番外編2.ミルドランが見たい世界
長いです。
『……だからね、約束だよ』
ゴーン、ゴーン……。
「……んぁ?」
……優しい夢を見ていた気がする。
そんなことを考えながら、ベッドの上で、朝を告げる鐘の音を聞いていた。
「ッべえ、フリューの護衛!……は、休みだったな……」
飛び上がりかけた後、今日が休暇だということを思い出す。もそもそとシーツの中に戻る。
二度寝しよ。
そう思ったのに。
コンコンコン。
「ミルドラン・ゾーイ・テルセン様。朝のお荷物です」
「……うあい」
……俺は二度寝を断念した。
届いたのは、二通の手紙。
片っぽはじーちゃんの字で「エルドアン・ゾーイ・シュゼイラ」。封蝋は、シュゼイラ辺境伯家の家紋、三日月に盾。兄貴の手紙の転送か。
二枚目は……。
「うぇぇえ」
……父上からだ。変な声出ちまったじゃねえか。
渋々ナイフで封を開け、内容をざっと確認し、ため息を吐いて封筒に戻す。
やること増えちまった。
軽く身支度をして、父上からの手紙を持って、王城内の自室を出る。
宰相室に向かっていると、途中で目的の人物が友達っぽい文官と喋りながら歩いてるところを見つけた。
「ボールド!」
「ミルドラン様。おはようございます」
呼び止めると、笑顔で振り返るボールド。ユランの……再従兄弟?だったかな?とりあえず親戚だ。
「おはよう。ちょっといいか?」
「大丈夫です。代筆ですか?」
さすがユランの親戚、察しが良くて助かるわ……。
「そうなんだ。頼める?」
「構いませんよ。また食堂で昼食奢ってくださいね」
「ありがとう!」
そう言いながら、封筒ごと手紙を渡す。
マジでいつもありがとうございます、俺が独立したら、絶対高給で雇います。
訓練に行くというミルドランを見送った文官二人。友人の文官が、ボールドの手の中の封筒をチラリと見やる。
「何それ?」
するとボールドは、ひらりと封筒を掲げた。
「テルセン辺境伯から、ミルドラン様への手紙。これを見て、当たり障りのない適当な返事を考えて、テルセン辺境伯に似せた字で書くのが、ミルドラン様の頼み」
「……身内なのに?」
「身内だから、かなあ」
再び歩き出す。
「ミンジャオ。俺に何かあって代筆ができない時は君に頼むよう、ミルドラン様にはお伝えしている。だから一から説明するね」
◆ ◆ ◆ ◆
六年前。
「ミルドラン・ゾーイ・テルセン。貴方を第二王子専属護衛から解任します」
「はあ?」
突如王妃に呼び出され、フリードたちが謁見室に向かうと、王妃は玉座から居丈高にそう命じた。
怪訝な声を上げるミルドラン。やけに顔色の悪い第一王子派貴族。
対照的に、すこぶる機嫌がいい王妃と、笑顔のテルセン辺境伯。
「最近、国境が騒がしくてな。お前の力が必要なんだ」
優しく、労わるような声で呼びかけながら、ミルドランに手を差し伸べる。
「今まで放っておいて済まなかった。帰ろう、ミルドラン」
「……」
「……テルセン辺境伯」
口をあんぐりして、何も言えなくなっているミルドランの代わりに、フリードが眉間を揉みながら口を開いた。
「王族の専属護衛、ひいては親衛隊とは、普通の武官とは違う。護衛対象である王族と将軍以外からは縛られることのない、独立した存在だ。故に、私と将軍、そしてミルドラン本人の意思でなければ、辞めさせることはできない」
「私も先ほどからそう申し上げているのですが、ご理解いただけないのです」
シュゼイン公爵が冷え冷えとした声で言った。
その声に、同席していたタルヴァ公爵派の貴族たちは青ざめるが、王妃とテルセン辺境伯は笑うばかり。
「辺境伯令息たるもの、いつまでも遊んでいてはいけませんよ」
「ミルドラン、いつまで護衛ごっこなどしているつもりだ?そんなことを許可した覚えはないぞ、さあ、帰ろう」
シュゼイン公爵がぴくりと眉を動かしたその時。
テルセン辺境伯の胸に、白い花が咲いた。
「…………え?」
白い花は、真っ白な手袋で。
投げたのはミルドランだった。
「……ミルドラン・ゾーイ・テルセンは、テルセン辺境伯に決闘を申し込む!!」
手袋が、テルセン辺境伯の服の表面をずるりと滑って、床に落ちた。
ひゅっ、と誰かが息を呑んだ音がした。
親の仇を見るような目で父親を睨みつけるミルドラン。
「我が忠誠を『ごっこ』だと?ふざけるな!!決闘にて、この不名誉を晴らすことを要求する!!」
「……ミ」
「拾えよ」
直前の荒々しい姿とは真逆の、冷え切った声で吐き捨てる。
「拾え」
「無礼も……」
我に返った王妃が叫ぼうとした瞬間、そのすぐ横の背もたれに、ナイフが突き刺さった。
小さく悲鳴を上げて飛び退く王妃。
「…近頃は、決闘を申し込む気概のある者もなかなかいないので、王妃陛下がご存じなくとも、ご無理はございませんが……」
ナイフを放ったシュゼイン公爵が、いよいよ極寒の眼差しで王妃を見た。
「…我が国における決闘とは、武人がその誇りを守るための権利。口出し無用、部外者が止める権利も、法も存在しない。せいぜいが、場の進行程度」
そう言いながら剣を抜き、切先を壇上の王妃に向けた。
「…以後、口を挟まれるならば、私はこの国の武人の長として、何者であれ排除する所存です。……お覚悟を」
「あ、あ……」
「…テグロス法務大臣」
「え、あ、はいっ!」
呼ばれたテグロス法務大臣が、ぱっと人垣から飛び出した。
「法務大臣として、進行します。テルセン辺境伯。決闘を受けますか?それとも不戦敗を表明しますか?受ける場合は手袋を拾い、不戦敗の場合は侮辱発言を撤回し、謝罪を」
「……」
「テルセン辺境伯?」
「……て、撤回する!」
息子から決闘を申し込まれた事実を受け入れられず呆然としていたテルセン辺境伯だったが、二度目の呼びかけに、弾かれたように顔を上げた。
「すまなかった、ミルドラン」
「テルセン辺境伯。『先の侮辱発言を撤回します。申し訳ありません、ミルドラン・ゾーイ・テルセン第二王子専属護衛殿』です。訂正を」
テグロス法務大臣が即座に修正を要求し、テルセン辺境伯はさらに顔色を悪くした。
「……さ、先の侮辱発言を……撤回します。申し訳ありません、ミルドラン・ゾーイ・テルセン、第二王子専属護衛……殿」
「第二王子専属護衛、ミルドラン・ゾーイ・テルセン、テルセン辺境伯からの不戦敗の申し入れを受諾しますか?」
「………受諾します」
ミルドランが渋々頷いた。
「では、今回の決闘はテルセン辺境伯の不戦敗で決着しました。公式記録にもそう記録しますので、皆様もご了承願いします」
そそくさと下がるテグロス法務大臣。
フリードが一歩前に出て、まだショックを受けているテルセン辺境伯に声をかけた。
「テルセン辺境伯。一つ、いいか?」
「………」
のろのろと顔を上げるテルセン辺境伯。
「王族の専属護衛は、シュゼイン将軍による実技試験に合格し、彼の推薦を受けた者から選ばれる。それを『ごっこ』などと言うとは、我が専属護衛のみならず、シュゼイン将軍への侮辱でもある。弁えよ」
謁見室の空気が凍りついた。
恐る恐るという様子でシュゼイン公爵を振り返る。
「……あ……」
「………テルセン。……一日に一人に申し込める決闘の上限が一件で、命拾いしたな」
シュゼイン公爵はひと睨みしてそう言うと、剣を鞘に納めた。ほっと息を吐くが、続く言葉を受けて再び青ざめた。
「…もう一度言う。将軍として、ミルドラン・ゾーイ・テルセンの退任は、許可しない」
「……で、ですが、それでは我が家の兵力が」
「知らん」
吐き捨てるシュゼイン公爵。
「王族の専属護衛を、横車を押してでも引き剥がさねばならんほど足りんなら、まず軍部に派兵要請を出せ。……もっとも……」
フッ、と鼻で笑う。
「私の選抜した精鋭など、王妃陛下や貴殿にとっては『ごっこ』遊び程度のようだからな。そんな必要もあるまい」
そう言って、追い払う仕草をするシュゼイン公爵。
謁見室を守る近衛騎士たちの殺意が、王妃とテルセン辺境伯に向いた。
青ざめる王妃。たじろぐテルセン辺境伯。
ため息を吐くフリード。
「……戻っていいですよね?帰るよ、ミド、ユラン」
「「は」」
◆ ◆ ◆ ◆
「……ということがあってね」
「ずいぶん手の込んだ自殺だな。もっと楽な死に方、あると思うぜ」
「俺もそう思う」
友人、ミンジャオが呆れた声を出すと、ボールドも苦笑した。
「結局、王太后陛下とテルセン辺境伯が個人資産からかなりの額を軍部に寄付して、一応の収拾はついたそうだ。そもそも国境云々は、いつもの小競り合いを誇張しただけだったらしい」
「……やけに詳しいな」
首を傾げると、ボールドは肩をすくめた。
「軍部に友達がいてさ。『王城でテルセン辺境伯を見かけたら殺しに行くから教えてくれ』って言われてんの。そいつ、テルセン辺境伯の顔知らないから」
「……断ったんだよな?」
「快諾したが?」
「テルセン辺境伯、逃げて。超逃げて」
「だから、テルセン辺境伯は王城に近付けない。多分、即位記念パーティーにも来ないよ」
いくら戦場で多くの武勲を挙げた武人でも、軍部全体を敵に回したらどうにもできない。
ふとここで、ミンジャオが最初の疑問を思い出した。
「……いやだから、それでなんでお前が文章考えて、しかもテルセン辺境伯の字に似せて代筆をすることになるんだよ?」
するとボールドはミンジャオの目をまっすぐ見つめ……口を開いた。
「この一件以来、ミルドラン様は、テルセン辺境伯をご自分の政敵と見做している」
ミンジャオは目を見開いた。
「政敵に、非公式の自筆の文書なんか渡したら、どう使われるか分かったもんじゃないだろ?文章のクセも然りだ」
何か言おうとしたが、それをぐっと飲み込み、こう問いかける。
「……テルセン辺境伯は何も言わないのか?」
「俺の知る限りは、何も。というか、ミルドラン様の字、知らないと思う」
そう言うと、封筒の宛名をなでる。
「ミルドラン様の字、見たことあるかい?将軍閣下の字と前宰相様の字を混ぜたような、独特だけど綺麗で上品な字だよ。……こんなに斜めで、歪で、角張っていたりはしない」
よくよく考えれば、当然のことだ。ミルドランは、その二人の文字を見て、育ったのだから。
「件の友人曰く、そもそも利き手も知らないんじゃないか、って話さ」
「………その友達、どちら様?上層部の人間だよな?俺も知ってる人?」
「アンスールっていうんだけど」
「近衛騎士隊長閣下じゃねえか。マジで詰んでるな、テルセン辺境伯」
(……今月、代筆が多かったから、インク代足りてるか聞こうと思ったんだけど……)
まあいいや、と楽しげに話している二人に背を向ける。別に、手紙を受け取る時でもいいわけだし。
(でもあれ、やり合ったら死んでたの、俺だな。実戦経験カスみたいな十五のガキが、海千山千の辺境伯閣下に勝てるわけねえよ)
父上は、母上も俺たち兄弟のことも愛しているとは思う。あの時も、悪気は一ミートルもなかったんだろうし。
それでも、あの人は結局王太后が一番大事で一番正しいから、油断ならない。
(多分、最初から俺をフリューの乳兄弟にするのも、そのうち適当な口実で連れ戻すのも、予定通りだったんだろうなー……)
王族の乳兄弟は、未来の側近の最有力候補だ。養育と教育に関する金は、公費である。
すると、どうだろう。
辺境伯家の懐は痛まず、子に上質な教育を受けさせることができ。
第二王子派の重要な手駒を失わせ。
フリューの精神的な支えを奪い。
さらには第二王子派の内情や機密まで手に入れられる。
素晴らしく合理的で……馬鹿げている。
俺でも分かるほど大胆な、しかし無駄のない一手。王太后の顔がチラついた。
(ま、父上が俺の説得に失敗したことは、最大の誤算だっただろうけど)
肩をすくめて……ため息を吐く。
きっと俺たち、もっと話し合うべきだったんだろうな。
俺のフリューと生きる覚悟とか。
父上が王妃を崇拝する理由とか。
他にも、色々、たくさん。
でも、俺、俺の親友大事にしてくれねえ奴とは、話し合える気しねーんだわ……。
『私は、ミドが守ってくれて嬉しかったよ。同じくらい申し訳なかったけど……』
『悪気がないから仕方がない?「悪気がないから質が悪い」の間違いだろう。馬鹿馬鹿しい』
上手く言葉にできないモヤモヤを晴らしてくれたのは、いつもフリューとユランだった。
父上でもなけりゃ、王太后でもない。
と、目の前に黒い美丈夫が降ってきた。
「…ミルドラン・ゾーイ・テルセン。まだか」
「アッ、将軍!お待たせしてサーセン!!」
やっべ、将軍待たせてるんだった。
しかも、俺の鍛錬に付き合ってもらう予定だった。
「…あと四半刻経つうちに来なければ、襟首掴んで引きずって行くからな」
「急ぎまっす!!」
なんだかんだ、指導はしてくれるんだなあ……。
父上がああいう人だから、俺とフリューにとっては、将軍が父ちゃんみたいなもんだ。怖くて厳しくて、でも強くて優しくて、頼り甲斐のある父ちゃん。
あんまり困らせちゃダメだよな。急いで鍛錬用の服と剣を取りに行く。
『ミド。君が私の護衛にかけている情熱も、私に向けてくれている忠誠の重さも、分かっているつもりだ。だから、決闘の件、怒りはしない。しないけど…………』
『……自分を、大事にしてね。私の未来にミドがいないのは……嫌だよ』
あの日、部屋に引き上げた直後、約束、と小さい頃のように小指を絡めた。
俺は、政治のことはよく分からない。
でも、第一王子や第三王子が王になったら、王城の空気悪くなってたな、とは思う。
フリューもきっと、今ほど笑ってなかった。
俺は、フリューのためなら命張るくらい別にいいけど。
でも、フリューの未来には俺が必要みたいで。
しょうがねえなあって思いながら、でも結構嬉しかったりして。
だから。
「強くならないとな」
俺、頑張るからさ、父ちゃんたちの背中は、まだまだずっと遠いけど。
俺たちみんなで笑える未来に、ちゃんと連れて行ってくれよ?フリュー。
一ミートル=一ミリメートル
四半刻=一刻(一時間)の四分の一=十五分
一刻が実際の単位と違うため、ご注意ください。
お読みいただき、ありがとうございました。




