3.命懸けの親子ゲンカ
流血表現注意。
報告を受けたフリードが東棟に駆けつけると、第一王子の私室の前で、国王と第一王子が怒鳴りあっていた。
「この期に及んでしらばっくれるか!!」
「ですから、知りません」
「ふざけるな!余が見ていたんだぞ!!」
第一王子は毅然と対応しているが、どうも旗色が悪いらしい。
フリードはさっと周囲を見渡し、比較的親しい近衛騎士を捕まえた。
「第一王子殿下が第三王子を殺したと聞いたが、間違いは無いのか?」
「だ、第二王子殿下!?……はっ、陛下と側妃様について庭を散策していたところ、ガゼボで第一王子が第三王子を隠し持っていた刃物で……」
その声を、国王の怒鳴り声が遮った。
「貴様のその銀髪を、誰が見間違えるか!」
(まあ、確かに)
あまり似ていない父子は、どちらも特徴的な紫がかった銀髪に、サファイアのような青い瞳。アロイジア王家特有の色だ。
今現在この銀髪を持つのは、ユランの祖母である元王姉・アメシスト大公と、王家のスペアたるウォレス公爵母娘。そしてフリードの目の前の二人と、被害者とされる第三王子だけだ。他の王家の血が濃い者たちは、紫より青に近い輝きの銀髪。
性別も違うし、見間違えるはずがない。
第一王子の胸ぐらを掴むが、相手が国王だからか、護衛が間に入りづらそうだ。そこで真っ先に第一王子を庇いそうな人物を思い出す。
「王妃陛下は?」
「事件直後の側妃様と庭園で鉢合わせて、その……取っ組み合いのケンカを」
「……そう」
なんだかもう、脱力してしまう。
「第二王子殿下……あの……」
「無理だぞ?」
「ですよね……」
しょんぼり侍従が引き下がる。二人の周囲には、通りすがりの使用人や近衛騎士、文官たちまで集まってきてしまっている。しかもじわじわと人数が増えている気すらした。
しかし、全員困惑顔で、一定の距離を保ったまま様子を窺うだけ。
公衆の面前で子どものようにケンカをしているが、コレでも、我が国の最高権力者とその長子である。止める権限があるのは、第二の権力者・王妃、王城執務のトップ・宰相、城内の治安維持という意味で将軍。せいぜいがこの三人のみ。
王妃は事態を悪化させる気しかしないし、第三王子殺害ともなれば、将軍は手が離せないだろう。
とはいえ、何もしないのもなんなので、一歩前に出て声をかける。
「陛……」
「うるさい!!」
「黙ってろ!!」
「……申し訳ありません」
案の定、取り付く島もない。元の位置に戻る。先ほどの侍従が申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「宰相と将軍に報告は?」
「将軍は現場の保存と検証、それと……お妃様たちの仲裁にかかりきりです」
我が国の公爵にして軍部の最高権力者に、何をさせているのか。頭痛を感じ、額を押さえる。
「宰相閣下にはすでに使いをやっております」
「ご苦労。会話の記録はしているか?」
「はっ」
「よし」
黙っていろと言われたフリードに仲裁する義務はないし、宰相の到着を待つべきだ。
しかし、いつも以上に酷い揉めっぷり。
(何かあったらすぐに止められるようにだけしておくか)
揉めている二人から目を離さぬまま、静かに兵を配置する。すぐに止められる位置にいる親衛隊が従わないのは仕方がない、さすがに越権行為だ。
「お前がグライドをお茶会の口実で呼び出したことは知ってるんだぞ!!」
「お茶会……?」
第一王子がキョトンとした顔をした。その様子に違和感を覚えた瞬間、第一王子の顔が醜く歪んだ。
「嵌められたのです!私は、お茶会なんて用意していない!今だって、酒を飲んで寝ていたんだ!!」
「貴様ぁっ!!」
剣を持つように構えた王笏を見た瞬間、全身から血の気が引いた。
「陛下を抑えろ!!」
叫んだ瞬間、王笏の下半分がからんと床に落ちた。
抜き放たれた刀身。
有事の際、王自身を守るための護身の剣。
王族しか知らない秘密を目撃し、騎士たちはぎょっと目を剥いた。
だからこそ、反応が遅れた。
純白の直刃は、避けようも防ぎようもない至近距離で、丸腰の第一王子の心臓を貫いた。
「かっ、は……」
第一王子の体がかすかに痙攣した。
血飛沫が花嵐のように舞い上がる。
引き抜かれた刃の赤さが、やけに目に焼き付いて。
「っいけません!!」
ユランが咄嗟にフリードの前に出て、視界を遮る。
ぐちゃりと、肉を突き刺す音がした。
「グライドの痛みが少しは分かったか、この外道め!!貴様のことは生まれた時から気に食わなんだ!!この!この!」
「おやめください陛下!」
「殿下!殿下ッ!」
「陛下を押さえるんだ!!」
「医務官を!」
粘着質な音が何度も響き、兵士の怒声と侍女の悲鳴が木霊する。
いつのまにか、フリードの親衛隊がフリードを守るように立ち、険しい顔で構えていた。
叫び声と厭な音が落ち着き、荒々しい息遣いが廊下を支配した頃、フリードはユランの肩を叩いた。
「殿下」
「大丈夫だ」
紙のような顔色のユランを押し退けて前に出る。
血の海に浮かぶ第一王子。親衛隊が必死に止血しているが、どう見ても手遅れだ。布の無駄じゃないかな、と自分の中の冷めた部分がささやく。
(オーケー、私はまだ冷静だ。いや明らかに冷静ではないが、国王よりマシな精神状態だ)
その国王は、近衛に押さえつけられ、絨毯の上に跪かされている状態だった。
王だけに許された上質な黄金のマントは鎧の膝当てで踏みつけられ、繊細な衣装は年季の入った籠手で乱雑に掴まれている。興奮で猿のように真っ赤な顔には、威厳の欠片も無い。
国王の青い瞳が、フリードのヘーゼルの瞳を捉えた。
「マーシャ!お前が、お前さえいなければ!何だその顔は!余の顔を盗るな!!」
「……は?」
押さえつけられたまま暴れ、がしゃがしゃと鎧の音が鳴り響く。
「王家の色もないくせに!余が娶ってやったのに感謝もせず賢しく王妃を騙り傲慢な悪女め!ヴァリーを虐げる悪魔!王妃はヴァリーだ!!たかが雑用係の分際で、王子など生みおって!王女なら宰相の長男に押し付けてやったのに、男を生むなど、恩知らずな!お前のせいでグライドの継承順位が下がったんだ!せめてもの詫びにグライドを支持せんか!お前なんぞソラシオ公爵家さえなければ!」
「陛下?」
困惑して声をかけるが、返ってくるのは王妃への罵声ばかり。
(髪の色、か?)
見かねたユランが再びフリードを背中に隠すと、その矛先はユランに……いや、宰相に向いた。
「貴様もだユーフ!何故余が我慢などせねばならん!余が望むものを準備するのが貴様の仕事だろう!何が後ろ盾だ!!ヴァリーを称えろと言っただろう、この簒奪者が!そんなに王位が欲しいか!?下民なんぞよりヴァリーとグライドの幸せの方が大事だろうが!予算なんぞ、ヴァリーとグライドのための金を取った後にしろ!足りなくなれば増税でもしておけ!!」
「!何を……!」
「庶民など、貴族など!王族以外、いや余とヴァリーとグライド以外、国に巣食うダニではないか!何を媚びへつらうことがある!余の国だ余の王家だ!!」
思わず反論しかけるが、国王はお構いなし。それどころか、余計に暴れる始末。
まるで駄々っ子だ。
すると、視界の外から心底不快そうな声がした。
「……なにやらずいぶんなことになっておりますな」
声の方を見ると、袖で口元を隠した宰相が、眉を顰めつつこちらに歩み寄ってきたところだった。
「……父上」
「宰相」
「申し上げたきことは山ほどございますが……フリード殿下、お怪我は?」
「無い。……宰相補佐と親衛隊が守ってくれた」
「それは良うございました」
ユランの父である宰相、ユーフラティス・ジード・ガラク侯爵はフリードに微笑みかけると、すっと視線を逸らした。
「陛下と第一王子殿下は……まあ、聞くまでもなさそうですな」
はっとして宰相の視線を追うと、錯乱した父王の背後、血の海に横たわる第一王子の顔に、侍女がそっと白いハンカチを乗せた。痛ましい表情で首を横に振る医務官。
「……第一王子殿下は、お亡くなりになりました……」
「そうか」
宰相は短く黙祷を捧げると、「死亡診断書を作成せよ」とだけ命じて振り返った。
「先ほど、第三王子殿下の死亡届とそれに伴う事務処理を請け負いましたが……また状況が変わったようですな。お聞かせ願えますか?」
「……宰相補佐、説明してやれ」
「は」
ユランと目撃者たちが宰相に説明する間もずっと、王は意味不明なことを喚き散らしていた。
(しっかりしろ、フリード・イクス・アロイジア第二王子)
第一王子は死んだ。
王は乱心中。
未確認だが、第三王子も死んだようだ。
(お前は今、この場で唯一指示が出せる王族。ぼーっとするな、最悪、王妃に全部の罪を被せられるぞ)
手で顔を覆い俯くふりをして、周囲を見渡す。
(人数的にも派閥的にも、緘口令は敷ききれない。ことの次第だけ確認して、慌てて報告に戻った者もいるようだ)
ならば隠さず、公明正大に。こちらに疚しいことはないと、しっかりアピールしなければ。
タイミングを見計らって息を大きく吸い、精一杯威厳のある声を出す。
「……国王陛下は、最愛の第三王子の死で御乱心なされた」
その宣言に、廊下が静まり返る……と同時に、未だ騒ぎ続ける王に視線が集中する。
フリードはゆっくり続けた。
「第一王子殿下もお亡くなりになられた。よって王家法に則り、この場はこの私、フリード・イクス・アロイジア第二王子が仕切る。異論のある者は今申し出よ」
すると皆はっとして振り返り、慌てて各々の立場に応じた礼を取った。鷹揚に頷く。
「ではまず、この件を将軍と監査室へ。王妃を自室にて謹慎させよ。生家のソラシオ公爵家にも兵を向かわせろ。疑いが晴れるまで監視する」
「は!」
どれも将軍が指示すると思うが、念のためだ。特に王妃は、フリードのお墨付きがないと拘束しづらいかもしれない。
「それと、陛下を砂金の間へ」
「は。……さあ陛下、こちらへ」
「マーシャァァァ」
叫び散らす父王を力づくで連れて行く近衛騎士隊。
「第一王子殿下の親衛隊と侍女、近衛騎士隊の指示に従い待機。それと……」
(あとは……あとは………)
指示を出し続け、必死で頭を回し続けていると、足元がふらついた。
あっと思った瞬間、背中を誰かの手が支えてくれた……ユランだ。
宰相がしずしずと前に出て、臣下の礼をした。
「後のことは、我々にお任せを」
「……ああ。……私は少し、休む……」
「御意のままに。宰相補佐、殿下に付いていて差し上げろ」
「は」
ユランはさっと姿勢を正した。まだ顔は青いが、さすがに未来の宰相だ。
「殿下、お供いたします」
「ありがとう、ユラン……」
どうにか王子の威厳を保ちながら、自室に戻る。
扉を閉め……呆然と呟く。
「……とんでもないことになったな………どうなるんだ、これ?」
「……知らん」
冷静なユランまで呆然としていたのが、少しだけ面白かった。
お読みいただき、ありがとうございました。