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私を捨てた方は、三人目も捨てたそうです

作者: 七星鈴花

 辺境の男爵領に身を寄せてから、二年が経った。

 朝は鳥の声で目覚め、庭の花の世話をする。昼は書斎で本を読み、夕方には領地の子どもたちに読み書きを教える。穏やかで、静かで、誰も私から何かを奪おうとしない日々。


「エレノア様、お手紙が届いております」


 使用人がノックとともに書斎に入ってきた。差出人を見ると、王都に住むかつての友人からだった。


「ありがとう」


 封を開けると、懐かしい筆跡が目に入った。


『お元気ですか。王都は相変わらず騒がしいです。さて、エレノア様も気になるかと思い、お伝えします』


 私は窓辺の椅子に腰掛け、読み進めた。


『レオンハルト様が大変なことになっています』


 その名前を見ても、心は凪いだままだった。二年前なら胸が痛んだかもしれない。今はもう、遠い国の出来事のように感じる。


『三人目の婚約者様を、また捨てようとなさったそうです。ですが今度の相手はフェルディナント公爵家のご令嬢でした』


 思わず眉が上がった。

 フェルディナント公爵家。王家に次ぐ権力を持ち、王家にも強い影響力がある大貴族だ。カーライル侯爵家など比べものにならない。


『公爵様は激怒なさり、王宮にまで話を持ち込まれたそうです。カーライル侯爵家は弁明に追われましたが、公爵様のお怒りは収まらず、レオンハルト様の過去も全て調べ上げられました。一人目のお相手とは婚約解消、二人目のお相手は婚約破棄。たった数年で三人もの婚約者を代えようとした不誠実な男として、今や王都中で噂になっています。社交界では誰も彼に近づこうとしませんし、どこの家も縁談には応じないでしょう。カーライル侯爵家の信用も地に落ちたとか』


 手紙はまだ続いていた。


『以前、レオンハルト様の二人目の婚約者だった令嬢のことは覚えていらっしゃいますか? 彼に婚約破棄されたあの方も、今は縁談がなく、ご実家で静かにお暮らしだとか。お気の毒なことです』


 私は、その一文で手を止めた。


 二人目の婚約者。婚約破棄された令嬢。手紙の差出人は、彼女の名前を書かなかった。書く必要がないと思ったのか、あるいは私に気を遣ったのか。

 私は、知っている。その令嬢が誰なのか。

 かつて私から多くのものを欲しがった知人。そして私がものを譲った相手。

 その知人には非があった。人の婚約者を奪ったのだから。だから婚約破棄され、悪評が残り、縁談も途絶えた。当然の報いだった。

 私のときは婚約解消だった。双方の合意による穏やかな終わり方。だから私にはさほど悪評がつかなかった。

 因果応報という言葉が頭をよぎった。

 彼女には、もう因果応報が訪れていた。私から婚約者を奪った報いとして。


 レオンハルト様への因果応報は、彼女より遅かった。二年もかかった。

 彼は、ずる賢い人だった。一人目の私のときは婚約解消という形を取り、二人目の彼女は婚約破棄した。自分の傷を最小限にしながら、相手に責任を押し付ける方法を知っていた。

 けれど三度目は失敗した。

 相手が悪かったというのは正しい。フェルディナント公爵家を敵に回せば、さすがのレオンハルト様も逃げられない。

 でも私は思う。

 一度や二度なら運が良かっただけ。何度も同じことをすれば、いつか失敗する。

 私は、それを知っていた。


 あの日、レオンハルト様が私に婚約解消を申し出たとき、私には選択肢があった。

 泣いて縋ることもできた。両親に訴えて、解消を避けることもできたかもしれない。

 けれど私は、静かに受け入れた。

 なぜか。

 レオンハルト様の目を見て、分かったからだ。この方は、同じことを繰り返す。私との婚約を解消したように、次の人も捨てる。そしていつか、逃げられない相手に手を出して破滅する。

 だから私は待つことにした。

 それが二年後の今日だとは思わなかったけれど。


 手紙を畳み、窓の外を見た。

 庭では子どもたちが走り回っている。私が植えた花が風に揺れている。何も変わらない、穏やかな景色。


「エレノア様、もう一通ございます」


 使用人が戻ってきた。手には別の封筒がある。


「誰から?」

「差出人のお名前がございません。ただ、王都からのようです」


 差出人不明の手紙。嫌な予感がした。

 封を開けると、見覚えのある筆跡が飛び込んできた。


『エレノア様』


 私の名前の前に書かれていた最初の三文字が塗りつぶされていた。けれど私には分かる。彼女が何と書こうとしたのか。

 あの知人からの手紙だった。


『お元気でいらっしゃいますか。突然のお手紙をお許しください』


 私は、読み進めた。


『レオンハルト様のことは、もうお聞きになりましたでしょうか。私は、今とても苦しい状況にいます』


 予想通りの内容だった。


『どこにも行き場がありません。縁談もなく、実家での肩身も狭く、毎日が辛いのです。エレノア様のおられる土地は静かで良いところだと聞きました。もしよろしければ、私も……』


 私は、手紙を閉じた。

 最後まで読まなくても、何が書いてあるか分かる。

 助けてほしい。自分を受け入れてほしい。あなたの居場所を、私にも分けてほしい。昔と同じだ。

 私が持っているものを、彼女は欲しがる。私が手に入れたものを、彼女は奪おうとする。

 幼い頃からそうだった。私が気に入ったものがあれば、彼女も欲しがった。私が大切にしているものがあれば、彼女は必ず手を伸ばした。私は、いつも譲ってきた。譲らなければ面倒なことになると分かっていたから。

 かつての私なら、この手紙に心を痛めただろう。助けなければと思っただろう。

 でも今は違う。

 私は手紙を引き出しにしまった。返事を書くつもりはなかった。

 あの知人は、私から多くのものを奪った。私は、それを「譲った」と言い続けてきたけれど、彼女にとっては奪ったのだ。

 そして最後に、婚約者を奪った。


 けれど今になって思う。

 私は本当に「譲った」のだろうか。それとも、「押し付けた」のだろうか。

 レオンハルト様が誠実な方であれば、私は彼女を恨んだかもしれない。私の幸せを奪った人として。

 でも私は知っていた。レオンハルト様は誠実ではない。飽きやすく、移り気で、自分の都合で人を切り捨てる方だと。

 それを知っていて、私はあの知人に譲った。

 彼女は手に入れた瞬間に満足する人だった。欲しいものを得ることだけが喜びで、得た後のことは考えない。

 そんな人に、飽きっぽい男を渡したらどうなるか。

 私は、分かっていたかもしれない。

 あのとき、私が泣いて縋れば、婚約解消は避けられたかもしれない。そうすれば彼女はレオンハルト様を手に入れられなかった。破滅することもなかった。

 けれど私は、譲った。

 彼女が欲しがったから。彼女がいつもそうするように、私のものを欲しがったから。

 だから私は差し出した。その結果がどうなるか、分かっていながら。


 窓の外で、子どもたちが私を呼んでいる。


「エレノア様、一緒に遊ぼう!」


 私は立ち上がった。


 考えても仕方のないことだ。過去は変えられない。私はただ、差し出されたものを受け取り、欲しがる人に譲ってきただけ。

 それだけのこと。


 庭に出ると、子どもたちが駆け寄ってきた。


「今日は何して遊ぶ?」

「お花の水やり!」

「じゃあ、一緒にやりましょうか」


 子どもたちと花壇に向かいながら、私はふと空を見上げた。

 青く澄んだ空。白い雲。穏やかな風。

 レオンハルト様に因果応報が訪れた。二年かかったけれど、ようやく。


 では、私には?

 ふと、そんな考えが浮かんだ。

 因果応報は遅れてやってきた。彼にも、彼女にも。

 そして私には、この穏やかな暮らしがある。

 これが私の因果応報なのか。それとも、私の因果応報はまだ訪れていないのか。

 分からない。分からないけれど、時折思うことがある。

 私は本当に被害者だったのだろうか。奪われ続けた哀れな人間だったのだろうか。

 それとも、私は最初から知っていたのだろうか。譲り続けることで、いつか相手が破滅すると。奪う者は、いつか奪われる側になると。

 私はそれを待っていたのではないか。この穏やかな場所で、静かに、じっと。

 けれど今は、この穏やかな日々を生きるだけだ。


 子どもたちがじょうろを持って走り回っている。花が水を浴びてきらきら光っている。

 私は微笑んで、子どもたちの後を追った。


 明日もきっと、同じような一日が来る。

 それでいい。それがいい。

 私はもう、誰にも何も譲らない。誰からも、何も奪わない。

 この場所で、静かに生きていく。

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― 新着の感想 ―
欲しがり知人は、消した三文字で何と書いていたのでしょうか。 おそらく、今まで当たり前のように使っていて、けれど書いた後で考え直して消した言葉。 そもそも日本語じゃないでしょうけど、とりあえず「親愛な」…
まあ事前審査を怠った公爵家もウカツよね(クズ婚約者の性格)
自分が被害者ではないと考えるのはなかなか自己肯定感が上がっているのか、随分と傷が癒えている様子。 後から思えば、あの時私は、俯瞰の理由付けで悪い所を探すのは治療中だから。治療の過程でおかしなことを考え…
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