第4話
「そうか。では、遠慮なく主の力の源として使わせてもらおう。」
水晶の瞳が一斉にアンジュリーを捕える。アンジュリーは、震えそうになる体を押さえながら立ちはだかるカミラに対峙する。
「子供の喧嘩に親がでてくるなんて、大げさじゃない?」
「小国同士の紛争に大国が介入して、大戦争になるというのはよくあることだろう。」
「そうやって慢心して首を突っ込んだ獅子を、アリが倒したなんて事例も、希にあるわね。」
「いや、君はアリですらない微生物だ。獅子にその腕は届かないし、獅子は踏み潰したことすら気づかない。」
「その微生物の出す毒が、獅子を死に至らしめることだってあるのよ。」
アンジュリーが剣先を振るうと再び光線が放たれカミラを襲う。避けるまでもなく、カミラの腕はしなやかにそれを払いのけていく。
「眷属の魔力は、魔女の能力に比例する。畢竟、あの程度の魔女のしもべは、この程度か。」
「つまり、眷属のカタリナがこのザマだから、あなたの能力は低いと、そういう自己紹介ってことね。」
「口が達者なのだけは、あの魔女に似ている。」
アンジュリーは、壁際で動くこともままならぬカタリナを一瞥する。悪い顔をする公爵令嬢ににらまれたカタリナは、寄る辺ない表情を浮かべてカミラに目を向ける。
「わたしの能力不足でご迷惑を・・・も、申し訳ございません、て、天使様……」
「カタリナ、きみのせいではない。」
カミラは、見えざる手で風を起こし、アンジュリーを弾き飛ばし、カタリナの元へ駆けつける。彼女を抱えると、その傷を癒し始めた。
「も、もったいなき御力・・・ありがとうございます!天使様!」
カタリナを抱えて、両手がふさがったカミラ。アンジュリーは、それを好機とみて、魔力によって大きく跳躍するとともに、光を纏ったレイピアをカミラの背中に突き立てた。
しかし、実際には刺さる一歩手前で阻止された。カミラの影から、ゆっくりと深緑色の触手がぬるりと這い出てくと、跳躍していたアンジュリーの両足に絡み付いて、絡めとったではないか。
「なっ……何、これ……」
アンジュリーは、どうにか引き剥がそうともがくが、次から次に触手が現れ、アンジュリーの四肢を拘束していく。
「き、気味の悪い…。やっぱりあんたは天使なんかじゃなくて、魔女、いや化け物…」
「見た目には、さして重要な意味などないのだよ。」
たくさんの触手が影から生まれ、アンジュリー、そしてラヴィニアたちをも拘束していく。カミラが触手たちを使ってアンジュリーの首を締め上げていく。この地下の空間が、冒涜的にもほどがあるような触手の群れで覆われ、あたりに鼻を突く化学的な異臭で満たしていく。もはや、アンジュリーは考えるだけの思考を持ち合わせていなかった。
「キリエ・・・どこにいるの・・・遊んでないで、助け・・」
脳に酸素が供給されなくなると、意識は突然シャットダウンされたかのように落ちるものである。その刹那は、性的快楽にも似ているとどこかの猟奇小説家が語ったが、まさにアンジュリーは、その苦痛とも快楽ともつかぬ感覚に、息を荒げ、びくりと痙攣している。
ああ、ここまでなのか・・と、彼女がそれだけを感じたときに、急にその拘束が緩んだ。さきほどまでいきり勇んでいた触手たちが突然動かなくかったのだ。さらには、触手たちは力をなくしてうなだれる。アンジュリーは、突然拘束がとかれたため、床に落ちて叩きつけられる。
「げほ・・・何が・・・起こった・・の・・」
「なんだと???何が起きた???」
カミラは、自らの触手たちが生気を失い枯れていくのを、呆気にとられながら見つめた。
「見た目に、さして重要な意味がないというのは、私も同感よ。見た目はどんなにきれいなままでも、内部は腐り果てているっているってこともあるのだから。そこのカタリナとかいう聖女・・・カミラ、あなたの魔法少女みたいにね。」
そういう声とともに、人形のような少女が、触手たちと同じようにして影から這い出してくる。
「キリエ!今まで何をしていたの……」
「文句は後で聞くわ。あなたこそ、どうしてもっと早く呼んでくれないのかしら。」
「てっきりこいつに適わなくて逃げたのかと。」
「本当にそう思っているなら、最後に私に頼ったのはなぜ・・?」
「それは・・・」
「いいわよ、少しだけやすんでいなさい・・。」
いたずらそうなまなざしでアンジュリーを見つめるキリエ。彼女の白い陶磁器のような手には、純白の日傘が握られており、不遜な身振りをしながら、それでカミラを指し示す。
「さあ、序曲はここまで、幕開けといきましょう。」
「羞明の魔女。逃げなかったのか。愚かな。」
「逃げる?下ごしらえをしていたたけよ。だって、この魔力結界の地下室には、私一人だと入れなかったのだもの。アンジュリーが私を呼ぶのを待っていたのよ。下準備をしながらね。」
「下準備だと?」
カミラは、あまりに不機嫌そうに、キリエを見ている。
「そう。料理において、下準備が一番重要なのよ。あなた、人間を料理して食らってるわりに、知らなかいのね?」
「それは、私が嗜好で食ったわけではない。神への供物としただけだ。」
「同じじゃない。天使を名乗るだけの、醜悪な魔女さん?」
カミラは再び触手たちを再生させると、影の中を這わせ、キリエへと向かわせる。
「タコのカルパッチョなんていいわね。でも、汚いし加熱した方がいいかしら。いや、美味しそうな色じゃないから、食紅が必要だわ。」
キリエが日傘を指揮棒のように振るうと、いくつかの炎が現れ、触手に片っ端から命中して燃え盛り、触手は灰となって消滅していく。
「どうも、火加減が強すぎたわね。」
「・・・取るに足らぬ路傍の石ごときが。」
「あら、焼いた石は、肉をも焦がすのよ。」
近距離まで近づいたキリエは、鋭角に切り込んで、カミラの胸にむけて日傘を突き刺そうとしている。カミラは、さすがに気づいて回避するが、間に合わない。日傘は鋭利な剣に変化し、その腕を弾き飛ばす。
すかさず、カミラは身をひるがえす。根本からちぎれた腕は音もなく、影となって消滅し、カミラの肩から、触手が生えて、それが絡みついて腕に再生しようとしている。カミラは若干の苦痛に顔をゆがめる。
「あと何回切り刻めば、再生が止まるのかしら・・・?」
「お前が消滅するまでだ、羞明の魔女・・・!」
「あら、死ぬまで付き合ってくれるなんて、情熱的ね。銀翼の魔女さん?」
カミラはいらだちつつ、キリエの死角から触手を強襲させる。しかし、キリエはそれを死角とも思っていないのか、避ける素振りすらせずに、日傘の剣で切り捨てていく。影から襲う触手の圧がだんだんと薄くなっていく。
「なぜだ、さきほどは私が圧倒していたというのに、なぜ今はお前のほうが・・」
「魔力の供給源が、魔力を迸ったまま、すぐそばにいるから、ね・・。それに、さっきの戦いで・・・」
カミラの影が少し薄い。影の向こう側の闇の中で、ちかちかと光が揺らめいている。
「少しだけ、あなたの『影』に細工をさせてもらったの。闇が少しだけ薄くなるように、あなたの影の中に光源の魔法を設置させてもらったの。案の定、影が薄くなると、この気味の悪いタコ足も、あなた自身の再生能力も、弱まるみたいね。」
また一つ、触手を撃破したキリエは、まだ再生しきらないカミラの片腕を再び切り伏せる。カミラの後ろに浮かぶ水晶玉に浮かぶ眼球たちから、赤い光線が次々迸り、キリエを狙い撃つが、日傘を広げてそれを防御すると、光線はまたたく間に四散した。
「この教会で旅人を殺して集めた膨大な魔力は、『あちら側』に置いてきてしまっているのでしょう?ならば、今の貴女に勝ち目は無いわ。すべてを諦めて、退くことね。」
「そういうことであれば・・・致し方ないな。」
カミラが、腰にぶらさげた鍵のうちの一つ、ルーンの刻まれたひときわ大きな銀の鍵を手に取る。これを虚空に向かって差し込み、開錠するような動作をする。
冒涜的な生き物が怪しく光るレリーフが刻まれた、銀の門が開き、触手があたりを包み込む。
門からあふれ出た触手は、あたりかまわず、あたりの家具や実験道具をなぎ倒し、粉々に変えていった。キリエは、アンジュリーやラヴィニアたちを、魔法の目に見えざる盾で、その飛び散った端材から庇う。
触手に守られるように包まれたカミラは、門の向こう側へ渡ろうとしている。取り残されたカタリナに優しい顔で語り掛ける。
「もはや、私はここにいることは叶わぬ。カタリナ、すまない。君とはここでお別れのようだ。その記憶を消して、元の修道女として生きていてほしい。」
「天使様・・・私のこの血にまみれた手は、もはや何者も救えません。私も主のもとへお連れくださいませ。」
「カタリナ。この門の向こう側は、人間の肉体は耐えられぬのだ。」
「それでもかまいません。どうか、あなたとともに。それ以外、何もいりません。」
「・・・わかった・・・。」
見つめあう二人に。何かに気づいたキリエがはっとする。
「待ちなさい、それじゃ、カタリナ、あなたは・・・」
カミラとカタリナが、一瞬だけ、キリエとアンジュリーのほうを向いて、微笑んだ。キリエが、咄嗟にカタリナのほうに手を伸ばそうとするが、間に合わない。
カミラがカタリナにふれた瞬間、カタリナの肉体があらぬほうへとねじ曲がって、その魂を絞り出すようにして息絶えた。不可視の触手の所業だろうか。カミラが、その絞り出した血を領の手に受けて、愛おしそうに口に含んだ。
「羞明の魔女・・貴様らとは、二度と会うまい。」
カミラの怒りとも悲しみともつかぬ声が響き渡り、銀の扉が閉じると、静寂が残された。祭壇には、カタリナの変わり果てた死体のみが残された。しかし、その顔は、恍惚に満ち溢れた笑顔であった。
「どういうことなのキリエ・・・。魔女が、自らの魔法少女を殺したというの・・?そもそも、彼女は何がしたくて、何が行われていたというの?」
「それを聞くには、遅すぎるわ。今となっては、いったい何の目的で何をしていたのか、まったくわからないもの。謎だけを残して、すべて終わってしまった。でも、そうね、魔女や魔法少女の中には、人間の常識が通用しないやつがいる。そのことだけはおぼえておいて。黒い魔法少女も、もしかしたら、そういうやつかもしれないってことも。」
「・・・お父様が殺された理由も、理解できないかもしれないってこと?」
「そういうことよ。だから、真実を知って復讐を果たしても、あなたの気分が晴れるかはわからないってことも、ね。」
「・・・・。」
沈黙ののち、地下室を見渡したキリエが話題を変えた。
「それより、この状況を村人が見たらどう思うと思う?」
「あたしらが、カタリナさんを嬲り殺したと思うだろうね・・・。」
震える二人の少女を庇うようにしていたラヴィニアが、冷たく言い放ち、キリエが逸れに頷く。
「そうね。だから、今すぐ村を出て、バレないうちに帝都に向かわなければいけないわね。」
「それじゃあ、教会の子供たちはどうすれば、誰がこれから面倒を。それにこの村の防御はどうなるの?」
アンジュリーが、不安そうにキリエに尋ねる。キリエは、怪訝な表情を浮かべる。
「それは、この村の問題であって、私たちが心配する問題ではないわ。それとも、朝まで居座って、『カタリナは悪い魔女に殺されました。』と言って、子供たちも村人たちも簡単に納得するとでも?」
「でも、私はノルトライン公爵の娘として、帝国民のために尽くしたい・・。」
「・・・朝まで待っても、何も状況は好転しないのよ。もし村人たちが納得しなかったら、そのあなたの魔法少女の力で、彼らを切り捨てて村を脱出するしかなくなるのよ。彼らを殺すことは、貴族の嗜みなのかしら・・?」
「・・・わかった。でも、魔女っていうのは、やっぱり私とは相いれない存在なんだっていうのはよくわかった。」
「・・・信用してくれなくていいわ。だって所詮は、契約だけの関係なのだから。」
「ちょっと、二人とも、もめてる場合じゃないっすよ。朝が来る前に脱出しないとヤバいのでしょう?」
―――
村は、夜の帳に静まり返っており、門番は居眠りをしていた。おそらく、すべてをカタリナ任せにしており、村としての緊張感が緩み切っているのだろう。一行は、馬車に消音の魔法をかけて、そこを難なく通過し、村を後にした。
カンテラの明かりをたよりに、闇に染まった道を帝都に向かう馬車。荷台では3人の少女が眠りこけている。御者席に並んで座るキリエとアンジュリーは、ただ、無慈悲な夜を見つめている。魔女と魔法少女の間に会話は無く、重苦しい空気が漂っている。
どんよりとした空は、星を覆い隠して、彼女たちの前途に一切の希望を与えないようであった。