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第4話

「まずはあの方からです」


 廊下の曲がり角。そこから半身を(のぞ)かせる凛と僕の目の前には、今まさにこちらへと歩く人影が一つあった。 


 髪を頭頂部で縛り、細い腕を振りながら意気揚々と歩く長身で細身の一年生。髪を頭頂部で縛っているので頭の上に噴水が湧いているように見える。そしてそんないかにもアホっぽい、と思わせるような印象を彼女のとろんしたタレ目からも感じる。そしてまるで天使のよう、という有体(ありてい)な表現を何の違和感もなく感じさせる笑顔が特徴的だった。 


「でも具体的にはどうアタックするんだ?」


「大丈夫ですよ。ちゃんと曲がり角に差し掛かったバッチシなタイミングで私が背中を押してあげますから」


「凛が押すのか? それって危なくないか?」


「安心してください。力は私の直感で加減しますから。人生は当たって砕けろです!」


 いや、全く安心できない。凛の言葉に不安要素が多すぎる。  


 僕はまだ砕ける気はサラサラないぞ。


「まあ、いいや今回は頼む」


「任されました! ――あ、あと先輩もう少しこっちです」


「お、おう」


 いつの間にか後ろに回り込んでいた凛に襟を引っ張られ後ずさる。これでターゲットから僕らは全く見えない。 


 徐々に近づいてくる足音。不安は大いにあるが、ここまできて今更引き返せない。凛も力加減ぐらいはしてくれるはずだ。


 それにあとはシミュレーション通りにすればいい。ここまで来る途中に考えた強烈なファーストインプレッションの与え方を頭の中で反芻(はんすう)する。


 …………よし。 


 失敗は――ない!


 行きますよ先輩。 


 と、凛が僕の耳元でそう(ささや)くと同時に背中を思い切りどつく。


 ……えっ、思い切り? しかもどつく? コイツもしかして本当に僕を砕かせるつもりなのか!? 


 予想外の加速をした僕は、角を曲がる彼女に吸い込まれていく。


 僕の体は決して大きな方ではないとはいえ、あの華奢(きゃしゃ)な体にこの勢いでぶつかったら怪我をさせてしまうのは必至だろう。


 ごめん。少し危険な目に遭わせてしまうかもしれない……。でも僕がどうにかクッションになるから!


 そしてそのまま僕と彼女は衝突しようとしたが……、刹那。僕の急襲に気づいたらしい彼女が天使のような笑顔を消し、目を細める。


 ドグぁ!


 ん? この音なんだ? それになんで僕は空中で静止しているんだろう? 横合いから闖入(ちんにゅう)してきた誰かに持ち上げられているのか?


 でも、なんだこの胃の中のものをかき混ぜたような腹の痛みは? いくら無理矢理勢いを止められたとはいえ、ここまでの衝撃ではないはずだ。


 そしてなんだろう? 僕の眼前に腰を落とし、スタンスを肩幅に広げている闘魂あふれる天使のよう? な女子高生は?


 はは。まるで今から誰かを殴ろうとしているみたいじゃないか。


 いやー謎は深まるばかりだなー。


「てえや!!」


「ぐがああ」


 僕の頬に突き刺さる衝撃。しかもその衝撃の正体が拳ではなく、学校規定の校内用シューズの(かかと)部分だというから驚きだ。 


 まさか今僕の眼前にいる天使のよう!? な一年生は、僕の突進の威力を腹を殴って相殺し、その上、踵回し蹴りを決めたというのか!? 


 そして僕の思考を遮るように彼女に突進した時とは比べ物にならないほどのスピードで空中を滑る僕の体。そしてそのまま廊下の壁にぶち当たり、ようやく止まる。呼吸も。


 おいおい、僕の身を(てい)して女の子を守るといういかにもモテ男らしい計画がおじゃんじゃないか。


 というか……死にそう。


「あれ? 今何か肉が壁にぶつかったような音がしたような気がしたんですがー。うん。気のせいですね」


 甘ったるい声を出し、顎に指を当てながら可愛らしくうん、うん。と一人でに納得する彼女。そして僕に気づいていないのか(気づいていないわけがない)僕に一瞥(いちべつ)もくれず、楽しそうに制服の裾を直しながら階段を降りていく。


「うん! やっぱり平和が一番ですー」


 この子は何を見ているのだろう……。


 天使のような笑顔を持つ彼女は、天使の皮を被った悪魔だった……。こんな人に平和を語って欲しくない。


「大丈夫ですか先輩!? 口から血が流れてますよ!」


 大丈夫なわけがない。


「あいつ……、なにもん、だ?」


 あれ、息が漏れてうまく言葉が繋がらないぞ? 僕、本当に死ぬんじゃないだろうか……?


「あ、ええと。彼女は上崎(かみさき)(かない)さんです。彼女の噂は数多くあるんですが、いまいち信憑性(しんぴょうせい)に欠けるといいますか……」


「いや、いい。続けてくれ」


「分かりました。まあ、取り敢えず聞いてください。――中学校時代彼女が通っていた栢野施(かわのせ)中学校に、地方で圧倒的な勢力を持っていた不良グループが殴り込みに来たことがあったそうなんですが……」


「そりゃ、穏や、かじゃないな。で、その上崎さん、とやらは、はあ、その不良たちと対決し、たグループのトップ、だった、とかいう話か?」


「いえ、その殴り込みに来た二百人もの不良を(くだん)の上崎さんは野球部から借りたバット一本で血祭りに上げたらしいです」


「…………へぇ」


 トップどころか頭一個だった。


「その時体育館の裏で対決したらしいですけど……、対決の間は絶え間なく断末魔が響き渡り、それが止まった頃には血の海に(たたず)む上崎さんの姿があったそうです」


 うん。奴は世紀末覇者だ。 


 ならあの一見可愛らしい笑顔はなんなのだろう。あんな笑顔で血を撒き散らしながらバットを振るう彼女なんて想像したくもない。もう第一印象なんて信じるか。それどころか人間不信に陥りかけているしな。 


 というか凛。なんでそんな血も涙も無い奴をターゲットに選びやがった。 


「あー、あと、その後に彼女は血に濡れたバットを丁寧(ていねい)に洗って、でも、それでも落ちない僅かな血痕の残ったバットを何度も野球部に謝りながら返したそうです」


 そこは優しいのかよ。 


「まあ、決して悪い人ではないんですけどね。もともと悪いのはこっちなんですし笑って許してやってください」


 ははー。笑いたくても笑えないよー。顔の感覚がないから。というかどの口が言いやがる。


 あ、やば……意識が、


 コフっ。


「ちょ! センパイ、 せんぱーい!!」







 ✽      ✽  









「っつだあ! 死ぬかと思った――いたっ!」


 頬に伝わる冷たく、硬い感触。辺りを見回してみると、目に付く物は乱雑に散らかった椅子や机。それらを無理矢理どかして、作ったのであろう狭いスペース。そしてそのスペースの中に設置されている机を並べて作った簡易ベッド。 


 いつもの部室だった。そしてこの腰の痛みから推察するにどうやら僕はお手製簡易ベッドで寝ていて、そのまま落ちたらしい。


「…………」


 ん? いつもの陽気な声が聞こえてこない。アイツなら絶対に寝ぼけて机から落ちた僕をけらけらと笑うはずだ。


「…………」


 いつもこの部室にはアイツのやかましい声が響いていたせいか、妙に閑散(かんさん)としているように感じるな。


「先輩生きてますか!?」


 バンっ、という扉の悲鳴をバックコーラスに教室に舞い込んでくる突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)。やっぱり力の調節はできないみたいだ。


「ああ。死地をさまよったがなんとかな」


「確かに凄かったですね上崎さんの蹴り。先輩の体が空中で静止したかと思ったら、先輩は空中を一直線に飛んでましたもんね」


「どっかの格闘漫画か!?」


 彼女は格闘一家の頭首みたいなものなのだろうか。いや、ラオウのご息女だな。 

「あ、そういえばこんな噂もありましたよ」


「え、まだあるのか……。正直聞きたくないんだが」


 これ以上僕の女の子に対するイメージを悪化させないで欲しい。


「まあまあ、そんなこと言わずに聞いてください。……コホン。この高校。柔道部がないじゃないですか。去年辺り急に廃部になったとか」


「ああ。確かそんな部活があったような気がするな」


 僕にとってはまさに縁もゆかりもない部活だったので、正直存在していた事も覚えていない。


「それが去年のこの学校の新入生体験の時の事なんですが」


 中学校三年生の時期。自分の受けたい高校の校風やらを知りたい人は実際にその高校の設けた高校体験日に現地に行って調べてこい、みたいなやつだったと思う。それでその日は高校側が授業見学や部活動体験を中学生にさせてくれるのである。


「午前中の説明会が終わって午後の部活動見学の時。当時中学三年生の上崎さんは柔道部に行ったそうなんですが……」


 これ以上は危険だというように口をつぐむ凛。そんなに恐ろしい噂なのか!?


 だがここまで来たのなら続きはどうしても気になる。


「……………が?」


「上崎さんは柔道部が行っていた柔道体験コーナーで当時の柔道部員を全員病院送りにしたそうなんです」


「上崎さんって柔道の権威(けんい)か何かなのか!?」


 だとしたらそら恐ろしい話だ。これから彼女と関わる時は気を付けよう。


「いえ、運動は幼い頃から何もしていないそうです」


 うん。これからは彼女と関わらないようにしよう。 


「それにもし柔道の権威だとしたら全員病院送りなんて無茶苦茶しませんよ」


 確かに。武術の心得というものを知らなかったからこそ、そのような惨劇が生まれてしまったのか。


「そして部員のいなくなった柔道部は廃部を余儀(よぎ)なくされたそうです」


「いや、でも部員は療養(りょうよう)すれば戻ってくるだろ」


「大方の人が柔道を見たら上崎さんを思い出す、と言って恐怖で戻ってこれなかったそうなんです」


 はー。この世の中には生粋(きっすい)の悪魔もいるもんなんだな。もしかしてあの頭の噴水は見る者を油断させるためのものなのか?


「あ、あとこんな噂も」


「いや、もういい。これ以上聞いたらこの学校に来るのが怖くなりそうだ」


 ホント、冗談じゃなくてマジで……。僕の()れた頬がそう言っている。


「よし。落ち着いてきたところで第二ラウンド行きましょうか」


「はっ?」


 凛は落ち着くということを知らないのだろうか。いや、馬鹿なのだろう。学年トップクラスの学力だけど。


「いや、曲がり角ドキドキ大作戦ですよ」


「ん? そんな名前だったか? ……いや、重要なのはそこじゃない。作戦を変えようぜ。あれはあまりにも危険すぎる」


「いやいや今度は大丈夫ですって」


 その自信はどこから来るんだ。しかも先の惨劇が起きた責任の一端は凛にあるだろ。いや、全部と言ってもいいな。


「もう蹴られたくないんだよ」


「え? さっき嬉しかったんじゃないんですか?」


「んなわけあるか! 言うまでもない、みたいな顔するな」


 全く心外だ。前も言ったがそういうのは妹だけで十分なんだよ。


「まあ、安心してください私に策があります。すべて私に任せておけば今度こそ女の子とイチャつけます」


 そうしたせいで僕は生死をさまよったんだがな。


 …………はっ!? 


 突然凛の双眸で光が燃える。やる気に満ち溢れ、そして全てを見通すような熱く燃える鋭利(えいり)な眼光。


「さあ、神への反逆を始めましょう」


 カ、カッコイイーー。


 その時僕の心臓が激しく打ち震えた。なんだこの体の震えは!? これが今流行ってる武者震いってやつなのか?


「今度こそ本当の本当だな」


「はい! 嘘のような本当です!」


「なら今回もお前に任せよう。……俺の命、 預けたぜ!」


「了解です! 必ず先輩の命は生き残らせましょう」


 怖い言い方はやめてほしい。モテるためには命さえも危険に(さら)さないといけないのか?


「まあ、行くぜ! 兄弟!」


「はいよ! 兄貴!」


 僕らは入口のドアの悲鳴を聞きながら階下へと続く階段目指して笑いながら駆けていった。

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