■第8話 2.8メートルの距離
翌日からマドカは、歩道橋に寄り掛かり参考書に目を落とすリョウと同じように
欄干に肘を置き、背中を丸めて気怠げな横顔を並べていた。
今夜もぼんやりと月の光は弱々しく、微妙な距離をあけて並ぶふたりの背中をしっとり照らす。
ふたり、昨夜までの距離3メートルから少しだけ近付いて。
その距離おおよそ2.8メートルといったところか。
それは、遠くて話しづらいけれど、あまりに近いとリョウの ”お勉強タイム” の
邪魔になってしまうからというマドカの小さな配慮のもとだった。
何時間も同じ角度で参考書を睨むリョウが、疲れたように首を左右に倒し
凝ったそれを痩せて手の甲の筋が浮き上がる青白い手で揉んだ。
チラっとそれに目を向けたマドカ。
その片手には野菜ジュースの紙パックが握られ、少し奥歯でストローを
噛んでいるのか、片頬が歪んでいる。
『ねぇ、そーいえば。 アンタ、ごはん食べてないの~?』
自宅で食べてから来ているのか、マドカが歩道橋にやって来る前に食べて
いるのか、しかしその形跡も何もない事に小首を傾げる。
『いや、別に・・・ お腹空かないんで。』 その返事に、まるで鬼の首でも
獲ったかのように食って掛かったマドカ。
『だーからアンタ、そんなガリッガリなんだ~・・・
ちゃんと食えよ、男子なんだからよぉ~。
モリモリいけっつーの!肉!肉!!』
相変わらずの汚い言葉に、自分の耳まで汚れていきそうな気すらする。
ちなみに、夕飯を食べていないというだけであって、朝・昼食は人並みに
摂っている。
ガリガリに痩せているのは体質と、そういう家系であって・・・
と説明しかけて面倒くさいのでやめた。
『ワタセさんの、ソレ・・・ ダイエットですか?』
”ソレ ”と言って、マドカがストローで飲んでいる野菜ジュースを横目で
チラリ、顎で指した。
すると、
『はいっ! そーゆートコ!』
マドカが目を細めて眇め、人差し指を立てて振った。
『あのね。 女子に ”ダイエットですか? ”なんてきーちゃダメなの!
イコール ”太ってる ”の意味になんでしょーがよぉ・・・
それに、あたしもダイエットじゃない、デス、からっ!』
赤い顔をしてやたらとムキになってるマドカがなんだか滑稽で、
リョウは思わず口許を隠して笑った。
決してマドカにそれを悟られないよう、横を向いて、慎重に。
『 ”太ってる痩せてる ”のディフィニッションなんて、
結局は人それぞれじゃないですか。』
リョウの、その飄々とした嫌味くさい憎たらしい顔。
更に追い打ちをかけているのか、フォローしているのか実際理解できない
その英単語にマドカは怪訝な顔をして口を尖らせた。
『・・・デ?デヒニ・・・? なんか、よく分かんないけどー・・・
取り敢えず、理屈っぽいのもダメ! 難しい言葉つかうの禁止っ!!』
(なんだそれ・・・。)
思わず、ぷっと笑ってしまったリョウ。
隠そうと躍起になればなる程震える肩を鎮めることが出来なくなってしまった。
『・・・数学だけじゃなくて、英語も教えましょうか?』
クククと背を丸め笑うリョウに、
『うっせ!バーカ。』 とマドカは不満気に返した。
チラリ、リョウの顔を盗み見て、はじめて見せた笑顔にちょっとだけつられて
頬が緩んだ。