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22.婚約者とフリード

 何重にもなっている扉をくぐり、石畳を踏む。天井から滴る水滴が、フリードの靴を濡らした。

「…滑りやすいので、足元にお気をつけください」

「ああ」

 声と足音が反響する。 

「地下牢なのですね」

「…私の方でおおよその事情聴取を行い、こちらが適切と判断した。何せ、事が事だ」

 普段は感情を隠しているシュゼイン公爵が、深く、ため息を吐いた。

「…未来の王妃で、同盟国の王女殿下を侮辱するなど」



 テルセン辺境伯が土下座する一週間前。


 共和国から、フリードの婚約者・アンバレナがやってきた。


 当日の朝、フリードたちの前に現れたのは、ラゴートなる巨大なヤギの魔物と、ラゴート用に改良された馬車だった。

 馬車が止まり、獣の民の偉丈夫が降りてきた。


「ようこそいらした、アカガネ王。いや、共和国国王と呼んだ方がいいかな」

「直々のお迎え感謝します、アロイジア王。どちらでも構いません。角族の長、クロガネ王もまた、共和国国王ですので」

 偉丈夫が、爪を握り込むように両手を組み、それで口元を隠した。獣の民の正式な礼だ。フリードも鉱国の正式な礼で応じる。


 共和国は、獣の民と角族の国だ。姿形も得手不得手も大きく異なる二人種は、共存するための手段として、それぞれで王を立てることを選んだ。国としての方針は王同士の話し合いーーー時には殴り合いで決め、外交ではより関わりが強い方が出張ることになっているらしい。

 ちなみに、フリードの婚約者がアカガネ王の娘なのは、未婚で年頃の、王子妃に見劣りしない地位の女性が、他にいなかったからだ。おそらくは今後の共和国とのやりとりは、アカガネ王が主な窓口になるだろう。


 挨拶を終えたフリードは、アカガネ王の肩越しにそっと馬車の方を見やる。

「ところで、我が婚約者殿は馬車の中かな?」

「はい」

 鉱国では、婚約者は自身の手でエスコートするのが習わしだ。フリード自ら馬車に歩み寄る。


(やっと会える)


 手紙でしか知らない婚約者。言葉選びや文体を見る限り、誠実な人なのは知っている。

 ならばどんな女性でも大切にしようと決めていても、やはり顔合わせの瞬間は緊張するものだ。


 どきどきしながら軽く扉をノックする。


「私の可愛い人。そのかんばせを私に見せていただけますか?」

「どうぞ、私の愛しい人」

 鈴を転がすような声に、思わず笑みが溢れる。扉を開き、そっと手を差し出すと、その上にフリードより少し小さな手が乗せられた。



 馬車の中の人物と目があった瞬間、フリードはかちりと固まった。



「ありがとうございます、陛下」

「……あ、ああ」


 後ろの方で待機していたユランとミルドランは、フリードの声がかすかに強張ったのを聞きとった。

(……フリュー?)

(え、何、どした?)

 そんなユランとミルドランの心配を他所に、フリードは慣例通り王女を馬車から下ろすと、数歩下がって改めて王女に向き直った。


「アカガネ氏族の長が娘アンバレナが、アロイジア鉱国の至高なる黄金、フリード・イクス・アロイジア陛下にご挨拶申し上げます」


 王女ーーーアンバレナは綺麗な鉱国語でそう言うと、共和国の伝統装束で美しいカーテシーを披露する。

 迎えに出ていた他の者たちが称賛の眼差しを向ける。

「生まれつき鉱国の高位貴族と言っても差し支えない鉱国語だ」

「カーテシーもパーフェクトなのです」

「優秀な方というのは、確かだったな」

 隣にいない限り聞こえないような小声だが、耳のいい獣の民にはよく聞こえたらしい。アカガネ王が心持ち誇らしげに娘を見る。


 にも関わらず、フリードだけが目を剥いたまま無言で硬直していた。


「……陛下、陛下」

 ユランが後ろから小突き、ようやく反応を返す。

「……顔を上げてください、アカガネ氏族のアンバレナ王女殿下。ご挨拶ありがとうございます。アロイジア鉱国へようこそいらっしゃいました。鉱国を代表して歓迎致します」

「ありがとうございます、陛下」

 フリードの言葉を受けて顔を上げ、微笑むアンバレナ。


 その上品だが愛らしい笑顔にも、フリードからぎこちなさが抜けない。


 ミルドランとユランは困惑して親友兼主君を見つめるが、アカガネ王の手前、問い詰めるわけにもいかない。

(フリュー?フリュー?)

(あんなに楽しみにしていただろう、一体どうした?)

 談笑する王たちの背後で、側近二人は目配せし合う。

(終わったらフリューを〆る、でいいよな?)

(そうだな。早急に解決すべき問題だ)

 二人はアイコンタクトでそう会話し、さっと澄まし顔に戻った。

 フリードのためならば別にフリードが間に入らずとも協力できる二人だが、フリードがそれを知ることはない。


 同盟の内容を微調整し、互いに署名をする。自分の名を書き終えると、アカガネ王は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「慌ただしくて申し訳ありませんが、そろそろ……」

「ああ。即位式でお会いするのを楽しみにしている」

 握手をすると、アンバレナを抱きしめるアカガネ王。

「アン……陛下と一緒に頑張るんだよ。だが無理はしないように、な?」

「お父様ったら、またすぐにお会いするではありませんか」

「心配なんだよ。くれぐれも体に気をつけて」

 こうしてアカガネ王は、愛娘を置いて共和国へ帰って行った。


 今日からアンバレナは、王妃教育のため、王城で暮らすことになるのだ。


 アンバレナを後宮まで送り届け、髪にキスを落とす。

「私はここで。今日はもうお疲れでしょうから、おやすみになってください。何かあれば、侍女にお申し付けください」

「ありがとうございます、陛下。お言葉に甘えさせていただきますね」



 アンバレナと別れ執務室に戻ると、ミルドランが素早く人払いをし、ユランがフリードに詰め寄った。


「陛下。王女殿下への態度について、ご説明願います」


 執務机につき、ぼんやりとしていたフリードは、やはりぼんやりと口を開いた。

「……間違いなく、彼女がアンバレナ王女なのか?」

「……?ええ。共和国から戻ってきた外交官の報告では」

「…共和国に潜らせている影の報告でも、間違いないかと」

 退室させたはずなのに、いつの間にかシレッと戻ってきていたシュゼイン公爵が付け足した。

「本当に、彼女が私の妃になるのか?」

「そうですが」

 ふと嫌な予感がよぎったユランが眉を顰め警戒した声を出す。

「……なんです?まさか、今更婚約を破棄したいとか言い出しませんよね?」


 アンバレナは、獣の民と呼ばれる人種だ。

 狼の耳と尻尾、縦に裂けた瞳孔と鋭い犬歯が特徴で、その名の通り獣ーーー具体的には狼に変身することができる。人化状態でもフリードたちヒト族より身体能力が高く、一人一人が下手な新兵より強い。


(獣族差別は根強いが……まさかフリューも?)


 ユランの護衛は獣の民だが、フリードがそれについて何か言ったことはない。他の貴族の護衛と同じように気さくに接していた。しかし、いざ結婚するとなり、「生理的に無理」と感じてしまったのかもしれない。


 焦って言い募る。

「王女殿下のお気持ちも考えて差し上げてください。ただでさえ政略で住み慣れた国を離れるのに、急に王妃になれと言われたのですよ。『気に食わないからやっぱりやめた』は絶対になりません。父を呼びますよ」

 ユランが恐らく誰より激怒するであろう人間の名前を挙げると、フリードはポツリとつぶやいた。


「…………った」

「はっ?」



「嘘みたいに、可愛かった……」



 フリードの脳裏に、アンバレナの姿がよぎる。

 ふんわりと柔らかなあかがね色の髪。大きな琥珀色の瞳。鉱国貴族の真っ白な肌とも、教国に多い黒に近い褐色の肌とも違う、小麦色の肌。目が合った瞬間、はにかむように微笑んで。


「え、あの手紙の人格であの外見なの……?嘘だろ……?可愛い過ぎだろう……?私の、婚約者……?……結婚まで、耐えられるか……?」


 執務室に静寂が舞い降り……ややあって、ミルドランが絞り出すように呟いた。


「……フリュー、お前……ああいうタイプの女が好みだったの……?」

「らしい……」


「…王家の未来は安泰なようで、何よりですな」


 ポカンとしたユランの背後で、シュゼイン公爵がこっそり後宮の警備を強化する計画を立て始めた。


 かの国は「共和国」なので、正確に言うと、アカガネ王は「王」ではないし、アンバレナも「王女」ではありません。彼ら・彼女らの言葉では別の意味合いの単語で呼ばれています。


 しかし、鉱国には元々、「共和制の国家」は概念すらありませんでした。

 困ったのが、獣の民の言葉を最初に翻訳した人。

 「共和国」は固有名詞として強引に訳したものの、「共和制の国家の代表者」はどう訳せば鉱国人に伝わるものかと。 

 そして苦肉の策として、


「国の代表者=王」

「国の代表者の子ども=王子・王女」


 と、これまた強引に訳してしまいました。共和国民もそこまでこだわりがないので、「鉱国語だとそうなのか」でスルーするという。


 なので、アンバレナは「王女ではないけど、翻訳の失敗で王女ということになってしまった人」です。最近ではだいぶ鉱国側の理解も進んできて、「なにやら鉱国の王族とは事情が違うらしい」とはなっています。

 とはいえ、共和国有力者の身内には違いないので、鉱国としてはそれでいいようです。



お読みいただき、ありがとうございました。

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