28.嵐月の第二十八日・後編
しかし、事前にその報告を受けていた執務室の面々は、少し眉を顰めただけで気にも留めない。
フリードもすぐに書類に視線を戻す。
「読んでませんからね」
「な!?」
そもそもフリードは、王太后からの手紙に触れてすらいない。届き次第、目の前で焼き捨てさせている。
インク瓶からインクを補充しながら平然と答えると、王太后はカァッと顔を赤くした。
「母に対してなんて真似を!薄情な子!そんな風に育てた覚えはありませんよ!」
「……」
喚き続ける声を無視し、再び書類を書き始める。
すると、王太后は不敬にもフリードを指差した。
「悪いと思うなら今すぐわたくしの幽閉処分を解き、ソラシオ公爵家から奪った金を返しなさい!」
この一言には、さすがに反応せざるをえなかった。片眉を吊り上げ、顔を上げる。
「奪ったのではなく、前ソラシオ公爵が国庫から横領していた分を返還させたのです。お間違えなきよう」
「そんなことはどうでもよろしい!!」
(ダメだこりゃ)
ため息を吐く。
その反応に、王太后は目を吊り上げ、ツカツカと執務机に歩み寄ると、ぱっと手を上げた。
「わたくしの言うことが聞けないのですか!?」
手が振り下ろされる。
しかし、顔を庇ったり、避けることはしない。ここは執務室で、フリードは王。
フリードに危害を加えるような行動を、ミルドランが許すはずがない。他の武官たちも然り。
静かに王太后を見つめる。
しかし、その手を掴んだのは、ミルドランたちではなかった。
「アン?」
ふんわりと愛らしい茶髪を揺らしたアンバレナが、狼の気迫をもって振り上げた腕を握り込んでいた。
慌てた様子でアンバレナの侍女と護衛が後ろから駆け寄ってくる。侍女の腕には布をかけたバスケット、差し入れにでも来てくれていたのかもしれない。
普段は鈴を転がしたような声が、今は低く威嚇するように静かに告げる。
「……まさかと思いますが王太后様。陛下に手をあげようとなさったのでしょうか。我が国の大切な、同盟相手に。我が愛しの婚約者殿に」
かつて共和国との会談で感じた殺気と似た空気が、肌を灼く。鋭い琥珀色の瞳が、王太后を射抜く。
可愛らしい姿と上品な立ち振る舞いでつい忘れがちだが、アンバレナもまた、狩人の民なのだ。
フッ、と鼻で笑う。
「鉱国の王太后ともあろうお方が、ずいぶん野蛮な真似をなさいますのね」
「……!ぶ、無礼者!穢らわしい獣ごときがわたくしに触れるなど!不敬ですよ!」
フリードはため息を一つ吐くと、ぎゃいぎゃい騒ぎ立てる王太后に吐き捨てた。
「王太后様。彼女が正しい。私は王で、貴方は単なる先王の妻。王に手をあげるなど、反逆行為と見做されて当然です。それを咎めたところで、責められる謂れはない」
「なっ!?」
王太后は驚きに体を震わせ、すぐさま怒鳴りつけた。
「お前はわたくしの息子でしょう!?何故わたくしを庇わないの!?」
「はっ?」
今度はフリードが驚く番だった。意味不明な主張に目を瞠る。
「公爵家では政略の道具としてしか扱われず、愛人のいる男に嫁がされ!最愛の息子はあの男のせいで死んだ!なのに、どうして貴方までわたくしの味方をしてくれないの!?」
泣き叫んで暴れる王太后。アンバレナが怯えたのを見てとり、侍女に代わりに押さえさせた。
「誰もわたくしを愛してくれない!!こんな仕打ち、酷すぎるわ!」
「……公爵家や先王の態度は、問題があったのでしょう。それは、同情します」
しかし彼女の悲鳴は、フリードには、ただ煩わしいだけだった。
「ですが王太后様。もし親として子に愛されたかったのなら、貴方は親として子を愛するべきでした」
「え……?」
細く息を吐き、冷静に諭す。
「貴方は周りの人間が酷いと言いますが、私は?自分同様、酷い目に遭っていると思ってくださいませんでしたか?」
「何故?」
暴れたせいで乱れた髪と、キョトンとした顔が、酷くミスマッチで。
思わず笑ってしまった。
「ただ王妃の子というだけで、父親に疎まれる。ただ父親に顔が似ているというだけで、父に恨みを持つ者たちに憎まれる。母親は庇うどころか率先して攻撃してくる始末。そんな私の人生を、可哀想とすら思って下さらなかった?一度も?それで私には『母の不遇を憐れめ』と?」
そこで一度言葉を切り……吐き捨てる。
「なんの冗談だ?」
空気を求める魚のように口を開け閉めする王太后。
「どうせ兄上のことは復讐の道具、私のことは憎い男の身代わり人形、としか思っておられないでしょう?それを愛しているとは言いません。ご自分でもそうおっしゃっていたじゃありませんか。何故自分が愛さない相手から愛されると思ったのですか?」
彼女が本当に第一王子を愛していたかは、知らない。
しかし、愛されなかった下の子は、母親の心の柔いところに爪を立てることを躊躇わなかった。
「お可哀想な兄上。復讐の道具にするためにかけられた手間を愛と勘違いし、実の父と弟を憎んで死んだ、愚かなひと」
歌うように、憐れむように侮蔑の言葉を吐く。
「ねえ王太后様。王太后様が今まで受けた仕打ちと、王太后様が我が子たちにした仕打ち、どう違うのです?我が子を破滅に追いやった分、王太后様の方が酷い気がしますが」
「そんな……そんな、こと」
「あるでしょう?貴方と貴方を虐げた方々は、同類ですよ」
とどめの一言に、王太后がその場にへたり込んだ。
「…失礼します。…回収に参りました」
凍るような殺気と共に、シュゼイン公爵が入室してきた。フリードは微笑んだまま、感情を消した声で告げる。
「王太后様はお疲れのご様子だ。丁重に静養先にお送りするように」
「は」
ドレスの後ろを掴まれて我に返るも、あっけなく引きずり出される王太后。喧騒が遠ざかると、フリードはうつむき、震える声で呟いた。
「……何故です、母上……何故、今日だったのです……」
「……陛下」
そっと腕に手を置いたアンバレナを、フリードは無言で抱きしめた。
王太后を引きずり出したシュゼイン公爵は、裏口から外に出て、外鍵のついた馬車に王太后を文字通り放り込んだ。
昨夜降っていた雨のせいで、泥だらけのドレスを握りしめてこちらを睨む。
「無礼者!!わたくしは王太后よ!?王の生母なのよ!?こんな……こんな屈辱、許さない!!」
「陛下の母君は、かの方を慈しみ育てた乳母である。苗床を供しただけの罪人が名乗っていいものではない」
シュゼイン公爵は淡々とフリードの言葉を伝え……低く、冷たく、告げる。
「…まあいい。これで最後だ。教えてやろう」
幽閉中の王太后が、執務室まで来ることを許された理由。
お目汚しをする前にと進言したシュゼイン公爵を、フリードが止めた理由は。
「本日、嵐月の第二十八日は、フリード・イクス・アロイジア陛下のお生まれになった日だ。…自分が産んだ子の誕生日も覚えていないとは、恐れ入った」
王太后の返事を待つことなく、シュゼイン公爵は扉を叩きつけるように閉ざした。鍵をかけ、短く命じる。
「出せ」
「はっ!」
王太后を乗せた馬車が、遠ざかっていく。『静養先』は今まで以上に警備の厳しい場所だ。もし再び彼女がフリードの前に顔を出すとすれば、彼女自身の葬儀くらいだろう。
シュゼイン公爵は馬車に背を向け、呟く。
「…りんごのコンポートとミルクティーを、用意して差し上げねばな」
今日くらいは。一言くらいは。
祝ってくれるかもと、思ってしまった。
という訳で、今日(掲載日)はフリードの誕生日でした。
フリード誕生日おめでとう!という方は、☆を塗り塗りしていただけると、作者とフリードが喜びます。
お読みいただき、ありがとうございました。




