第3話
アンジュリーとラヴィニア、そして二人の少女ラーナとミーニャは、カタリナによって質素なベッドがある客室へと案内された。
「もし何かございましたら、わたしは突き当りの部屋で休んでおりますので、およびくださいませ。」
それにしても、キリエが帰ってこない。まぁ、魔女のことは心配しても仕方がないと、アンジュリーはとりあえず睡眠をとることにした。
どのくらい経ったのだろうか、久しぶりにゆっくりと寝られると思っていたアンジュリーは、まだ疲れもとれぬうちにラヴィニアに体を揺らされているのに気づいて目を覚ました。
「アンジュリー、起きてくれ。」
「夜中にどうしたの……」
「ラーナとミーニャが居ない……」
「お手洗いかしら?」
「いや、ベッドが冷たいから抜け出してから少し経ってる。」
「妙ね……あたりを見に行ってみましょうか」
キリエがまだ帰ってきていないのも気がかりだ。客間を抜け出して、教会の古びた廊下を行く。隙間風が寒い。廊下はすぐに突き当たりになる。おそらく、各々の部屋で寝ているであろう子供たちを起こさないように、こっそりとカタリナの部屋の扉を開けて覗くが中には気配がない。
「シスターも見当たらないね。どこに行ったんだろうか。」
「ちょっとまって・・・『我は羞明の魔女のスクラーヴェ也・・・』」
アンジュリーは、キリエが教えた呪文を唱えて純白の衣装に身を包む。部屋の中央で、魔力を帯びた手を宙にかざすと、光が集まって、何もないはずの壁の隙間に飲み込まれていった。
「この壁、何かある・・・?」
「隠し扉かなにかだね。便利な力だな、それ。あたしも欲しいよ。」
「キリエに頼んでみたら?」
「いや、あの子はあたしの目すら見ないから、たぶん無理だね。きっと君は特別なんだよ。」
「そうかしら?ラヴィニアよりも、私のほうが御しやすい道具だと思われただけかもね。」
アンジュリーがそっと魔力を込めて壁を押してみると、隠し階段が現れた。
「どこまで続いているんだ・・?かなり深そうだ。」
「降りてみましょうか。」
アンジュリーのドレスは光を纏っており、まるで居ながらにたいまつのようだ。なんとなく落ち着かなさを感じながらも、階段を下りていく。地下何階分だろうか。かなりの段を降りたところで、突如開けた場所が現れた。大きな一つの鉄の扉がある。その鉄の扉はわずかに開いており、赤い光が漏れている。二人はおそるおそるそれを開く。
「何よこれ……」
祭壇のような石造りの広間には、鼻を突く香の匂いの紫煙が立ち込める。壁際には、人骨や古びた布が散らばっており、拷問具のような怪しげな道具や機材が転がっている。赤黒い液体の入った容器や、肉片のようなものが詰められた瓶が、棚に無造作に並べられている。まるで悪夢の実験室である。
床には、何かの血で書かれたような目が描かれた星模様の魔法陣が展開され、ラーナとミーニャがその中央にくくりつけられている。
「ラーナ!?ミーニャ!?」
ラヴィニアが二人に駆け寄ると、奥からカタリナの声が聞こえた。
「・・・アンナ=ユリア様、ラヴィニア様・・・降りてきてしまったのですね。」
カタリナは、銀色に輝くドレスで姿を現した。彼女の服装にちりばめられた紋様は、触手や蛇にも似ており、それらが光の加減か怪しくうごめいているように見えた。拘束具のようなそれは、およそ聖職者には似つかわしくないような妖艶さで見るものを挑発する。
アンナユリアが、傍らの遺骸を見つめ、カタリナに問いただす。
「これは、この骨は・・・?」
「もとは旅人や、逃亡者。名前はもはや憶えておりませんが。」
「貴女がやったの・・・?」
「そうですね・・・。主の御力の礎となっていただきましたから。」
「言っている意味が分からない。それより、その二人に何をしようとしてたの・・・。」
「何をって?あなたと同じです。だって、あなたは、そのお二方を、主に捧げようとして、連れていたのでしょう?ああ、私が勝手に使おうとしてしまったからお怒りなのですね。申し訳ございませんが、でも主が彼女たちの魂を欲しているのです。」
「それ、本気で言っているの・・?」
「だって、アンナ=ユリア様。その姿を見たらわかります。あなたもまた、大いなる主に導かれた方ですもの。であれば、わかるでしょう。私は、この村と子供たちを守るため、主の御力が必要なのです。この村を守る力のためには、旅人の犠牲が必要なのです。もちろん、あなたにも、この二人の犠牲の分の主の力は、分けて差し上げますわ。」
「主?犠牲?あなた何言ってるの。これは魔女の呪いよ・・。復讐を遂げるために背負わされた、醜い枷だわ・・。」
「魔女だなんて。これは天使様から授けられた、主の御力なのです。」
カタリナは、手に持っている燭台のような意匠の槍を持って、ラヴィニアと倒れている二人の少女に近づいた。アンジュリーは、咄嗟に魔法少女服の腰から掛けられたレイピアを抜く。一応、彼女は部門貴族の末裔として、剣術は心得ている。聖職者の一人の槍くらい、対処できるだろう。
「話が通じない。今すぐ、やめてもらうッ!」
「私には、天使様から与えられた使命があるのです。」
「他人を妄想に巻き込むな!」
「炎獄の川・・・」
カタリナの槍から、業火がほとばしり、ラヴィニアたちに襲い掛かるところを、アンジュリーがレイピアで弾き飛ばす。魔法は不発に終わり、天井を焦がす。
「どうして止めるのです。」
「あんたのその態度が、単純ッに、気に入らないからよッ!」
「あなたは、主の御力を、ご存じないのだわ。火焔の墓孔!」
カタリナが再度呪文を唱えると、槍の穂先から爆光がほとばしる。一瞬の溜めのスキを見て、アンジュリーが目配せすると、ラヴィニアは二人をたたき起こして、祭壇の影に隠れた。
火焔が四方に飛び散る。アンジュリーはその動きを予想して、回避行動をとりつつ、カタリナに踏み込んで強力な突きを繰り出すが、散ったうちの一筋の光がまるで追尾してくるかのようにアンジュリーの肩をかすめてじりじりと焦がす。まるで火葬かという熱気に、汗がにじむ。カタリナは、「イル・コキトス」と呟き、咄嗟に氷の壁を作り、自ら作り出した爆風とアンジュリーの攻撃を弾く。
「避けきれないし、当たらない、か・・・。」
純白のドレスは、傷ついてなお輝きを放っているものの、アンジュリーは体中に小さな傷や火傷を負い、攻めあぐねていた。キリエに教わった呪文『ゼクス・グラナトゥム』は、制御の方法がわからない。下手に放ってラヴィニアたちを傷つけるわけにはいかない。だが、ただ剣技を繰り出していては、カタリナに届かないこともわかった。
「・・・あなたも主の御力をお持ちなのではないのですか?姿は主に選ばれた御方のようですのに。」
「旅人を犠牲にして得るような醜悪な力は持ち合わせてないの。」
―――重要なのは、言葉ではなく、何をしたいか。なのよ―――
ふと、キリエの声が聞こえたような気がした。
「重要な時に、居ないくせに、何を。」
アンジュリーは、深呼吸をすると、その言葉どおり、ただ、思うが儘に、レイピアをカタリナへと向けた。
「光を。」
剣先から、まばゆい光が放たれる。その光は、収束し熱力を得て、カタリナを守護していた氷を消滅させる。異変に気付いたカタリナは、回避の体制をとるが、間に合わない。再び幾千にも分かれた光は、カタリナの肌や服を引き裂いていく。光はそれにたらず、質量をもって、カタリナの体を壁に打ち付け、まるで聖者を磔刑にするかのように、打ち付けた。
「がっ・・・はっ・・・」
血を吐きながら、床に倒れたカタリナ。アンジュリーは、ゆっくりと彼女に近づいていく。
「わ、わかりました・・・。これが主の意思なのですね・・・。ラーナ様とミーニャ様はお返しします。かわりを探します・・。ですから・・ここは穏便に・・」
アンジュリーは、カタリナの髪を乱暴につかんで、怒りを吐露する。
「あんたねぇ・・・。この期に及んで命乞いってのは、ナンだか私たちを馬鹿にしてるよね。それに、代わりに、ほかの帝国臣民を殺すといわれて、はい、そうですかと引き下がれるわけにはいかないのよ。仮にも、公爵令嬢、民を守る責務の貴族として、ね・・。」
「わ、わたしを生贄に捧げるのですか・・・。い、いいでしょう、それが主の意思であるというのであれば・・・。」
満身創痍の中、祈りを捧げるカタリナを見て、哀れみがわかなかったわけではないが、ここで見逃して犠牲を出すわけにいかない。捕らえて騎士団に突き出すか、いや、しかし彼らの手に負えないのであれば、自分が、ここで止めを刺さねば。そう思っているアンジュリーであったが、背後に薄ら寒い気配を感じて振り返る。
「大丈夫か、カタリナ。」
「いらしていたのですね、天使さま・・。申し訳ありません、私の力では・・。」
「良い。カタリナ。我が相手する。」
「しかし、私は、主の意思にこたえられませんでした。私こそ、生贄に・・」
「あれは、聖女ではない。君とは違う存在、悪魔の使いだ。」
それは銀髪を羽のように腰までのばした、碧眼の女だった。黄土色のコートを羽織り、銀の鍵束を下げたその姿は、天使というよりも、地獄の番人と呼ぶにふさわしい姿だ。水晶玉のような虹色に輝く宙に浮く球体を従えている。球体に無数の瞳のような模様が映る。その空虚な瞳たちがアンジュリーを捕らえた。
「銀色の・・・魔女・・・」
「魔女ではない。主の遣いだ。銀翼のカミラとでも名乗っておこう。カタリナが受けた痛みは、きっちりと返させてもらう・・・。」
アンジュリーが、剣先を自称・主の遣いに向けた。しかし、明らかにアンジュリーでは太刀打ちできないであろう魔力の差が、魔法少女になりたてのアンジュリーにも容易に感じ取れた。それが、じりじりと彼女を疲弊させる。
「魔女だか主の遣いだかしらないけれど、キリエと似たようなものじゃない・・・いや、生贄を求める分、より悪霊の部類だよ。それに、魔法少女の戦いに、親玉は関与しないと聞いていたのだけれど・・。」
「それは、両者がその場に、存在している場合だろう・・・君は、あの魔女の眷属か。」
「キリエと会ったの・・?」
「・・・止めを刺し損ねたが、君を置いて逃げたようだ。」
キリエが逃げた?にわかには信じられない言葉を受けて、動揺するアンジュリーを、カミラは見逃さなかった。
「あの魔女は、君を見捨てたのだろう。その3人を主の力の糧として捧げるというのであれば、君を主に仕える聖女として、私と再契約してもよいが・・・。」
アンジュリーは、おびえるラヴィニアたち3人を見て、レイピアの剣先を見つめた。そして、回答をその態度で示すかのように、レイピアをカミラに向けると、剣先からまばゆい閃光を迸らせて吐き捨てた。
「あいにくだけれど、絶望するのは、黒い魔法少女を殺した後と決めているの。答えは、ナイン。拒否よ!」