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■第37話 事件が起きた雨の夜



 

 

 

その夜はしとしと雨が降って、夏だというのにほんの少し肌寒かった。

 

 

 

以前マドカに言われた事を思い出し、リョウは傘を差しながらコンビニへ

向かっていた。


雨の日に外出するのはあまり好ましくないのだが、目指すその場所へ向かう

リョウの歩幅はいつもより大きく速い。

相変わらず過剰に煌々と光る自動ドアの手前で傘をとじ傘立てにさすと、

少し体を傾けてガラス越しにレジに立つポニーテールのバイトを見澄ます。

今は客がいないようで、指先の爪を凝視してぼんやりしている顔が見え

リョウは微笑んだ。


自動ドアが開き来客のチャイムに、マドカが気怠そうに

『っしゃいませー。』 と目線を寄越した。


そしてリョウの姿をその目に捉えると、一瞬嬉しそうに頬を緩め、

しかしすぐさまよそよそしく目を逸らした。

 

 

『ホットコーヒーのラージひとつお願いします。』 リョウがニコニコしながら

硬貨を掴む手をマドカに差し出す。


すると、広げたマドカの手の平に銅とニッケルのひんやり硬い感触と、

リョウの指先のやさしいそれが伝わる。

 

 

 

 

  (もう・・・ しんどいってば・・・。)

 

 

 

 

サツキの話を聞いたばかりで、その心は迷子のように彷徨い暮れる。

マドカはなんとか笑顔を作ると『まいどあり。』 とコーヒーカップを手渡した。

 

 

その夜もコンビニには次々と客がやって来た。


リョウは貸し切り状態のカウンターで黙々と参考書に目を落としている。

マドカもリョウを目の端で気にしながら、レジで精算したり公共料金の

支払いに対応したり今夜は少し忙しそうだった。

 

 

 

それは、とあるズブ濡れの客が店に入って来た時のことだった。


その客はなにも商品を手に取らないまま、レジにまっすぐ向かいマドカに

なにか差し出している。

その瞬間、マドカの顔色が少し曇った。


それは以前、電話番号のメモを無言で押し付けて来た男性客だったのだ。

 

 

 

 『あのー・・・ なんですか?』

 

 

 

マドカの強張った硬い声色にリョウが異変を感じさっと目を上げてレジを見る。


するとレジを挟んでマドカの正面に立つその男は、尚も握り締めたそれを

マドカへ突きつける。

また連絡先が書いたメモをマドカに渡そうとしているようだ。

そして、ぼそぼそと不明瞭に『連絡ください。』 と呟いている。


『すいません、そうゆーのはちょっと・・・。』 ハッキリ断るマドカへ、

その男は身を乗り出さん勢いで『連絡ください!』 と一段と低い声色で

詰め寄った。


その姿に慌ててリョウがイスから立ち上がった瞬間、バックヤードから

たまたま出て来た店長の姿に驚いて、男は自動ドアにぶつかりそうになりながら

走って出て行った。

 

 

『大丈夫ですか?』 

リョウが駆け寄ると、マドカは情けなく眉尻を下げ笑った。


『へーき、へーき』 と呟く割りには、早くなる呼吸に息苦しそうに胸を

上下させている。


リョウが店を出てあたりを見回すもその男の姿はもう無かった。

その後は男が店に現れることはなく、安心しかけていたマドカだった。

 

 

10時になり、マドカのバイトが終わる時間になると何も言わずリョウは

帰り支度を始めた。

それを横目で見て、ちょっと嬉しそうに頬を緩めたマドカ。

 

 

 

 『あの・・・ 慌てなくていいですから。


  ちゃんと野菜ジュースも買ってくださいね。』

 

 

 

リョウが声を掛けると『わかってるっつの!』とマドカが緩んだ口を尖らした。

 

 

各々傘をさし、コンビニの自動ドアを出る。

雨脚は更に強まり、アスファルトに打ち付けた雫は乱暴に跳ね返ってふたりの

ローファーをしっとり濡らしてゆく。

 

 

すると、電柱の影。 

一層暗くなったそこから先程の男が佇んでいるのが見えた。


心許ない街灯の灯りに、男のズブ濡れの薄汚れたスニーカーだけがぼんやり

浮き上がっている。

マドカがその姿にたじろぎ、立ち止まった。 足がすくみ動けなくなっている。


その男はこの雨に傘もささず、伸びた前髪から雨の雫をポタポタと滴らせながら

マドカへ向けてまた手を差し出している。 

そして腕を伸ばしたまま暗がりから突然駆け出して来た。

 

 

 

 『や、やめて下さいっ!!!


  彼女、嫌がってるじゃないですかっ!!!』

 

 

 

リョウが立ち竦むマドカの前に守るように立ちはだかり、突っ込んできた男を

思い切り両腕で押し退けた。

その力にアスファルトの水溜りに倒れた男。 

よれよれのズボンが更にぐっしょり濡れる。

 

 

『もうやめて下さいっ!!!』 尚も張り上げるリョウの低く唸るような声色に

男は慌てて逃げ去って行った。


足をもつれさせながら通りに小さくなってゆくその不気味な背中を、

それが視界から完全に消えてなくなるまで睨んでいたリョウ。

 

 

ふと、リョウの足から力が抜ける。


その場にヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。

すると、マドカも腰が抜けたようにアスファルトに膝をつき、

立ち膝になっている。

 

 

 

 『こ・・・ 怖かった・・・。』

 

 

 

リョウは喉の奥から絞り出すように呟くと、生まれてはじめての経験に

手がワナワナ震え膝もガクガクと小刻みに揺れている。


そんな状態のまま、慌ててマドカに目を向け確認する。 

『・・・大丈夫ですか?』

 

 

すると、マドカの目から大粒の涙がこぼれた。


明るい色素の前髪が雨の雫にしっとり濡れて、額に貼り付いている。

立ち膝のままで暫し呆然としたまま、ハラハラと落ちる涙をそのままに。

 

 

そして、思い切りリョウに抱き付いた。

 

 

 

 『怖かった・・・


  すごい・・・ こ、怖かった・・・。』

 

 

 

リョウに抱きつくマドカの小さい体は恐怖に震え、傘を放り出してしまった為に

雨の雫にすっかり濡れて肩も背中も頬も冷たくなっている。


リョウが戸惑いながらも、やさしくゆっくりマドカの背中にその腕をまわした。

 

 

そして、『大丈夫ですよ、もう大丈夫・・・。』 

トントンと子供をあやすように叩く。

 

 

 

マドカが自分の胸に抱き付いている。


自分の硬い胸にマドカの胸の感触。

それは、やわらかくていい香りで、しかし呆気なくもろく壊れそうに華奢で。

 

 

突然の出来事にリョウの頭はショート寸前だった。

 

 

マドカをもっと強く抱きしめたいという想いがどうしようもなく溢れる。


リョウの首元に顔をうずめるマドカは、恐怖で荒くなった鼓動に熱い息を

吐き出し痩せた喉のあたりにそれが掛かり、冷静なはずのリョウの理性も

吹き飛びそうだった。

そっと唇を寄せればキスだって出来てしまいそうで。

 

 

 

 

  (ふ、普通に息が出来ない・・・ し、死ぬかもしれない・・・。)

 

 

 

 

リョウはマドカの震える背中をリズミカルに叩きつつ、あまりの息苦しさに

ぎゅっと目をつぶり天を仰いだ。

 

 

すると、

 

 

 

 『リョウがいてくれてよかった・・・。』

 

 

 

マドカが震えながら小さく小さく呟いた。


リョウの首元に顔をうずめるその声は、くぐもって小さく落ち雨音に

かき消された。

  

 

 


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