23.初恋を失わないために
問題が発覚したのは、三日前、それから二週間後だ。
ミルドランとユランがとある汚職の後処理をしていると天井から栗毛が降ってきた。
「陛下、少々お耳に入れたいことが」
「スッ……コットか。どうした」
悲鳴を上げかけるのを堪え、天井から逆さまにぶら下がる栗毛の影に問いかける。
「ここ最近、後宮の様子を窺っているのですが……どうも違和感があり、ご報告をと」
「なんだと?」
報告書の内容に、徐々に頭に血が昇っていく。
曰く、後宮の侍女はアンバレナを軽んじている。
真面目に仕事をするのはアンバレナが連れてきた侍女だけ。
食事は獣の民が好まない葉物野菜ばかり。逆に獣の民が好む肉類は一切出さない。
掃除は一切せず、厨房の生ごみが投げ込まれていることすらある。
命じても風呂の支度をせず、それどころか冷水を頭からかけ「獣にはこれで十分」とせせら笑う。
極め付けは罵詈雑言。「獣の王妃を認める鉱国民はいない」「毛むくじゃらでおぞましい」「獣が歩くと汚れるから掃除しても無駄」「国王も醜い婚約者を疎んでいる」と。
報告を聞き終えた瞬間、頭の中でぐちゃぐちゃに渦巻いていた罵倒の言葉が、すっと消えた。脳内がクリアになり、芯まで冷えていく感覚がする。
「……シュゼイン公爵を呼べ」
「ここに」
流れるように出てくる自分の言葉が、どこか遠い。
「後宮の使用人を、即刻全て回収しろ」
「…陛下?」
「全員、私が信用できる者に入れ替え」
「…陛下」
「回収した者は事情を確認次第、処分」
「陛下」
溢れ出る言葉をシュゼイン公爵が止めた。
「…落ち着いてください」
「だが!!」
「陛下!」
シュゼイン公爵が怒鳴った瞬間、はっと我に返った。体に馴染ませるように何度も深呼吸を繰り返す。
「………助かった。ありがとう、シュゼイン公爵」
「…いいえ。差し出がましいことを申し上げました。お許しください」
「構わん。……頭に血が昇っていた」
「…娘を侮辱した令嬢に、赤ワインをボトルでぶちまけた時の私と比べれば、まだ冷静でしたな」
謝罪をした舌の根も乾かぬうちに、無表情でお茶目なことを吐かすシュゼイン公爵。ちなみに、実話である。
「それと比べられてもなあ……」
苦笑で返すと、少しだけ目を細める。
「とにかく、急ぎ対応しないと。ユラ……ユラン?ミド?」
振り返ると、ユランが三つの目全てを大きく見開いて硬直していた。ミルドランもどこか緊張した面持ちだ。
「大丈夫か?」
「……え、ええ。大丈夫です」
「し、失礼しました」
そっと声をかけると、たった今こちらに気がついたように姿勢を正す。
首を傾げていると、スコットが念を押すように口を挟んだ。
「そのご様子ですと、陛下のご指示ではないのですね?」
「ああ。絶対に違う」
「…でしたら、使用人はもう入れ替えてしまいましょう。とりあえず侍女として潜り込ませている暗部の影から出します。人選は…」
「私がよく見知っている相手。護衛や潜伏、危機察知に優れた者なら望ましい」
被せ気味に断言すると、シュゼイン公爵が頷いて指示を出す。
「…ではそのように。行け」
「はっ」
スコットが天井裏に戻る。
「ユラン。後宮の侍女を選んだのは誰だ」
するとユランは、戸惑いながら答えた。
「それはもちろん、侍女長です」
「さて侍女長。お前が自分の腹心を送り込み、王女殿下の侮辱を指示したことは分かっている」
シュゼイン公爵が横で剣を片手に待機する中、フリードは看守に持って来させた椅子に腰掛け脚を組んだ。
「何故このようなことをした?」
すると侍女長は、ほつれた髪を振り乱して叫ぶ。
「陛下が悪いのです!エルザ様を蔑ろにしてあんな獣女を!」
「はっ?」
「あの獣女が!エルザ様の邪魔をするから!!」
一瞬困惑したが、その名には聞き覚えがあった。
「エルザ様とは、亡き第一王子の婚約者だった、タルヴァ公爵令嬢エルザ・ジル・タルヴァのことか?」
こくりと頷く。
(そうだ、思い出した)
どこかで見た顔だと思ったら、第二王子の頃のフリードを睨んでいた、タルヴァ公爵家の侍女の一人だ。
「…かつては令嬢の乳母をしていたそうだな」
剣を床に突き立てて侍女長を威圧していたシュゼイン公爵が確認すると、一瞬震えて目を逸らす。
どんな手を使ったかは知らないが、その後王城に潜り込んで侍女長をやっていたらしい。
「邪魔とは?私の婚約者は最初からアンバレナ王女だったが」
その途端顔を歪め、唾を撒き散らしながら怒鳴り散らした。
「あんなケダモノが、王妃に相応しいはずないでしょう!?野蛮なメス狼なんぞなれるはずもないのに、アレが陛下の婚約者の座にしがみつくのが悪いッ!!」
「ッ!?」
咄嗟に怒鳴り返す。
「共和国と我が国のため、両国の楔になろうとしてくれている王女殿下に、何を吐かすか!感謝どころか侮辱し、不便を強いるなど!!」
アンバレナ。
親からも、兄弟からも、臣下からも民からも、愛された王女。
彼女自身、想い慕う相手だっていたかもしれない。にも関わらず、政略を理由に故郷から引き離し、見知らぬ相手と婚約させ、同族すら少ないこの地で生きることを強いているのだ。
(せめて身の回りくらいは不自由なく過ごしていただきたかったのに、なんだこいつらは)
獣の民よりずっと、ケダモノではないか。
「…陛下」
闇より深い黒の瞳が、じっとフリードの目を見つめる。フリードはぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
「分かっている。……あとは任せた」
「…御意のままに」
踵を返すと、信じられないと言わんばかりの金切り声がした。
「あんな獣女の味方をなさるのですか!?汚らしい!アレを王妃にしようだなんて狂ってる!!王妃に相応しいのは、エルザ様だけよ!!」
アンバレナを罵倒し続け、タルヴァ公爵令嬢を褒め称え続ける声が、地下牢に響き渡った。
「……っかれた……!」
何重も扉をくぐり、王城に戻ってくると、途端にどっと疲れがきた。
「あんなところにまで……!クソッ、盲点だった」
「…人は欲しいもののためならば、悪鬼にも悪魔にもなります。…タルヴァ公爵並びにその家族が欲しいのは、かつて姉が座るはずであった、王妃の座なのでしょう」
その言葉に、フリードは自嘲した。
「そんなにいいものでもないがな、王も、王妃も」
「……陛下」
王族とは、民のための生贄、貴族の身代わり、国の奴隷。
横暴と贅沢を尽くそうと思えば限りは無いが、その喉元には常に剣が突きつけられている。
ユランが咎める口調でフリードを呼んだ。微笑んで応じる。
「分かっている。あまりに『王妃王妃』とうるさいから、少し愚痴りたくなっただけだ」
そんなことより、今はアンバレナだ。
額を手で覆い、何度目になるかもわからないため息を吐く。
「謝罪しないと……宰相、予定の調整を」
「は」
モヤモヤしながら執務に戻ると、一時間後、ユランが執務室に飛び込んできた。
「陛下!!」
「どうした、宰相」
「どうしたもこうしたもありません!!人払いを!」
人を下げさせると同時に、彼らしからぬ大股歩きで執務机に歩み寄った。臣下としてではなく、幼馴染としての口調で詰問する。
「君、最後に後宮に行ったのはいつだ?王女殿下からの手紙に返事を出したのは、いつだ!?」
「あ」
フリードの口から、妙な音が漏れた。
「謝罪のために予定を調整しようとしたら、『ずっと手紙を送っているのに、陛下から一度もお返事がない』と言われたぞ!?何をやっているんだ!?」
「……い、忙しくて、忘れてた」
「アホ!!」
あまりにも間抜けな返答に、ユランが頭を抱えた。
「君、確実に誤解されてるぞ!?気に食わない婚約者を侍女を使って攻撃させた、と!」
「……!」
アンバレナの可愛い笑顔が脳裏をよぎり、一気に血の気が引いた。
その様子を見て息を整えたユランは、口調を元に戻して諭した。
「とにかく、今すぐ王女殿下のところに行ってください。今日はお茶にお誘いいただいています、陛下はお返事をしておりませんがね!!」
「し、しかし仕事が……」
両側の書類の山と、書きかけの書類を交互に見ながら思わず反論する。
ユランが苦々しく吐き捨てた。
「……ここしばらくの陛下の仕事量は異常でした。何か抜けが出てもおかしくはなかった。王女殿下について確認を怠った、我々にも責任はあります。ここは私が片付けておきますから!」
「……!助かる!」
書きかけの書類を放り出し、袖にインクがついていないか確かめて上着を身にまとう。
「あ!!シュゼイン公爵!ちょうどいい、付いて来てくれ!」
「…は?何故です?」
報告書を手に執務室に入ってきたシュゼイン公爵を捕まえて、手短かに事情を話す。
「そんなわけで、謝罪に行くのだが!!女心の分かりそうな側近が公爵しかいない!助けてくれ!!」
そう言って泣きつくと、シュゼイン公爵はチラリとユランとミルドランの顔を見た。
「…………………………………………では影からついて参ります」
「頼む!!」
「陛下は俺たちのことをなんだと思ってるんです!?」
「諦めろ、私も君もどうせ未婚の婚約者なしだ」
お読みいただき、ありがとうございました。




