■第10話 ピーナッツチョコレート
『うっす。』 今夜も紙パックの野菜ジュースのストローを咥え、
気怠そうにローファーの踵を擦って現れたマドカの姿に、リョウは一瞬目を遣り
ペコリとほんの僅かに会釈をした。
『ペコリじゃなくて、挨拶ぐらいしなさいよっ!』
来て早々のジャブに、やはりうるさいマドカが居ない方が断然良いと思い直す。
昨夜のアレは只単にちょっとした気の迷いだったのだと、リョウはひとり
心の中で確信する。
『 ”うっす ”って何語ですか? 意味がよく分からないので。』
きちんと理解出来ないものに適当に合わせて屈するなんて、一番イヤだった。
一定の世代にだけしか浸透していない世代用語を使うのもどうも好ましくない。
『ったく・・・ 相っ変わらず、理屈っぽいねアンタ・・・。』
ブツブツと文句を言いながらも、
『コンニチハ。的なヤツでしょーが! わかんだろ、そんくらい。』
何やかや、結局はご丁寧にマドカもそれに返す。
『 ”コンニチハ ”? ・・・だって夜、ですし。』
『うっせ!バーカ。
コンニチハ、コンバンハ、ゴキゲンヨウの意味だよっ! タコっ!!』
(タコ、って・・・ 悪罵にもバリエーションあるんだな。)
挨拶代わりに散々悪態つき合ったところで、ふたり、まるで通過儀礼を済ませ
スッキリしたかのように急に黙りこくった。
そしてリョウは参考書にまた目を戻し、マドカはジュースをズズズと飲み干して
そのままストローを奥歯でぎりぎりと噛んでいた。
今夜の空は藍色に厚い雲が低く垂れ込めている。
たまに覗く月の光は淡く弱々しくて歩道橋を照らす街灯の人工的な明かりに、
リョウは参考書を翳していた。
すると、マドカがなにか思い出したように、学校指定の少しくたびれた
サブバッグに手を突っ込み、その中にあるバイト先のコンビニ袋から
それを掴んで取り出した。
圧着された袋の口を両手でつまんで引っ張ると、バリバリと音を立てて
それは開いた。
そしてその中に手を入れ数個掴むとリョウの方へ腕を伸ばし差し出したマドカ。
『ん。』 片手に袋、他方の手にそれを掴み伸ばしているマドカは、
ジュースのストローを奥歯で噛んで咥えたままのため、きちんと言葉を
発することが出来ない。
離れた位置でなにかを差し出しているマドカに、参考書に集中しているリョウは
気が付かない。
仕方なしに、今夜も飄々としているその横顔にカツンカツンと足音を立てて
近付いた。
そして、リョウの細い二の腕を、軽く握りしめた拳でコツンと小突いた。
その不意の衝撃に目線を向けると、ついさっきまでの2.8メートルの互いの
距離が急に50センチの至近距離にまで近付いている事にリョウがたじろぎ
驚いた顔を向ける。
『な・・・なんですか・・・?』
訝しがって少し仰け反ったリョウに、マドカは差し出した手を広げた。
その手の平の中から、小包装されたピーナッツチョコレートが数個現れた。
『チョコレートは、集中力とか高めるしー・・・
ピーナッツはー・・・ 脳の働きをカッパツ?とかにすんだよ。
つか、ちょっとはナンか食べなよ、夜も・・・ 良くないよ。』
すると、すぐさま目を細めてジロリと睨んだマドカ。
リョウが向けている表情は、今にも『別にいいです。』 と言い出しそうで。
『こーゆー時は、嘘でも ”アリガトウ ”つって貰っとくんだよ!バーカ。』
リョウから小憎たらしい口癖を言われる前に、マドカは先手を打った。
(ったく。 なんでこんなフツーの事がわかんないかなー・・・
数学のほーが、何百倍も何千倍もムズカシイでしょーに・・・。)
すると、
『じゃぁ、アリガトーゴザイマス・・・。』
『 ”じゃあ ”はヨケーなんだよ! ボケッ。』
( ボケもあるのか・・・。)
リョウは悪罵バリエーションを頭の中で思い浮かべながら
ピーナッツチョコレートの透明な包みを剥がし、それを口に放り入れた。
それはとても甘く絡みついて、なんだか喉が焼けるような感じがした。




