21.帰る場所
会議から二週間後、なんとテルセン辺境伯の方から武器の不売を撤回したいと申し出があった。
「一体何をしたんだ?テルセン辺境伯が土下座していたが……」
「…別に大したことは」
報告に来たシュゼイン公爵に困惑まじりに尋ねると、彼は平然と書類の角を整えながら説明した。
シュゼイン公爵は、王都のテルセン辺境伯邸に『腕が鈍ってないか見てやる』という口実で日参したらしい。言葉にすると、ただ、それだけ。
しかし、フリードは思わず苦笑した。
「なるほど。それは困っただろうな」
今代一の剣の使い手で、実力だけでも軍部と暗部のトップに君臨するシュゼイン公爵直々の指導。断れる武人はまずいまい。
多くの武人を育て上げたシュゼイン公爵は、実力が追いつくギリギリを見定めて指導するので、テルセン辺境伯は毎日ぐったりだ。加えて、テルセン辺境伯側には、指導してもらった礼にシュゼイン公爵をもてなす必要がある。
細身の見た目に反して、シュゼイン公爵は大食漢。放っておくと五人前は平然と平らげるので、食費に大打撃だろう。
「…その席で、『最近軍国からの輸入品が手に入りづらくて困る』と愚痴り続けたのも効いたようです」
それで、彼はようやく気がついたのだ。……自分が気に食わない王だけではなく、上位の貴族まで敵に回しかけている事実に。
しかも、愚痴っているのは情報収集から暗殺まで担う暗部のトップ。「説得するくらいなら殺した方が早い」と判断されてからでは遅い。というか、事実口走っていた。
「確かに稚拙な嫌がらせですね」
「…テルセンの長男のフォローもなかなかでした。料理がなくなると、さりげなく追加してきて」
「……震え上がっただろうな、テルセン辺境伯………」
「お願いします!武器を売るのでシュゼイン公爵をもう来させないでください!」と執務室で土下座してきたテルセン辺境伯の後頭部を思い出す。
「ところで父上の剣の腕、どうでした?」
「…あれなら今のお前の方が強い」
「よっしゃ」
「ミルドラン。今、テルセン辺境伯家はどんな様子だ?」
褒められてご機嫌の護衛兼親友に問いかけると、ミルドランはピシッと音がしそうなほどはっきり固まった。
錆びついた金属製品のような動きであらぬ方向を向き、躊躇いがちに口を開いた。
「えー、あー……。母上が実家に帰りました、ハイ」
「は!?」
思わず、椅子を蹴るようにして立ち上がるフリード。
「どういうことだ!?」
「あーっと」
気まずそうにあらぬ方向を見つめながら、ぽりぽりと頬を掻く。
「……武器の件を兄貴が母上にチクるでしょ?母上がブチ切れるでしょ?」
そこで言い争いになり、夫人が離縁を宣言。そのままさっさと荷物をまとめて、実家に帰ってしまったのだ。
「なんか、俺たちがガキの頃から、父上のこと見放していたらしくてですね?『次』があった時のために、諸々準備していたそうです……」
「うわあ……」
テルセン辺境伯は、フリードが幼少期に王妃ーーー現在の王太后から受けていた暴力を、「正当な躾」だと放置した。虐待だと訴える妻子の言葉を一蹴し、王太后を全面的に信じた形である。
「その件で、母方の祖父様たちがそりゃあもう怒って」
「当たり前でしょう」
ユランが書類から顔も上げずに即答した。シュゼイン公爵も深く頷く。
王家のゴタゴタに巻き込まれて婚約解消させられたのを哀れに思い、娘を嫁がせてやった結果がコレなのだ。怒らないはずがない。
本当はその時点で、離縁して帰ってこいと言われていたが、後継とそのスペアのミルドランたち兄弟は、当時まだ未成年。連れていけない可能性が高く、そんな父親の元へ残していくのも不安がある。
だから、有事の際はすぐ離縁できるよう、水面下で準備を進めていたらしい。
「で、案の定父上がやらかして、今に至る、と」
「直接話したことはありませんが、相変わらず期待を裏切らない御仁ですね、貴方の父君は」
「本当にな……」
やはり書類から顔を上げないままユランが感想を述べると、ミルドランはぐったりした顔をした。
離縁したい夫人に、別れたくない辺境伯。双方譲らず、徹底抗戦の構えだ。
さらに爵位の継承を要求するセルドランや、移籍すら検討し始めているミルドランも入り乱れ、ちょっとしたお家騒動になりかけているらしい。頭を抱えてしまった。
「……完全に巻き込んだな……。ばあや、いや、テルセン辺境伯夫人に、フリードが謝っていたと伝えてくれ」
フリードが呻くように言うと、ユランは鬱陶しげに顔を上げた。
「陛下、テルセン辺境伯家の問題の根源は、辺境伯が妻より元婚約者を信じ、我が子を蔑ろにしたことです。陛下の関与の有無に関わらず、いつかはこうなっておりました」
「同感っすね。あのおっさん、母上にベタ惚れなのに、なんでああなんですかね?」
ミルドランが呆れ顔で肩をすくめた。視線で意見を求められたシュゼイン公爵はミルドランを一瞥すると、短くこう答えた。
「…愛することと、尊重することは、別だ。しかし、愛に尊重が伴わないなら、愛を返してもらえる可能性は低い」
「……なるほど」
「なんか……深いっすね……」
この場では唯一の既婚者のセリフに、三人揃って神妙な顔付きになる。
「王家としては、テルセン辺境伯にはこれ以上余計なことをしてほしくないから好都合だが……ミドは、それでいいのか?」
「俺はフリューの護衛でいられりゃあ、あとはどうでもいいから!」
いつもと同じ、からりとした笑顔で断言するミルドラン。
それでもじっと顔を見つめていると、すっと真顔になって答えた。
「……いや、正直な?俺、父上と領地にいた時間より、フリューやユランと王都にいた時間の方が長いんだよ。一応『辺境伯令息』ではあるけど、俺は、『王城の騎士』、『フリューの護衛』だ」
そうぶっちゃけると、がしがしと頭を掻く。
「子どもじゃないんだし、母上と兄貴は自分のことくらい自力でどうにかするよ。テルセン辺境伯家だって名門だし、国境防衛の要だ、どうにでもなる。いざとなりゃ縁切って独立すればいいだけだし」
びろうど色の瞳が、まっすぐフリードを見つめる。
「俺の居場所はあくまで、フリューとユランの隣なんだ。大して帰ってもいない実家のために居心地悪くなったら、嫌だよ」
そして襲撃があった時すぐに動けないから、と滅多にしない臣下の礼を取った。
「フリード陛下、俺の……帰る場所。俺の忠誠も人生も、フリューのために」
「……ならば悪いが、しばらく揉めていてもらおう……」
その日は本気でシュゼイン公爵にミルドランの移籍を打診しようか、悩んでしまった。
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