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第1話

 美しく咲いた花は、絶望と鉄槌によって無造作に手折られていく ――ある詩人の言葉―――


―――


 シュテルンベルク大帝国の南部、国境の北側に位置するノルトライン公爵領。肥沃な土地で交易も盛んなその領地を、果てまで見渡せる小高い丘に公爵の邸宅があった。邸宅の門から、護衛の銃騎士(キュイラシェ―ア)に守られた馬車が一台、敷地へと入っていく。それは懸架装置が効いた上等な馬車で、それなりの地位の者が乗車していることがうかがわれる。玄関に到着した馬車から降りた男の名は、ノルトライン公爵ゲルハルト、この屋敷の主である。彼はコートと帽子を執事へと預け、騎士に「ご苦労」と伝えてその任を解く。彼を出迎える少女が一人。彼は彼女に笑顔を向けた。彼女は、彼の一人娘アンナ=ユリアで、結んだ美しい金髪を揺らしながら、公爵へと駆け寄った。


「おかえりなさいませ、お父様」


 公爵は、愁いを帯びた瞳で、娘を見つめた。久しぶりの我が家と娘に安堵しているのだろうか。


「アンナ=ユリア、お前は、益々母に似て美しくなったな。」


 彼は、今年14になった娘の姿に、かつて彼が愛した、今は亡き妻の影を見ているのだろうか。成長した娘に、嬉しさを感じるとともに、妻の面影から来る過去の悲しみをかみしめているようである。


「いえ、お父様、帝国の至宝とまで呼ばれたお母さまには、まだ及びませんよ。」

「そう謙遜するな。ただ、もしそうだとしても、いずれ、追い越す日が来るさ。そのくらい綺麗だよ。」

「もう、お父様ったら。そのような口説き文句は、実の娘に言う言葉ではありませんよ。それより、本日は帝都での公務はどうされたのですか?」

「久しぶりに陛下から休暇を頂戴した。お前にも寂しい思いをさせているだろうと思って、明日の昼までこちらに居るつもりだ。」

「まあ、お父様!じゃあ、お食事もこちらで?いっぱいお話ができますね。せっかくですから、私のクラヴィーアをお聴きになって。」

「ほう、それは楽しみだな。ああ、マーサ。帝都から東国の茶葉を持ってきた。淹れてくれ。」


 公爵は、マーサと呼ばれたベテランのメイドに申しつけた。何のこともない、穏やかな昼下がり。貴族の父娘はひと時を過ごしていた。公爵邸に忍び込んだ複数の影に誰も気づかないくらいに、平穏そのものであった。

 一息ついて、少女が、楽器を奏でる。それを公爵は、紅茶を飲みながら楽しんでいる。


「なかなかに腕を上げたな、アンナ=ユリア。」

「ありがとうございます、お父様。」

「ダルセーニョの後、やはり2回目はもう少し重めに演奏しても良いかもしれないね。」

「なるほど、勉強になります。」


 鍵盤楽器(クラヴィーア)を演奏するアンナ=ユリアと、それを見つめる公爵。


「・・・そういえば、さっきからクラウスの姿が見えないが、」


 公爵は、ふと気になって執事の姿を探す。扉の向こうに気配を感じて、公爵が声をかける。だが、その気配は一向に部屋に入ってこない。


「クラウスか?何をしている。入り給え。」


 メイドが、扉を開けると、刹那、乱暴に蹴破られた扉とともに、血に塗れた執事が部屋へと倒れこんだ。


「クラウス!!!!?何が起こった!?」

「きゃあああああ!!!」


 動かない執事を蹴飛ばし、メイドを切り捨てながら、部屋にずらずらと武装した黒服の男たちが入り込んできた。


「クラウス!?マーサ!!?」

「ごきげんよう、ノルトライン公爵ゲルハルト卿。」

「・・・お前たち。私の帰宅を見計らってやってきたということは、ただの盗賊じゃないな?どこかの組織の暗殺者か?」

「さあ、ね。俺たちはただ、あんたを排除するように言われて雇われただけだからな。」

「愚かだな。こんなことを金で請け負うなんてな。所詮は使い捨てだぞ?」

「俺たちは、あんたを殺したら、屋敷の財宝は自由に山分けしていいって言われているんでね。そこにいるお嬢さんも好きにしていいってね。」

「なんだと?・・・アンナ=ユリア。下がっていなさい。怖ければ、うずくまって、目をつぶっていなさい。」

「お、お父様・・!?」


 公爵は、男たちが、娘に卑俗な目を向けていることに気づくやいなや、壁に掛けてある宝剣をつかむ。アンナ=ユリアが目をつぶったのを確認すると、男たちに切りかかった。宝剣は、(シュヴェーア)()(モルゲンロート)と呼ばれる、公爵家に伝わる家宝であった。


「そんなイミテーションの剣でどうすると?」

「これで十分だよ。暁よ、わが光を纏え。」


 賊は、そのきらびやかで小ぶりな剣を笑ったが、公爵が呼吸を整えると、剣は輝きを増したかに見えた。賊もその空気にあてられたのか、公爵に向き直り相対する。しびれを切らした賊の一人が、切りかかるやいなや、公爵は攻撃をはじきつつ、剣を相手の首筋に乗せてそのままスライドする。黒服のうちの一人が頸動脈を裂かれ、血をまき散らして息絶える。その光景にひるんだ他の賊を返す刃でねじ伏せ、床へと鎮める。一気に二人を倒され、気押される3人目に狙いを定めると、公爵は間髪入れずに眉間に剣を突き立てる。一気に3人が動かなくなった。さらに2人は、その光景を見てすくみ上って動けない。


「なんだと!?」

「これでも、若いころは剣術の腕に覚えがあってね。ただの刺客にやられる私ではないぞ。」


 公爵は、いまだ闘志を絶やさないリーダー格の男に目配せをする。男は、湾曲した特徴的なナイフで公爵へと襲い掛かるが、その力は公爵に及ばなかった。腕をへし折ると、男は悲鳴を上げる。


「誰に雇われたか、吐いてもらわないとな。血盟団(ノスフェラトゥ)か?それとも審判者(アウトデフェ)か?」

「く、くそ・・お、俺たちは・・・」


「・・・ソル・ニジェル。」


 謎の声とともに、バシュン、と。黒い閃光が公爵のほほをかすめ、その熱線は壁に当たって大穴をあけた。


「何事だ?!」

「あいつ・・来てやがったのか。だが、助かったぜ。」


 部屋の片隅には、顔をヴェールで覆った喪服の少女がたたずんでいた。生気の無いそのほっそりとした腕には、黒い閃光の残滓がまとわりついている。


「魔術・・・だと・・?」

「これで形勢逆転ってやつだな。死にな!」


 男は、腕を抑えながらも調子づくが、少女は感情の無い声で、男を牽制した。


「邪魔。ソル・ニジェル。」


 少女が持つ、漆黒の宝玉から、黒い閃光がほとばしり、公爵めがけて飛びついてくる。公爵は剣で振り払おうとするが、その光は剣へとまとわりつき、やがて公爵の腕を侵食する。


「なんだ、これは・・!くそ・・」


 黒い光に飲み込まれた剣は、剣先が折れ、そして公爵の手も、あらぬ方向へとねじ曲がった。


「ぐあああああああ!!!」

「いやあああああ!!!お父様!!!!!!」

「き・・・貴様・・・魔女(トイフェルン)か・・・実在していたなんて」

「いいえ、違う。ただの魔女(トイフェルン)の眷属。」

「眷属だか奴隷だかしらないが・・・好きにはさせん・・」


 公爵が折れた剣の一部を投げつけると、少女のヴェールをかすめ、その頬を傷つけた。


「ッ!!!」


 ぽたぽたと、黒い喪服の隙間から、鮮血が溢れる。


「ニグレド・・・」


 黒の少女は少し、怒りにも似た感情を見せて、ぼそりとつぶやいた。同時に、力を籠めると、伯爵にまとわりついた黒い光が輝きをさらに増しながら彼の体を締め上げた。肉と骨が軋む嫌な音が響く。公爵は最後に娘に振り返ると、かろうじて口を動かした。


「あ、アンナ・・・ユリア・・・逃げ・・・ッ」


 黒の少女はすかさずに手首をひねると、黒い光は一層強く光り、ぱきり、と音を立てる。公爵は、そのまま生気を失い動かなくなった。


「お、お父様ッ!!!!!!!」


 逃げることも、抵抗することもできずに立ちすくんでいたアンナ=ユリアは、生き残っていた男たちにたやすく、捕らえられてしまう。


「よし、騎士団が来る前に、あらかた財宝を持ってずらかるぞ。」

「兄貴、この娘はどうします?殺しますか?」

「どうすっかねえ。」


 おびえるアンナ=ユリアを尻目に、男たちは、黒い少女のほうを見た。黒い少女は、興味なさげに吐き捨てる。


「あなたたちの好きにしたら。」

「良家の令嬢は、闇市場でそこそこ高く売れる。とりあえずギルドに連れていけ。」


 黒い少女は、アンナ=ユリアを一瞥する。


「自らの置かれた立場もわからない可哀そうな子。永遠のさよならね。」


 彼女は、一言だけつぶやくとと、もはや熱を失ったといわんばかりに、所在なさげに部屋を後にした。かくして、目の前で父親と親しい使用人たちを殺害されたアンナ=ユリアは、生き残っていた男たちに拉致されてどこかへと連れ去られてしまった。彼女の目に焼き付いたのは、黒き少女の振り乱したドレスの後ろ姿だった。


――


 何日くらい連れまわされただろう。目隠しと猿轡のアンナユリアは、突然、固い床に放り投げられ気を失った。数刻後にアンナ=ユリアが目を覚ますと、そこは、薄暗く、カビの臭いと死の雰囲気が漂う地下牢であった。捕まえられた時の衣服のまま、石の床に転がされていた。


「ここは・・」

「目覚めたわね、お嬢さん。」


 牢の中には、ぼろきれをまとった少女が数人いることに気づいた。目隠しや猿轡は彼女たちのだれかが外してくれたのだろうか?その中でも一番元気そうな少女が、アンナ=ユリアに近づいてくる。


「あんたは、どうしてここに?」

「・・!お、お父様が!!!盗賊に襲われて!!」

「ああ、そうか、可哀そうに。あんたも親を殺されてかどわかされてきたクチかい?親の借金のカタかもね?それとも、犯罪者の娘とか?」

「えっ・・・親を殺されたのはそのとおりだけれど、どれも違うわ。私は、帝国第13家門(ドライツェン)が一つノルトライン公爵の娘、アンナ=ユリアよ。こんなことが知れたら騎士団が、皇帝陛下が黙っていないわ。」

「もっとマシな冗談を言いなよ。お貴族様がこんなところに売り飛ばされてくるわけないでしょ。ここは、騎士団なんかの目が届くところじゃない。黒曜(オブシディアン)(クラブ)ってマフィアが運営する人身売買ギルドだよ。」

「えっ・・!?」


 少女は、めんどくさそうに、アンナ=ユリアを見る。


「それにしても、たしかに上等そうな服を着てて、本当にお貴族様みたいだ。盗んできたのかい?まあ、どっちにしろ、ここに来たら、あとの運命なんざきまってるようなもんさ。よくて成金貴族のペットか、娼館に売り飛ばされるか。悪けりゃ、外国に売られて地下鉱山で死ぬまで奴隷らしいよ。」

「あ、あなたは・・?」

「あたしかい?あたしは、ラヴィニア。親父が無実の罪で処刑されてね。母さんはそれを苦に橋から身を投げて、あたしは悪党どもに捕まって売り飛ばされたってわけ。2週間くらいここに閉じ込められててね。すべてを諦めてる女さ。そして、壁際の二人も似たようなもん。買い手がつくのを待ってるだけの、屠殺前の家畜さ。」

「じゃあ、一緒に逃げよう!逃げて、騎士団に保護を求めましょう。」

「逃げるったって、どうやって。」

「そ、それは・・・」


 看守らしき荒くれものが、二人の声を聞きつけて、アンナ=ユリアたちの牢に近寄る。


「おい、そこの女ども。何をくっちゃべってるんだ。静かにしろ。自分の立場がわかってねぇようだな!??おら、来いッ!」

「や、やばい・・!」


 ラヴィニアは、咄嗟に物影に隠れたが、アンナ=ユリアは間に合わなかった。男は、牢から、乱暴にアンナ=ユリアを連れ出すと、こん棒で殴りつけた。


「嫌っ!!」

「大人しくしろ!」


 2度、3度、何度も叩きつける。アンナ=ユリアは次第に抵抗を諦めていく。ラヴィニアは、頭を抱えて、その音を聞いて、自分に類がおよぶことがないように耳をふさぐ。

 平時ならば、自己保身となじられるかもしれないが、この極限状態で彼女を責めるのは、酷なものだろう。そうでもしないと生き残れないのだから。牢の外の廊下を見ると、ところどころおびただしい血の跡が残っている。何人か殺されでもしたのかもしれないし、ラヴィニアはそれを目撃したのかもしれない。


「2、3発ぶち犯したら、大人しくなるだろう・・」


 男は、そんなことを言いながら、アンナ=ユリアを押さえつけ、その服を脱がそうとした。アンナ=ユリアが咄嗟に目をつぶった。その時だった。


――ねえ、あなた。――


 アンナ=ユリアの耳元で声がした。殴られすぎて幻聴でも聞こえているのだろうか。


――聞こえているのでしょう?――


 幼くも聞こえる少女の声が、今度ははっきりと聞こえた。アンナ=ユリアは、ふと目を開けると、目の前では、襲い掛かろうとしていた男が、石像のように静止している。周りの音も聞こえない。それどころか、ラヴィニアやほかの女たちも動いていない。これは一体どういうことだろうか?と、アンナ=ユリアは訝しんだ。


――貴女の目の前に居るわ。少し、この空間の時を止めさせてもらったの――


 男の影から、この薄汚い場所には似つかわしくない、精巧な人形のようにも見える小柄な少女が一人。白銀のドレスに身を包み、可愛らしく二つにたばねられた緋色の髪を揺らしている。翡翠のような瞳は、アンナ=ユリアの心を見透かしているように深い淀みを蓄えている。どうやら彼女が声の主のようだ。


「こ、子供・・・?」

「あら失礼ね。見た目には囚われてはだめよ、アンナ=ユリア。私は、羞明の魔女と呼ばれている魔女(トイフェルン)よ。」

「魔女・・?一体、何をしに来たの・・?」

「身構えなくていいわ。貴女に危害は加えないから。」

「お父様を殺した真っ黒な喪服の女も、魔女の眷属を名乗って、不思議な術を使っていたわ!あなたも同類ね?!きっと私を殺しに来たんだわ!?」


 魔女は、少し考えるしぐさをしてから答える。


「落ち着いて。もし、私が貴女を殺しに来たのだとしたら、すでにそれはし終えているわ。ところで、魔女の眷属と名乗っていて、魔法を使った者がいたのだとしたら、それは魔法少女(スクラーヴェ)と呼ばれている、魔女とは別の存在よ。」

「・・・その、魔法少女っていうのは何なの?」


魔法少女(スクラーヴェ)というのは、私のような魔女と契約を結んでその力を行使できるに至った人間のことよ。人知を超えた力で、他者をねじ伏せることができる。」

「お父様は、そんな奴に・・」

「・・・お気の毒ね。あの力は、普通の人間じゃ太刀打ちできないもの。」


 今度は、アンナ=ユリアがしばし考え込むように目を伏し、呟いた。


「貴女なら・・魔女なら、魔法少女を殺せるの・・・?」


 アンナ=ユリアの口からは、物騒な言葉があふれ出た。深い思慮に基づく発言というよりも、つい口から出たといったほうが正しいだろう。そんな彼女の言葉に、魔女は、ちょっとばかり嬉しそうになりながら答える。

 アンナ=ユリア自身も、そんな言葉が自分から出てきたことに少し戸惑いながらも、自らの本心に気づいた。


「そうね。殺すことは可能だわ。でも、ごめんなさい。私には、その魔女の眷属を殺す動機が無いもの。別の魔女の持ち物を、私が一方的に壊したとなったら、その魔女との全面戦争は避けられないしね。現状、その魔女が私よりも弱い魔女かどうかわからない以上、ね。」

「・・・どうすればいいの!?私は、父を奪ったあの女を・・黒い魔法少女(スクラーヴェ)を・・・。」

「黒い魔法少女(スクラーヴェ)を?どうしたいの?」


 アンナ=ユリアの思いは、重ねて口にだすことによって、自ら確信へと変えていった。魔女は、それを吐露することを促した。


「黒い魔法少女(スクラーヴェ)を、殺したい・・・!」

「そうね。これは貴女の復讐の物語。貴女自身が主人公にならなければならないもの。」

「でも、どうすれば・・・。」

「貴女には資質がありそうね・・・。」


 魔女は一呼吸を置いて、アンナ=ユリアに手を差し伸べた。


「いいわ。私が力を貸してあげる。魔法少女(スクラーヴェ)を殺すには、魔法少女(スクラーヴェ)になるしかないの。魔法少女同士の決闘という形なら、魔女戦争までもつれる可能性は低いわ。」

「じゃ、じゃあ・・」

「でも、貴女は、憎む相手と同類の存在になるのよ。その覚悟はある?」

「・・・もちろん、と、言いたいところだけれど、逆に、私に力を貸して、あなたにはメリットがあるのかしら?あいにく、私には支払えるものが何一つ残っていないのだけれど。」

「・・・目ざといわね・・・そういうところも気に入ったわ。ええ、もちろん、これは対価のあるディール。」


 魔女は、感心したようなそぶりを見せて、正直に打ち明ける。


「まず、貴女には、魔法少女(スクラーヴェ)として力を振るえるだけの魔力を分け与えるわ。でも、その代わり、貴女の魂が真に絶望したそのとき、あまねくすべての希望を否定したとき、私は、貴女から代価として全てを貰うの。それがたとえ黒の魔法少女(スクラーヴェ)を殺す前であろうと後であろうと、あなたを構成する要素、名前も、体も、存在さえも、全てをバラバラにして、私の魔力の源にする、そういう停止条件付の契約よ。」

「そう。じゃあ、問題ないね。私は、黒の魔法少女(スクラーヴェ)を殺すまで、絶望なんてしないから。」

「それに、もし貴女の魔力適正が低ければ、そのまま私の魔力に飲まれて死ぬか、意志を持たぬ永遠にさまよう屍になるか。そんなリスクもあるけれど、いいのね?」

「もとより、いまのままでは、無くしたも同じ命よ・・!」


 その言葉を聞いた魔女は、にっこりと微笑むと、アンナ=ユリアに羽のペンを渡し、虚空にサインをするように促し、恭しく一礼をした。


「では、アンナ=ユリア・フォン・ノルトライン。こちらに署名をどうぞ。気が変わらぬうちに。」


 即断即決だった。もはや失うものなどないアンナ=ユリアにとって、この誘いを受けない理由はなかった。たとえこのためにすべてを失おうとも。魔女の罠であったとしても。

アンナ=ユリアは、虚空に向かって、サインをすると、不思議なことに、その筆跡は光となって、魔女の懐に吸い込まれていった。


「確かに、今、貴女の覚悟を受け取ったわ。では、さっそくだけれど、私の言う通りに復唱して。『羞明の魔女のスクラーヴェ、我は、昏き光のアンジュリー』」

「しゅうめいの・・・まじょのスクラーヴェ?われは、昏き光のアンジュリー・・・?」


 アンナ=ユリアは、言葉を発したその刹那、光を背負う。破かれそうになったくたびれた衣装の代わりに、白銀の羽衣を纏って降り立った。腰には、七色に輝くレイピア。高貴な礼装をまとった騎士のようなドレスは、薄暗い地下牢を真昼のように照らす。あふれてくる力は、おもったよりもしっくりと体に馴染む。


「これは・・?」

「どうやら、成功ね。ようこそ、希望なき暗澹へ。それが、羞明の魔女の魔法少女(スクラーヴェ)たる貴女の姿よ。おめでとう、アンナ=ユリア、いいえ、アンジュリー。」


魔女の祝福を受けたアンナ=ユリアだったが、ふと、時間がもとに戻っていることに気が付く。ちょうど、アンナ=ユリアに詰め寄り、男が怒鳴り散らしているところだ。


「おい、静かにしろ!騒いだところで、だれも助けにはこねぇよ!この後お前は娼館に売られるんだからよォ!・・・その前に、売り物になるか確かめてやるからな!」


 男は、傍らの魔女にも、アンナ=ユリアの衣装の変化にも全く気付いていないようなそぶりで、アンナ=ユリアに襲い掛かろうとする。


「なんて醜悪な生き物なんでしょうね。じゃあ、アンジュリー。息を大きく吸って、まっすぐ、腕を前に伸ばして?」

「こう?」

「そして、私の真似をして唱えて?『ゼクス・グラナトゥム』」

「『ゼクス・グラナトゥム?』」


 アンナ=ユリアが言われたとおりに言葉を発する。すると、6つの白銀色した光弾が指先からあふれ、それが、目の前にいた男に向かって弾け飛んだ。男は、自らに起こった事態を認識する間もなく、文字通りハチの巣となってこと切れた。


「ひっ・・・!?」

「上出来よ、アンジュリー。ああ、気にすること無いわ、ゴミを大地に返しただけよ。さ、まずは、ここから出ましょうか。こんな日陰は、貴女には似合わないわ。」


 アンナ=ユリアは、初めての殺しの感触に戸惑いながらも、にやりと笑う魔女の手を取った。


 これは、1体の人形のような魔女(トイフェルン)と、1人の魔法少女(スクラーヴェ)となった令嬢による、取るに足らない復讐の物語。とある世界、とある時代の、長いようで短いトラジディの幕開けであった。

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