第8話
今日もこの廊下は静かだ。窓からは日中の日差しがやんわりと降り注いでいて、僕の感情の起伏を落ち着かせる。
周りには誰もいないし、バカップルどもの喧騒も聞こえない。(特にここ重要)
ああ、こんな場所にずっと居れたらいいのにな。
よし。やっと着いた。
目の前のドアは僕と凛の力任せな開閉のせいで表層が所々剥がれ、設置されているというよりもただ立てかけているように見える。
うーん。なんかこのドアに妙なシンパシーを感じるのはなんでだろうな。
…………あー。わかった。人の思いやりのない行動のせいで傷ついているところか。
とにかく凛の無茶振りはもう勘弁だ。もうあれ無茶振りって言うか、ただの|
教唆扇動だからな。
ガラッ。
「先輩が見本を見せてくれるらしいよ」
部室のドアを開けた途端、耳に飛び込んでくる凛の声。そして目に映るのはどこぞのバラエティ番組のようにノリノリな凛とチョコンと控えめに椅子に座る小魚。
はい。聞かなくてもわかります。どうせ女の子達とイチャイチャして小魚にモテるためのお手本を見せろとかそういうことだろ。
ドアよ。僕と君はやっぱり似てるらしいぞ。
「あ、あれ先輩。いらしてたんですか?」
僕の来訪に気づいた小魚は大きな瞳で僕を見つめてくる。
「なら先輩。今の話聞いてましたよね? よし。行きましょう」
「せめて僕の返事を聞いてからにしてくれないか?」
ついていけない。凛って勢いだけで人生楽しめるんじゃないか?
「では先輩、場所は二階でいいですか? 先輩年下好きですし。特に妹とか」
「おい! 誤解を招くこと言うな! あんな人を人とも思わない妹を好きになるほど僕は落ちぶれてない! というかそもそもやるとは一言も言って……」
「先輩……してくれないんですか?」
涙を溜めた双眸での上目遣い。そして小首をかしげ両手を胸の前で握り合ったいわゆるおねだりポーズ。
「よしやるぞー。小魚ついて来いー」
はい。敵いません。
ん? 小魚の演技なんじゃないかって? そんなもの僕が見切れるわけがないだろう。
✽ ✽
「やあ元気なお嬢さん。僕とお話しないかい?」
「あれー。今日はいい天気だー。放課後は何しようかなー…………よし! 決めた! チョコレートケーキ食べてー、あったかいココア飲んでー、お昼寝しようっと!」
「あれ、聞こえてないのかな…………。お、おーい僕とお話を……」
「うーん。なんでかなー? さっきから虫さんの鳴き声が聞こえてるようなー」
「ぼ、僕の存在って……」
✽ ✽
「や、やあ元気なお嬢さん。僕とお話しないかい?」
「な、何奴!?」
「っ! あぶな!?」
「ああーすまぬ。背後を取られるとついいつもの癖でな……。しかし御仁。我に声をかけてくるなど正気の沙汰ではあるまい」
「はっはー。確かに正気の沙汰だったら学校で木刀を帯刀してる着物姿の女子高生には話しかけないだろうなー」
「む? それではまるで私が変人みたいではないか」
「いや、そう言ってるけどね!?」
「無礼者! 去れ! 去ね! 失せろ!」
「い、痛っ! 木刀めっちゃ痛い!」
✽ ✽
「や、や、ややあ。げん、きな、お嬢、さん。ぼ、僕とおはーなししないかい?」
「てめえ。ナメてんのか?」
「はい。無礼をはたらいてしまい、誠に申し訳ない所存であります」
✽ ✽
「やっぱりダメでしたね」
「やっぱりとか言うな!」
あの後失意の中部室に戻ってきた僕は呆然と立っていた。
ああー。今日は日が熱い。君さえも僕を慰めてくれないのか……。
そんな僕の無様な姿を影から見ていたらしい凛と小魚からは冷たい視線。
いやー。さすがにこれは心に響く。まさか三連続ろくに会話もできないなんてな……。
まあ、そもそも凛の無茶振りが悪いんだよな。あんな得体の知れない女の子達といきなり話してこいと言われて、仲良く話せる奴はモテ男ぐらいしかいないだろ。
「あのー」
「ん? どうした小魚?」
「先輩ってもしかして……、コミュ障とかいうものですか?」
グギャッ。
あれ、今僕の体から胸を抉られたような音がしたぞ?
「おさなちゃん怖っ! いくらなんでも可哀想だろうと思って言わなかったことをそんなあっさり……。いやーおさなちゃんって見かけによらないねー」
「あ、あれ。先輩どうしたのですか!? 突然倒れたと思ったら、口から血が流れてますよ! もしかしてコミュ症特有の症状とかですか!」
コフッ。
「死なないでくださいよせんぱーーーーーーい!」
「ま、まさか自分のせいだって気づいてないの? もしかして私えらいもん引き止めちゃった?」
ああ。そのようだ……。
しかし凛の声がどんどん遠のいていく気がするな。僕死ぬのか?
いや、まあいいか。こんな可愛い後輩に心配されて抱きつかれながら逝くのも本望か……。
我の人生一片の悔いなし。
「先輩。モテ男ってどんな人でしたっけ?」
「よし、生き返ったー。生き返ったぞー。俺はモテ男になるんだー」
「先輩のモテ男への執念すごいですね」
「ところでやっぱり先輩ってコミュ……」
「ばっ、おさなちゃん先輩を殺したいの!? 本人も気づいてるけど気づいていないふりをしているんだから、それはタブーだよ」
「は、はあ。分かりました。先輩の前では二度と言いませんコミュ……」
「あなた、先輩に恨みでもあるの!?」
ある言葉が出そうになるたびに小魚の口を手のひらで塞ぐ。
どうやら凛の機転のおかげで僕の命は助かっているらしい。
いやー。小魚はなんて言おうとしてるんだろうなー。僕わからないやー。
「ところで話は変わるけどおさなちゃん。少しは参考になった?」
「いえ、全く!」
力強く断言か……。
いや、まあそれはそうか。僕がしたのはせいぜい最後、無礼を働いた時の謝り方を見せただけのようなものだ。
「あ。そういえば凛。あの最後に僕が話した人って?」
一括りのポニーテールにした長髪と長身。どこかで見たことがあるような気がしたんだが。
「話したっと言えるほど会話になっていませんでしたけどね。――その人なら現生徒会長ですよ」
なるほどな。道理ででやたら発言にキレはあるし、面倒事の処理は完璧だというわけだ。どこかで見たことがあるというのは行事のの開会の挨拶とかそういう機会に見たのだろう。
一言と睥睨だけで喉元にナイフを突きつけられたような気がしたからな。伊達に生徒会長は勤めていないということなのか。
それに貫禄がありすぎる。上崎さんとは違う意味で近づきたくない。
「いやー。あの人怖かったですよね。真正面に立つだけで脚が竦みましたよ」
そういえば凛がこの部活の設立願いを提出しに行った時に会っているのか……。
このやろ、悪鬼の生徒会長だと知っていた上で僕を接触させやがった。
「そもそもこの学校にいる女子がイレギュラーすぎるんだ! なんだよ頭ぽわぽわ天然ちゃんは話通じないどころか僕の声を虫さんの声とか言いだすし、時代を間違えた木刀帯刀女剣士は出会い頭に居合切り噛ましてくるし、生徒会長はヤクザだし、こんなユニークとんでも女子と楽しくおしゃべりできる男なんてモテ男ぐらいしかいないだろ!」
モテるって大変だな……。心がもたないや。
「まあ、確かにモテ男なら女心掌握術で速攻籠絡しちゃいそうですね」
っく。モテ男羨ましい……。
「あ、あの方に対してそんな言い方しないでください!」
「…………ごめん」
しん、と静まり返る教室。微かに残響が残る小魚の怒号は震えてはいたが、確かな怒気が含まれていた。
「あ、あの方は人を籠絡なんてする人じゃありません。女の子が勝手に恋するだけなんです。私みたいに! …………あっ」
自分が言っていることの恥ずかしさに気づいたのか、頬を赤らめきゅうぅ、っと縮こまる。
しかし基本的に臆病な小魚がここまで言うほど彼女にとってモテ男は大切なんだろう。
これは少し悪いことをしたな。
「ごめん言い過ぎた」
「私もごめんねおさなちゃん。まさかあなたにとってそこまでの人とは思わなくて……」
凛と二人並んで頭を下げる。
「す、すみませんお二人共。私も少し興奮しすぎました。あと……、さ、さっきのことは忘れてくださいね」
きた! 上目遣い! しかも向けられた視線に含まれる嘆願が彼女の庇護欲を掻き立てる容姿と相まって……。
最高すぎる!
「はいはい。ニヤニヤしている妄想変態先輩はほっといて」
「その異名は甚だ不本意なんだが!?」
そもそも僕が過度の妄想野郎だというのは小魚を止めるための方便だろ。
「何でそんなにあのモテ男を好きになったの?」
「え、え。なんでって言われましても……」
突然の凛の質問に動揺を隠せないらしく、妙にしおらしくなる。
「いや、言わなくてもいいのよ。ただ少し気になっただけだから」
「笑いませんか?」
「笑うわけないじゃない。目標のために一生懸命な人を。というかそもそも『モテ男=神部』なんていうふざけた部活を作った私たちにおさなちゃんを笑う資格なんてないし、むしろ尊敬したいよ」
一瞬の逡巡さえも見せずに答える凛。
そうだよな凛はそういう奴だ。しかしそろそろ部活の名前変えたほうがいいな。名乗るには恥ずかしすぎる。
「ふふっ。凛さんってカッコイイですね」
「そ、そう? ありがと」
凛は髪を払いながら顔を赤らめる。意外にも直接褒められるのには慣れていないらしい。
「なら凛さんに話しますね」
僕も入れてくれ。
ところで僕さっきから会話の輪からハブられてないか? そういえば男としてカッコつけるべきところを全部凛に持っていかれてる気がする。
「うん。よろしくねおさなちゃん」
凛が微笑むとそれを見て安心した小魚は呼吸を落ち着かせ語り始める。
「私がまだ中学生だった頃の話です。その頃の私はとにかく内気で人と話すなんて持ってものほかでした。だから当然、彼氏はおろか友達もおらず、いつも教室の隅で一人本を読んでいました」
夕日が傾いてきた窓の向こうの景色を眺めながら語る小魚の目はその当時の自分を哀れんでいるように見えた。
「私は人と関わるのは嫌いでした。どうせ私が誰かと話しても自分も相手も楽しくない、ってどうしてもそう思っちゃうんです。だから私はひたすら目立たないように行動しました。テストではいつも中間の順位を狙い、人前で話さなければならないような事態は仮病でもなんでも使って回避してました。でもそんなある日私はミスしてしまったんです」
小魚の声のトーンが下がる。
「私毎日、放課の前に教室までクラスメイトに配布するプリントを運ぶ係を担っていたんです。ちなみにこの係というのを一人一つ負わなければならないんですが、私はすぐにこの係にしました。だって唯一誰とも話す必要がない係でしたから。それでその日はテストが終わって数日後でした。その日の配達物はクラスメイト全員分の答案用紙でした。その日はそれを教卓の上に置いておくだけの簡単な仕事。でも私が卓上にプリントの束を置こうとした時、クラスのリーダー格の女の子がぶつかってきて……」
小魚の眼に涙が浮かんでいた。
「私は頭が真っ白になりました。床を滑るクラスメイト全員分の答案用紙、私に突き刺さる怒りを孕んだクラスメイトの視線。今まで経験したこともないような感覚が私を襲いました……。そして私は気の強いリーダー格の女の子を筆頭にみんなに罵倒されました。私は必死に泣きながら頭を下げました。みんなと目を合わせないようにしながら……。まあ、答案用紙には各個人の点数も書かれてましたからみんなが怒るのも仕方がないことなんですけどね。それでみんなが飽きてきて散り始めた頃、止めに言われたんです……。クラスのリーダー格の女の子に。
あなたのその小魚みたいにおどおどした目が、態度がムカつく! あなたの名前そのままね!
って……。私はどうすることもできませんでした。言い返したい気持ちはありましたけど、反論できるような気概は私にはありませんでしたから」
だから小魚は自分の名前を名乗ることに抵抗を覚えるようになったのだろうか。当時のことを思い出してしまうから……。
「私は絶望しました。何でひたすら人と関わらないようにしてきたのにどうしてこうなっちゃうんだろうって。私はただただ彼女の視線から逃げるように俯いてました。それから私は自分を恨みました。私はいつも小魚みたくきょろきょろして、周りの視線を気にして、集団に隠れて自分の身を守ろうとして……。思えば思うほど確かに小魚みたいだなって。自分でそう思っちゃったんです。
でも突然、罵倒しか聞こえないはずの私の耳に響いたんです。
名前を馬鹿にするのはやめろ! おさなちゃんって、十分に可愛い名前じゃないか!
嬉しかった。
クラスの隅のいるのかいないのかも分からないような存在の私を庇ってくれたことも、一度は嫌いになりかけた私の名前を褒めてくれたことも、そして可愛いって言ってくれたことも……。
それ以来苗字の久瑠璃も合わせて、笑われることもあったんですけど、その時の言葉のおかげでなんとか自分の名前を嫌いにならずに済んでいるんです」
全てを語り終わったのか爽快感あふれる顔でとはにかむ。
その笑顔は今まで僕に見せてくれたどんなものよりも暖かく、晴れやかだった。
「それでその時庇ってくれた男の子がモテ男だったっていうことか?」
「まあ、そういうことですね……」
赤面しながら俯くが表情は変わらず穏やかだった。
「いい話じゃない。私感動しちゃった。女の子が羨む胸キュンシーン上位に食い込む話よ」
「いい人だったんだな。モテ男って……」
正直誤解していた。どうせ容姿だけでちやほやされているんだと思っていたが、モテるには相応の理由があるということか。
「おさなちゃんはモテ男の勇姿を見て恋に落ちたの?」
「は、はいその通りです。夜は眠る前は頭にふとその方が出てくるようになりました……」
指を絡ませながら、頬を赤らめる。
「まさに恋する乙女ルート一直線。まあそうだよね。そんなシチュで落ちない女の子はいないって」
「それで、そのあともアプローチを仕掛けたりしたのか?」
「い、いえ全く……」
「え?」
「いえ、だからまった、く……」
「嘘でしょ……。おさなちゃん?」
あれ凛さん。お顔が怖いですよ。
「まさかそんだけ恋しちゃっててアプローチどころか名前すら知らないの!?」
「は、はい。今まで人と関わってこなかった分、人の名前を覚えるということ自体、頭にありませんでしたから……」
「でもだからって……」
はああーー、っと大げさに溜息をつく凛。どうやら凛にとって余程信じられないことらしい。まあ、僕にはわからんが。
「告白まで踏み切ろうとは何度も思ったんですよ。でも、コミュニケーション能力皆無な私が面と向かって告白なんて出来るわけないですから……」
だから僕とぶつかったときそそくさと立ち去っていったのか……。思い返せば一度たりとも僕と目を合わせなかったしな。
「それでこの部室を訪れたっていうことなの?」
「そ、その通りです。ここにいるというモテ男に聞けば良いアドバイスをもらえるだろうと思ったので」
それでモテ男なんておらず、意気消沈帰ろうとしたところを凛に呼び止められたということか。
「それで実際にいたのは……」
「よし、凛。それ以上言わなくていい」
これ以上傷を広げられるのは御免だ。
「せっかくの先輩の武勇伝だったのにですか?」
「その武勇伝の中に妄想という単語が入るのが問題なんだよ!」
せめて嘘でもいいから僕の武勇伝を語って欲しい。いや、そう考えてる時点でただの僕の妄想か。
「ではこれからどうするのですか?」
うーん、
っと。熟考する凛。いつもならこういう時何かいいアイデアを閃いてくれるんだが。
「まあ、明日になってから考えようよ」
明日の自分任せだった。
✽ ✽
「はあ、しかしどうしたもんかねー」
全く思いつかない。会話経験白帯の小魚が告白しようにも、おそらく挨拶程度が関の山だろうし、そもそもモテ男の名前すらもわからない。
告白に来た女の子が自分の名前を知らないってどういう状況だよ。
「まあ、取り敢えず滑らかな会話の練習でもしてみるか」
気の遠くなるような計画かもしれないがおそらくそれが最も堅実な手だろう。
っと。
考え事をしている間に昇降口に着いてしまったようだ。
「よし。今日も来たな」
「お、おう」
ん? こんな時間に誰だ? いつもなら僕が最後にここを出るはずだ。
僕の鼓膜を微かに震わせるRPGの悪役でよく出てきそうな下卑た声。そして……モテ男!?
間違え用もない、透き通るような美声とよく響く声音はモテ男のものだ。
「早速取引だ。例のブツの値段はいくらだ?」
「え、えと……、五千円くらいかな……」
「いやいや、待ってよ。うちらの相場わかってる? いくらなんでもそれはないでしょ」
「なら、せ、千円?」
「うーん、まだ微妙に高い気がするがまあいいだろ。交渉成立だ」
なんだこの会話? 何か相当やばいことのような気がする。
取引ってもしかして非合法的なものなのか?
やばい、頭が回らない。ここは教師でも連れて来るのが最適なのか? いやでもこのまま証拠を抑えることの方が先じゃないのか?
しかし僕の焦燥は男が続けた一言で一瞬にして冷めてしまった。
「いやあ、毎度ありがとねモテ男くん。君が女の子のメアドをうちらに流してくれるおかげで色々と都合がいいわ。うちらは君と違って女の子のメアドなんてもんをゲットする機会なんてないもんでね」
「ああ、そうだな」
粘着くように気持ちが悪い声も、モテ男の澄んだ声も段々僕の頭の中からフェードアウトしていくように小さくなっていく。
なるほどな、お前はそうなんだな。
僕は無言でその場を後にした。




