落語声劇「火焔太鼓」
落語声劇「火焔太鼓」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約30分
必要演者数:3名
(0:0:3)
(3:0:0)
(2:1:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
甚兵衛:道具屋さんの店主。
この世のついでに生きているような人。
商いも下手で事あるごとに女房に怒られている。
女房:甚兵衛さんの女房。
超強気な気性で、甚兵衛さんはだいぶ尻に敷かれてる感がある。
そういやあ名前がないや。
侍:さるお大名家の家来。
殿様に命じられ、甚兵衛さんに屋敷へ太鼓を持って来させ、
お値段を付けてお買い上げ。
名前はないが忙しい役回りの人。
定吉:甚兵衛さんの親類。
甚兵衛さんにサゲられた持ち上げられたり、年齢まで適当に
言われたりと損な役回り。
●配役例
甚兵衛:
女房:
侍・定吉:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:昔は、いち職種がひとつ所でまとまって商いをしていたもんだそうで
す。
現代のようにデパートだのスーパーなんという、色んな品物や職種を
一手に引き受けて商っているというのではなく、職種ごとに色々と
細かく分かれて、花屋さんなら花屋さん、服屋さんなら服屋さんと
商売をしている。
そうやって職種ごとに固まって商いをしていると、それにちなんだ
町名、たとえば細工町とか鍛治町なんかが残ってたりするんですな。
数ある商売の中に道具屋さんという商売がございまして、
これも浅草の方なんか行くってえと、ずらーっと店を並べて商いを
してたりするわけです。
一口に道具屋と申しましてもピンからキリまでございます。
一見、ちゃんと店を張って立派に道具屋をやってる家があるかと
思いますと、天道干しと申しまして、道端にゴザをひいてその上
に色んな物を並べて売ってたりするのもいました。
しかしそういう店というのは、あまりいい物は置いてなかったそうで
すな。
面白そうな本だと手に取ってみれば、表紙が無くて拍子抜けだったり
、行灯があるなと見れば、火皿がないから昼に眺めるくらいしか役に
立たない昼行燈だったり…まあこれはちょっと意味が違いますけど、
とにかくロクな物はなかったって事ですな。
だからといってきちんと一軒の店を張ってるような家もピンキリでし
て、いつも賑やかにわあわあわあわあ活気のある店があるかと思うと
、うちは別に売っても売らなくてもいいんだってんで、店主が奥で
ぼーっっとしてたりする店もある。
商品の手入れをしようなんという了見も無かったりする。
世の中ついでに生きているというような、何かうまい事があったら
ひと儲けしようなんというくらいのことしか考えてない。
その代わりと言っては何ですが、そういう家では女房の方が亭主より
何十倍もしっかりちゃっかり強いなんという道具屋がずいぶんあった
ようでございまして。
女房:ちょいとちょいと、ちょいと!
どうしてお前さんはそう商いが下手なんだい?
甚兵衛:何がだい。
女房:何がじゃないよ!
何だって今、あのお客を逃がしたんだい!
甚兵衛:そんなこと言ったって、逃げて行っちまう者はしょうがねえだろ
。向こうでいらねえっていうような客をふん捕まえて無理に売る
ってほど強い商売じゃねえんだよ。
女房:なに言ってんだい!
お前さんが逃がしちゃったんだよ!?
今あのお客はね、店の箪笥を見て惚れ込んで入って来たんだよ!
ニコニコニコニコ笑いながら、いきなり箪笥のとこ行ったじゃない
か!
「親父さん、こいつァいい箪笥だね!」って言った時にお前さん、
なんて言った?
甚兵衛:えぇいい箪笥ですよ。うちの店に十六年あるんですから。
女房:なんてさ、そんな事は自慢になりゃしないよ!
十六年売れてないのを教えてるようなもんじゃないか!
しかも、「ちょいと引き出し開けて見てくれないか」って客が
言ったら、
甚兵衛:これがすぐにスーッと開くくらいなら、
もうとうに売れちまってるんです。
女房:なんて言ってさ、
「じゃあ開かないのかい?」って聞かれたら、
甚兵衛:開かないことはありませんけど、こないだ無理に開けて
腕を挫いた人がいます。
女房:そんなことばっかり言ってたらさ、買う人なんかあるわけないじゃ
ないか!
「こんな危ないもの買ったってしょうがないな」って言われた時、
お前さんなんて言った?
甚兵衛:そんなことありませんよ。腕を揉む人を一緒にお抱えなさい。
女房:ってさ…もうどうしてそういうバカなこと言うんだい!?
あんまりバカバカしいこと言われたもんだから、お客のほうが
びっくりしちゃって、お前さんの顔をじーっと見たまま動けなくな
っちゃったじゃないか。
そしたらお前さんはお前さんで口をぽかっと開けてお客の顔を
じーっと見てたろ。
しばらくの間二人で睨みあっててさ。
そのうちにお客の方がハッと我にかえってスッと出てっちゃったん
だよ。
もう本当にしょうがないね!
売れるものは売らないくせに、売らなくてもいいような物は売っち
ゃうんだからさ!
何やったってそうだよ!
去年、お向かいの米屋の旦那が遊びに来てさ、うちの火鉢見て、
「甚兵衛さん、あれはいい火鉢だね。」
って言ったらさ、
甚兵衛:あぁ、よかったら売りましょう。
女房:って売っちゃったろ。
昔の尼子なんとかってお大名じゃないんだよ!
うちに火鉢が無くなっちゃったじゃないか!
寒くなってきたら米屋のとこに当たりに行ったりなんかして。
旦那さん言ってたよ?
「甚兵衛さん付きで火鉢買っちゃった気がするよ」
って!
本当にしょうがないね!損ばかりしてんだからお前さんは!
甚兵衛:いいよ、うるさいよ。
女房:うるさかないよ!
もう、長年一緒にいるけれども、お前さんが商いが下手なのには
あきれかえってんだよ!
たまには市へ行って儲かるものを仕入れてきて、
儲けてあたしに何か食べさせてくれたっていいじゃないか!
もう近頃あたしは何か食べようかなと思っても、お前さんがまた
損しちゃいけないと思ってグッと我慢するから、胃が丈夫になっ
ちゃったよ本当に!冗談じゃないよ!
たまには胃が悪くなる程なんか食わしてくれたらどうなんだい!?
甚兵衛:なに言ってんだィ、ぐずぐずぐずぐず言うんじゃないよ。
女房:ところで今日は市だったんだろ?どうだったんだい?
甚兵衛:市か。
市はおめえ、人が出てた。
女房:当たり前だよそんな事!
人の出てない市なんざありゃしないよ!
何か珍しいもんが出てたのかい?
甚兵衛:珍しいもんが出るからな、買おうかなと思うと他の奴がみんな
買ってっちまうんだ。
女房:お前さんだって買いやいいじゃないか。
甚兵衛:買おうと思って何か言おうと思ったら、
舌がつって喋れなくなっちゃうんだ。
女房:じゃ買わなかったのかい?
甚兵衛:いやだからな、今日はもう仕入れるの止そうと思って帰りかけた
んだ。
そしたら、「甚兵衛さん!これ誰からも手が出ねえんだ。
一つ、男気出してくれ」って言われてね、俺ァそれ買って帰って
きた。
女房:…押し付けられてきたってのかい?
あのね、昔から押し付け物にろくなもんはないんだよ!
なに買って来たのさ?
甚兵衛:太鼓。
女房:あ?なんだって?
甚兵衛:太鼓だよ。
女房:太鼓!?
だからお前さんは人間がおかしい、あんにゃもんにゃだって、
そう言うんだよ!
太鼓なんてものはね、キワ物なんだよ。
頭のいい人が初午詣とかお祭り前に、パッと仕入れてパッと売る
、そうやって儲けるんだよ?
お前さんみたいに世の中ついでに生きてるような人が、
そんな場違いな太鼓買ってきてどうしようってんだい!
で、あれがそうなのかい?ずいぶん大きい太鼓だね。
風呂敷ほどいて、こっち出して見せてごらんよ。
お見せ。
お見せっての。
見せなさいよ。
…あたしが静かに言ってるうちに見せた方がいいよ。
甚兵衛:ったく嫌な女だね…分かったよ…。
ほら。
女房:これかい…!?
たいそう汚い太鼓だね…何これ?
甚兵衛:何これったって、太鼓だよ。
女房:太鼓は分かってるけどさ…汚いね。
甚兵衛:いや、お前にそんないちいち汚ねえ汚ねえって言うけどな、
これァ古いよ?時代が付いてるって奴だ。
事によったらと思ってな。
女房:古いから事によったらってお前さん、今までにずいぶん古い物じゃ
損してるだろ。
こないだだってそうだよ。
平清盛の尿瓶なんての買ってきやがってさ。
甚兵衛:そりゃあ俺が古いもので損したのは、大したことねえよ。
平清盛の尿瓶だろ、
岩見重太郎の草鞋だろ。
あとは巴御前の鉢巻きだろ。
女房:馬鹿馬鹿しいからおよしよ!
いっぺんで懲りるんだよそういう事は!
で、これいくらで買ってきたんだい?
甚兵衛:一分。
女房:え、なんだって?
甚兵衛:一分だよ!
女房:一分!?この汚い太鼓に!?
バカだねこの人は…百文にもなりゃしないよ!
お足をドブに捨ててるようなもんじゃないか!
またうちで背負いこみになるじゃないか!どうすんの!?
甚兵衛:うるさいよお前は。
ギャーギャーギャーギャー。
いいよ、俺に任しとけよ!
おい定! 定!
ぼんやりしてんじゃないよ!
おめえ、この太鼓を表へ持ってってな、埃をはたいときな。
女房:はたいちゃいけないよ!
埃なんかはたいたらその太鼓が無くなっちまうよ!
甚兵衛:余計なこと言わなくなっていいんだよ。
定、早く表持ってって埃はたいてこい。
定吉:へーいっ。
おじさんとおばさん、またやってんな。もうのべつだよ。
何か買って来るって言ってっと、二人でケンカしてんだ。
おじさん、この太鼓はずいぶん汚ねえなぁ。
【パタパタはたくSEあれば】
ぅえっ、げほっげほっ。
すげえや、向こうが埃で見えなくなっちゃったよ。
おじさーん、これだいぶ汚いね!
甚兵衛:お前まで生意気に余計なこと言うんじゃねえ!
汚ねえから掃除するんだろうが!
いいから早く埃をはたけ!
定吉:へぇい。…怒られちったよ…。
【SEか、どこか固い所を3・3・7回のリズムで叩く】
甚兵衛:なぜ叩くんだよ。
叩くんじゃねえ、はたくんだよ。
定吉:はたいてるよ。
はたくとこの太鼓鳴るんだよ。
【SEか、どこか固い所を1回叩く】
ね?
【SEか、どこか固い所を2回叩く】
ね?
【SEか、どこか固い所を1回叩く】
ね?
甚兵衛:あのな、おめえのおもちゃに買って来たんじゃねえよ!
埃をはたけってんだよ。
定吉:だから、はたいてるんだって。
はたくと鳴るんだもん。
【SEか、どこか固い所を1回叩く。ここまでで一番大きい音で】
甚兵衛:ッ~~大きな音だなその音は。
侍:あ~これこれ。
これこれ、いま太鼓を打ったのはそのほうの店であるか?
今この先を我が殿が御駕籠でご通行になった折、その太鼓の音色を
耳にいたされた。
甚兵衛:…ほぉら言わねえこっちゃねえ、ろくな事しやがらねえな…!
っむこう、向こう行ってろ…!
相すいません、あいつが叩いたんでございます。
埃をはたけって言い付けたんですが、そうしたら叩きやがったも
んで…。
親類から預かってる奴でございまして…目を見て下さい目を。
バカな目をしてるでございましょう?顔も見て下さい。
バカな顔してますでしょう?
ああいうのを馬鹿目、馬鹿顔と言いましてね、
御付けの実にするか、夏の朝に咲くのを眺めるより他に
手がないんでございます。
大きな図体はしてますが、まだ十一になったばかりでございまし
て。お耳障りでございましたら、何とぞお許しのほどを…。
侍:ああいやいや、太鼓を打った事をとやかく言いに来たのではない。
我が殿が太鼓の音色を耳になされ、どのような太鼓であるか、
ぜひ見たいと申されたのだ。
それゆえ、屋敷の方へ太鼓を持参するがよい。
ことによると、お買い上げになるやもしれんぞ。
甚兵衛:ぇっ、ぁっ、そ、そうなんでございますか…?
【つぶやくように】
上手く叩きやがったなぁ…。
【揉み手擦り手をしながら】
あいつが叩いたんでございます。
侍:うむ、先ほど親類の者とか申したな。
甚兵衛:ええよく働くんですよ。
人間が利口な性質でございましてね、
いい顔してるでございましょう?
もう十五になりましたが。
侍:【少々呆れている】
そのほう先ほど十一と申したではないか。
甚兵衛:ぁそうだ、十一の時もあったんで。
侍:何を申しておる。
よいか、すぐに太鼓を持参いたすように。
甚兵衛:へへーっ、すぐにお届けにあがりますんで!
失礼ですが、どちらのお屋敷まで…?
侍:うむ、日本橋の細川上屋敷まで持って参れ。
場所は存じておろう?
甚兵衛:え、えぇ、そりゃあもう、良く存じ上げております!
すぐにお届けにあがりますんで!
どうも、恐れ入りますどうも!
お、おいおっかぁ、おっかぁ!
太鼓、売れちまったよ!
女房:売れちまったってお前さん、何かい?
この太鼓持って行くつもりかい?
甚兵衛:だって、事によるとお買い上げだって…
女房:バカだねこの人は…。
今のお侍様の言った事を聞いてたのかい?
なんて言ったと思う?
この先を我が殿が御駕籠でご通行になった折、太鼓の音色を耳に
いたされたって、そう言ったんだよ。
お屋敷聞いたら大大名じゃないか。お大名なんてものはね、贅沢な
もんだよ。
金蒔絵の立派な太鼓かなんかと思ってるとこへさ、
お前さんがこんな煤の塊みたいな太鼓を持ってってごらん。
「なんだッかような太鼓を持参いたして、この無礼者め!
その道具屋、逃がすなッ!」とか言われて、ご家来衆がお前さんの
周りをバラバラッと取り囲むんだ。
「不埒者め、外へ出いッ!」って、庭へ放り出されちゃうよ。
松の木にぐるぐる巻きにされて、雨ざらしにされちゃうんだ。
そうすると足の方から大きな蟻だの何だの、色んな虫が這いあがっ
てきたりさ、頭の方からは蜘蛛がすーっと降りてきてさ、
鼻の穴から口の中に入って来たり、毛虫が顔のうえ這ったりさ、
しまいに蛇がお前さんの首にぐるぐるっと巻きついたりなんかする
んだからね、おもしろいね!
行っといで!
甚兵衛:俺の嫌いな生き物ばっかり並べやがってこんちきしょう。
…俺、行くのよそう。行くのやめた。
女房:でも事によると買ってくれるか分かんないから行ってごらん。
甚兵衛:なんでお前はそういう事を言うんだ。
人が商いに行こうってえと脅かしやがってよ。
風呂敷に包め、風呂敷に。
女房:…これでいいかい、お前さん。
甚兵衛:おう、そいつを俺の背にのっけて…、
よし、行ってくるからよ。
女房:【↑の語尾に喰い気味に】
お待ちよ、お待ち。
向こうへ行って、この太鼓はいくらだって聞かれたら、
一分で仕入れて参りました。
一分でお買い上げになっていただきとうございます、って
頼むんだよ、いいかい?
儲けようと思って高いこと言って、欲の皮を突っ張らかすとロクな
事にならないんだからね。
儲けようと思うのは一人前の人間のやる事、
お前さんは人間が半人前なんだから、元の一分を取り戻してあたし
に何か美味いものでも食べさせとくれ。
もうお腹が空いてお腹が空いて、このままだとへそが引っ込んで
背中に出て来ちまうよ。
もし断られたらその太鼓はうちの背負いこみになるんだからね!
それからずーっと店に残るんだ。
あたしとお前さんが死んじまった後もあの太鼓だけ居残るんだ。
居残り太鼓なんてことになったら悔しいじゃないか。
分かったね!?しっかりやってといで!行ってきな!
甚兵衛:【ぶつぶつ言いながら歩いていて、屋敷までたどり着く】
うるせぇなぁ、本当によ。
人の顔を見ちゃギャーギャーふじこってやがんな。
名前が悪いんだ。富士子ってんだからな。
あんな奴だと思わなかったよ。
人の事つかまえて半人前ってんだからな。
なに言ってやんでェ、世の中に半人前なんて人間がどこにいるっ
てんだよ。
嫌なら出てけってんだよな、女なんざ世の中に掃いて捨てる程
いるんだからよ、本当に。
ぐずぐずしてるとこっちから叩きだしてやろうかな…
こんちわァ…。
門番:なんだ、なんか変な奴が来たな?
何だそのほうは。
甚兵衛:道具屋でございます。
門番:おお、お上からお達しのあった道具屋か。
うむ、通って良いぞ。
甚兵衛:ありがとう存じます。
…立派な屋敷だね…、屋敷のわりには太鼓が汚いね…。
こらァ買わないね…追っかけられるね…追っかけられるの覚悟で
入ってこ……止しゃあよかっーー…松の木があるよそこに…
嫌だね……
お頼み申します。
お頼み申します!
侍:どぉ~れ。
おお、最前の道具屋か!
甚兵衛:はい、先ほどはありがとうございました。
侍:うむ、太鼓を持参いたしたか?
甚兵衛:はい、これにございます。
侍:そうか、ではそこへ下ろしてその風呂敷をほどいてみよ。
甚兵衛:は、はい、少々お待ちを…。
侍:おお、これであったな。
最前そのほうの店で見た時よりも、これはだいぶ年代物であるな。
時代がついておる。
甚兵衛:はい、だいぶ年代物でございます。時代がついております。
まるっと年代物、全部時代でございます。
この太鼓から時代を取ると無くなっちゃうくらいでして。
あらかじめお断り申し上げておきますが、この太鼓、これ以上
は綺麗にはなりませんで。
侍:うむ、しばらくこれに控えておるがよい。
これより我が殿のご覧にいれるゆえな。
甚兵衛:殿様に!?これを!?
ご覧にいれないで下さいませ。
ご覧にいれちゃいけません。
侍:なに、ではどうするのだ?
甚兵衛:お侍様がお買い上げください。
侍:拙者が買うてもしかたがないぞ。
甚兵衛:あの、ですね、あらかじめ申し上げておきますが、
いらないならいらないとおっしゃってください。
むやみに追っかけないで下さい。
心臓が悪いもんですから。
まいにち救心飲んでますんで、よろしくどうぞ。
侍:…なんだかよく分からぬが、まあよい、そこに控えておるがよい。
甚兵衛:ははーっ。
……行っちめえやがった。
…これァ買わないね…。
「なんだッかような太鼓を持参しおって、無礼者め!」
ってくるだろうから、
さよならァーーーーッ!ってんで、太鼓おっぽり出して逃げちゃ
おう。
命には代えらんねえからな。
こうなったらケツはしょって、逃げる支度しとこ。
ッほうら、出て来やがったよ…。
あの、ダメ…でございましたよ、ね…?
侍:いやいや、殿はたいそうお気に召されてな、あの太鼓をお買い上げに
なるそうだ。
甚兵衛:えッ、そ、そうなんですか…!?
ありがとうございます…!
侍:うむ。
ところで道具屋、そのほうはあの太鼓、いくらで当方に譲り渡す事が
できるかの?
甚兵衛:ぇ…い、いくらで、譲り渡すことがっ、
ででっ、でっ、ででっ、でっ、でっーー
侍:なんだ、赤と緑の配管工でも出てくるのか…?
ごほん、いや、いくらで譲り渡す事ができるのだ?
甚兵衛:ぇっ、えー、あの太鼓の値段につきましては、いろいろと…
へへへ……いくらぐらいでございましょうなぁ。
侍:いや拙者の方で聞いておるのだが!?
そのほう、何やらあの太鼓の値段がたいそう言いにくいようだの。
いや、拙者がこのような事を申すと、我が殿に対して不忠者であるか
のように聞こえるやもしれぬ。
道具屋、そのほうは商人だ。商人という者は儲ける時に儲けておかね
ば損をするという。
遠慮せず、手いぃぃっぱいに申してよいぞ。
甚兵衛:ははぁ、さようでございますか…!
では、手いぃぃっぱいで言わせていただきますんで、
高いと思いましたら、値切って下さいまし。
侍:うむ、して、いくらだ?
甚兵衛:手いぃぃっぱいでございますから、
こんなとこでございますな!
侍:…手一杯と申したら、手をいっぱいに広げてきたな…。
で、それはいくらなのだ?
甚兵衛:へぃっ、十万両なんでございますが。
侍:っじゅ、十万両!?
それはちと高いのではないか?
甚兵衛:ええ、高いんですよ。
あっしも高ぇなと思ったんですから。
高いと思ったら値切って下さい。
どんどんまけていきますから。
なんなら今日一日まけててもようございますから。
侍:【苦笑】そのほうも変わった男だな。
ではな、拙者の方でこのくらいという値段を申すゆえ、
それで折り合いがついたら譲り渡すというのはどうであろうな?
甚兵衛:へえ、ようございます。
侍:しからば道具屋…あの太鼓、三百金ではどうだ?
甚兵衛:三百金てのは、どのくらいの金なんでございますかな?
侍:いや、三百両の事だ。
甚兵衛:三百両というのは、どのくらいの量になりますかな?
侍:そのほうも分からん男だな。ほんとに商人か?
百両二百両、三百両ではどうだ?
甚兵衛:三百両…?それァお武家様、ひどいやな。
一分の物が【←ぼかしてごにょごにょ言う】……三百両!?!
侍:うむ、三百両だ。
甚兵衛:小判で!?
侍:小判だ。
甚兵衛:本物の小判!
侍:おぉ本物の小判だ!
甚兵衛:ぇっ…えっ…ふええぇ~~…【泣きだす】
侍:いや泣いていては分からんぞ!?
で、売れるのか?
甚兵衛:…売ります!
お持ちください!
侍:手を出す奴があるか。
【他の者を呼んで】
あ~これこれ、金子を三百金、支度いたせ。
道具屋はその間に受け取りを書いておくのだ。
甚兵衛:いえ、受け取りは要りません。
侍:いやこっちで要るからな!?
早う書け。
甚兵衛:はっはい!
【二拍】
…どうぞ。
侍:うむ。
…む、判が無いぞ。判を捺しておけ。
甚兵衛:そ、それが、判を持って来なかったもので…。
お武家様の判を捺しておいてくださいませ。
侍:いや拙者の判を捺したって意味なかろうが!
仕方のない男だ。爪印で良いぞ。
甚兵衛:あっ、そ、そうですか。
じゃ、爪印を捺させていただきますんで…。
はァ~三百両三百両、はァ~三百両三百両三百両…!
侍:いやいやいや、そのほう幾つ捺しておるのだ。
甚兵衛:そりゃあもう、三百両ともなれば幾つでも捺しますんで!
何でしたらもう今日一日、捺していてもようございます。
侍:変わった男だな…いや、一つで良い。
…なんだこの受け取りは、爪印だらけにしてしまったな。
まァこれでも良い。
それではな、五十両ずつそのほうに渡すから、間違いのないように
受け取るのだぞ。
甚兵衛:へ、へいッ…どっどっどっどうぞ!
侍:さ、まずは五十両だ。
百両だ。
甚兵衛:う、うぅっっ…うぅっっ…【嬉しさと緊張で半泣き】
侍:き、気持ち悪いな…。
そら、百五十両だぞ。
二百両だ。
甚兵衛:ッはァァ~あァ~…あァ~あァ~…!【今にも号泣しそう】
侍:だ、大丈夫かそのほう…なんなら、後ろの柱につかまれ。
甚兵衛:は、はひ…。
侍:さ、二百五十両だ。
そして最後の五十両で、三百両だ…!
甚兵衛:あァぁァ~~…!す、すいません、水を一杯下さい…!
侍:手のかかる男だな…。
【他の者を呼んで】
これ、水を持ってきてやれ。
うむ。
ほれ、飲むがよい。
甚兵衛:っあ、ありがとうございます…!
ぷは…。
侍:飲んだか?
では金子を受け取るがよい。
甚兵衛:は、はい…、あの、ひとつお断りを入れておきますが、
手前どもではいったん売った品物は二度と引き取らない事に
なっておりまして、これは死んだ祖父の遺言でございます。
侍:分かった分かった。
甚兵衛:それで、あの…お伺いしますが、何だってあんな汚い太鼓を
三百両でお買い上げになられたんでございますか?
侍:なんだ、そのほうにも分からぬか?
いや、拙者も詳しい事は分からぬが…道具屋、あれはな、
火焔太鼓と申して、この世に二つとないという品、すなわち名器・
国宝に近い代物であるというのでな、
殿がお買い上げになられたのだ。
甚兵衛:っさ、左様でございましたか。
侍:…儲かったか?
甚兵衛:はいっ、ありがとうございました…!
侍:…帰るか?
甚兵衛:っか、帰してください…!
侍:帰るのであれば、風呂敷を忘れず持っていけ。
甚兵衛:風呂敷いりません、お武家様に差し上げます。
侍:いや拙者がもらったってしょうがないぞ!?
それより、金子を落とすなよ。
甚兵衛:お、落としません。
体を落としたって金を落とさない事になってますんで…。
ありがとうございました!
【歩きながら】
ゆ、夢じゃねえだろうな…
夢になるといけねえから、酒呑むの止した方がいいか…?
あ、これはご門番さん、先ほどはどうも、ありがとうございまし
た。
門番:おぉ、最前の道具屋か。
商いはあったか?
甚兵衛:はい、ございました。
門番:いくら儲かった?
甚兵衛:あ、あはは…それはもう。
【声を落として】
大きなお世話だってんだ、んな事ァ…!
言えるわけないだろ、三百両ってそんな大それた額…!
【歩きながら】
かかぁの野郎、一分だ一分だってやんの。
男のバカと女の利口が釣り合うってな、こういう所を言うんだね
。
お腹が空いてしょうがねえって、何をいいやがんでェちき
しょうめ。
家へ帰ったら食いてえ物うんと食わしてやろう。
動けなくさしてやるから見てやがれってんだ。
いま帰って来たぞォ!
女房:…ほ~ら、あんな顔して帰ってきやがったよ。
追っかけられてきたんだろ。戸棚の中へ入っちゃいな。
匿ってやるから。
~~戸棚の中へ入っちゃいなよ!
甚兵衛:って、てやんでェ…俺ァいま、向こうの屋敷に行ったんだ。
女房:そりゃ行ったんだから、いま帰ってきたんだろ。
甚兵衛:ッそうだよ。
俺に喋らせろ俺に!
あ、あぁの太鼓なーー
女房:一分でございますって言ったんだろ?
甚兵衛:言おうと思ったら、舌がつって喋れなくなった。
女房:ハァ!?
しまいにゃその舌を抜くよ!?
で、どうしたの!?
甚兵衛:俺がもじもじしてるってえと向こうでな、
気ぃ利かして値段を付けてきたんだ。
あっあの太鼓、さ、三百両で売れたんだよ!
女房:【あまりの事に驚いて口をパクパクさせて】
ッ~、ッ~ちょ、ちょいと!
っほ、ほんとに三百両で売れたのかい!!?
そ、それでそのお金、どうしたんだい!?
甚兵衛:あ、ああ、ここにあるよ。
女房:は、早く、出してお見せよ。
早く出しな!
甚兵衛:な、なに言ってやがんでェこんちきしょう。
いいか、今から俺がここへ金を出すから、
おめぇそれ見てそこで、座りしょんべんしてバカになるなよ!
よく見てろ、いいか!?
さ、五十両だ!
女房:あらまァお前さん、ちょいと…!
甚兵衛:なに言ってんだ、ほんとに!
そらっ、百両だ!
女房:まァ~お前さんは商いが上手だねえ!
甚兵衛:なにを言ってやんでェ!
ほらっ、百五十両!
それでもってこれで、二百両だッ!
女房:【感極まって】
あァあァりゃりゃァ~~…!
甚兵衛:柱へつかまれ、柱へ!
だらしのねえ野郎だな!
それ、二百五十両!
そしてこれで、三百両だッッ!!
女房:【感極まって】
ひぇェあァへえェへぇ~~~…!
っみ、水いっぱいおくれ…!
甚兵衛:ほォら見ろ、俺だってそこで水を飲んだんだ。
ほら、飲め!
女房:【水を飲んでいる】
ぷは…!
お前さん、儲かったねェ…!
甚兵衛:ああ!儲けようと思ったら、音のする物に限るな!
女房:ほんとだね、音のする物に限るね!
甚兵衛:そうだとも!
俺ァ今度、半鐘買ってきて叩こうと思ってんだ!
女房:【笑いながら】
半鐘はおよしよ。
おじゃんになるもの。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
桂歌丸
古今亭志ん朝(三代目)
※用語解説
・細工町:
幕府の御細工方同心という武士が住んでいたことに由来。
御細工方同心は、馬具や武具、諸道具などの細かな木工・金工・
革細工を行う職人で、彼らの屋敷があったことからこの町名が付けら
た。
・鍛治町:
その地域に多くの鍛冶職人が居住、刀鍛冶や鉄砲鍛冶、農具を制作する
野鍛冶など様々な鍛冶職人が集まり、その職業から町の名が付けられた
と考えられる。
・昼行燈:
昼間でもぼんやりしていて役に立たない人を揶揄する言葉。
行灯は夜に灯すものなので、昼間に灯しても意味がないことから。
・尼子なんとか:
中国地方三大謀将の一角、尼子経久のこと。
謀略を得意とする人物でありながら、天性無欲正直の人と評される。
家臣が経久の持ち物を褒めるとたいそう喜び、どんな高価なものでも
すぐに与えてしまう癖があり、冬でも着ている着物を脱いでは家臣に
与えて薄綿の小袖一枚で過ごしていたと言われる。万事こんな調子で
あるため、家臣達は気を使って経久の持ち物を褒めず眺めているだけ
にしたと言われる。
・平清盛:
最近は大河ドラマやゲームなどでも登場する事もあるので知名度は
結構上がってるのではなかろうか。
平安時代の平氏の棟梁。
天皇家との結びつきを強め、平家の全盛を築くが、院政勢力と対立、
この制圧には成功するが源氏をはじめとする多くの反平氏勢力の蜂起
を招く。その中で病に倒れ、病没。享年64。
・岩見重太郎:
戦国時代から江戸時代初期の人物で、豊臣秀頼に仕えた薄田兼相と
同一人物であると言われる。講談などで多くの創作的逸話を持つ剣豪
と語られる。
・巴御前:
平安時代末期の信濃国の女性。源義仲の妾。
女性と思えない剛力の女武者で、源義仲最期の戦いである粟津の戦い
の際、最後のご奉公と敵将・恩田八郎の首をねじ切って戦場を脱出、
その後は消息が途絶える。
・金蒔絵:
蒔絵とは漆工芸の代表的な加飾技法の一つで、漆で絵や文様を描き、
漆が固まらないうちに蒔絵粉(金・銀などの金属粉)を蒔いて表面に
付着させ装飾を行う。
・赤と緑の配管工
有名な任〇堂の某兄弟キャラですね。
・細川上屋敷:
現在の日本橋浜町・日本橋久松町エリアに熊本藩細川家の上屋敷があり
、現在は公園として整備されている。
書き起こす際に話の都合上、付け加えました。
「竹の水仙」といい、細川家大活躍。
・百文:
だいたい3250円くらい。
・一分:
だいたい2万円くらい。
・三百両:
当時は四進法計算なので、一分が四枚で一両換算になる。
よって一両は8万円、それが300枚なので2400万円なーりー。
・爪印:
指先に、墨・印肉をつけておすこと。その印。
つめばん。拇印。
・男のバカと女の利口が釣り合う:
男の馬鹿の方が、女の賢さよりもまし、要領の良い女性は、始末に負えな
いものであるという意味。
・半鐘
主に火災やその他の緊急事態を知らせるために使われる、
小型の釣鐘のこと。江戸時代には火の見櫓に設置され、火事や洪水な
どの際に鳴らされた。今は消防署くらいにしかないのではないだろうか。