込んだ。それから少し裏返った声で叫ぶように言った。
「あら!元帥様からじゃない!」
潮は黙って頷いた。淡海が難しい顔をしながら、口元に手をやった。
「…くそ、昨日の今日でもう目をつけてきたわね」
「え?どういう事ですか?」と潮が淡海の方を向いて言うと、淡海は手紙をじっと見たまま言う。
「その文章だと、『来たかったらくればいい』みたいに聞こえるけど、手紙が来た時点で『いいから黙って来い』って意味なのよ」
そう言われてもう一度手紙を見直すも、全く強制しているような文章ではなかった。しかし、潮より元帥との付き合いが長い淡海が言うのだからそうなのだろう。潮は丁寧手紙を封筒の中に戻し、封筒を閉じた。淡海は大きなため息をついた。
「ああ、潮くんが気に入ったなら昨日のうちに言っといてくれればいいのに!」
「気に入った?」
潮が思わず疑問を口にすると、淡海は困ったように笑った。
「そうよ。自分の気になった人、興味を持った人、気に入った人を自分のそばに置くの。あの人はいつもそうよ。手紙をもらった大体の人は大喜びですっ飛んでいくそうね。そうやってコロニーの人員を増やしてるんだと思うわ。けどまあ、自分が気に入ったからにはちゃんと面倒は見てくれるから大丈夫よ」
「まったく、自己中にもほどがあるわ!」と言いながら淡海はキッチンへ戻っていった。潮はキッチンの方に向かって叫ぶ。
「ボク、行ってもいいんですか?」
「もちろんよ」と淡海の声が返ってきた。
「むしろ、行かなかったら私が怒られちゃうわ」
そう楽しそうに言う淡海の声が聞こえて安心する。しかし、少し不安でもあった。自分がとても役に立っているなんて烏滸がましいことは考えていないが、淡海1人で大丈夫だろうか。フェイには十数人もの孤児がいる。今まで2人でもだいぶ大変だった。それを淡海1人でやっていけるだろうか。
「大丈夫よ」
隣でそんな淡海の声が聞こえて、ぱっと顔を上げると、いつの間にかそこには我が子を見るような優しい笑顔の淡海がいた。
「確かに潮くんがいないと、大変だし寂しくなるかもしれない。でも、折角のチャンスなのよ。行ってきなさい。ほら、私のボケ防止にもなるでしょう?」
淡海は満面の笑みで潮の頭を優しく撫でた。
「あなたは、本当の息子みたいに大事な子よ。絶対に忘れたりなんかしないわ」
淡海の台詞に少し泣きそうになった。そして潮の顔からは笑顔が溢れた。
「ありがとうございます」
そう一言お礼を言うと、淡海は満足そうに再びキッチンへ足を戻した。
昼の12時、潮はフェイを出た。
淡海は話の合間に必ず元帥の悪口をはさんだ。
「絶対に必要なのは手紙よ。あとは道中暗いからランプね。ランプが消えた時のためにマッチも持っておいて。それ以外は〜…ん〜…多分それで大丈夫だと思うわ」
「えっ!?何にも要らないんですか?」
「要らないわよ。だってお金は向こうに出してもらわないと。こっち貧乏なんだから!」
淡海は開き直ったように言った。
潮は厚手のコートにマフラー、皮のブーツを履いて、内ポケットに手紙を入れ、手にはランプを持っていた。部屋にある物は置いていくことにした。あれば、フェイが恋しくなってしまうからだ。
「気をつけてね!たまには手紙をくれてもいいのよ!あと、元帥様の調子に乗せられないこと!」
淡海は潮が見えなくなるまでずっと手を振って見送ってくれた。子どもたちも大きく手を振ってくれた。潮はそれに笑顔で返した。
「境目の森」とは、アガルタとシャンバラの国境にある森のことだ。とても深い森で、迷ってしまうともう出ることは出来ないと言われている。目的地はその入り口にある看板だった。黙々と歩いて行く。アガルタは昼間だというのに人は全くいなかった。そのうちに段々街灯がなくなっていき、ついに真っ暗になってしまった。潮はなんだか怖くなってきた。
「はぁ〜……寒い…」
独り言を呟いて不安を紛らせる。
はて、道はあっているのだろうか。
もし嘘だったらどうしよう。
本当に使者なんているのか。
考え出したら止まらず、不安ながらもただ歩いて行った。
するとしばらく行ったところに、灯りが見えた。それはうんの背より高いところにあって、近付いて見れば駅だった。
(こんなところに駅なんてあるんだ…)
煉瓦造りの駅には誰もいなかった。シンと静まり返った駅はとても不気味な雰囲気を出していた。
潮は駅から目を逸らし、前だけを向いて歩いた。
そしてやっと境目の森の入り口の看板を見つけた。しかし不思議なことにそこには人がいた。ここまで来てやっと見つけた人間だった。ほのかに緑がかったコートを着た、潮とより少し背の高い橙色の髪をした青年だ。
(あの人が使者?)
そう思って少し駆け足で看板へ駆け寄った。途中で潮に気がついた青年がこちらを向く。青年の赤い瞳が潮を見た。潮が質問をしようと言いかけたのよりすこし早く青年が口を開いた。
「あんた、使者?」
そう言う青年に、潮は全身全霊で首を横に振って返した。
「まさか!ボクは元帥様に呼ばれてここに来たんだ」
「ふぅん」という青年。
「ってことは、今回呼ばれてるのは複数いるってことになるのか」
「え?」
潮は青年に眉を潜めて聞いてみた。
「もしかして、キミも元帥様に呼ばれてここに?」
「そうだよ」と青年は表情を変えることなく答えた。それからポケットから潮と同じ青い封蝋のおされた真っ白な封筒を取り出した。
「蜂須賀宮古、アガルタの側のレヴィっていう国にいた。シャンバラの軍事機関コロニーの元帥様から手紙が届いたから来た」
「あんたは?」と宮古が潮に聞いた。突然のことに「えっ?」という声が裏返ってしまった。実は潮は今まで淡海やフェイ以外の人と話したことがなく、内心緊張していた。
「あ〜…。ボ、ボクは、化野 潮っていうんだ!ここのすぐそばに住んでて…」
「へぇ。そう」
宮古の素っ気ない返事で会話は終わってしまった。微妙な沈黙を宮古は気にしていないようだったが、潮は気まずかった。
「あ、ところで」
宮古が突然口を開いた。潮はびくっと体を震え上がらせ、再び裏返ったり声で「えっ?」と言った。それを見た宮古は変なものを見るような目で潮を見ながら言った。
「あんた、いくつなの?」
「え……っと、年齢?」
「そう。まあ、だいぶ背は低いみたいだけど」
身長のことが少し心に刺さったが、潮は落ち着いて答えた。
「15歳だよ」
「ふぅん」という宮古。それから潮のことを少し観察してから、視線を逸らした。
清家も宮古を観察してみた。宮古の身長は清家より高くて、橙色の髪は耳が隠れるくらいの長さだった。赤い眼はキリッと釣りあがっている。耳にはピアスがつけていて、赤い透明な宝石のような綺麗なものだった。
すると、ジロジロ見られていることに気付いた宮古が、じとりと潮を睨んだ。しかし宮古の視線に気付かない潮がまだジロジロと見るので、宮古が呆れたように口を開いた。
「ねぇ、あんたさ」
「えっ!?な、何?!」
「何って……こっちの台詞だよ。何なのジロジロ見て」
「ああ、それね!それはっ、あ〜…っと、それは…その、キミの歳はいくつくらいなんだろうなって思ったから!」
宮古は眉間に皺を寄せて、少し間を空けてからこたえた。
「俺の年齢は16。あんたのひとつ上だよ」
「へぇ、歳上だったんだね。確かに背は高いけど」
潮がそう言うと、宮古はまた口を噤んでしまった。沈黙が辺りを包んだ。
そこで、今度は潮から話を切り出してみた。
「あの、宮古くん……で、いいのかな?」
潮がそう言うと、宮古は潮の方を向いた。
「別に、呼び捨てでいいけど。何?」
「あっ、そう?じゃあ、宮古はさ、何で来たの?」
「は?」
「その、別に手紙は強制じゃなかったでしょ?なのに、何で来たのかなって」
「……」
宮古は黙ってしまう。
それは潮が少し気になっていたことだった。宮古の住んでいたと言うレヴィと言う国は、アガルタの隣国ではあるものの、海を挟んでいる。船でくるのはとても大変な筈だし、シャンバラとは真逆の場所にある。ましてや、境目の森はシャンバラとの境目にあるため、国一個を横断してきているということだった。とても遠い道のりを何故わざわざ来たのだろうか。
「強くなりたいから」
宮古はぽつりと言った。
「誰よりも強くなりたいって思ってた。小さい頃からずっと。コロニーは世界の中心的な国だ。軍事力も世界で1位2位を争うくらい強いし。そんな国の軍事機関コロニーの元帥様からスカウトが来てるのに、行かないわけないだろ?」
「あ、そっか」
「そう」
そうして再び沈黙が訪れようとしていた。しかし潮はまた質問を投げかけた。
「でもさ、今日手紙が来たのに、何でボクより早くここに着いてたの?海またいで国またいでるのに」
そんな質問をする潮を宮古は少し驚いたような目で見た。それから不思議そうに眉を寄せた。
「俺の所に手紙が届いたのは2週間くらい前だけど」
宮古の返答に今度は潮が驚いた。
「ええっ!?ボクのところには今朝届いたばっかりだったんだよ!」
「何か不都合があったんじゃないの?」
「レヴィまで2週間前に届いてるのに、すぐそばのアガルタに届くまでに2週間かかるっておかしいと思うのはボクだけ?」
「そんなの知らないよ」
潮は小さくため息を吐き、少し悩んだ。宮古は口元は笑ってないが、面白いものを見るような目でそんな潮を眺めていた。
その時。
「もうっ!ここどこなのよっ!!」
急に辺りに響いた甲高い大声に、潮と宮古は少し飛び上がった。声のした方へ目をやると、そこには深緑の髪を左側で束ねた小柄な女の子と、ベージュっぽい茶髪で左目に眼帯を付けた青少年がいた。2人は迷っているらしく、女の子はちょっと怒っている様子だった。それをなだめるように青少年が苦笑いをしていた。
「ねぇ、宮古」
「何?」
「迷ってるのかな?」
「知らないよ、どうでもいいし」
「そんなこと言わないであげなよ。ほら、道案内してあげよう?」
「道案内って言ったって、俺だって此処初めてなんだけど」
「あ、そっか。でも心細いから着いてきてよ。ボク、人見知りなんだ」
潮はそう言いながら嫌がる宮古を引きずって2人のところへ向かった。
すると、潮たちに気が付いた2人もこちらへ走ってきた。先に眼帯青年が口を開いた。
「ねぇ、君たちは此処の土地の人?」
結構なhusky voice。眼帯で隠れていない方の右目は綺麗な青だった。優男でかっこいいな。なんて思いつつ、潮は笑顔で頷いた。
「そうだよ。道に迷ってるの?」
すると女の子が口を開いた。
「そうなのよ!ちょっと道案内してくれる?」
この子はちょっときつめの口調だった。目もつり目だ。ちょっとあどけなさが残っていて可愛い子だった。
「え?やだよそんな──」
「ああ、いいよ。どこに行く予定だったの?」
不愉快そうな声で言いかけた宮古の言葉を遮って尋ねると、青年は少し面白そうに微笑みながらこたえた。
「俺たちは境目の森の入り口を探してるんだ。元帥様から手紙を頂いてね、約束の場所なんだよ」
彼の発言に、潮と宮古は目を丸くした。
「ええっ!?」
「…まだいたの?2人で充分だったんだけど」
【変異種】
・地底人だけが患う病。
・遺伝性があり、体に異常が起こる。
・軽病の場合、動物の生肉で足りるが、重病だと人間を襲ってしまう危険がある。
・超能力が使えるようになることがある(理由は未だ明らかになっていない)
・筋肉へも異常な刺激を与え、身体能力が目覚ましく向上する。
・骨と筋肉、内臓の再生力も向上する。
・心臓のみが急所である。窒息、溺死、焼死しても死ぬことはない。心臓へと繋がる血管を断ち切ってもしなず、心臓そのものを破壊しない限り絶命することはない。しかし、再生力が弱い場合、致命傷や痛み、激しい出血でも絶命する。
・各々の尾を所持しており、尾骶骨付近から出現する。本数や形状には個体差がある。