■第47話 最後の歩道橋
その夜は藍色の夜空に三日月がくっきりと姿を現し、歩道橋に佇むふたりを
やさしく見守っていた。
遠く電線の隙間をぬう様に顔を出すそれは、眩しいほどに光り輝く。
リョウとマドカ、最後の夜。
明日リョウは父親が住む遠い街へ引っ越しをする。
不登校になった早い段階で一家で父親の赴任先へ行く案は出ていたものの
リョウがずっと断り続けていた。
”学校は気が向けばすぐにでも行く ”と出来もしない嘘をつき、
新天地での高校生活に踏み出す勇気も無ければ、超有名進学校を辞める踏ん切り
もつかずにダラダラと時間だけが過ぎていっていたのだが。
リョウは先々のこともしっかり考え、新しい街の新しい学校に通い直す
決心をしていた。
それもこれも全て、背中を押してくれたマドカのお陰だった。
マドカがここで話し掛けてくれたあの日から、全てが変わっていったのだ。
歩道橋の欄干に手をおいて、ふたり並んで立つ。
リョウの左手とマドカの右手は、強く握られている。
今夜で最後だと言い聞かせたつもりでも、その繋ぐ手の強さはそれを
受け入れられずにいた。
『ねぇ、これって何センチくらいかな?』
マドカが隣に立つリョウとの互いの距離を指して言う。
『んー・・・ 5センチくらいですかね?
でも、手はつないでるから・・・ ゼロかも・・・?』
クスクス笑っているマドカ。
『ん?』 リョウが覗き込むと、
『最初はさー・・・ 3メートルくらいあったよね』思い出し笑いをしている。
出会った頃のことを思い返してばかりだった。
思い返す度クスクスと肩をすくめて笑い、次第にその顔は寂しげに歪んでゆく。
リョウがつなぐ手にぎゅっと力を込める。
すると、マドカもそれに返した。
たった1ミリだって、たった1秒だって離れたくなかった。
リョウがそっとマドカを見つめる。
月光に照らされてその横顔は神々しいほどにキレイで。
マドカは今夜もつけまつ毛をしていない。
また隠れて泣いて、まつ毛が取れてしまったのだろう。
ほんの少し赤らんだその幼い目元。 本物の少し濡れたまつ毛が瞬きに合わせそっと上下している。
それをただじっと見つめていた。
抑え切れない想いが胸の奥の奥から溢れだす。
『あの・・・』 リョウがマドカを呼び掛けるも、モゴモゴと要領を得ず
まごついて二の句を継げずにいる。
『ん?』 マドカに見つめられて、リョウは増々口ごもった。
『あの・・・ ま、まつ毛に・・・
まつ毛に・・・ 綿ゴミが、つ・・・付いてます・・・。』
緊張して喉元が強張っているリョウ。
ゴクリと息を呑む音がマドカにまで聴こえた。
『え?』 訊き返したマドカに、
『目・・・ 目を、
・・・目をつぶって、くだ・・・さい・・・。』
意味が分かったマドカが肩をすくめて頬を緩ます。
リョウが愛しすぎて胸がきゅぅんと痛む。
『チュゥするの?』
目を細めて笑いながらマドカが小首を傾げリョウを覗き込む。
『ち、ちがいます・・・。』
リョウは真っ赤になり首を横にぶんぶん振って否定。
『じゃぁ、なにすんの?』
『だからー・・・ 綿ゴミ、を・・・。』
すると、
『なーんだ・・・
チュゥされんのかと思って、一瞬喜んだのにな~・・・』
マドカが澄ました顔を向け、横目でリョウの反応をニヤリと待つ。
すると、
『・・・されたら、嬉しい・・・です、か・・・?』
赤い顔をして俯いたまま、リョウが弱々しくマドカに訊いた。
きまり悪そうに無意味に指先の爪をはじき、目線が定まらない。
『そりゃ嬉しいよー・・・
好きな人からチュゥされて、嬉しくない訳ないじゃん。』
『・・・じゃぁ・・・。』
暫し黙り込んだ後、口をぎゅっとつぐみ意を決したリョウ。
『・・・キ、キスを・・・
・・・させて・・・ ください・・・。』
決して口数が多い訳ではないリョウの口から出た、一生分の勇気を使ったかの
ようなその言葉。
しかし、『え?聞こえない。』
海で聴こえないフリをされた仕返しをはじめたマドカ。
ニヤニヤしながら手を耳にあてて聴こえない素振りを決め込んでいる。
『キス・・・を・・・。』
『ん~? なんて??』
すると、痺れを切らしたようにリョウは叫んだ。
『キスが、したいですっ!!』
滅多に通らない歩道橋にたまたま通りかかった通行人が、リョウのその言葉に
ギョっとして居場所が無さそうに慌てて駆けてゆく。
マドカは可笑しそうに体をよじらせてケラケラ笑っている。
チラリ目を上げリョウを確認すると、真っ赤になりながらもつられて
少し口許が緩んでいる。
マドカはリョウと向かい合って立つと、背の高いリョウに向け顎を
少しあげて口をつぐんだ。
そして目を閉じた。 『はい、どうぞ。』
リョウが少し震えながら、マドカの二の腕に痩せて筋張ったその手を置いた。
そしてしずしずと顔を傾けて近付け、そのさくらんぼみたいなぽってりした唇に
やさしく、ぎこちなく、キスをした。
はじめて触れ合った唇と唇。
やわらかくて、甘くて、なんだか気が遠くなるような切なさが込み上げた。




