■第17話 中学数学1
『ぇ・・・ コレ、中学のですけど・・・。』
その夜マドカがカバンから取り出して見せた教科書の ”中学数学1 ”という
見出しにリョウは目を白黒させてまごついた。
何かの間違いかとマドカに念の為確認するも、その顔は不貞腐れたように
口を尖らす。
『だーかーらー・・・
言わなかったっけ?
数学っつか・・・ ほんとは小学算数からやりたいくらいだって・・・。』
深く深く溜息をつき、頭を抱えたリョウ。 『そう、ですか・・・。』
しかし、瞬時に頭を切り替えた。
基礎も分かってないのに高校数学をやるより、キッチリと中学からはじめた方が
いいかもしれない。
マドカが包み隠さずに恥を忍んでこの教科書を持ってきたのは、結果オーライ
なのだと。
『随分キレイですけど、コレ、新品ですか?』
その教科書をペラペラとめくりざっと中を確認するも、書き込みひとつ、
マーカーひとつ、めくりジワひとつ無いそれに首を傾げたリョウ。
すると『当時、使ってたヤツだよ!』 目を眇めてマドカが唸る。
『・・・ぇ。』 新品に見えるくらい手を触れなかったという事なのか。
一度でも開いて見たことがあるのか、訊きたいような訊きたくないような。
マドカの戦闘能力を知る上で避けては通れないように思え、恐る恐る
『ぁ、あの・・・ 参考までに、数学のセイセ・・・』
『万年1デスよっ! つか、1以外の数字見たことないよっ!!』
リョウの言葉を遮って語尾はかぶらせ威風堂々とマドカの口から出たその数字。
舌打ちを打ち機嫌悪そうに丸める華奢な背中に、リョウは思わず吹き出して
笑った。 自分の大きな笑い声にリョウ自身ちょっと驚くくらいに、体を屈め
大声で笑っていた。
チラっと横目でマドカを見ると、笑われ過ぎて不機嫌を通り越しどこか哀しそう
に見える。
慌てて機嫌をとるように、リョウはその顔を覗き込んだ。
『大丈夫ですよ、きっと・・・
僕、数学得意なんで。 多分・・・ ん。 多分・・・・・ 多、分。』
『後半、不安になって失速してんじゃないのよ!』 マドカが鋭く睨みつつ、
笑ってしまってそれにつられてリョウも笑った。 笑ってばかりだった。
欄干に教科書を乗せ、ふたり並んで立つ。
互いの二の腕が触れるか触れないかぐらいの、その距離。
マドカの右側に立つリョウが左手で教科書を押さえ、右手の人差し指で文字を
指す。 自然にほんの少しだけ左に体は傾ぐ。
『じゃぁ、さっそく・・・ ”セイフの数 ”からいきますか。
分かりますか? セイフの数・・・。』
『与党とかの?』 真顔で即答されて、リョウの顔は能面のようにかたまった。
『ぁ、えーぇっと・・・ そうですか、困りましたね・・・
まず、ワタセさんが言ってるのは、内閣とか行政機構の事ですよね。
僕が言ってるのは、プラスとマイナスの、正負です。』
”ぽかん ”という擬音はまさにこういう顔の事を指すのだろうと思う程の
見事なマドカのぽかん顔。 僅かに口が開いている。
(これは、かなりの強敵だ・・・。)
ふんどしを締めてかからねばと、リョウのボルテージも急上昇した。
『1、2、3とか数字の前に
”+ ”とか ”- ”が付いたものが正負の数で・・・』
リョウは小さな子供に教えるように、分かりやすい言葉を選んでゆっくり
丁寧にマドカに教えた。
分からない所ではマドカは眉間にシワを寄せ首を傾げ、理解できると飛び上がり
そうなくらいに嬉しそうな顔をした。
それを横目にクククと笑うリョウ。
至近距離でやわらかく微笑まれて、マドカの心臓がまたあの変な感じになる。
遣り切れない胸の違和感に、
思わず心臓のあたりをゴツンゴツンと握り拳で殴った。
『な・・・なにしてんですか?』 リョウがギョっとした顔を向けているが
『別に。』 と目を逸らした。
『なんかさ・・・ アンタ、教えるの上手いね?
ちょっと、なんつーか・・・ 意外。』
まともに目を合わせられずに右手の指先でシャープペンをクルクル
廻しながら、言う。
『同年代はアレでも・・・
小学生とか子供相手に教えるの、向いてんじゃない? アンタ。
そーゆー系の仕事もアリなんじゃないの・・・?』
すると、
『まぁ、ワタセさん・・・ 子供みたいなモンですからね~』
可笑しそうにまたククク。 口許に手の甲を当ててリョウが笑った。
マドカはしかめっ面で、心臓のあたりをゴツンゴツンと握り拳で殴った。




