-石動 淡海-
次の日。
潮は子どもたちと淡海と一緒に街へ出かけた。日用品の買い出しだ。滅多に外に出ることのない子どもたちは大はしゃぎ。見るものすべてに目を輝かせている。誰かが描いたであろう壁の落書きに興味を持っていた。
「わーっ、なにあれ!」
「潮お兄ちゃん、見に行ってもいい?」
そんなことを言い出す子どもたちに潮は、
「見たらすぐに戻ってくるんだよ?」
と言うと、
「はーいっ!」
と言って、走り出す子どもたち。
「こんな殺風景な街に、目をキラキラ輝かせる。子どもって、素敵ね」
淡海がはしゃく子どもたちを眺めながら呟いた。それに潮は笑顔で言った。
「そりゃあそうですよ。滅多に外に出ないんですから」
「そうだったわね」
淡海が可笑しそうに笑う。
しかし内心潮はあまり気分が良くなかった。相変わらずあの夢に魘され、しっかり睡眠がとれておらず、寝不足だからだ。潮は空を見上げながら続ける。
アガルタの街並みは美しいとは言えなかった。コンクリートで作られた家々が立ち並び、人もほとんど出歩かない無機質な街なのだ。
しばらく歩いて、大通りに出た。そこでやっと正面のずっと遠くに、男が2人立っているのを見つけた。街で見かける人なんて珍しいからその男2人を見ていると、あまりにも潮が見過ぎだからか、淡海もつられてそちらに目を向けた。
その2人を見た瞬間、淡海の顔色がさっと青くなる。潮はそれに気付いて声をかけた。
「ど、どうしたんですか?」
潮が尋ねたが、淡海はそれには返さず、きっと男たちを睨みつけている。遠すぎて表情は読めないが、男たちが角を曲がって姿を消した。
「…あの、淡海さん?」
「……」
淡海は相変わらず口を真一文字に結んでいる。
「えっと…あのぉ…」
「……」
「……」
「…潮くん」
淡海がやっと口を開き、低い声で潮の名を呼んだ。潮が返事をしようと淡海の方を見上げた時、淡海はポケットからある物を取り出し、潮に差し出した。
「えっ…これ……」
その物を受け取るか受け取らまいか一瞬躊躇う。それは刃がしっかりと研がれた赤黒い石でできたアンティーク調のナイフだった。淡海が少し険しい表情で潮を見て言う。
「念のため、保険として持っていなさい」
潮は恐る恐るそれを受け取った。包丁よりは軽い筈なのに、ずっしり重く感じるナイフを、シャツの中にしまう。
それを確認した淡海が、まだはしゃいでいる子どもたちに声をかけた。
「さあ、もう帰りますよ」
「えっ!早いよお!」
口々に不満を零す子どもたち。しかし潮にはそんな子どもを注意するより、シャツの内側の重たい物の方が気になって仕方がなかった。
淡海を先頭に子どもたちを引き連れて急いでフェイに戻る。潮は俯きながらそれについていく。潮は不安に駆られていた。
淡海があの状況でナイフを渡したということはこれから何か起こる危険性があること。そしてあの2人が"普通の人"ではないこと。つまりあの2人は【変異種】なのだろう。
変異種───胎内の突然変異からできるウィルスによって起こる病。治す方法は見つかっていなくて、患者は世界的に軽蔑されている。何でもかんでも食べてしまうという悪食をするらしい。ガラスや木や土、最悪のケースは人間までもを食らうという。挙句、身体能力は常人の数倍以上あって、レプストピアと同じようなものらしい。捕食を目当てに捕まってしまえば、もうお終いだ。
「……」
怖い。
もし捕まったら、殺されるのだ。
このナイフは淡海からの警告だ。
あの2人は変異種なのだ。
ふと、淡海の方を見た。丁度淡海もこちらを見る。じっとこちらを見つめる淡海の目を、潮は逸らしてしまった。
「ささっ、みんな〜。急いで帰るわよ〜」
淡海がそう言った時、子どもの一人が持っていたぬいぐるみが、突然ぱっと建物と建物との間に吸い込まれるように消えていった。
「あっ」
そう言って子どもがそちらに駆け寄っていく。だいぶ暗い路地だ。
「大丈夫!?」
そう言って急いでそれを追いかけた。その時、路地の先にいた人を潮は見た。それは、さっきの男2人だった。潮と目があうと、にやりと厭らしく笑った。
「ほぅらな、ビンゴ」
1人の男が言った。もう1人の男がにやりと笑う。
「腹の足しに丁度いいと思ってたんだよな」
その台詞に背筋がぞっとした。
怖い怖い。
そう思ったはずなのに、潮はさっとシャツの中に手を入れた。そしてナイフを掴むと、思い切り男たちの方へ突き出した。2人はひらりと避けてしまう。
「院長のところに行ってなさい!」
潮が子どもに叫ぶと、子どもは泣きながらで路地から出て行った。
潮は両手でナイフを構え、男たちと向き合う。よく見れば、路地の奥の暗闇にはあと5人くらい仲間のような男たちがいる。
(殺される…ッ!)
そう思って更に怖くなった。でも潮はまたナイフを振り回した。すると、1人の男の頬をナイフが掠めた。
(やった!)
そう思ったのもつかの間、男の頬はみるみるうちに治ってしまった。それからも何回かナイフが当たっても、傷は全て治ってしまうのだった。
(レプストピアと同じ…凄まじい再生力…ッ!)
その時、潮のナイフを避けたことで、男が少しぐらついた。それを狙って、潮は男の腹めがけて思い切りナイフを持った右手を突き出した。すると、目の前をさっきまで右手で持っていたナイフが落ちてくる。
「…え?」
とっさにナイフを掴もうと右手を出した時、潮は気づいた。
「……ッ!?」
右腕の肘より先はなかったのだ。ナイフがカランと音を立て清家の足元へ落ちた。そのすぐ後にぼとりと潮の右腕も落ちた。それを確認した瞬間、痛みが走った。
「あッ、あああああああああああああああ!!?」
自分でも聞いたことのないような声で絶叫した。切断された部分は燃やされているように熱かった。
オトコが笑いながら潮に言う。
「なあ、ガキ。知ってるか、俺たち変異種の特性」
潮は涙と嗚咽を吐きながら男の方に目をやる。男は続けた。
「どうせ今から胃袋に入ることだし、教えてやる」
そういう男の腰からは犬の尻尾のようなものが2本生えていた。
「俺たち人間には元は尾が生えていたって知ってるか?」
その尻尾からは潮の腕を切り落とした時に付いたであろう血が滴っているのを、潮は見た。
「神様とかいうのがいらないっつって取っちまったらしいんだけどよ、俺たちにはその尻尾を出すことが出来るんだ」
悪寒が走ったのがわかった。
背中に冷や汗が伝う。
なんだ、あれは。
死ぬ。
殺されてしまう。
「あら、そんなしょぼい尾で俺様気取り?」
頭から突然声が降ってきた。その声は淡海だった。淡海は潮を庇うように男たちの前に立ちはだかった。
「傷も治るから無敵だと思ってるのかしら?馬鹿みたいね」
「あ?うるせぇよ、ババア!」
尻尾を持った男が言った。すると淡海は「ババア」にキレたのか今まで見たことがないくらい怖い顔で男たちを睨んだ。
「あら、ババアだなんて失礼しちゃうわね。私、元々はコロニーの兵士だったの。だから、別に貴方達を殺しても問題ないはずよ。ねぇ、だってこんなに差があったらすぐに殺せるでしょう?」
すると淡海の腰からバキバキッと音を立ててまるで蜘蛛の手足のような尾が生えてきた。
「心臓を壊せば絶命するのだから」
男達の顔色がさっと青くなったのがわかった。潮も淡海の尻尾に呆気に取られ、腰を抜かしてしまった。
その時、淡海が思い切り潮と潮の右腕を大通りへ投げ飛ばす。
「その腕を無くさないで!どこかに隠れていなさい!!」
潮は大通りに派手に転がった。すぐに隠れる場所を探したが、ほとんど見当たらず、とにかく走り出した。が、背後からの凄まじい風圧で転んでしまう。
「うっ…ぐっ……!」
振り返ると、淡海のいた路地から大きく長い蜘蛛の手足が何かを突き刺すように激しく蠢いているのがわかった。
「すごい…あれが、レプストピア…」
すると、路地から4人の男が逃れるかのように転がり出てきた。それを追って淡海も出てくる。すると1人の男が包丁のような物を淡海へ向けて投げた。その包丁は淡海の左腕を切断してしまった。
「ああっ!」
潮が思わず叫んでしまった。が、淡海は痛そうに表情を歪めただけでほとんど動じなかった。淡海の尾は器用に切断された腕を掴み、その切断部分同士をくっつけた。その腕同士はおよそ数秒間の間で瞬く間に繋ぎ合わされ、元どおりになる。
(凄い…あんな怪我まで治せるなんて…)
それを見て潮はふと、自分の腕を見る。
切断部分からは激痛と凄まじい熱を感じる。
もしかしたら、自分もくっつくのではないだろうか。
突然思いついたことだったが、潮は自分の右腕に、取れてしまった腕のぐっと切断部分を押し当ててみる。
しかし何も起こらない。
それから10秒待ったが何も起こらなかった。
もしこのまま治らなかったら?
今まで通りの生活になんて戻れるわけがない。
しっかりと繋がりあっていた腕を思い浮かべ泣きそうになるのを、堪えた。
その時、不意に真横に何かが現れた。
「ぅわあっ!?」
思わず悲鳴をあげ、その場に尻餅をついてしまった。
潮は一旦落ち着いて、改めてその人物を見た。そこにいたのは車椅子に乗り、黒地に赤い金魚の刺繍が入った着物をきた長い黒髪の少女。10歳歳前後だろうか。とても美しい彼女に潮は息を呑んだ。彼女は淡海を見ると、頰杖をついていう。
「あーあ、折角来たのに無駄足だったねえ」
潮が彼女を凝視していると、気付いたのか彼女も清家を見た。ドキッとしてしまう。少女は面白いものを見たように笑い、潮を見た。
「あら。そんなところで尻餅をついて、どうしたのかな?さっき腕を取られていた子だよね?」
「…え?あ、はい」
緊張した声で返す潮。
「あはは、緊張しないで」というと少女は今度は潮の目ではなく、腕に目をやった。
「ところで、それは一体どうなっているのかな?とっても興味深いなあ」
彼女はそう言って潮の右腕を指差した。釣られて自分の右腕を見る。それを見て潮もびっくりした。切断された腕はしっかりくっついていたのだ。
「えっ…?いつの間に……」
その時、敵を全員殺し終えた淡海がばっと振り返った。潮を確認したあと、少女へ目をやる。すると、少女を敵と勘違いしたのか、淡海の尾は物凄い速さで少女へ迫り、その胸を貫いた。淡海の尾は明らかに心臓をも破壊しているはずなのに、少女は全く動揺せず余裕の笑みで淡海を見て言った。
「敵と味方の判別も出来なくなったの?老いたねえ、淡海」
少女がにこりと笑うと、淡海は何かに気が付いたように急いで少女の胸に刺さった尾を引き抜いた。それから淡海は少し驚いた表情で少女に向かって言った。
「元帥様?」
「ああ、久しぶりだねえ。淡海」
【酸素の水】
・地底世界を満たす液体。
・ユグドラシルに近ければより気体にちかい物質になり、地上に近ければより液体にちかい物質になる。
・魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類…といった全ての生き物が生息可能である。
・空気に触れると蒸発してしまう。
・水中にいても重力が緩和されることはない。
・酸素の水で肺を満たせば、普通に呼吸をすることができる。
・地上世界の火薬や薬品、化学物質等は触れた瞬間焼滅する。