消えたシャルロット・⑤シャルロット編
【食べられたシャルロット】
心地良い冷気が、わたしを優しく包み込んでくれています。強すぎず、弱すぎないそれが、とてもしっくりしていて、何だかとても懐かしいです。
冷気の正体は、ハチの巣というお店で使用されていたものと同じに思えました。空気の流れとか、保たれた温度とかが。
懐かしさが手伝って、お店で売られていた時のことが、ついさっきのことのように思い出されます。
同時にそれは、悲惨な光景を目の当たりにしていた、わたしの記憶を鮮明に蘇らせることを意味していました。
*** ***
思い起こせば、あれはフジヤさんがわたしを購入するに至る、少しまえのことでした。時計の短針と長針が、ぴたりと重なって上に伸びていた時のことです。
その頃には、わたしにも意識が弱々しいですけど芽生えていました。自分が食べ物であることを十分に察していたつもりです。そういえばあの時、自分がどんな人に購入されるのかな、と変な妄想にふけっていました。
そこに、外から誰かが来店したのでした。
女性の方でした。
その人は、わたしを作ってくれたお店の人と知り合いのようでした。
向かい合った両者の体は、大と小。腕や胴体の太さも、その差が大きかったです。
しかし、良く見れば、瞳だけはそっくりでした。
そんな二人はもそもそと会話をしていました。それが段々と険悪になっていき、とうとう口争いへと変わってしまいました。
わたしは人の怒鳴り声がとても苦手で、具体的にどんな会話だったのかは聞き取れていませんでした。お互いに怖い言葉を使っていたのだと思います。
わたしを作ってくれた人は顔を真っ赤にして、女性を睨みつけていました。
悪い気を含んだ視線が交錯します。どろどろとした感情に、わたしは不安で埋め尽くされそうになっていました。
もしかしたら、味に影響が出ているかも。
ただその時は、じぶんの心配にまで気が回りませんでした。固唾を呑む気持ちで、何も起こらないでと見守っていました。
それからです。人間の気配が、もう一人分どこからともなく臭いが立つように窺えたのでした。しかし妙です。目の前にある、お店の入り口は、ぴくりとも動いていません。
ですが何者かは近づいて来ています。
そこでわたしは、出入りできる場所がもう一カ所、この建物にあるのではないかと、閃いたのです。
直後。真後ろから鋭い音が炸裂し、噛みついてきました。痛みというものを感じたわけではありませんが、相当のショックを受けたのだと思います。
わたしの中で何かが弾け、感情を失ったように呆然となりました。
「うぅ、何だってんだ」
「驚いているな。何が起きたと思う? 罰だよ。俺の腕と、夢をぶち壊してくれた、罰。しかしまだ足りないよな。あんたにはもっと苦しんでもらわなくちゃ」
「や、め、ろ」
千切れた一文字一文字がようやく一つの言葉になりましたが、そこから続きが発せられることはありませんでした。
「やった。くっ、くく。ついに。やっぱり、こうだよな。いくらこいつが刑務所に入って、刑期を終えたからって、俺の気が収まるわけないんだよ。やっぱり被害者が加害者に直接、手を下さなくちゃな。ミキ、どうだ。オヤジにバカにされていたお前も、ちょっとはすっとしただろう?」
「でも、これからどうするの?」
「不安そうな顔をするな。ハチの巣は表通りで経営をしているくせに、客は滅多に来ない。おまえも知っているだろう? このあと、我々のすべきことは一つ。こいつの処理だ」
「処理?」
「町外れの山にでも埋めたいところだが、俺たちがこいつを運ぶことは不可能。しかしそれが、かえって良かったのかもな。下手に動かそうとするから目撃されたりするんだ。上手く事故が起きたかのように見せかければ、何の問題もない。数日後に発見されたとしてもね」
*** ***
今だから出来事を、綺麗に思い出せられたのですが、あの時は本当に気が遠くにいて、何を喋っていたのかが理解できていませんでした。
夢を見ていたんだと、勘違いをするほどでした。
それどころか、お店の方が入れ替わっていたことに、気づけていませんでした。……は、恥ずかしい限りです。
それにしても、この部屋の保冷室には驚きですね。すっかり霧散しかけていたわたしの記憶を、ぎゅっと取り戻してくれたのですから。
『いえ、これは保冷柱と呼んだ方がしっくりしますね』
お店のショーケースと違っていて、これはガラスで造られた円柱なのです。円柱は、天井と床を繋いでいます。
それが室内に何本あるかしら。頭の悪いわたしには、答えられません。四方の壁が見えなくなってしまうくらい、たくさんです。
内部はどれも空洞で、上から下まで一定の間隔を空けて、大きなお皿が用意されていました。見えない糸か何かで吊され、宙に浮いたお皿に、輝くばかりの美しいケーキがちょこんと置かれていました。
余計なものが一切なくシンプルを貫いたものから、盛りつけの豪華なものまで。透き通るような白があれば、深みのある黒も覗えます。
どれもが、まるで宝石です。自身とは比べものにならないほどの色鮮やかなケーキや、菓子に、わたしは心を奪われてしまうほど、うっとりとしていました。
しかし、お店という雰囲気ではありません。
物凄い数のケーキを用意していますが、売りものではない感じがしました。どれからも。ハチの巣では溢れていた、食べられたい、早く自分の味を愉しんでほしい、といった感情が一切読み取れなかったのです。
『それに、あのテーブルは何のためにあるのでしょうか?』
部屋の中央の空いたスペースに、円形のネコ足テーブルが、どでんと置かれていたのです。三人分のお皿と、ティーカップが用意されていました。
わたしは閃きました。誰かがこの部屋で、ケーキを食べるのだと。
直後、ドアの開く音がしました。そこから、どっと談笑が流れ込んできました。
「ホホホ。どうぞいらっしゃい。こちらの部屋で誕生日を祝いますわよ」
柱と柱の間から滑るようにして女性が一人姿を見せました。黒いドレスで白く豊満な肉体を包んだ、優雅で品格がある、背の高いお姉さまでした。食べ物のわたしですら、思わず見とれてしまうほどの美しい女性でした
このお姉さまこそ、わたしを保冷柱に収めた方なのです。
いったいどこで、どのようなことがあって、わたしは彼女のシャルロットになったのかしら。不思議です。
お店でわたしを買ってくれた、あの少年とは真逆の人間でした。
最後に記憶していることは、フジヤさんの家で、誰かに盗まれてしまったことです。
「な、何ですか? ここは」
お姉さまに続いて姿を現せたのは、そのフジヤさんでした。
『え、どうして彼が?』久し振りに見る彼の姿に、嬉しくなりました。
相変わらずのポッチャリです。
「うっひゃー。綺麗」
後ろからもう一人、女の人が、フジヤさんの体を押し退けて入ってきました。
わたしは、中身が弾けてしまいそうになりました。
『ああ、わたしを盗んだ人』
わたしを盗む際に浮かべた、彼女の悪戯っぽい笑みは今でも鮮明に思い出すことができます。彼女の手つきがとても荒かったのも覚えています。
「まるで宝石店みたい」
それにしても彼女、どうしたのでしょう。ケガでもしたのかしら? 手首に包帯を巻いています。
「宝石店に行ったことなんてないだろ? オバちゃんには無縁の場所だし」
「うっさいなぁ」
どうやら彼女は、オバちゃんと呼ばれているみたいです。
その呼び方に、覚えがありました。
あっ、と思い出しました。それはわたしが盗まれる直前のことです。
『オバちゃんって、フジヤさんが、仲良さげに会話していた相手の名前ですね』
しかし、そうだとすると、おかしいです。
今、目の前にいるこの方が、オバちゃんなのですよね。そして彼女は、わたしを持ち去った泥棒さんなのです。
でも、わたしが盗まれている間、フジヤさんとオバちゃんはお喋りをしていたんです。
これはいったい、どういうことかしら?
頭の悪いわたしでは、いくら考えても答えが思いつきません。ので、もう考えるのを止めにしました。
「ここはあたくしの自慢の一室。コレクタールームですわ――」
お姉さまは、ほほほと含み笑いをして、少年少女をイスに座らせました。
「ではさっそく、誕生日会の主役たちを紹介いたしますわね」
『主役? まだ人が来るのでしょうか。……あ、もしかして、柱の中にあるケーキのことかしら』
お姉さまがこちらへ振り返りました。上品な笑みを湛えて、ゆっくりと歩み寄ります。
間違いありません。主役となるケーキが、この中にあるのです。
『こっちに来ます。ま、まさか主役とは、わ、わわ、わたしのことでしょうか?』
ぽーっと全身から蒸気が噴出する。そんな錯覚を起こしました。緊張のあまり、心は早鐘を打っています。
『ちょっと待ってください』
気持ちを整えるためにも、お姉さまに一度立ち止まって欲しかったのですが、わたしの気持ちは届きません。すたすたと距離を縮められます。
緊張が最高潮に達し、どうにかなってしまいそうです。もしかすると知らぬ内に、おかしな奇声をあげてしまったかもしれません。
寸前まで迫ったお姉さまが、保冷柱にそっと触れますと、ガラスの一部がぱかりと開きました。白い手が、お皿を一枚中から取りました。
しかし、わたしではありませんでした。
わたしは、自分が選ばれるとすっかり思い込んで、はしゃいでいたことを恥ずかしく思いました。猛烈に。
保冷柱から抜き取られたお皿には、それはそれは大きなシュークリームが二個載っかっていました。外側の生地は、たくましいです。ですがどうしたのでしょう、内一個だけ、表面が砕けていました。
「これが、昨日の晩に娘っ子から預かった、シュークリームですわ――」
お皿はテーブルへ置かれました。
「あと二品、ありますわ」
お姉さまが踵を返して、再びわたしのいる保冷柱へ近づいて来ました。でも、もう期待感は抱きません。
お姉さまは、ゆっくりと肘を伸ばして、お皿を手にします。
『はあ。やっぱり』
わたしは選ばれませんでした。新たに取り出されたお皿には、バースデイ用のものと思われるケーキが鎮座していました。このケーキも、一部、欠けています。
「これ。わたしが作ったやつだ。って、欠けてるんだけど。どうして?」
きょとんと小首を傾げ、疑問符を浮かべた口調でした。その言葉を聞いて、フジヤさんは、お姉さまの顔を見ました。
お姉さまは苦笑して、
「ほほほ。細かいことは気にせずに、ね。さて、最後の主役を用意しますわ」
逃げるように体を半回転させ、またまたこちらに近づきます。
シュークリーム。バースデイケーキ。この柱の中から、次はどのスイーツが選ばれ、彼らの前に置かれるのでしょう。
いえ、そんなことよりも、
『わたしは、いつ食べられるのでしょうか。まさかこのまま、ここの住人たちと一緒に、ただただ生き続けるようになるのでしょうか?』
と、ぼんやり思いました。
すると、何でしょう。持ちあげられたような、久し振りの浮遊感を味わったのです。
『あやや――』
白く細い指先が、わたしを載せた皿の両端をつまんでいたのです。そのままゆっくりとした動作で保冷柱から取り出されました。
『ま、まさかまさか』
宙を滑り、テーブルの真ん中へ、すとん、と着陸しました。
フジヤさんは、ぽかんと口を開けて固まってしまいました。じぃっとわたしを見つめています。
その少年を、細めた横目でこっそり見つめるオバちゃん。
わたしを注目するシュークリームのお二方。
『こ、こんにちは。み、みさなん』
緊張がピークに達し、声が震えました。
「ほほほ。懐かしいでしょう?」
お姉さまが、カップに飲み物をちょろちょろと注ぎます。三人分満たすと、お姉さまもイスを引いて腰を落ち着かせました。
「坊やが買った、シャルロットですわ。今では、あたくしの物ですけど」
「このシャルロット、どこで見つけたんですか?」
フジヤさんが、とても不思議そうな眼差しを、お姉さまに向けました。
「ほほほ。実はね、この子が消えたと、坊やが騒いでいた時から、ずぅっと娘っ子が持っていましたのよ」
フジヤさんは、度肝を抜かれた顔で、そんなばかな、と声をあげました。
「何を言っているんです? オバちゃんが家に着いて、台所に入ったらもうすでに消えていたんですよ」
ねえ。とフジヤさんは、横に座っている彼女に同意を求めました。
しかしオバちゃんは、フジヤさんに強く見つめられると、ばつが悪そうに、
「えへへ。ごめんね、フジヤ。実は私なんだ」
「はあ? いったい、どうやったってのさ?」
「いいわ。種を明かしてあげる――」
オバちゃんの口もとが、くいっとあがります。
わたしは、どきどきしながら聞きました。
「一昨日のこと。話したと思うけど、ハチの巣に誕生日用のケーキを買いに行ったの。でもどうしてだか店が閉まっていて、私、妙ぅに悔しくなったの。それで目の前の喫茶店に入ったわ。ミキさん、つまりキハラミキさんに愚痴を撒き散らすつもりでね」
「そこで聞いたのね。ケーキの用意の仕方を」
「うん。ミキさんからね、一つだけいい手があるわよ、って案を出してくれたの」
「い、いったい、どんな?」フジヤさんは落ち着きがありませんでした。
「彼女ね、こう言ったわ――」
オバちゃんは少しだけ声を掠めて、囁くように言いました。
「……さっき、嬉しそうにケーキの箱を持ったフジヤくんを見かけたわ。ねえ、彼が買ったケーキをこっそり盗ってみたらどう。びっくりするんじゃないかな。で、彼に謎をいっぱい与えて、翌日の誕生日会で渡すの――」
まあそんな感じ、と最後は声の調子を戻しました。
それから、わたしをどうやって盗んだのか、その手口を明らかにしていきました。
「提案を聞いた私は喫茶店を出て、フジヤん家に向かったわ。着いたら、親機の方に電話をかけた。あんたの両親が仕事でいないってことも知っていたから、フジヤが受話器を取るだろうって確信があった。話しながら、買ったケーキのことについて聞き出す。そしてタイミングを見計らって行動開始。鍵をつかって、台所の勝手口から……」
「待って待って。台所の勝手口からって簡単に言ってるけど、鍵のありかをどうして知っているの?」
「何度あの家に足を踏み入れたと思っているの? 鍵の隠し場所はもちろん、フジヤ家で分からないことなんて、何一つありゃしないわ。信じられないなら、今ここでフジヤの机の中身を暴露してやってもいいけど?」
「や、止めて」
他人には知られたくないものが入っているのでしょうか? フジヤさんは両手を大きく振りながら、懇願しました。
「ふん。とにかく私は難なく家の中へ入れた。でもさすがに、ここからは慎重になったわね。顎と肩で、ケータイを挟んだ状態のまま、シャルロットを箱に戻して、それをミキさんからもらった袋に入れたの」
「つ、つまりオバちゃんは、僕と通話状態のまま家に入って、シャルロットを持ち去った、てことなの? そんなバカな。僕が立っていた場所は、台所からそう離れていないんだよ。いくらなんでも足音で気がつくよ」
フジヤさんは半ば呆れ顔で言いました。
「気づいてなかったじゃん」にやりと、オバちゃんが笑います。
「坊や、覚えてません? その時が、どういう状況でしたか」
「状況?」フジヤさんは首を傾げ、考えました。「あ。ヘリが通っていた。まさか、ヘリコプターのプロペラ音で足音を消した。なの?」
彼の答えに、お姉さまとオバちゃんは同時に頷きました。
「そ。ヘリは決まった日、決まった時間帯に上空を通過するからね」
「嘘だろ」苦虫を噛みつぶしたような顔でした。
「効果は、抜群だったぞ」オバちゃんは、得意げに胸を張りました。
「あたくしは、すぐに気づきましたけどね」
ほほほ、とお姉さまは笑います。
「……じゃあそれで納得しますよ。けど、どうしてそれがカゲノさんの手もとにあるんです?」
フジヤさんは、新たに質問しました。答えたのは、お姉さまです。
「あたくしが、娘っ子にお願いしましたの。シャルロットをください、とね。ほほほ。彼女、すぐにいい返事をしてくれて助かりましたわ」
オバちゃんは肩を竦めて、
「せっかく苦労して手に入れたんだけどねぇ。でも代わりに、これ、バースデイケーキの作り方を教えてもらうよう頼んだのよ」
「ほほほ。いい経験になったでしょう?」
「ええ。シャルロットを渡したおかげで、かつてないくらい大変な目に遭ったわ――」
彼女の口から、大きな溜め息が吐き出されました。
「理由は知んないけどあの二人、ミキさんとマコ店長もこのシャルロットを手に入れようとしていたからね」
「やはり、あの晩に、襲われたのね」
「うん。カゲノさんが出て行ったあと、まるで見計らったかのように二人が来たわ。シャルロットを渡せって強く迫られて、もう手もとにないって言ってんのに、あの二人、全然信じてくれなくて。しまいにはあがり込まれて、スタンガンで、ばちん。……でもね、ただでやられるのも癪だったから……」
「やられるまえに、ケーキのデコレーションを変えたのね」
「そ。カゲノさんも、あれを見たから事件解決に辿りついたんでしょ?」
オバちゃんは、今回は手柄は自分にある、と鼻を高くして笑いました。
「いいえ」お姉さまが、首を横に振ります。「生憎ですが、安っぽい謎解きは苦手ですの。あたくしは自力で謎を解きましたわ」
「がっくし……」オバちゃんは項垂れました。
すると、フジヤさんが、
「僕にはちゃんと分かったよ――」
半ば慰めるように口を開きました。
「HATI D、これはあの喫茶店、ドローンを言っているんだろ? Dはドローン、HATIは、メインに使っているハチミツだ。そしてHRP……これはヘルプ。綴りは違うけどね」
オバちゃんはゆっくりと顔をあげます。その様子をフジヤさんは、にっこりとして見つめていました。
「ふん。フジヤのくせに、何自分が賢くなった気でいるのさ?」
「……」フジヤさんが溜め息を吐きました。「ところで、そのあとはどこにいたの?」
「風呂桶ん中。両手足を縛られた状態でね」
「そ、そんな所にいたんだ」
「最悪だったわ。暑いし、喉渇くし、お腹空くしで……。何よりバッドだったのは、ケータイに触れなかったことよ。もう指がうずうずしてて、いらいらしたわ。フジヤ、あんたに分かる? 私の気持ち!」
「う、うん。大変だったね」
「それだけぇ? 何か、もっと優しい言葉とかあるでしょうが」
フジヤさんは言葉を詰まらせて、困った様子でした。
「えっと、あー……。ああ、そういえば一つ、気になっていたことがあるのですけど」
逃げてるようですが、別の話題を、フジヤさんは見つけたみたいです。その顔の向いた方向は、お姉さまです。
「ん、何かしら?」
「昨晩、カゲノさんは、犯人がオバちゃんの家に来ると確信を持って、ずっと待っていたみたいでしたけど、何か根拠でもあったのですか?」
すごく気になっている、といった顔でした。よほど難しいことなのでしょう。
しかしお姉さまは、「もちろんですわ」すんなりと頷きました。
「いったい、いつから?」
「犯人の特定と、娘っ子の居場所に気づいた、そのあとにですわ――」
お姉さまは静かに目を閉じ、思い出すように口を動かしました。
「喫茶店でシュークリームを口にした瞬間、調理担当の彼女が、キハラの娘であると察しましたわ。これが、犯人の特定ね」
区切るように、少しだけ間が空きました。
「次に、娘っ子がオバ家にいると思った理由――」
「あ。それも気になります」
「坊やは憶えているかしら? 昨日のお昼、喫茶店の横に自転車が一台停まっていたことを。なのに店内に、お客はいませんでした。となれば、自転車の持ち主は、店番をしていた彼女だと考えられますわ。同時に、自動車の運転が無理だということも、ね」
「車に乗れないと、どうして断言できるのです?」
「キハラの娘に車の運転ができたなら、オヤジは殴り倒されたあと、ハチの巣に放置されていなかったでしょうね。オヤジを転けたように見せかけたのは、持ち運びができなかったから」
「そっか」
フジヤさんは大きく首を縦に振って納得したみたいです。
わたしには、ちんぷんかんぷん、ですが。
「そう推理しますと、娘っ子も、案外どこにも移動されることなく、まだ家にいるんじゃないかって、思えてきましたの。時間もあることですし、もう一度調べてみるべきだと決めたのですわ。ほほほ。おかげで見事、探し出すことができましたわ」
「時すでに遅しで、私、縄を自分で解いちゃってたんだけどね」
「それからですわ。自由の身となった娘っ子から、喫茶店の二人が、シャルロットのありかを知りたがって、また今晩も現れるだろうと聞いたのは」
「なるほど」
「娘っ子には、安全のため、家から離れるようにと言ったのですけど」
「だって知りたかったんだもん。ミキさんたちが、どうしてシャルロットをあんなに欲しがって、酷いことをしたのか」
彼女は唇を尖らせました。
すると、お姉さまは、優しい口調で、
「教えてあげましょうか。ミキマコトが、シャルロットを欲しがっていた理由」
フジヤさんとオバちゃんが同時に、「えっ?」声を漏らして、お姉さまを見つめました。
「答は、これですわ」ポケットから何かを取り出しました。
掌の中から姿を見せたのは、人間の肌と同じ色をしていました。
「ひっ」覗き込んだフジヤさんが恐ろしそうに、仰け反りました。
「義指?」オバちゃんは冷静です。「まさか、マコ店長の……」
「シャルロットと一緒に、箱に入っていましたわ」
お姉さまの言葉を耳にした途端、二人の少年少女は、目を大きく見開きました。
「ええ? こんなの入ってた?」オバちゃんは、驚きの声をあげ、
「全然、気づかなかった」フジヤさんは、信じられないと言いたげです。
「シャルロットも、この指も、似たような色合いですからね。それに、まさか義指が入っているなんて、誰も思わないでしょ。だから視界に映っても、頭には入らなかったのだと思われますわ」
「でも、どうして、こんなものが箱の中に入ってるのかしら?」
オバちゃんは眉間に皺を寄せていました。
「多分、オヤジを襲った際に取れやすくなってしまったんじゃないかしら。そしてシャルロットを箱に移している間に抜けてしまった。こんな感じかしら」
「なるほど。シャルロットじゃなくて、これを取り返そうとしていたんだな」
フジヤさんは大きく頷きました。
「それで」オバちゃんが口を開きます。「カゲノさんの欲しがっていた理由は?」
お姉さまに疑問をぶつけました。
「これは、話すべきですかしら」少し迷っているようでした。「まあもう時効を過ぎていますし、いいですか」
時効とはどういった意味なのでしょうか? そうやって、わたしがあれこれ思考を働かせていますと、
「目的は一つ。シャルロットをコレクションとして手に入れたかったから」
『コレクション……ですか?』
わたしは、その目的にあまりいい印象を持つことができませんでした。
「あたくしは昔から、珍しいお菓子や、美しく彩られたケーキが、どんな宝石よりも輝いて可愛らしいものだと感じていましたの。少しでも気持ちが向けば、どうしても自分のものにしたくなりますの」
「ふぅん、コレクションね……ああ!」
オバちゃんは、はっと何かに気づいたように、声を上擦らせました。
大きな声に驚いたフジヤさんが、何ごとかと、隣にいる彼女に目を向けました。
「まさか、ええ……? 嘘――」
オバちゃんは手を唇にあてて、か細く呟きました。
「ケーキコレクター、なの?」
「正解。……当時は、洋菓子店を片っ端から狙っていましたのよ」
すると二人は唖然としてしまいました。口をぱくぱくさせています。
「ほほほ。いいリアクションですわ」
「じゃあ、周りのケーキ全部が……」
「坊やの想像のとおりですわ」
「なるほど。だから必要以上に警察を避けていたんだ」
お姉さまは苦笑いを浮かべ、「あら、察しがよろしいですわね」
「ま、待って――」
オバちゃんが、二人の間に割り入りました。何か気になることでもあるのでしょうか。
フジヤとお姉さまが、彼女に視線を向けました。
「ケーキコレクターは、活動を停止して、今年で二十五年目よ」
「にしては色も形も綺麗だよね」フジヤさんが不思議そうに言いました。
「色と形が綺麗なのは、カゲノさんもよ。……いったい何歳なの?」
「去年で百歳を超えましたわ」
「えええぇぇ!」二人は目を剥きました。「嘘ぉ?」
「はい、嘘ですわ」
フジヤさんとオバちゃんの肩が、がくっとさがりました。
「ちょっとぉ、この状況で、小さな嘘つかないでよ。信じちゃうじゃない」
オバちゃんが片頬をひくひくさせながら、言いました。
「ほほほ。ごめんなさい。でも、年齢については秘密にしておきますわ。その方が、魅力的でしょ? それにしても、もう二十五年が経ちましたのね」
お姉さまは懐かしそうに、視線を一周させました。スイーツ一つ一つに言葉をかけているように。
「全て、あたくしと、キハラのオヤジとで集めたものですわ。盗んでは、コレクションとして保管をしてきましたの」
「こう言っちゃなんだけど、どうして盗むのを止めたの?」オバちゃんが、ふっと訊ねました。
「八月の二十二日。いつものようにケーキを盗んだあとのことですわ。ケーキを回収したオヤジは車で、そしてあたくしは徒歩で、別々にアジトへ向かいましたわ――」
お姉さまの表情が、少し陰りを帯びました。
「その帰り道にね、オヤジから電話がありましたの。どうしたのかと思ったら、彼、事故を起こしたらしいの。不幸中の幸い、死人は出ずにすんだのだけれど、それ以来、彼の口から、ケーキコレクターが出てくることはなくなりましたわ」
「事故って、まさかその被害者……」今度はフジヤさんが、怖々と口を開きます。
「そう。子供の頃の、ミキマコトですわ」
「ハチの巣で売られている、八月二十二日限定の商品がシャルロットなのは、その事故が関係しているから?」
「その日、盗んだケーキがシャルロットでしたの。あいつがシャルロットを作り続けるのはきっと、自分が起こした事故を忘れないようにするためでしょうね」
劇に幕がおりるように、お姉さまの唇は静かになりました。
話を聞いていたフジヤさんは、心が沈んだような目をして、わたしを見つめていました。
気持ちは分かります。そんな悲しい理由で、自分が誕生したなんて。
「何、落ち込んだ顔してんのよ。あんたの誕生日会なんだから、明るくしなさいよ」
朗らかな笑みを絶やさずに、ばしばしと背中を叩きます。
「ほほほ。娘っ子の言うとおりよ」
「でもさ、カゲノさん。これ、食べられるの?」
わたしを指差すオバちゃんの言葉に、疑問を抱きました。わたしが食べられたら、変なのでしょうか?
「オバちゃん、どういうこと?」
「いい? この部屋のケーキたちは長年保管されてきたんだよ。当然、一般的な冷蔵庫とは作り方が違うはず――」
彼女の言おうとしていることが、少しずつ理解できてきました。
「そんな特殊な冷蔵庫に入れられていたシャルロットを、私は、口に入れても大丈夫なのかなって思ったの」
つまり、わたしが、すでに食用でなくなっている、かもしれない。
これに気づくと、お姉さまの返答が気になってまいりました。だって彼女の言葉一つで、わたしのこれからが決まってしまいますもの。
「ほほほ。娘っ子の考えたとおりですわ。コレクション用のは、保存するために、管の内部で特殊な気体を流しています。さすがに、変色奇形を防げましても、食用ではなくなります」
『そ、そんな』愕然としました。
何てあっけないのでしょう。
「へえ。そんなのが世の中に出回っていたのですね」
フジヤさん、感心しているようですが、良く考えてみてくださいよぉ。大そうな発明かもしれませんが、わたしを食べることができないのですよ。
「ほほほ。少し違いますわ。装置は、このカゲノが独自で開発したものですわ。つまり世に出回ってはいないのよ」
「その管が凄いのは分かったけど――」
オバちゃんは頬杖をついた状態で、わたしに目線を向けます。
そしてつまらなそうに、
「食べられないんなら、どうしてこの三品をテーブルに出してきたの? まさか目で味わって茶を啜れとでも言うつもり?」
この方は、少しだけがさつですけど、わたしを食べたがってくれているのですね。うれしいです。
トゲを刺すような口調に対して、お姉さまは相変わらず、「ほほほ」上品な笑いで返しました。
「こちらはみな大丈夫ですわよ。入れていた管は食用専用でして、一般的な冷蔵庫と大差ないものですわ」
『え?』
聞き間違いでしょうか。食べられる、と言われた気がしたのですが、幻聴かしら。
「よかった」オバちゃんが、口もとを綻ばせて呟きました。
フジヤさんも、彼女と同じ表情で、わたしを見つめています。
これは、この様子はつまり、彼らはわたしを食べてくれる。そういう結果を期待してもいいということですか?
「でも本当は、コレクションにするつもりだったんですよね――」
無言で頷いたお姉さまは、見るからに残念そうでした。
「どうして食べようと、考えを改めたのですか?」
「理由があるとするなら、この二日間ですわね。今回の一件で、あなたたちと関わって、中々愉しい思いをさせていただきましたわ。それで、たまにはケーキを食しましょう、と決めましたの」
わたしは感激しました。いったい何が起きていたのか、詳しいことは分かりませんけど、喜ばしいことです。
「特に、昨晩の緊張感は本当に久し振りでしたわ」
「僕は、散々な目に遭いましたよ」
渋面を作って、フジヤさんは零しました。
「フジヤは、ケーキ盗られたり、不法侵入されたり、ボコボコにされたりして大変だったねぇ。がはは」
「笑いごとじゃないだろ」口を尖らせて、「自分だって襲われたうえに、縛られていたじゃないか」
「ふふん。わたしはむしろ危機的状況から脱した、ヒーロー的立場よ」
二人は軽く言い争いました。そんな彼らの様子をお姉さまは、口もとを微笑ませて眺めています。
ふとオバちゃんが、あっ、と声を漏らしました。
「そういやさ、ミキさんってどうなったの? 昨晩のことは、マコ店長がかばってくれたおかげで、パトカーに乗らずにすんだけど」
「ハチの巣の店長が、目を覚ましたら、やっぱり逮捕されるのかな?」
二人は少しだけ首を折って、目線をさげました。
「オヤジならもう目を覚ましていますわよ。坊やたちが来る少しまえに、話をしましたわ」
「そうなんですか?」と、フジヤさん。
「それで」と、オバちゃん。神妙な顔つきでした。「何て言っていたの?」
「オヤジは、病院でどうして倒れていたのかと訊ねられたら、事故だと主張したそうですわ」
「そう。何かほっとした」
「あいつは、娘が自分の過ちに気づいて、しかもそれを十分に反省していることを知ったのでしょう。その証拠にね、オヤジのやつ、自分が病院にいる数日の間は、店を彼女に任したそうですわよ」
「数日だけかもしれないけど、ミキさんにとっては、父親に認めてもらえるチャンスってことね」
「そういうことですわ。キハラの娘が今後、どうなるか愉しみですわね。いいお菓子を作ってくれると嬉しいのですが……」
「カゲノさん、また盗みを始めるつもりなの?」
しばし沈黙。
そしてお姉さまは、こほんと咳払いをしました。
「では。少し遅くなりましたけど、いただきましょうか」
お姉さまは立ちあがり、ナイフを両手に持ちました。こちらへ刃を向けます。
いよいよなんですね。わたしはうれしさで今にも爆発しそうです。
フジヤさんたちも、もう待ちきれません、と瞳を輝かせて、お姉さまを見つめています。
ナイフの刹那の煌めきが、わたしを照らしました。
あ、忘れていました。
ずっと、フジヤさんに言わなくちゃって思っていたんでした。
『フジヤさん。誕生日、おめでとうございます!』