35. タルヴァ公爵から見たフリード*
第二王子は、とにかく影の薄い子どもだった。
三王子の中で、唯一、銀髪碧眼を継がない地味な姿。誕生が王の溺愛する第三王子と近いこともあって、まるで話題にならない。父からも母からも放置され、城の奥で乳母と乳兄弟と静かに暮らす子ども。
そんな報告を聞いたのが、第二王子が三歳か四歳の時。将来的に第一王子の補佐かスペアにできないかと接触して、驚愕した。
震えるほど、父王そっくりだったのだ。
『帰ったら、戦棋を打ちましょうね』
そう、約束していた姉が、物言わぬ死体になって帰ってきたあの日が、脳裏に蘇る。狂おしいほどの憤怒と憎悪が湧き上がるのを感じた。
すっかり忘れていた。アレは、あの王の子なのだ。
下手な育て方をすれば、また「ああ」なる。
(二度と……二度と、繰り返してたまるか!!)
自分と家族のような存在を、もう二度と出してはならない。義務感に駆られ、対策を考える。
愚王は周囲に散々甘やかされて、ああいう男になった。
ならば、愛されなければ良いのだ。
迎合する味方を奪い。
横暴を繰り返す自我を封じ。
馬鹿な行動を起こす自信を潰して。
第一王子とやがて王妃となる娘の踏み台になるよう、育てれば良い。
今はまだ本性を隠しているようだが、騙されない。
今度こそ、あの男を止めるのだ。
手始めに、王妃をそそのかした。
これはとても簡単だった。元々父王似の第二王子を疎んでいた王妃は、少し嫌悪感をつつくだけで、簡単に我が子を虐げるようになった。
さすがは、欲望に忠実なソラシオだと嘲笑う。
反発する乳母と乳兄弟も引き離す。いっそ殺そうかとも思ったが、テルセン辺境伯は王妃の信者、上手く言い聞かせるだろう。シュゼイン公爵の守る王城で、そこまでのリスクを負う必要はない。
やがて第二王子の外国語の教師に選ばれると、自信を喪失させるために徹底的に否定した。
「まだ終わらないのか」「何故分からない」「出来損ない」「第一王子ならこんなことはないのに!」。
嫌いな相手の悪口など、挙げても挙げてもキリがない。滑稽なほど悄気返る第二王子。
なのに、今日もアレは笑っている。
乳母と乳兄弟と幼馴染に囲まれて、それはそれは、幸せそうに。
あの男と同じ顔で、笑っている。
(何故、お前が笑っている?)
姉上はもう、笑えないのに。
計画は、妨害された。他ならぬ、姉の友人に。
姉の友人ーーーガラク侯爵たるユーフラティスは、告げた。
「いい加減になさい、タルヴァ公爵。横暴にも程がある、不敬ですよ」
その言葉に、思わず眉を顰める。
そもそもユーフラティスは、王妃が第二王子を虐げていた時、見て見ぬ振りをしていたではないか。シュゼイン公爵に目をつけられたから表向き諦めただけで、第二王子を潰すことを容認していたのではなかったのか。
そう返すと、静かにかぶりを振る。
「……気がつかなかったんだよ、間抜けなことにね。……もしかしたら心のどこかで目を逸らしていたのかもしれないが……それでもあのような非道、許した覚えはないよ」
「ハッ!非道、非道、ね。あの男がやったことと比べれば、可愛いものでしょうに」
自分は、新たな悲劇を防いでいるのだ。感謝されこそすれ、責められる謂れなどない。
そう答えるとユーフラティスは、悲しげに自分を見た。
「……あの子は……フリード殿下は、ディライズではないよ、『マーカス』」
「?当たり前です」
何を当然のことを、と呆れ返った。
だから、ああならないよう、手を尽くしているのに。
ユーフラティスはその答えに肩を落とした。
「……そうか。君は……それでも自分が正しいと、そう言うんだね………」
ゆっくりと顔を上げたユーフラティスは、「ガラク侯爵」の顔をしていた。
「マーカス。私はフリード殿下を王にする。……この悪意と憎しみの連鎖を終わらせるには、それしかない」
「はあ?何を馬鹿なことを。お飾りにでもする気ですか?」
「お飾りになどしない。あの方には自分で考え、行動し、決断できる王になっていただく。きっとまだ間に合う……」
「何ですって!?」
ショックだった。
姉の友人であった彼自ら、あの悲劇を繰り返そうだなんて。
「冗談でしょう!?何を言っているんですか、ユーフ兄様!」
「冗談でこんなことは言いませんよ、『タルヴァ公爵』」
そう言うと、ユーフラティスはこちらに背を向けた。
「最後の忠告です。……悲劇を繰り返そうとしているのは、第二王子殿下ではない。タルヴァ公爵、貴方です」
姉の友人とは、それっきりだった。
やがて王子たちは成長したが、やはり第二王子は凡庸だった。
知性のない獣や蛮族相手なら多少は交渉ができるようだが、その程度。我慢強く、穏やかなだけが取り柄の外交担当など、何の役にも立たない。
(ガラクの教育を受けて、あの程度なのだ。やはりあの男同様、頭が悪いのであろう。ガラクの助言なしに、予想外のことに対応できないはず)
娘が即位記念パーティーで何やら企んでいるのは知っていた。
成功すればそれで良し。
失敗しても、情に訴えて有耶無耶にしてしまえばいい。
(何やらぐだぐだ言っていたが、ぬるい男だ)
強引にでも言質を取ってしまえば、万事解決だ。
タイミングを見計らって忌々しいガラクの倅を引き離し、他のガラク一族も、まだ言うことを聞く分家に足止めさせた。
完璧なはずだった。
そう、思っていたのに。
「第二王子」は素早く状況を把握し、驚くほどあっさりと、厳正に、娘たちを裁いてみせた。
言質を取ろうとしても、何か言う前に切り捨てられ、その眼差しは取り付く島もない。
頬を、冷や汗が滑り落ちる。無意識に、その場に跪いていた。
(誰だ、これは)
そこに、見慣れた「我慢強く穏やかなだけが取り柄の王子」はいなかった。
冷たくこちらを見下す、知らない怪物が、そこにいた。
お読みいただき、ありがとうございました。




