■第16話 突然小雨が降った夜
その夜は、突然小雨が降った。
いつもの歩道橋に立つリョウが、蒸した雫のまとわり着く様な気配に
そっと手の平を空に翳した。
すると、小さく小さくそれは手の平をノックする。
『んあーぁ? 今日って雨の予報だったのぉ~?』 マドカがしかめっ面をして
どんよりした夜空を見上げる。 その目は眇めて、下唇を突き出して。
リョウは足元に置いた学校指定サブバッグから折畳み傘を取り出すと、
滑らかな所作でそっと静かに傘を広げた。
いつ何時、雨模様になってもいいよう常に携帯しているその傘。
このくらいの小雨なら、もう少し参考書を読み込む続きが出来そうだった。
『・・・ねぇ、ちょっと。 ・・・そこのお兄さん。
アンタ・・・ これ見てなんとも思わないわけ??』
”これ ”の箇所で、手を広げ外国人が ”Why? ”と言う時のようなポーズ。
しれっと自分だけ雨粒を避けるリョウの隣で、傘を持たないマドカの髪や肩は
少しずつ細かな雨の雫に濡れてゆく。
『入りたいんですか?』
リョウは笑いそうになるのを必死に堪え、極力真顔で言う。
わざと、その声色も抑揚をつけず、相手がマドカでなければ冷酷非道に
とれるさまで。
『そーね、出来れば。 出来うる事、ならば、入りたいわね!
だって、なぜなら、濡れますから! 風邪ひきますから!
アンタさ、まじでどっか頭おかしーんじゃないの?
ほんと信じらんない・・・。』
悪態付きながら、マドカも言い切る前に既に笑ってしまっている。
震える肩と連動して、ポニーテールの緩く結ぶ髪の束が揺れる。
『じゃぁ・・・ まぁ、どうぞ。』
『 ”じゃぁ ”はヨケーなんだっつーの!バカ。』
すると、リョウは即座にマドカから傘をはずし自分にだけ差し掛けた。
その顔は憎たらしいほどに澄ましている。
『ごめんごめんごめん!』 慌てて謝って小さく縮こまるマドカに、
リョウは肩を震わせて笑う。
『ワタセさんは少し素直になったらいいと思います。』
『アンタに言われたくないわ。』
『ごめんごめんごめんてばー!』
また傘をはずされマドカの左肩がしっとり濡れる。
ふたりの笑い声が、どんより湿ったひと気ない歩道橋にカラフルな
スーパーボールのように踊る。
『少しは黙って下さい。』
『それもアンタに言われたく・・・ごめんごめんごめん!!』
ふたり、ケラケラ笑い合っていた。
リョウの傘に入ってふたりはじめて並んで歩く。
左手に傘の柄を握りマドカに差し掛けるリョウの手が、たまにマドカの
右の二の腕に小さく触れた。
マドカが何気なく目線だけ上げて右上を見ると、リョウが意外と背が高かった
ことに気付く。
その不健康に青白い肌の、痩せたノド。
クッキリと浮き出た喉仏がマドカの目の高さにある。
リョウが笑うと、その喉仏もやさしく震えた。
(そーいえば、よく笑うようになったな・・・。)
無意識のうちに、それに見入っていた。
なんだか、変な気分だった。
なんだか、心臓がいつもより早く打ちつける気がした。
なんだか、なんか、
耳とか頬とかたまに触れる右の二の腕とかも、なんか・・・。
『・・タぇ・・さん? ワタセさん??』
呼び掛けられていた事に気付き、『なによ?』 慌てて目を上げると
リョウが少し覗き込むようにしてマドカを見る。
『なんかボ~っとしてますけど、大丈夫ですか?
・・・難しいことでも考えてました・・・? 無謀にも。』
『なにが無謀だ!』 リョウの腕にパンチでもお見舞いして、傘から追い出して
やろうかと拳をつくって、やめた。
なんだか、心臓が変な具合だから、リョウの腕に触れるのはやめた。
すると、リョウが遠慮がちにモゴモゴと口ごもりながら言った。
『・・・サツキさんとは、あれから会ってないんですか・・・?』
リョウが ”サツキ ”と下の名前を呼んだ。
なんだか、心臓が、
あれ。 心臓が・・・。




