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穏やかな波の音とウミネコの鳴き声が響く中、大きな釣り船の上で釣り糸を垂らす一人の男がいた。
年は二十歳前後だろうか。服装は上下のジャージにサングラス。髪はモヒカンよりのツーブロックで、髭をきっちりと剃り、彫りの深い精悍な顔つきをしていた。
男の背後には数人の男が直立しており、釣りの様子を静かに見守っていた。
「お、きたきた」
釣り竿が大きくしなり、男は立ち上がってリールを巻き始める。やがて一匹の魚を釣り上げた。それに合わせて背後の男達もパチパチとまばらに拍手を送る。
「こいつはアジだな。でかくて活きが良いぞ」
男は上機嫌な様子で魚をクーラーボックスに放ると、振り返り、うっすらと笑みを浮かべた。
「この辺はな、良く釣れるんだ。俺だけが知ってる最高の釣りスポットなんだ。餌が良いんだよ」
「……あの、優也さん」
背後にいた男達――その中央にいた男が青ざめた顔で口を開いた。
「……あの、本当にこの埋め合わせは必ず――」
「ん? あぁ、その件はいいって言ってるだろ?」
優也と呼ばれた男は、釣り針に新しい餌を付けると再び海に放った。
「組織がデカくなるとな、金を持ち逃げしようって馬鹿が必ず出てくるんだよ。それは避けようがないことだ。だからそんなことでいちいち下を詰めてたらキリがねえ。大事なのは被害を最小限に抑えてすぐに業務を再開できるようにすることだ。ケジメだのメンツだのは金にならねえからな」
優也は垂らした釣り糸を見つめながら言った。その穏やかな口調に、背後の男もほっとした様子で息を吐く。
「優也さん。本当にすみませんでした」
「だから、お前は謝らなくていいって言ってるだろ?」
「いえ、そうもいきません。金持って逃げた連中は必ずすぐに見つけ出します」
「そんなことやる必要ねえよ」
「でも、それじゃあ――」
優也が肩越しに振り返り、男を見据える。
「もう見つけて金も回収してあるよ」
「え?」
優也の言葉に、男はぽかんと口を開ける。その反応に、優也は肩をすくめ、船の後部を顎で示す。
男は示された方に顔を向け、眉をひそめた。そこには黒い大きなバッグが複数、そしてその脇にロール巻きされた金網が積まれていた。船に乗った時は頭が真っ白で余裕も無かった為か、指摘されて初めてその存在に気付いたのだ。
「中を開けてみな」
優也が静かな声で言った。その声を聞いた瞬間、男の中に再び恐怖心が湧き上がってくるのを感じた。ゆっくりとした足取りでバッグに近付き、そっとファスナーを引っ張る。
おおよその想像は付いていた。だが実際にバッグの中からそれが姿を現すと、男の口から小さな悲鳴が漏れた。
それは人間の死体だった。それもただの死体ではない。
死体には眼が無かったのだ。
「目玉と内臓は既に金にした。あとは残った肉と骨を捨てるだけさ。その手伝いをしてもらうために呼んだんだ」
優也は淡々と言葉を続ける。
「そっちの金網も気になるか? それは重しだよ。よく人を沈める為にコンクリに詰めるなんて話があるが、あれは案外すぐ見つかるやり方なんだ。どうしても隙間は出来るし、腐敗ガスでコンクリがダメになる。魚が食べたりもするしな。そこで死体を金網に巻くんだよ。これならガスも抜けていくから浮かび上がることはない」
優也はそれだけ言うと、右手を動かし、船の後方を指差した、やれという合図なのだろう。
男達は無言のまま作業に取り掛かった。バッグから死体を取り出し、それを金網でぐるぐる巻きにして順次沈めていった。
「お、また釣れた」
そんな男達を尻目に、優也は笑顔を浮かべながら釣り竿を上げた。
「おぉ、こいつはタイじゃないか? はっはぁ、いいねぇ」
優也は釣り上げたタイをクーラーボックスに放ると、先程まで会話していた男に向き直り、その肩をポンと叩いた。
「今日釣れた魚はな。全部お前にやるよ。お前の部下に振舞ってやれよ」
男の顔は今にも倒れそうなほどに真っ青になっていた。声にならない返事をしながら足元のクーラーボックスに視線を落とす。その時、ふと先程優也が言っていた言葉が脳裏に響いた。
――餌がいいんだ。
気付けば男は海に向かって嘔吐していた。
「おいおい、船酔いか? しっかりしてくれよ」
そんな男の背中を見て、優也はケラケラと笑いながら言った。
その時、傍らに立っていた男の懐からスマホの着信音が鳴り響いた。男は通話に出ると、軽く会話をしながら優也に顔を向けた。
「優也さん」
「何だ?」
「赤デブから商売の相談が」
男の言葉に、優也は呆れたように首を振った。
「情報の早い野郎だ。俺の賞金が上がったから武器がもっと売れると思ってやがるな」
「どうします?」
「一応受けると伝えておけ。現状武器は必要だ。弾も追加で買いたいしな」
男は頷き、その旨を伝えた。
「さて、今日はまだ仕事がいくつか残ってたな。全く、ゆっくり釣りをする暇も無い」
優也は軽く背伸びをしつつ操縦席に入る。唸るようなエンジン音が響き、船がゆっくりと動き出した。
「あぁ、しかし本当に情報が早いな」
船を操縦しつつ、優也はポツリと呟いた。